チェックメイト


 俺と古泉の関係を単的に説明すると、SOS団の仲間、或いは平隊員と副隊長ということになる。
 それがどういうことを意味するかと問われれば、涼宮ハルヒを中心としたこの団体においてその団長様のご機嫌取りを主に担うのが古泉であり、俺は無駄と知りつつもそんなハルヒや暴走を促す古泉に対するブレーキ役ということになる。
 古泉曰く、ハルヒが不機嫌になったり常識という名の足枷を本気で外しに掛かったりしたら拙いことになるから、世界を守るためにハルヒを満足させておくとのことだ。
 馬鹿馬鹿しい話しだが、涼宮ハルヒの機嫌と思いつき次第でこの世界は変容する。
 そこにどんな因果関係が存在するかは俺の知るところではないが、古泉及び古泉の背景に居る連中はそれを信じているし、俺は実際に関連付けが正しいと思える場面を何度も見てきてしまっている。
 古泉の役割は、そんなハルヒの精神安定剤、というとこだろうか。
 奴には日々SOS団の活動でハルヒの欲求を満たすという側面だけではなく、ハルヒが不機嫌になり閉鎖空間なるものを発生させた時には、それを消滅させるために出動する限定的超能力者という側面もあるのだ。
 ちなみにそのどちらもこいつが選んだものではなく、組織の命令だとか、勝手に押し付けられた能力だとかによって決まったものでしかない。
 その辺りの事情については、本人がはっきりと白状している。
 ついでに言うと、今の自分は本当の自分ではないなんてことまで聞かされたことがあるくらいだ。
 さて、そんな古泉一樹は今俺の前でチェス板と睨めっこしている。
 何時もの正当派美少女スマイルをちょっとだけ歪ませて、あっという間に劣勢になってしまった盤面をどう打開するかと考えている今のこいつは、ちょっと可愛い。
 普段から胡散臭い言動と芝居が掛かった動作が目立つ女を可愛いと認めるのは少し抵抗が有るが、顔だけなら飛び切りをつけて良いほどの美少女だからな、たまにはこういう風に思うのもありだろう。
 ボードゲームに興じる事自体はいつもの事だが、古泉がここまで素に近いと思える表情を見せるのは珍しい。
 どういうわけか古泉は色んなボードゲームを部室に持ち込んで来るんだが、俺は良くその相手をさせられている。
 ちなみに古泉はボードゲームが好きではあるが全然強くはない、寧ろ弱い。はっきり言ってしまえば下手の横好きの見本みたいな奴だ。
 普段の言動からすると、駆け引きや工作は得意な方に見えるんだが、ゲームだと勝手が違うんだろうか。まあ、手先が器用な人間が料理が上手いと限ったものでも無いしな、そういうこともあるのだろう。
 でもって古泉は自分がゲームが下手だという事を自覚している。
 自覚しているから、普段は劣勢になっても負けても大して表情を崩さない。
 時折ほんの少しだけ悔しそうな素振りを見せる事も有るが、それもどこか諦め混じりな微妙な代物だ。
 相手が誰であれ勝てるのは気分が良いから、古泉がどんな表情をしているかなんてそれほど気にかけていなかったんだが、俺はふととあることに思いついて一計を案じてみる事にした。
 ゲームの種類は何でもいい。
 挽回できるギリギリの所まで手加減しまくってから、逆転勝利を収めてやる。
 何てことは無い、ただそれだけのことだ。
 逆転できれば何時もと違ったものが見られるだろうし、仮に負けても久しぶりに俺に勝ったという事で喜ぶ顔が見られる。
 策がどっちに転んでも、俺に損は無い。
「ここだな」
「え、そう来るんですか?、うーん……」
 長考の末の一手に対して軽快な調子で切り替えしたら、古泉が頭を抱え始めた。こいつがどこへ次の手を打ってくるかなんて予想の範囲だからな、先を見越して次の手を考えておくくらい難しい事じゃない。
 ああしかし、ちょっと悩んでいるくらいの時は可愛いと思えたし、違うものが見れたというのも確かなんだが、思った以上だったかもしれないな……。普段はなんでもない顔しているくせに、どうしてここまで落ち込めるんだ、お前は。
 こっちが苛めているような気分になるじゃないか。
 いや、実際罠に嵌めているようなものではあるんだが。
「……」
 古泉が珍しく三点リードを保ったままで次の一手を打ってくる。
 こんな状況ですらお前どこをどう考えたらここに打てるんだと思えるような場所を着いてくる辺りが、こいつらしい。
 段々かわいそうになってきたが、生憎俺にはこの状況から古泉が逆転する事は無理だろうと知っているので、膠着状態を長引かせる気は無かった。
 変に希望をもたせるより、さっさと終わらせた方が良かろう。

 さて、逆転負けの過程によりかなり沈み込んでいた古泉だが、朝比奈さんから慰めの言葉とお茶のお代わりを貰い、長門にぽんと肩を叩かれ、俺が別のゲームでの次の勝負を持ちかけたら、あっという間とまでは言わないが、割とあっさりと復活した。
 それからゲームを変えて3回ほど勝負して3回とも俺が勝ったが、別に古泉は大して落ち込んだりもしていなかった。
 これが本来のこいつの姿なんだろうと思うが、正直今日はちょっといたたまれない。
 参ったな、俺が古泉相手に罪悪感を抱く事になるなんて……、ほんの、ちょっとした悪戯とか余興程度のつもりだったんだがな。

