秘密の音色 今日も、音楽が聞こえる。 何の意味が有るかは知らない、何のジャンルかも分からない、音の羅列。 意味が有るの無いのかさえ分からないその羅列が、僕を呼び寄せる。 灰色の世界に、音が降り注ぐ。 それは、閉じられた世界にだけ存在することを許された、秘密の音色。 **** 夏休みも明け、さあ新学期だとそれなりに新鮮な気持ちで登校したその日、ハルヒはいきなり 「今日から文化祭に向けてバンドの練習よ!」 と言って、軽音楽部から楽器を調達し、放送部から放送室を奪い、俺達SOS団は楽器の練習をする羽目になった。 本当、いきなりだよな。 まあ、練習自体は去年も一応やっているし、バンド活動に打ち込んでいるおかげで他の面倒なことに巻き込まれる無くて済むって言うんなら、それはそれで悪くない。 去年の時みたいにおかしなものが発生する可能性が無いわけでもないが、とりあえず、起きる前からそんなことを心配しても仕方が無いしな。 そうして俺達は、もしもの場合のことを頭の片隅に置きながらも、去年の暮れの頃と同じように、楽器の練習に打ち込むこととなった。 異変が起きたのは、一週間ほど経ったあたりのことだ。 「ねえ、古泉くん、あたしとパート交換しない?」 その日の放課後の練習中、個人のパートのチェックということで楽器の演奏が一巡したところで、ハルヒはいきなりそんなことを言い出した。 ちなみにこの時まで俺達が練習していた楽器は、去年と同じだ。 ハルヒがキーボード、長門がギター、俺がベースで古泉がドラムだな。 ハルヒは、それを交換しようって言い出したってわけだ。 「……交換、ですか?」 「うん、そう」 一瞬目を丸くする古泉に対して、ハルヒがさも何でもないかのように頷く。 「はあ、僕は構いませんが……、ですが、どうしてですか?」 おいおいお前、構わないのかよ。 「うーんとね、こう言っちゃ悪いと思うんだけど、古泉くんのドラム、上達しているとは思うんだけど、何か足りない感じがするのよね……」 「足りない感じ、ですか……」 「そう。まあ、それが何かってのはあたしにも良く分からないんだけど……、とりあえず、一度楽器を変えてみたらどうかって思ったわけ」 「なるほど……」 「そういうわけだから、今日からはあたしがドラム、古泉くんがキーボードだから」 「了解しました」 全く持って練習している方の心情など考えて無さそうなハルヒの無茶な提案に対して、古泉が何時ものように頷く。まあ、さすがにそのイエスマンスマイルまでが何時ものままって感じじゃなかったが。 「ん、お前、リードボーカルじゃなかったか?」 まあ、本人達が納得しているというのなら別に俺が口を挟む必要は……、と思ったが、俺はとあることを思い出し、ハルヒに質問してみることにした。 「そうよ」 「じゃあ、リードボーカルがドラムってことか?」 「そうなるわね。……ああ、そういうのも結構インパクトが有って良いかもしれないわね」 「インパクトってなあ」 「良いじゃない、ドラムセットを真ん中にどーんと置いて、ドラムを叩きながら歌うボーカル! インパクト大よ! うん、決定!」 ハルヒは目をキラキラと輝かせ、思い付きだった暫定的なパート交代を、あっという間に決定事項まで引き上げてしまった。 藪蛇だったかも知れないな……、と思った俺は古泉の方をちらりと見たが、古泉はと言えば、珍しく余り色の無い表情で、ハルヒを、いや、ハルヒの前に置かれているキーボードをぼんやりと見ていた。 パート交代して数日後、ハルヒは、さすがと言うべきか、あっという間にドラムの演奏方法のイロハを身につけていた。昔とった何とやらのキーボードや、長門のギターほどじゃないが、高校生のバンドとしては充分過ぎるレベルだろう。 いやはや、相変わらずスペックだけはやたら高い女である。 「ちがーう、そうじゃない」 「すみません……」 「もう……、まあ、良いわ。もうちょっと簡単なアレンジに出来ないか考えてみるから、とりあえず古泉くんはそのまま練習を続けて」 「はい……」 しかしその逆に、と言うべきだろうか、古泉のキーボードの腕前は全く持って上昇してなかった。