幸せマフラー


 SIDE:I

 その日僕達は、正確に言えば僕と涼宮さんの二人は、そろそろ引き払う時期が見えてきた部室を少しずつ片付けるべく、冬休みだというのに部室に来ていた。大掃除、それも去年や一昨年とは違う、やがて来るこの部屋への別れを見据えた上での大掃除だ。
 他愛ない話をしながら彼女と二人で部室を片付けていく時間は、楽しいけれども少し寂しい。僕達の人生はこの後も続いていくけれども、高校時代はもうすぐ終わりを迎えるのだ。
「あー、こんなものも有ったわねえ」
 掃除も一段落し、そろそろ切り上げて他の団員達が待っている長門さんのマンションに向かおうかという頃合になってから、涼宮さんは、部室の中にあるコスプレ用の小道具などが適当に詰め込まれ箱の中から長い長いマフラーを取り出した。
 一人で巻くには長すぎるそれは、元々は去年の映画撮影時のちょっとした小道具として用意したものだった。そのものズバリ、恋人同士の演出用……、のはずだったのだけれど、それは諸事情によって使われなくなり、そのまま仕舞われ、今の今まで忘れ去られていたのだ。
 僕自身映画撮影に着いては余りいい記憶が無かったので、記憶に留めておこうとも思わなかった。そう言えば、こんなものも有ったっけ、なんて思う程度だろうか。
「懐かしいわあ」
「まだ一年と少し前のことでしょう」
「そうだけどね……。でも、昔は昔よ」
 涼宮さんはそう言って、マフラーを全部引っ張り出し、適当に振り回した。埃を払っているようにも見えるけれども、子供が遊んでいるようにも見える。後者のように見えるのは、以前と余り変わらない彼女の雰囲気ゆえだろうか。
「これ、結局使わなかったのよねえ」
 一頻りマフラーを振り回してから、彼女はそう言った。
 映画撮影を言い出したのが涼宮さんなら、すったもんだの末にその中止を決定したのも彼女自身だ。あの頃は色々と有ったなあ……、何て思うのは、僕も昔を懐かしんでいるからだろうか。ほんの一年と少し前のことのはずなのに。
「そうでしたね」
「確か何年か前にセールで売っていたのを買って、使い道が無くて眠らせていたのよね。ここでも持ってきただけで使わなかったし……、ちょっと、勿体無いわよね」
 涼宮さんは、今度はその長い長いマフラーをくるくると自分の首に巻き始めた。そして半分も巻き終わらないうちに、彼女の首がマフラーの中に埋もれるような形になってしまった。
「はいっ!」
「……どうも」
 彼女が残りのマフラーを僕の方に寄越して来たので、僕は残りのマフラーを自分の首に巻きつけていった。少し恥ずかしい気もするけれども、たまにはこういうのも良いかも知れない。それに部室の中なら、誰にも見られないし。
「うん、やっぱり物は使ってこそよね!」
「そうですね」
「じゃ、このまま有希の家まで行きましょ!」
「……こ、このままですか?」
「そーよ、このままの格好でよ。マフラーは外で使うものなんだから、外で使わないと意味が無いじゃない!」
 涼宮さんは季節に似合わない満開の花のような笑顔を浮かべると、マフラーをしたまま、びしっと僕に向かって人差し指を突きつけた。
「……そうですね」
 何だかとても楽しそうな彼女を見ていると、逆らう気にもなれない。高校生の男女が、同じマフラーをシェアしながら通学路を歩く。……今時どんなに甘いティーンズ向け小説にもなさそうな場面だ。
 というより、マフラーをシェアなんて場面が現実的ではないのだけれど……、今日は、そういうことは気にしないことにしよう。
 涼宮さんはこの状態で外に出たくてそわそわしているようだし、僕だって悪い気分はしない。ちょっと歩き辛いことさえ除けば、不都合なことなんて何もない。
 それから僕達は、マフラーを巻いたまま椅子に引っ掛けたままになっていたコートを羽織り始めた。
「あーもう、巻き込んじゃうわよ」
「すみません……」
 涼宮さんはその状態でも器用にコートを羽織っていたが、僕はそういうわけにもいかず、結局彼女の手を煩わせることになってしまった。一旦マフラーを外した方が早そうな気もしたけれども、彼女はそうする気は無かったようだ。
「これでいいわね」
「ご迷惑をおかけしました」
「気にしない気にしない! 大体、言いだしっぺはあたしなんだし」
 彼女はそう言って、僕の肩をぽんと叩き、それから身体を軽く捻って僕の正面から横の位置に移動した。前髪のせいも有って、僕からは彼女の表情が殆ど見えなくなる。
「……それもそうですね」
 前髪の隙間から見えた表情の変化には気づかない振りをして、僕はただ肯定するだけに留めた。こういうとき、涼宮さんを余り突付き過ぎ無い方が良い。
 怒った女の子というのは、閉鎖空間とはまた違った意味での強敵だ。
「じゃ、行きましょ!」
 その言葉を合図に、僕達は手を取り合い、部室から飛び出した。
 始めは早足に、少しずつゆっくりと。
 人少なげな校内ですれ違った僅かな人々が何時もながらのものに更に何かを足した視線を僕達に向けてきたようだけれども、それについては気にしないことにしよう。そもそも、そんな細かいことを一々気にするような性格では、僕はこの位置に立っていられない。
「外は寒いわねえ」
「そうですね」
「マフラー、巻いてきて正解だったでしょ?」
「ええ、その通りですよ」
 師走の寒い風が吹き上げる中、顔を上げてちょっと悪戯っ子のような表情を見せた彼女に対して、それ以上何を言う必要が有るんだろう。
 彼女がそうしたいと思い、僕もそれで良いと思う。
 こうして、僕と彼女の時間は続いてく。
 繋いだ手やマフラーのシェアといった幸せの欠片を集めた僕達の幸せな日々は、互いの想いを確かめ合いながら、今日もまた続いてく。




 
 幸せな二人、ネタ提供元はあてる様です
 あてる様、素敵な二人のイラストをありがとうございますー(070228)