オンリー・メモリー




「そうですね。私は――」

 俺の記憶の片隅に、そんな言葉が残っている。
 長門がただの文芸部員で朝比奈さんが面識の無い上級生でハルヒが何故か有りもしないはずの学生服を着ていたその世界で、ブレザー姿でロングヘアの古泉一樹が言っていた言葉だ。
 そこから始まったというわけでは無いものの、それから二週間ほどの間にはこれでもかというくらいのトンデモ事項やらイベントやらが目白押しだったりしたせいですっかり記憶の隅に追いやられてしまっていたのだが、一旦落ち着きらしいものを取り戻せそうになった今日この頃になってから、俺はこの言葉を思い返すようになっていた。
 これを言った古泉は俺の知る古泉とは違う人間だ。
 俺の知る古泉一樹は妙な組織に所属している似非超能力少女で、セーラー服姿の北高生で、髪だって肩にかかるかどうかってところだ。
 その古泉はと言えば、今は俺の目の前でダイヤモンドゲームを片付けている。
 今日はどういうわけか長門は来ておらず、ハルヒは来てから10分もしないうちに何を思いついたのか一人で飛び出していったので、俺、古泉、朝比奈さんの3人で延々ダイヤモンドゲームをやっていたのだ。
 なんとなくハルヒはもう今日中に戻ってこないんじゃないかという気もしたのだが、古泉も朝比奈さんもそれを理由に帰宅できるような性格じゃないし、俺としてもそんな二人を置いて帰る気になどならなかった。
 仕方ないので俺達三人は、ハルヒに言われた時間まで暇を潰すことになった。
 美少女二人と放課後に三人でゲーム、そんな時間も悪くない。
 実際に俺が嬉しいかどうかはともかくとして、ただでさえ日々色々と苦労しているんだ、たまにはこんな風に全校の男子生徒から羨ましがられるような時間を送っていたって良いじゃないか。
「なあ、古泉」
「何ですか?」
「お前さ、今より髪を伸ばしていたときも有るのか?」
 話が妙な方向へ転ぶのが嫌だったので二人きりの時に聞く気は無かったし、事情が事情だから長門が居る前で聞くのも躊躇われるし、ハルヒがいる場所で聞くのもどうかと思っていたが、この面子なら問題は無い。
 朝比奈さんなら深読みしてくることはまず無いだろうし、古泉だって朝比奈さんが居る場所でややこしい話を展開させようとは思わないだろう。
「ええ、有りますよ。けど、それがどうかしたんですか?」
「いや、ちょっと知りたかっただけだ」
「はあ……」
 俺の質問の意図がつかめないのか、古泉がちょっと不思議そうな顔をしている。
 まあ、こっちもヒントは殆ど出していないからな。
 こいつは結構勘がいいから、あんまり情報を出しすぎると例の改変世界の事だって気付きかねない。
 別に気付かれたら困るってわけじゃないんだが、俺にだって言いたくないことは有るさ。
 それは主に長門のためであり俺のためでもあるんだが、一応こいつや朝比奈さんのためでも有る。
 事情を全く知らない位置に居るハルヒは、まあ、省いておこう。
「髪の長い古泉さんかあ、少し見てみたいですね」
 俺達の会話を耳にしていた朝比奈さんが、ふとそんなことを口にした。
 当たり前だがこの朝比奈さんには髪の長い古泉一樹を見た記憶は存在しない。
 背景事情その他を考えれば、古泉の昔の姿くらい資料として見たことが有ってもおかしくない気はするんだが、どうも朝比奈さんはその手の情報を全然持っていないようだ。
「髪の長さが違うだけですから、今とそんなに変わりませんよ。ああでも、もし見たいというのでしたら今度写真を持ってきましょうか?」
「あ、見たいです」
 古泉の質問に、朝比奈さんが首肯する。
 この会話からだと、女友達の昔の写真が見てみたい、という感じにしか聞こえないし、多分朝比奈さんにはそれ以上の意図なんて無いんだろうし、古泉の方にもこれといった思惑は存在しないのだろう。
 平和でいいことだ。
「あなたも見ますか?」
「ただで見れるなら見てやるよ」
 幸か不幸かブレザー姿の古泉は未だに俺の記憶の中にあるが、写真の中の少女はその姿とは別物だろう。
 とはいえ、俺にだって見てみたいという好奇心くらいは有る。
 見たからどうなるってものじゃないのは、分かっているつもりなんだが。
 やる気の無い俺の答えを聞いて、古泉が軽く肩を竦めた。


