turn aside


 断酒を誓ったのは何時の話だったかと思うほど大昔の話ではなく、それは夏休み最初の事なので今を遡る事8ヶ月ほど前という微妙な時期の事だ。
 高校生にとっての8ヶ月というのは消して短いと呼べる期間ではないが、立てた誓いを破るには流石に短すぎるだろう。そもそも高校生が断酒の誓いを立てるなどという状況からして不可解だが、世の中には二十歳の誕生日を境に酒や煙草を止める御仁も居ると聞くから、これはきっとそれほど不思議な事ではないのだろう。
 ああしかし酒、酒か。
 今俺の目の前には誰がどこから持ってきたのかカップに入った酒が置いてある。
 いや、誰がどこかなんて本当は承知なのだ。
 これは近くの自販機でハルヒが購入してきた代物だ。
 そう、同じく断酒の誓いを立てたはずなのにハルヒは今日その誓いをあっさり破った挙句俺達もそれに巻き込もうとするという迷惑な行動に出た。
 これでもクリパの時は全力で止めたんだがな、今日は学年が上がるから良いのよというわけの分からない理由で押し切られた。
 学年が上がっても俺達が未だ未成年であるという事実に代わりようがないし、ついでにいうと年を重ねたってハルヒが酒乱で朝比奈さんが酒に弱くて長門がうわばみという辺りには何の変化も無さそうな気がするんだが。
 俺は当然のように散々抵抗しようとしたが、仕方なくほんの少し、ほんの少しだけ酒に口をつけることになり、現在に至る。
 思考が似たようなところをぐるぐる回っているような気がするのは多分酒のせいなんだろう、多分。
「ふにゃ〜」
 朝比奈さんは顔を真っ赤にしている。彼女も含め全員が当然のようにハルヒに酒を飲まされたからな。
 その朝比奈さんはといえば寝惚け眼のまま古泉の膝に寄りかかり中だ。
 ちなみに現在俺達SOS団が居るのは長門の家だ。花見の後にこの場所までやってきて宴会の二次会をやっているというのが的確かも知れない。
 ついでに言うとハルヒは少し離れた所で長門相手に何かを喋り捲っているという状態が続いている。何を喋っているのかは俺にはよく分からないが、このまま喋り疲れて寝てくれると助かるんだが。
「可愛いひとですね」
 朝比奈さんのふわふわの髪を撫でながら、古泉がふとそんな風に呟く。
 こうしていると似てない姉妹のようでちょっと微笑ましい。
 朝比奈さんの方が学年が上なのに明らかに古泉が姉で朝比奈さんが妹に見えるというのは、この際気にしない事にする。
 朝比奈さんが童顔なのも古泉が少し大人っぽいのも分かりきったことだし、ついでに言うと俺はこの二人の実年齢を知らないからな。何せ朝比奈さんは未来人で古泉は機関とやらに派遣されてやって来た限定的超能力者だ。二人とも、学校に入るのに都合がいいよう年齢を誤魔化しているとしても別に不思議は無い立場である。
 まあそんな事を一々考えても仕方ないので、俺は朝比奈さんを年上として扱っているし、古泉を同学年として扱っているが、例え真実が違ったからと言ってもそれで文句を言われる筋合いは無いさ。
 ただ、こうして見ていると見た目の年齢が逆に見えるというだけの話だ。
 ……俺が回りきらない頭でそんな当たり前の事を考えているうちに、古泉に寄りかかっている朝比奈さんが完全に居眠り状態に移行していて、膝枕状態になって居た。
 おかげでますます朝比奈さんが妹みたいに見える。
「朝比奈さんは何時だって可愛いさ」
「それもそうですね」
 古泉は軽く頷くと、俺の方から視線を外して朝比奈さんの髪を撫でる仕草を再開した。
 こいつはそれほど酒には弱くなかったと思うが、それでも多少は酔っているのかもな。
 何となくだが、そんな気がした。
 少しの間、ちょっと離れたところで大騒ぎする約一名がまるで別世界の住人じゃないかと思えるほどの穏やかな時間が通り過ぎていく。
 不意に、古泉が顔を上げた。
「羨ましいんですか?」
 ちょっと首を傾げての、唐突な質問。
 そのときの奴の表情が少し嫌味に見えたのは俺の考えすぎが原因だろう、多分。
 しかし、多少気にいらない事に変わりは無いな。
「……ああ、朝比奈さんがな」
 俺は酒で頭の回転がおかしくなっているのを感じながらも、俺は出来るだけ何気ない振りを装って回答した。
「えっ……」
 古泉が、一瞬目を見開く。
 こいつらしくない、無防備な反応だ。
 酒のせいだろうか、それとも俺の回答が意外すぎたんだろうか。
「はみゅ〜、だめれす〜、おさけは……」
 古泉の膝の上で、朝比奈さんが小さな子供のように首を動かしている。
 何時の間にか何時も通りの笑顔を取り戻した古泉が、そんな朝比奈さんが膝の上から落ちないようにそっと手を添えて支えてやっている。
 世界の破滅も未来に関する選択も組織同士の抗争も関係無い、ただただ微笑ましい光景。
 俺は唐突にこの光景を護るために俺が出来ることは何だろうと考えかけたものの、その思考をすぐに放棄した。
 そういうことを考える事自体が無粋だって時もあるさ。
 じゃあ何で一瞬考えたのか?
 きっと酒のせいだな。そういうことにしておいてくれ。
「膝枕なら、するよりされる方が良いからな」
「ああ、そういうことでしたか」
 俺の説明に、古泉が安堵したような表情を見せる。
 ……何でこいつは、俺の言葉に安心しながら俺に対して線を引くなんてことが出来るんだろうな。
 こいつとの間には、ハルヒが居たり、ゲームが有ったり……、今は、朝比奈さんか。
 朝比奈さんのことを俺がどう思っているかという辺りのことを利用して、古泉は全てを誤魔化してしまうつもりなんだろうか……。

