溜息の事情 半年の間に色々な出来事が有った。 その色々のほとんどが涼宮ハルヒの関わった出来事で、はっきり言って口に出すのも躊躇われるような失笑物の出来事も色々有ったのでそれぞれの事の詳細は省かせて貰うが、とりあえず俺はこの半年で相当涼宮ハルヒなる人物に振り回されていたわけだ。 まあ平穏な時とそうでない時の波もあるんだが、その波は規則性の無い荒波のようで、ついでに言うと波が立ってない時の方が少ない。 もうちょっと緩急つけろよと言いたいところなんだがハルヒにその言葉は通じそうも無いから、俺としてはその荒波がさっさと過ぎる事を祈るばかりだ。 そんな折、あいつはまた面倒事を一つ運んできた。 「今度は映画よ!」 曰く、文化祭の出し物として映画を撮るとのことだった。 何とまあ唐突極まりないが、唐突なのは何時ものことなので気にしないことにする。 映画撮影って響きだけなら、女だらけで大人相手の野球大会に参加してみるとか、密室殺人事件を求めて孤島旅行とか、終わらない夏休みを延々繰り返してみるなんてのよりはよっぽど健全そうだな。 まあ、健全だとかまともだなんて単語がこいつに通じるとは思えないんだが。 「じゃーん、これが配役よ」 映画を撮ると言った翌日にハルヒが団員一同に配った紙には 監督/涼宮ハルヒ 主演女優/朝比奈みくる 主演男優/古泉一樹 助演女優/長門有希 カメラ撮影/小道具/大道具/パシリ/雑用その他/キョン ……という配役が書いてあった。 「おい」 さて、どこから突っ込もうか。 ツッコミどころが有りすぎてどこから何を言ったら言いかさっぱりだが、とりあえず自分のことは置いておいて、超困惑顔のメイドさんとちょっとだけ困った顔の正当派美少女の件を何とかしてやるか。 「何?、何か文句でも有るの?」 「何だこの配役は」 「何って、見たまんまよ。みくるちゃんが主演で有希がそのライバル、あ、一樹ちゃんがみくるちゃんの相手役ね」 「……何で古泉がその役なんだ?」 自分のあだ名のところに並ぶスペックオーバーするんじゃないかというくらいに並んだ数々の裏方業務も気にならないわけではなかったが、俺はとりあえずそこを突っ込んでやる事にした。何が悲しくてこの男女比の大いに偏った団体唯一の男である俺を差し置いて古泉が主演男優扱いなんだろうな。 俺だってハルヒの作る馬鹿馬鹿しい映画に積極的に参加しようとは思わないが、朝比奈さんの相手役だったらやってみたいかも知れないっていうくらいの気持ちは持っていても罰は当たらないだろうよ。 「何でって、一樹ちゃんなら似合いそうと思ったからよ」 学年で一、二を争う美少女を捕まえて、男の子の役をやってねなんて真顔で宣言できるのはお前だけだと思うぞ、ハルヒ。 朝比奈さんの相手役という光栄な、しかし自身の性別とハルヒ監督という所を差し引いたらやっぱりどう考えてもマイナスにしかなりように無い役柄を押し付けられた古泉は、曖昧な笑顔を浮かべるのみだ。 「だって主演男優よ、美形じゃなきゃ務まらないわ。キョンじゃ絶対無理でしょ。一樹ちゃんならみくるちゃんとの身長差もいい感じだし、見た目も綺麗でいい感じじゃない。あ、宝塚みたいな路線を狙うのも良いかも知れないわね」 自分の容姿の件に関しては反論するのも虚しいので何も言わないことにしておくが、そんな理由で勝手に決めるなよ。あと、古泉は所謂正当派美少女過ぎて逆に宝塚向きじゃないと思うぞ。宝塚が具体的にどんな物かは俺も知らないが。 近場だけど俺も行ったことは無いんだよな。 まあこの際そんな事はどうでも良いんだが。 「一樹ちゃんは構わないでしょ?」 「ええ、私は別に……、男役と言うのも面白そうですしね」 古泉の顔からは何時の間にやら困惑も曖昧さも消え去り、何時もの爽やかスマイルになっていた。 そういや、こいつはこういう奴だったな。 ……心配した俺が馬鹿みたいだ。 「じゃあ、決まりね!」 ハルヒは何か言いたげなままおろおろする朝比奈さんと無言の視線を送っている長門をあっさり無視し、そう宣言した。 ちなみに撮ることになった映画は『朝比奈ミクルの冒険』とかいうわけの分からないもので、出演する三人は名前がカタカナになった以外は本名のまま、しかもミクルは未来人でユキは宇宙人でイツキは超能力者という役どころだった。 いやもう、どこから突っ込んだら良いのかわからんね。 そんなわけで撮影中何度も危険な事態や面倒な事態や恥ずかしい事態に巻き込まれた俺及びハルヒ以外のSOS団の面々だったが、色々拗れかけた挙句に俺がハルヒにはっきりきっぱり良い映画にしよう宣言をしたせいもあってなのか、とりあえず事態は収まって……は居ないものの、とりあえずハルヒの機嫌だけは大幅に回復し、世界の破滅とか大規模な改変とかは避けられそうだった。 