ドラムの時は結構筋が良かったように見えたのに、キーボードは勝手が違うのだろうか。まあ、前回のときとは状況的な差ってのも有るんだろうが……、どうも、そういうことだけが理由とも思えない。 何と言うか、キーボードに向かうときの古泉の姿は、どこか虚ろげだ。ハルヒには気づかれないように気をつけているんだろうが、明らかに身が入ってない。いや、身が入ってないと言うか……、ああ、あれだな、動物が苦手な子供が、仕方なく割り当てられた飼育小屋の当番を必死でやろうとしている姿に似ているんだ。 まさか、古泉はキーボード恐怖症なのか? いや、そんな間抜けな恐怖症なんてものは存在しないと思うが……。 「なあ、ハルヒ、パートを元に戻すってのは駄目なのか?」 「却下よ! あたしはドラムでリードボーカル、古泉くんがキーボード、これは決定事項なの!」 パソコンに向かって作業していたハルヒがヘッドホンを外したところを見計らって駄目元のつもりで打開策を提示してみたが、あっさりと却下された。 どうも半分意地になっている気もするが……、どうしたものかな。 どうしたも何も、ハルヒが一度決めたことが揺らぐ気配が無く、俺が当事者でもない以上、俺に出来ることなど何も無い……、とは言わないが、出来ることがあまり無いのは確かだ。 とりあえずこれ以上ハルヒを刺激するのはまずいと判断した俺は、話の矛先を切り替えてみることにした。 「なあ、古泉」 俺はハルヒがアレンジの協力を仰ぐためと言って長門を連れてコンピ研に向かったのを見計らって、古泉に話しかけた。 「あ、はい。何でしょうか?」 「お前さ、キーボードが苦手なのか?」 言ってみてから気づいたが、我ながらおかしな質問の仕方だ。 苦手……、って、それじゃ言葉の範囲が広すぎだろう。 「いえ、そういうわけでは……」 古泉は言葉を濁しながら、ぽろんぽろんとキーボードを適当に叩いていく。 音の設定が普通のピアノの音のままなので、まんまピアノを弾いている感じだな。 「んじゃ、何でそんなやる気なさそうなんだよ?」 「……そういう風に見えましたか?」 俺の質問に対して、古泉はまるで、その意味が分からない、というような感じで首をかしげた。おいおい、自覚無しかよ。こりゃ重症だな。 いや、そもそも何がどうなってこういう状態なのか、俺にはさっぱりなんだが。 こういうときに頼りになりそうな長門はハルヒに引っ張られてハルヒと一緒にコンピ研に向かったきりだし、朝比奈さんがこの手の分野で役に立つとは全く持って思えない。 「俺にはそう見えたぞ」 「そうですか……、そういうつもりは無いんですが」 古泉は答えつつ、さっきまでと同じように、また、キーボードを適当に叩き始めた。 割り当てられた曲とも練習用の簡単な曲とも違う、何か、音を探すような指の動きだ。 こいつ、何をしているんだ? 「……古泉?」 「え、ああ、どうしましたか?」 「いや、何でもない」 「はあ……」 古泉は少しの間首を振った俺を不審に思って居たようだが、すぐに俺に対しての関心を無くしたらしく、またぽろんぽろんと、キーボードで音を探り始めた。 はて、こいつは一体何をしているんだろうな。 その日の帰り道、俺はキーボードというかピアノというか、とにかく演奏の心得だとか技術的なことだとかを大声で話すハルヒとそれを聞いている古泉という、ここ最近では珍しくも何ともなくなった光景を眺めながら、隣に居る長門に向かってこっそりと訊いてみることにした。 「なあ、長門」 「……何?」 「お前はさ、古泉がどうしてキーボードに向かうとき、身が入ってない……、そうだな、ドラムのときほどやる気が出てないように見えるのは、何でか分かるか?」 「……不明。ただ、推測は出来る」 「推測? 何だそれは?」 「恐らく、古泉一樹の心理的な部分が原因」 「いや、それは……、まあ、そうだろうな」 長門の淡々とした答えに対して、俺はそれ以上何も言えなかった。 そりゃまあ、他の要因が有るとは考え辛いからな……、例の非なんちゃら音波だか何だかの時みたいに外部的というか、妙な宇宙生物や宇宙製ウイルスの干渉で無いのが分かっただけ収穫と言えば収穫だが、そんなのは既に予想済みだったんだ。