「こらー、馬鹿キョンー!!」

 げっ、ハルヒがこっちへやって来た。
「お、おい……」
 って絡むな抱きつくな酒臭い息を吹きかけるな!
 麗しい姉妹を眺めるような俺の穏やかな時間はどうやら終了らしい。というか終了させて対ハルヒモードに入らないと、ハルヒに絞め殺されかねない。
 ああ、古泉が朝比奈さんを抱えつつ退避し始めやがった。
 朝比奈さんのためを思えば正しい行動だと思うが、ちょっと見捨てられたような気がしてならないぞ。
「もっと飲めー!」
「飲めるか馬鹿、って酒瓶振り回すな、危ないだろうが!!」
「うるさーい、つべこべ言わずっ、ひっく……、飲みなさーい!!」
 酔ったハルヒは性質が悪い。
 ハルヒの性質の悪さ自体は何時ものことだが、酒がその勢いを加速させるのだろう。
 ああもう……。


 ……。
 …………。
「大丈夫ですか?」
 心配そうな声がやたら遠くから聞こえる気がする。
 ええっと、誰だ……、語尾からして古泉か朝比奈さんのどっちかだよな?
 声が響きまくって誰の声だか分からないし、目を開ける気にもなれない。
 瞼が重いなんてもんじゃないな、身体中が重い。動きたくない。
「もうお昼なんですけど……、あ、涼宮さんはもう帰宅しました。朝比奈さんと一緒に」
 ということはこの声は古泉か。
 しかしハルヒよ、お前はあれだけ飲んで暴れたのに、俺より早く復活したのか……。
「……悪い、まだ頭が痛い」
 俺は目を開けないまま言い返す。喋る事さえ億劫な気がする。
 どうやら俺は布団か何かに寝かされているようだ。
 古泉は、枕元にでも座っているんだろう。
「あまり長居をするのも、親御さんが心配なさると思いますけど?」
 それはその通りなんだが、高校生が二日酔いのまま帰ったら親は別の意味で心配すると思うぞ。
 なあ古泉、俺は時々思うんだが、お前って妙なところでピントがずれているよな。
「……そうですか?」
「そうだよ。……もう少し寝かせてくれ」
 そう言って、俺はもう一度眠りに落ちた。
 古泉が何か言っていた気がするが、もう知ったことじゃない。


 俺は夕方になってからやっとまともに起き上がれるようになり、漸く帰路に着くことが出来た。
 その時は古泉も帰った後らしく、長門だけがいた。
 長門に聞いた所、古泉は俺が起きるほんの少し前まで俺の傍に居たらしい。
 本当は、長門が近くまでハルヒと朝比奈さんを送っていく間の留守番ということだったらしいんだがな。
 さて、この場合普通に考えれば二人を古泉が送るという方が妥当だろう。
 そうならなかったのは何故かと長門に聞いた所、何でも、二人を送ろうと古泉が立ち上がったところに俺が無理矢理しがみ付いて離さなかったから、仕方なく長門が二人を送っていく事になったということだった。
 長門が俺に嘘を言うとは思えなかったが、全くもって平静そのものの口調でそう言われたとき、さすがに俺は目の前が真っ暗になったね。

 何やってたんだ、俺……。


 俺は帰宅し、小言を言いたそうな母親を回避してシャワーを浴びてから、漸く古泉に電話をかけた。
 ……とにかく、謝らないとな。
『はい、古泉ですけど』
「すまんっ」
 開口一番、俺は頭を下げた。
 いや、電話の向こうだから相手には見えないんだが……、まあ、気分とか勢いとかいうやつ何だと思ってくれ。
『あの、一体なんですか……?』
「あー、事情は長門から聞いた……、俺は覚えてないんだが、えっと、その、お前が留守番をしていたというか、俺の隣に居た理由をだな……」
『ああ、そのことですか』
 古泉の声は朗らかだ。
「いや……、すまん」
『良いですよ別に、気にしてませんから』
「しかしなあ……」
『涼宮さんも朝比奈さんも朦朧状態で、状況を良く覚えてないようでしたしね。閉鎖空間も発生していませんし』
 ……。
 ……だから何故、話の風向きがそういう方向に行く。
「なあ、古泉」
『何ですか?』
「……いや、なんでもない。とにかく、俺は謝ったからな、水に流しておいてくれ」
 ああ、俺は。
 何も、切り出せないんだ。
『水に流すも何も、元々気にしていませんが……、まあ、良いでしょう。そういうことにしておきます』
「じゃあ、またな」
『ええ、また今度』
 そのまま、電話が切れた。


 謝罪の気持ちを受け流されてしまったという今の状況は、余り気分がいいものじゃない。
 水に流してくれた手前相手を責めるのは間違っていると思うんだが、巡り巡って自己嫌悪にって感じもないような気がするな。
 行き場の無い気持ちが、どこかで宙ぶらりんで浮いているような状態なんだろうか。
 謝れなかったことだけが気がかりなんじゃない。
 それは、分かっているつもりだ。

 だから、俺は……。





 
 時期的にどうなんだろうと思いつつも花見話。
 ツンデレ合戦というよりスルー合戦な気がしてならない二人です(061011)