古泉にはやりすぎだと指摘されたが、とりあえず解決策らしきことのお膳立てくらいは用意したんだ、これで何とかならないとしても俺の責任だとは言われたくないね。 俺はハルヒの精神安定剤でも保護者でも無いからな。 けどまあ、何とかなるだろうよ。 ジャージ姿でカメラを適当に動かしながら、俺は自分も随分前向きになったなと思いつつ今後のことをぼんやりと考えていた。 今は学校の屋上で戦闘シーンの撮影中だ。 カメラの向こうには、ウェイトレスな朝比奈さんと、魔法使いな長門と、北高のブレザーを羽織った古泉が居た。 ちなみに古泉のブレザーは俺の物である。男子の制服が必要だからという理由でハルヒが俺から奪って古泉に貸し与えたものだ。カメラの向こうの古泉は俺とは肩幅が違うんで多少着られている感があるが、そう変でもない。 シャツは当人自前、ズボンはサイズが合わなかったんで制服に近い物を古泉のサイズに合わせてハルヒが用意したものだ。 要するに俺の手元には自分のシャツとズボンは有るんだが、作業するにはジャージの方が楽かもしれないなんて理由も有って俺はジャージ姿になった。体育の授業の後に制服に着替えず体操着やジャージのままなんて生徒は普段でも珍しくないからな、ウェイトレスや魔女や男装より全然普通の範囲の格好だろう。 ……問題は俺がどんな格好をしているかではなくて、古泉が俺の制服を着ているって事の方にある。 SOS団が妙な格好でうろついているかは既に学校中に知れ渡っているし、美少女だらけのこの団体の人員構成なんてのはそれ以前の問題だ。だから俺達が何も言わなくても、古泉が着ている男子のブレザーが誰のものかなんてのはバレバレなわけだ。 毎日の撮影後、美少女の体温が残っているブレザーが俺の元に返って来る。 いやもう恨みたくなる気持ちは分かるね、俺が逆の立場で、美少女が古泉ではなくて朝比奈さんあたりだったら俺もその男に対して軽く殺意を抱いているだろうよ。 でもな、勘弁してくれ。 俺は何もしてない、ただハルヒに制服を奪われただけだ。 俺は言わば被害者だ……、と主張しても虚しいだけだが、俺は主張させてもらう。 まあ、国木田や谷口相手にだけだけどな。 そんな言葉を全校の男子相手に主張する勇気は、俺には無い。 「ありがとうございました」 全撮影が終了した日、というかそれはもう文化祭前日だったわけだが、ここ数日そうだったように古泉がブレザーを俺に返してきた。 最後に洗濯でもしましょうかと言っていたが、俺はそれを丁重にお断りをしている。 こいつにブレザーなんぞ預けた日には、何が付加されて帰ってくるか分かったものじゃない。 俺は盗聴器標準装備なんて学校生活は送りたくないぞ。 「……終わったな」 何だか物凄く疲れの溜まる日々だったが、とにかく終わる物は終わった。 「ええ、終わりましたね」 古泉は鸚鵡返しのようにそう言ってから、俺に色々と礼を述べてきた。 まあ、礼を言われるのは悪い気はしないさ。 そこに至るまでの経緯が大問題すぎて額面通りその言葉を受け取る気になれないけどな。 「ああ、後のことはお任せしますね。私はクラスの方が有りますので……、多数決で劇の主役をやることになってしまったんです。演劇ですからね、映画みたいに失敗して撮り直しというわけには行かないんですよ」 この映画撮影中にまともな撮り直しなんて場面に遭遇した記憶は全く無いが、古泉の言おうとしてることは分からないでも無い。 文化祭で部活とクラスの出し物の掛け持ちだったらそりゃ忙しいだろうさ。 特にSOS団は忙しいとかいうのを通り越しているからな。 何せあの団長様は休み時間も放課後も休日も全部返上して撮影時間に当てやがった。 やきそば喫茶のウェイトレスという予行演習無しでも何とかなりそうな朝比奈さんや、何が待ち受けているとしても練習時間なんてどうにでも出来そうな長門はともかくとして、こいつは何時クラスの演劇の練習とやらに付き合っているんだろうな。 「まあ、頑張れよ」 こいつが映画撮影の方で疲労困憊してクラスの演劇で台詞をとちるとかいう展開にはなって欲しくないものだ。 古泉は多数決で主役抜擢されるような美少女だからなその程度の理由でクラスメイトから嫌われるなんてことは無さそうだが、その場合SOS団というか、SOS団唯一の異性キャラである俺のところに怒りと恨みの矛先が向いてくる可能性が高い。 俺としては、これ以上学内で同性からの恨みを買うような要因は増やしたくない。 「ええ、頑張ります。……そちらも編集作業、頑張ってくださいね」 「ああ」 そういやそんな物もまだ残っていたな。 見直すだけで何時間掛かるか分からない出鱈目画像のたくさんつまったテープの山のことを思い出し、俺はウンザリした様子で天を見上げた。 