無理矢理



 SIDE:H

「ねえキョン、あんた古泉くんが本気で怒った所って見たことある?」
「無いな」
「じゃあ、泣いた所とか」
「想像も着かん」
「んー、じゃあ、凄く慌てた所とかってのは?」
「……凄くって形容詞が着くほどのところっていうなら無しだ」
「そう……」
「なあ、ハルヒ」
「何?」
「お前今度は何を考えているんだ?」
「内緒」
「……なあ、ハルヒ」
「何よ、内緒なんだから聞かれても答えないわよ」
「別に何も聞かないって。そうだな……、まあ、ほどほどにしておけよ」
「何それ」
「そのまんまの意味だ」
「ふうん……」


 キョンとそんな会話をしたのは、今日の午前中の自習のときのこと。
 さくさくと進んだ会話の様子からして、キョンが嘘を吐いているようには見えなかった。
 今は、お昼の時間。
 あたしは学食で席に着いていて、目の前には偶然鉢合わせた古泉くんが居る。
 学食ですらきちんと礼儀作法を守ってご飯を口にする人っていうのも珍しい気がするけど、古泉くんがやると結構様になって見えるのよね。顔が良いからそう見えるんだろうって気もするけど、それだけが理由じゃないと思う。
 古泉くんって、どこか高校生離れした雰囲気を持っている。
 別に顔立ちが特別大人っぽいってわけじゃないんだけど、口調とか仕草とかの端々から、理性とか知性とかをひっくるめた、大人の落ち着きみたいなものを感じさせるのよね
 けど、だからといって高校生として浮いているってわけでもない。
 ちょっと大人っぽくて理知的で、それでいて物分りのいい優等生っていう枠組みに、綺麗に収まっている。
 古泉くんって、そういう人。
「今日はあまり箸が進まないようですね」
「え、ああ……、今から食べるのよ」
 あたしは適当に答えて、ご飯を食べるのを再開した。
 何だかちょっと、変な感じ。
 古泉くんと学食で会うなんて、珍しいことでもなんでも無いのに。


 その日あたしは、部室に行く前にキョンには買出しに行くように命じた。
 とりあえずこれでキョンの邪魔は入らないわね。

 部室に入ったら、みくるちゃんはまだで、古泉くんと有希だけが居た。
 みくるちゃんは掃除当番か日直かしら。あたし達と学年が違うから、補習とか別の用事とかかも知れないけど。
 まあ良いわ。
 古泉くんが居ればそれで良いんだし、どうせ有希は何も言わないだろうしね。
「こんにちわ、涼宮さん」
 あたしの考えを知ってから知らずか、古泉くんが何時も通りの爽やかな笑顔を浮かべて挨拶をしてくる。
 お昼の時も思ったけど、古泉くんっていっつもこんな感じよね。
 怒った所も泣いた所も見せない、お兄さん的ポジションの似合う優等生。
 あたしね、古泉くんのそういうところって結構気にいっているの。
 古泉くんは優等生タイプだけど、嫌味じゃないし、話も分かるし、何より、あたしと一緒に楽しむことに一番前向きなんだものね。
 でもね。
 たまにはちょっと違うところが見たいって思っても、いいわよね?
 古泉くんなら、そのくらい、許してくれるでしょ?
「あの、涼宮さん?」
 団長席に鞄を置いたまま近くまでやってきたあたしを、古泉くんが不思議そうに見ている。
 じっと顔を覗き込むと、綺麗な茶色い瞳と視線が交差する。
 澄んだ瞳。
 何もかもをひっくるめて受けとめて、それでいて、何一つ揺らがない、強さと脆さを抱え込んだままの、綺麗な色合い。それは、全てを見てきた大人ではなくて精一杯背伸びをしている子供のものなんだと、あたしは殆ど直感で判断した。
「……」
「あの、」
「ううん、何でもないの」
 不安げに揺れる視線にちょっと後ろめたさを感じながら、あたしは首を振った。
 あたしが……、あたしが、古泉くんに無理矢理何かを強いるのはとても簡単なことで、もしかしたら古泉くんはそれすらも受け入れてくれるのかも知れないけれども、あたしは、それをしちゃいけない。
 強がって背伸びしているこの子を、あたしは受け入れてあげなきゃいけない。
 許してくれるとか、許してくれないとかいう問題じゃない。
「はあ……」
「ああ、そうだわ、」
 頭に疑問符つきの古泉くんを見下ろしながら、あたしはちょっと気になっていたことを切り出した。今度のイベントも、成功させなきゃね。
 あたしの言葉に応えてくれる古泉くんは何時も通りの笑顔で、あたしはその表情を見て安堵を覚えた。
 それで、良いと思う。
 彼が内に秘める物を無理矢理暴く必要なんて、どこにも無いんだから。
 だってあたしには、何時も通りの古泉くんが必要なんだから。






 
 ふとした瞬間に気づくこと。
 気づいたからといって踏み出せると限ったものでもないということ。(061117)