非常事態


SIDE:I

 これは非常事態ということになるのかも知れない。
 事の起こりは凄く単純、僕が持ってきた私物をうっかり涼宮さんが壊して、謝る涼宮さんに対して僕がそれを何でもないことのように流してしまったら、どういうわけかそこから涼宮さんの様子がおかしくなった。
 機嫌が悪そうというか、何か言いあぐねいているというか。
 閉鎖空間は発生して無いようだけれど、余り良くない兆候なのは確かだ。
 何が悪かったんだろうか言われればそれは僕の対応が悪いということに間違いは無いんだろうけれども、あれ以外にどんな態度を取ればよかったんだろうか。
 まさか、彼女に対して怒るわけにも行かない。
 下手に彼女の神経に障るようなことを言ってしまえば、その場で世界が滅びてもおかしくないのだ。
 彼女が自身の過失を認めている状態でそんなとんでもない自体まで至る可能性はそれほど高くないけれども、出来るだけ危ない橋を渡らないに越したことは無い。
「あれ、どうにかならないのか」
 向かい合ってゲームをしていた彼が、小声で耳打ちして来た。
「どうにか、と言われましても」
「原因はお前だろうが」
「それは……」
 そう言われると反論は出来ないけれども、だからと言ってここで僕に責任を押し付けられても困る。一体僕にどうしろと言いたいのだろう。
 どうしたものかと視線を巡らせていると、何故か朝比奈さんと目が有った。
 朝比奈さんはちょっとだけ思案顔になってからぽんと手を叩くと、
「キョンくん、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんですけど、良いですか?」
 いきなり彼に向ってそんなことを切り出した。
「ええ、構いませんけど。……ハルヒ、別にいいよな?」
「良いわよ、行って来なさい」
 かくして、朝比奈さんと彼が部室から出て行くことになった。
 彼の背中を見送り、少し時間が経ってから、涼宮さんが僕の方に向って歩いてきた。
「さっきはごめんね」
 少し屈んで椅子の上の僕と視線の高さを合わせるようにしてから、涼宮さんはそう言った。
「いえ、気になさらなくても……」
「気にして欲しいの」
「え?」
「別に、怒られたいとかじゃないのよ。でも、あんまり気にされないのも嫌なの」
「……」
「古泉くんは、何時だってあたしの優しいし、甘いわよね。……今日だってそう。でもね、それって裏を返せば、あたしはあなたに何も期待されてない、何も求められないってことになると思うの」
「……」
「全部が全部そうだとは思わないけど、そういうところが結構あるんじゃないかって、あたしは気付いちゃったの。……ううん、本当は、随分前から分かっていたのよ」
「……」
 図星だった。
 僕が彼女のことをどう思っているか、どう扱っているかというのが、彼女には完全に見抜かれていたのだ。
 微温湯を与えるような役割は、本来当人に悟られてはいけないものなのに。
「今まで散々甘えてきたくせに、今更勝手なことを言っているっていうのは分かっているわ。でも……、少しは、気にして欲しいの」
「……」
「駄目?」
「……努力しますよ」
 僕には、それ以上の回答は出来ない。
 努力、そう、僕には努力が必要なのだろう。
 僕はまだ『涼宮ハルヒ』と本当に向かい合ってなど居ない。
 向かい合う必要なんて無いと思っていたことを、僕は否定できない。
「ありがと、古泉くん」
 涼宮さんはそう言って少し頬を緩ませると、団長という三角錐の置かれた自分の席に戻っていった。
 こうして、非常事態が一つ回避される代わりに、僕は一つの案件を抱え込むことになった。
 ……それは非常に難しいことだけれども、とても考えがいのあることなのだろう。





 
 こういう、ちょっとしたきっかけめいたもの、という始まり方もあり得るのかも。(070701)