さて、映画の内容について一々言及するのもあほらしいが、映画自体はそれなりに好評だったらしい。 まあ、朝比奈さんは可愛かったからな。 そうそう、その相手役が女の子というのも好評価に一役買っていたらしい。 一応男の役という事にはなっていたが「あ、でも男装の麗人って言うのも良いわね」とかいうハルヒのいい加減な発言により、かなり適当に撮影したからな。 サラシも無ければ特に体型が隠れるような服を選んだわけでも無いので、画面の中のイツキはどこからどう見ても女の子だった。 ちなみにイツキが男装をしている理由は最後まで一切説明されていない。 「少しくらい謎が残る方が良いのよ」というのもハルヒの発言だが、謎どころか意味不明な事象だらけの映画に対してそんな言葉を付け加えるお前の神経の方が俺には謎だ。 しかしそんなハルヒの妄言の産物、女の子同士のラブシーンというのが評価に繋がるというのだから世の中は不可解としか良いようがない。 悪いが俺には百合属性は無いんでその辺りの事情はさっぱりだ。 まあ、相手役は朝比奈さんだしな、まともな男がやっていたらそれこそそいつが公開翌日から登校出来ないような事態になっていた可能性も充分にあったんだから、これで良かったのかも知れないな。 文化祭に関してだが、もう一つエピソードを付け加えておこう。 それは撮影最終日の放課後、俺が教室に忘れた鞄を取りに向かった時の事だ。 俺は、廊下で古泉と出会った。 何時もだったらすれ違うだけか、せいぜい向こうが挨拶をして俺がそれに適当に答えて終わるという程度なのだが、その時の俺はやって来た古泉の姿から視線を離す事が出来なかった。 「どうかしましたか?」 「……何だ、その格好は」 「クラスの演劇の衣装です」 古泉はそう答えると、その場で軽くステップを踏んだ。 お前はどこのアニメか漫画のキャラだと言いたい所だったが、美少女がやると妙に様になるせいか、俺はその言葉をぐっと飲み込んだ。 というより、もっと別に言いたいことがあったせいかそんな在り来たりなのツッコミ言葉にならなかった。 足踏みと共に翻る長いスカート、膨らんだ袖口、古典的な西洋の童話の類のどこにでも居そうなお姫様の衣装の形の癖して、それが誰かを一瞬で分からせる特徴的な配色。 「白雪姫、ですね」 俺のトラウマのど真ん中を直球で貫いていく単語そのもののお姫様が、目の前に居た。 「……高校生にもなって白雪姫かよ」 世にも間抜けな映画を撮っている状況でこんな事を言うのもどうかと思うが、高校生にもなって白雪姫ってのもどうかと思うぞ。 そういうのは小学校、せいぜい中学校までで良いじゃないか。 それに髪の短い白雪姫ってのもどうなんだ。似合って無いとは言わないが白雪姫は結い上げた髪の方が良いんじゃないか。 鬘くらい用意しろよ、高校の文化祭とはいえその程度の予算はあるだろう。 妙な所で手を抜くなよな。 ハルヒじゃないんだからさ。 「ええ、白雪姫です。本当は別の物をやる予定だったんですけど、色々有りまして。あ、事情を知りたいですか?」 ぐるぐると現実逃避方向に回り始めた俺の思考などそしらぬ様子の古泉は、何時もどおりといった風情だ。 白雪姫……、こいつは、その単語が俺の心のどんな部分を占めるかってことを知らないんだろうか。 それとも、知っているくせして俺の事をからかっているのだろうか。 昼休みに演目を言わなかった理由は一体どこにあるんだろうな。 「いや、いい」 他のクラスの出し物の変更理由なんて俺が知っても何の特にもならない。 「そうですか。まあ、正直白雪姫になってくれて私自身はほっとしているんですよ。主演だから出演時間は多いですけど、シェイクスピアの古典劇の長台詞を覚えるよりはまだ楽ですからね」 古泉はそう言って朗らかに笑った。 もしかしたら、古典劇とやらが中止になったのは台詞を覚えられない奴が続出したからなのかもな。 「ふうん……。なあ、白雪姫ってことは、その……起こされるシーンが有るんだよな」 そのまま放っておけば良いのに、俺は薮蛇という単語に相応しいくらいの行動を起してしまった。 何でこんな事を聞いているんだろうか。 「ええ、有りますよ。まあ、実際に口付けはしませんけどね。観客からは見えない角度で誤魔化す予定です。ああ、そろそろ練習があるので行きますね。それでは、また」 古泉は「予定です」のところで口元に人差し指を寄せて片目を軽く瞑ると、そのままさっと俺の脇を通り過ぎて自分のクラスの方へと向かってしまった。 あいつにしてはやけにあっさりとしているな。 動揺しているっぽいところを突っつかれると思ったんだが……、いや、そうならなくて良かったんだよな。 俺は去っていく白雪姫の背中を見つつ、小さく溜息を吐いた。 『〜溜息』補完。 この男女比でもやっぱり主演は変わりません(笑)(060908) |