もしそんなおかしな連中の仕業だったら、古泉以外にも影響が有るか、長門がもっと早く対処に動いているだろうからな。 今のところ、長門は古泉に対しては完全放置を決め込んでいる。 「なあ、長門」 「何?」 「もし、古泉のキーボードの腕が何時までも上達しなかったら……、お前の情報操作で、何とかすることは出来るか?」 「出来なくは無い」 「もしものときは頼むな」 「分かった」 こういうときの長門は、本当に頼りになる。 まあ、俺としては、長門に頼るような事態にならない方がありがたいと思っていたわけだが……、事件は、それから数日後に起きた。 古泉のキーボードの腕は相変わらず全くと言っていいほど上達せず、何時の間にやらハルヒは自分の練習よりも古泉の指導に熱中し始め、文句を言いつつもそれなりに楽しんでいるのだろうというのが傍目にも窺えるようになった頃、その事件は起きた。 その日の放課後、最早文芸部室にも寄らずに放送室に向かうのが日課と化しつつあった俺は、当たり前のように放送室に向かい、扉を開いた。扉が開いているってことは、先客が居るってことだ。 「ようっ」 「……」 三点リーダ返答だが、長門ではない。 古泉である。 ここ最近、ハルヒが居ない時の古泉は、大抵がこんな感じだ。何も言わないまま、何かを探るような手つきでキーボードと睨めっこ状態。 その状態が妙に嵌っているというか、一種独特な近づき難さを感じるせいか、俺も朝比奈さんもそういうときの古泉には殆ど何も言えないまま、ただ眺めるだけという結果に終わることになる。ああ、長門は別に古泉がどういう状態だろうと何も言わないだろうから除外しておく。 ちなみに今この放送室に居るのは俺と古泉だけ。ハルヒが居ないのは当然として、朝比奈さんや長門もまだのようだ。 「あ、ああ、あなたでしたか……、すみません、気づかなくて」 「いや、気にしなくて良い」 俺は自分から話を切り上げると、置きっぱなしになっているベースを手に取った。そうしたら、古泉は俺に関心をなくしたのか、また先ほどまでと同じようにキーボードに向かい始めた。 そのまま外の世界と遮断されたかのような一角で、古泉がキーボードを叩き始める。稚拙な、音を探すような仕草。 そのうち朝比奈さんと長門もやって来たが、二人とも古泉には挨拶もしないまま自分の練習にとりかかる。一種異様な光景だが、重苦しさはあまり無い。 これはこれで奇妙といえば奇妙なんだがな。 「そう、ここは……」 音を探していたような古泉が、一度キーボードから手を離し、右手の人差し指ですっとキーボードをなぞっていく。 それが、合図だったんだろうか。 古泉が、今までの稚拙な動作が嘘みたいな勢いで、キーボードを演奏し始めた。 長い指先が、凄い速度でキーボードの上を動いている。 決してでたらめじゃない、でも、聞き覚えが有るような音楽じゃない。 ジャンルも曲名も不明、ただ『凄い』としか言いようがない、どこか懐かしくて、心地よい音色。 俺は手を止め、ただぽかんと口をあけて、その光景を眺めていた。 朝比奈さんも長門も、同じように古泉の方をただ見ているだけだった。 そりゃあ、そうだろう。 これが昨日まで、いや、ついさっきまで、何度指導されても全くと言っていいほど上達しなかった人間の演奏なんだぞ? 信じられるわけが無い。 長門か、それに類する連中が手を加えればこのくらいの芸当が出来る可能性も有るだろうが、長門の様子からすると、恐らくその可能性は無いのだろう。 じゃあ、これは一体何なんだ。 心地よい音色と頭の中に渦巻く疑問という、不協和音とも言い難い微妙な平行状態はそれから数分続いたが、唐突に、古泉の演奏は終わりを告げた。 始まり方も無茶苦茶だったが、終わり方も形式を無視したような終わり方だった。 「すごおい……、古泉くん、すごいですぅ……」 演奏が終わってから数十秒後か数分後か知らないが、一番最初に金縛りの解けた朝比奈さんが、そんな感想を漏らし、それから、ぱちぱちと控えめに拍手をした。 