 翌日、古泉は昔の写真とやらを持って来ていた。
 ノックをした俺に答えてくれた朝比奈さんの手には、既にその写真が有ったからな。
 長門は今日もいない。何か事情が有るのだろうか?
 ハルヒが遅れてくるのは別に珍しいことでもなんでも無いが。
「可愛いですよね、昔の古泉さん」
 写真を俺に手渡した朝比奈さんがお茶を準備しつつ、同意を求めてくる。
 写真の中の少女が可愛いかと問われれば、文句無く可愛い。
 中身のことを考えるとどうかと思わないわけじゃないが、古泉は基本的にツラは良いのである。
 今俺の正面で座っている現在の古泉の笑顔だって、上辺だけで判断すれば朝比奈さんに勝るとも劣らないかも知れない。
「何年前だ、これ?」
 しかし本人の前で可愛いと言ってやるのも癪なので、俺は朝比奈さんの問いには答えず、古泉に質問してみることにした。写真の中の古泉は明らかに今より少しだけ幼い気がするんだが、そんなに昔という感じもしない。
「一年くらい前ですね。去年の一月か二月頃です」
 そういや、三年前の長門が言うには、例の改変の及ぶ範囲はその時点から一年前までって話だったな。
 一年前の12月までの古泉がロングヘアじゃなきゃ、あの世界の古泉がロングヘアなわけがないか。
「えっ、そんなに最近の写真なんですか」
 今の姿と写真の姿を見比べたら、そんなに前じゃないということくらい簡単に分かりそうなのに、朝比奈さんがちょっと本気で驚いたような顔をしている。
 ……朝比奈さんは未来人だからな、もしかしたら未来では今とは年齢の重ね方が違うのかも知れない。どうせ詳しいことは禁則だからと言って教えてくれないんだろうが、ここは、そういう可能性もありえるってことを一応頭の片隅にでも入れておくか。
「ええ、そうですよ」
 古泉も俺と同じことを考えたのだろうか、それとも、こいつはそんなことはとっくにお見通しなんだろうか。
 未来人のはずの朝比奈さんが現代人のはずの古泉のことを全然知らなくて、その逆に古泉が朝比奈さんの背後関係を多少なりとも知って居るっていうのも、よくよく考えてみたら変な話だ。
 この状態に慣れきってしまったせいか気にかけることも少なくなってきたが、改めて考えてみると結構変な構図かも知れない。
 別に、それが悪いってわけじゃ無いと思うんだが。
「じゃあ、髪を切ったのはもっと最近なんですね」
「髪を切ったのはここに来る直前なんです」
 朝比奈さんの質問に、古泉が答える。
「そうなんですかあ。なんだか、勿体無いですね」
 朝比奈さんは少し残念そうにそう言うと、椅子に座っている古泉の髪に触れた。
 後ろの方の髪の毛だけを軽く結い上げた、肩に届くかどうかというくらいのセミロング。
 朝比奈さんがロングで長門がショートだから、見た目のバランスとしてはこれで良いんじゃないかって気もするんだが、どうやら朝比奈さんは俺とは違う意見をもっているらしい。
 髪は女の命って奴だろうか。
 未来でもその言葉というかそんな考え方が残っているかどうかは定かじゃないが。
 暫くの間古泉の髪を撫でていた朝比奈さんは、本人から許可を得ると、結っていたリボンとゴム紐を外し髪型を弄り始めた。
 どうやら、髪を切った理由を聞く気は無いらしい。
 時期から考えてお役目とやらに関係する可能性があるから聞かない方が良いだろうという判断なのだろうか。それとも、聞かないのがマナーだとでも思っているんだろうか。
 まあ、その辺りの事情は俺の考えることじゃない。
 理由については、俺だって聞く気は無い。
 知りたくないわけじゃないが、知ってどうなるものでも無いからな。
 別に、ロングへアの方が良いって思っているわけじゃないんだが。

 女の子同士の他愛ない会話を聞きながら、俺はぼんやりと一人で窓の外を眺めつつ、記憶の中のブレザー姿の少女を思い返していた。
 あの少女は、俺の記憶の中にしかいない。
 あの世界を作った長門だって、あの世界でのことは何も覚えていないんだ。

 だからあの世界の古泉は俺の知る古泉じゃないし、ハルヒだって何も知らない。
 あの世界に居た古泉に今更何かを問い掛けることは出来ないし、余計なことを考えるだけ無意味なことだ。
 それなのに、どうして俺は思い出すんだろうな。

 あのときの言葉を――。





 
 消失後の話。
 この反転でも消失のストーリーライン自体はあまり変わってないかな、と思います。
 キョンの心情はともかくとして(061104)