 何時もの帰り道、俺は前を行くハルヒと朝比奈さんが後ろから着いて来る残りの面子の事を気にかけてないことを確認してから、古泉に対して今日の行いを白状した。
 長門には聞かれても良いし、そもそも長門相手じゃ雑音の中でも隠せるとでも思えないし、第一、古泉の肩を叩くとき俺に対してちょっと非難めいた視線を向けていたくらいだからな、今更隠す意味も無いだろう。
 途中でハルヒや朝比奈さんに気付かれるのはまずいと思ったし、正直目を合わせる気分にもなれなかった俺は、捲くし立てるように一気に喋った。
「ああ、とにかく……、その、すまん。すまなかった」
 言いわけめいた事は出来るだけ言わず、最後にきちんと顔を見て頭を下げる。
 古泉相手にまともに頭を下げた事なんて殆ど無いから、俺は今随分と希少な経験をしている事になる。
「……」
 顔を上げると、目を見開いて固まっている古泉がそこにいた。
 てっきり批難されるか、反対に何事も無かったかのような顔をされると思っていたんだが……、そういう反応をされると、謝った俺の方としてもどうすれば良いのかさっぱり分からなくて困る。
「……何だ、見透かされていたんですね」
 古泉はゆっくりと呪縛を説くと、ふわりと春の日向に咲く花のような綺麗な微笑を浮かべた。
 何時もの爽やかスマイルとは違う、もっと心の底から笑っている事が見て取れるような、優しさと穏やかさが見て取れる笑い方だ。
 俺は一瞬、ほんの一瞬だが、古泉の笑顔に見惚れてしまっていた。
 常日頃から正当派美少女系だとは思っていたが、その容姿に釣り合うだけの表情が伴うだけで、こんなに風に思ってしまうとは……、意外性っていうのは、随分破壊力がでかいもんなんだな。
「……古泉?」
「どうしました?」
「怒ってないのか?」
「怒っていますよ」
 微笑を崩さぬまま答えられても、説得力が全く無い。
 今の古泉の笑顔は朗らかで優しげで……少なくとも、怒りや苛立ちを秘めた笑い方という感じはしなかった。
「本当かよ?」
「ええ、本当です。ですが、それ以上に敗北感を味わっているのも事実です。こんな状況で普通怒っても余計惨めになるだけですからね。今は素直にあなたの着眼点に感心しておく事にします」
 その言い方が全然素直じゃねえよ。
 表情は相変わらずだが、古泉はもう何時もの古泉だった。
「ちょっと一樹ちゃん、大丈夫?」
 気がついたら、何故かハルヒが坂を登ってくるところだった。
 長門と朝比奈さんが、坂の随分下の方から俺を見上げている。朝比奈さんが、何だか心配そうな顔だ。
 ハルヒの台詞と朝比奈さんの表情の意味がわからないが、どうやら俺達が立ち止まって喋っているうちに前に居た三人とはかなり離れてしまっていたようだ。
「えっ、あの……」
「有希から聞いたわよ。体調が良くないみたいだからキョンと一緒に後から降りてくるって。もう、有希ももっと早く言ってくれればいいのに。待っているのに全然降りて来ないから、こっちから上って来ちゃったわよ」
「ご心配をおかけしてすみません、涼宮さん。もう大丈夫ですから」
 早口で捲くし立てるハルヒに対して、古泉が申し訳無さそうな顔で頭を下げる。
 どうやら、長門が俺達のために気を遣ってくれたらしい。以前の長門からすると考えられない事だが、今は何となく、あいつらしいな、と思ってしまう。
 恐らく、古泉も同じように思っているんだろう。
「ほらキョン、降りるわよ。ああそうだ、あんた一樹ちゃんをおんぶしてあげて。鞄は私が持ってあげるから、ありがたく思いなさい!」
 ハルヒは高らかにそう宣言すると、俺と古泉の鞄をさっと取り上げた。
「な、なんで俺が!」
「良いから、男なんだからそのくらいしてあげなさい!」
 ハルヒが、鞄を一つ手にした左手で俺の鼻先にびしっと指を突きつけた。
 古泉はと言えば、ちょっとだけ困ったような顔をしているが、ハルヒの言葉に逆らう気は無いらしい。それとも、俺を困らせてやろうとでも思っているんだろうか。
「くそっ……」
 仕方なく、俺は古泉を背負って坂道を下る事になった。
「すみません」
 背中から謝罪の言葉が聞こえるが、全然謝意が篭っているように感じられないね。
 前を行くハルヒが時々俺達の方を振り返りながら「もうちょっと早く」だとか「もう少し気をつけなさい」なんていう矛盾した言葉を何度も突きつけてくる。
 ハルヒのでかい声のせいだろう、坂を下る俺達三人の姿は完全に晒し者状態だ。
 人の少ない時間なのが幸いといえば幸いだが、次の日には古泉を背負いハルヒ先導のもと坂を下っている俺のことは、学校中に知れ渡っているだろうよ。
 男子生徒達から受けるであろうやっかみの視線のことを考えると、頭が痛い。
 しかしまあ、今日の場合は巡り巡っての自業自得ってやつなのかもな。
 俺は溜め息を飲み込み、古泉を背負いながら、一人やたらと元気そうなハルヒの背中を追った。




 
 基本の関係と立ち位置を書くつもりで書いてみた話。
 でもあんまり目的を果たせていないような……。(060901)