青い光の向こうに



 SIDE:I

 朝方から小さな閉鎖空間が頻発したその日、僕は久しぶりに学校を休むことになった。
 閉鎖空間内での疲労が溜まるからというのも有るけれども、どちらかというと、毎回発生場所が違う関係上移動に時間を取られるゆえ、学校に行くことが出来なかったと言った方が正しいだろう。幾ら機関が莫大な財力を持っていても、金銭で移動時間を短縮するには限界がある。そういうことだ。
 最近の閉鎖空間の発生頻度は一時期の安定期に比べれば高いものだけれど、発生した閉鎖空間の規模事態は、何れもそう大きくは無い。今のところ、涼宮ハルヒの精神状態は多少不安定では有るものの、一定の範囲を逸脱することはない模様……、それが、僕なりの彼女に対する見解だった。

 翌日の登校途中、僕は涼宮さんに出会った。
 偶然なのかどうかは、よく分からない。最近、彼女に通学途中で合う回数が増えたような気がするから、もしかしたらこれも、彼女の無意識下での願望の一種なのだろうか。
「おはようございます」
「あ、古泉くん、熱下がった? 出歩いても大丈夫なの?」
 挨拶もそこそこに、彼女は矢継ぎ早に説明を繰り出してくる。
「え、ええ」
「昨日電話したら親御さんが出てきて、一樹は寝てますのでって言っていたから、あたし心配で……、本当に、大丈夫?」
「……もう大分よくなりましたよ。ご心配おかけして申し訳有りません」
 病欠と言うのはもちろん嘘だし、彼女からかかってきた電話に出たのだって僕の親なんかではない。
 だけれどそんな僕の事情は彼女が知る必要の無いことだ。彼女を取り巻く世界を守るため、僕は今日も嘘を塗り重ねていく。
 彼女のために、僕のために。……そして、この世界のために。
「ううん、気にしないで良いのよ。あ、そうだ、昨日のことなんだけどね、」
 僕の思惑になど気づきもしないまま、涼宮さんの話は全然違う場所へと向かっていく。クラスで有ったちょっとした騒動と、それに苛立ちを感じたこと。けれど、今思えばそんな風に考えたこと自体が馬鹿馬鹿しかったこと……、そんな、日常的な話。
「あたし、何であんなに怒っていたのかしら……、変な感じよね」
「まあ、そういうときも有りますよ。後から振り返って、どうしてだろう、なんて思うことなんて、幾らでも有るでしょう」
「でも昨日のことよ?」
「一晩眠れば結構冷静になれるものですよ」
「そうかしら……。まあ、でも、そうかも知れないわね」
「そういうものですよ」
 眠って冷静になるくらいなら、世界を壊そうとしないで欲しい。……なんて願うのは、僕の我侭だろうか。だって彼女は、自分が世界を壊そうとしていることなんて知らない。そんな力が自分に存在することなんて知らないまま、宇宙人や未来人や超能力者の存在さえも知らないまま、少し元気でお祭り騒ぎが大好きな高校生活を送っている。
 未だ心に残る傷跡には、向き合わない振りをして。
「うん、そうね……。あ、そうだ、古泉くん、あの……」
「どうしました?」
「あ……、ううん、何でもないの」
 彼女は時折何かを言いかける振りをしながらも、直前でその言葉を引っ込めてしまう。
 今日もまた、同じことの繰り返し。
 以前は、こんなことはなかった。何かを言いあぐねいているなんて、彼女らしくない。彼女は確かに最初から繊細な人では有ったけれども、こんなに臆病では無かった。
 そうなったきっかけは……、そう、僕はその理由を知っている。
 知っているからこそ、僕は何も言えない、言わない。彼女の言葉を引き出すという行為に、手を染めることが出来ない。
 臆病になってしまった彼女の心は、とても繊細だから。
 僕が彼女の前で何か一つ匙加減を間違えただけでも、世界は崩壊しかねない。
 僕は……、僕は、そんな危険を冒すようなことは出来ない。

 彼女が臆病なのと同じくらい、僕も臆病だ。
 
「後、半分かあ」
「何がですか?」
「高校生活。……三年間って、きっと、あっという間なのよね」
「ええ……」
 嵐のように過ぎていった日々を思い出しながら、僕は彼女の言葉に頷く。
 過ぎてしまえば、良い想い出とはならなくとも、それも、過ぎ去っていった出来事だと思えるようになる。
 彼女も、何時か。
 何時かそんな風に、今背負い続けているものを、過去の出来事だと思える日が来るのだろうか。……そうなってくれれば、良いのだけれど。
「後半分……、うん、そうね。残り一年半、ちゃんと楽しまないとね」
「もちろんですよ」
 自分の心に活を入れるように言って少し無理をして笑った彼女に合わせて、僕も笑う。
 そうすることで、少しくらいは前向きになれるんだろう。……彼女も、僕も。
 彼女の笑顔を見ると、彼女が作り出す灰色の世界も、きっと何時か消えてくれると、そういう風に思えるようになる。
 灰色の世界、青い巨人、僕を含めたたくさんの赤い光。
 現実と交差する閉鎖された世界で、僕は彼女の心を垣間見る。

 青い光の向こうに。

 ……そんな状態に慣れすぎたからなのか、僕は未だに真正面から彼女の視線を捉えることが出来ない。世界の存続のために彼女の望む姿を演じていると言えば責任を転嫁することは出来るだろうけれども、多分その理屈は、今の僕等にはもう通用しない。
 真実を伝えることが出来ないなんていうのも、何の言い訳にもならない。言えないことは言えないままでも、向かい合うことが出来ないわけじゃない。……そういうものだと、僕は思う。誰だって、自分以外の誰かに、自分の抱えた全てのものを曝け出すことなんて出来るわけが無いのだから。
 けれどそう思いながらも、僕はまだ新しい一歩を刻めない。
 昨日の続きの今日を演じながら、何時か僕と彼女の間に新しい風が吹くのを待ち続けている。急ぐ必要は無い、ゆっくりで良い。彼女が自分から言葉を紡げるようになるまで、僕は待ち続けよう。あの、灰色の世界で戦いながら。
 そしてそのときまで、世界が無事に続くことを願いながら。





 
  臆病者同士の恋(070221)