苦手意識



 SIDE:H

 その日ちょっと暇だったあたしは、団長席から立ち上がって適当に部室内を歩いて、それから、古泉くんが座る椅子の横で足を止めた。
 古泉くんは、一人でチェスの駒を並べている所だった。
「一勝負いかがですか?」
 あたしの視線に気がついた古泉くんが、そんなことを提案してきた。
「良いわ、そんなに好きなわけでも無いし」
 古泉くんには悪いけれど、あたしはこの手のゲームがそんなに好きじゃない。
 多人数のゲームを一緒にやることはあるし、一緒にすごろくを作ったりもしたけど、チェスとか将棋とか、そんなに楽しいって思えないのよね。
 やっても良いなあって思うときも有るには有るけど、今はそんな気分でも無い。
「そうですか、それは残念ですね」
「ごめんね」
 あたしは机の反対側に回って、何時もならキョンが座っている椅子に腰を下ろした。
 古泉くんはキョンと二人でボードゲームをやっている事が多いんだけど、今日はキョンが進路相談で居ないから、こうして一人でチェスの駒を並べていたりするのよね。
 あいつの進路相談、何時になったら終わるのかしら。
「ねえ、楽しい?」
「ええ、楽しいですよ」
「ふうん……、ねえ、何が楽しいの?」
「何がと言われましても……」
 あたしの質問に古泉くんが言葉を詰まらせる。
 あたし、そんな変なこと聞いたかしら?
「説明できないようなことが楽しいわけ?」
「……言葉で表せることだけが、楽しいことの全てというわけでも無いでしょう?」
「まあ、それもそうね」
 質問に質問で返されちゃったけど、言いたいことが分からないわけじゃなかった。
 あたしは結構はっきりとした説明や言葉を求めちゃう方だけど、世の中には言葉で表せないことや、表しにくいことが有るってこともちゃんと分かっている。
 それでも答えを求めちゃうこともあるんだけれど、今は、何となくだけど、そうする必要は無いかもなって思ったのよね。
 どうしてかしら?
 あたしにはチェスの楽しさとか一人で駒を並べる楽しさとかは全然分からないんだけど、古泉くんが楽しいっていうのは何となく分かるし、そんな古泉くんを見るのも悪くないかなって思える気もするのよね。
「あたしね、回りくどいことって嫌いなの」
「苦手ということですか?」
「……苦手ってのを認めるのも癪だけど、まあ、そう考えてもらっても構わないわ」
 古泉くんの言葉遣いは丁寧だし、その態度には全然嫌味がないから、こういう風に聞き返されてもあんまり嫌な感じがしない。
「まあ、誰にでも苦手なことは有るでしょう」
「そうね……。でもね、古泉くんが回りくどい言い回しが好きだったり、そういうちょっと面倒な手順を踏むゲームが好きだったりすることは、……うん、結構、良いなあって思うのよね」
 良い、っていうのも随分漠然とした表現よね。
 でも今のあたしには、ちょっとそれ以上の適切な言葉が浮かばない。
 あたしは、自分にとって苦手なことが古泉くんにとっては結構得意分野だっていう事実が、結構、気にいっているのかも知れない。
 どうしてかしら。
 悔しいとか負けたくないって事を、全然思わないのよね。
「……そういう風に思ってもらえるのは、光栄なことなんでしょうね」
 少し間を空けてから、古泉くんは少し曖昧な笑みを浮かべてそう言った。
 古泉くんの真意は掴み辛いけど、あたしの言ったことの意味は伝わったんだと思う。
「ねえ、古泉くん」
「どうしました?」
「苦手な物って、有ってもいいのよね」
「ええ、無い人のほうが珍しいでしょうから」
「じゃあ、その苦手な物を、得意そうな誰かに任せちゃうのも、ありなのよね」
「……状況によりますが、駄目と決まりきったものでも無いでしょう」
 古泉くんの回答は、やっぱりどこかはっきりとしない。
 言い切ることで何か押し付けられるとでも思っているのかしら。
 ……思っているのかも知れないわね。
 古泉くんって、結構逃げ腰なところがあるものね。
 まあ、いざって時にあたしの前から本当に逃げるほどの勇気なんて無いと思うんだけど。
 だって、古泉くんはSOS団の副団長なんだもの。
 あたしが団長で、古泉くんが副団長。
 そう、古泉くんは、あたしの苦手な所を補うために必要な人なのよ。
「ふうん……、ああ、邪魔してごめんね。話に付き合ってくれてありがと、古泉くん」
「……ええ、どういたしまして」
 古泉くんにお礼を言って、何時も通りの笑顔を確認して、あたしはちょっとだけ良い気分で団長席に戻った。
 こういう会話も、結構良いものよね。





 
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