「あ、いえ……」 古泉はと言えば、そんな朝比奈さんに対して、一体何を言っていいのやらって感じだ。もしかしたらこいつ、自分が何をしたのか理解してないんじゃないのか? そんな馬鹿なことが有るか、という気もするが、俺の周りは基本的に理不尽なことだらけなので、今更その程度の理不尽さが上乗せされたくらいで俺は大して……、いや、それなりに驚きはするだろうが、そういうことも有るだろう、くらいの解釈に落ち着くくらいのことは出来る。 あんまり妙な事態に慣れすぎるのは良い傾向じゃないと思うんだがな。 「なあ、」 これは朝比奈さんと同じように素直に感心するべきところなのか? それとも、あえて本人が理解してないかもしれないということを承知しつつ疑問を投げかけるべきなのか? などという風に思いつつもとりあえず口を開きかけた俺の言葉は、次に聞こえた音で遮られることになった。 放送室の扉の辺りで、どさりと、何か床に落ちるような音がしたからだ。 何時の間にやら半開きになっていたドアのところに、ハルヒが立っていた。 金縛りだった俺や朝比奈さんと同じように、ぽかんとした様子だが……、何か、焦りの色のようなものが窺えるような気もする。 気のせいだろうか、と思ったが、そんな俺の楽観的な思考は、次のハルヒの言葉によって完全に吹き飛ばされた。 「何で……、何で、古泉くんが、この曲を知っているの?」 ……。 ……。 言葉を発したハルヒも、名指しされた古泉も、残りの俺を含めた部員三人も、全員が完全に沈黙してしまった。……今、こいつは何て言った。 「なん、で……」 ハルヒがさっと後ろに下がろうとして、そのまま、その場でぺたんと尻餅をついた。 ハルヒらしくない。何時ものこいつだったら、後ろを向いたまま階段2段飛ばしくらいのことは軽くやってのけるんだからな。 「あ……」 古泉が視線を動かし、ハルヒと古泉の視線が真正面からぶつかり合う。 その瞬間、本当に、その瞬間と言っていいんだろうな。ハルヒはさっと立ち上がり、踵を返して逃げるように走り出し始めた。 「待ってくださいっ」 そして古泉が、そんなハルヒに弾かれたかのように、呆気に取られたままの俺達の脇をすり抜け、ハルヒの後を追って放送室を出て行ってしまった。 「なっ……」 わけが分からない。 古泉のいきなりの演奏から、ハルヒの反応、言葉、そしてこの俄か逃走劇……、何もかもが意味不明だ。 「一体何が……」 「……」 「なあ、長門、さっきのは……」 「あれは、」 **** あたしは一人、廊下を走っていた。 何で、何で……何で、古泉くんがあの曲を知っているの? だって、あれは……。 「待ってください!」 古泉くんが、あたしの後を追ってくる。 どうして……、って、問題はそんなことじゃないことは分かっている。あたしの方が彼に訊かなきゃいけないことが有るって分かっているのに、あたしの足は、勝手に逃げている。 何で……。どうして……。 「いや、来ないで!」 「待ってください! 僕は……」 息を切らしながら追ってくる古泉くんが何かを言おうとしているけれど、あたしには、それが何だか分からない。 ……違う、あたしは、分かりたくないんだ。 古泉くんが、キーボードが苦手だった理由。 古泉くんが、あの曲を知っていた理由。 そして……、どうして、彼が、あの曲を、あんな風に演奏出来たのかを。 **** 「恐らく、涼宮ハルヒの記憶に有る曲。……そして、本来なら古泉一樹が知っている可能性の無い曲」 「……どういう意味だ?」 「それは……」 長門は、何時かそうしたように何か許可を求めるように上を軽く見上げてから、俺の方へと向き直った。 「あの曲は、涼宮ハルヒが今から四年ほど前に作成した曲」 そうして、衝撃な事実を口にしたのだった。 「ハルヒが、って……、四年、前?」 「そう」 「あいつは、四年前から……、いや、そんなことはこの際後回しだ。どうして古泉がそれを知っているんだ?」 「恐らく、閉鎖空間で耳にしたからだと思われる」 「えっ……」 「閉鎖空間は、涼宮ハルヒが引き起こした小規模な情報変動の一種。その中で、涼宮ハルヒが作った曲が流れていたとしても、何らおかしくはない」 長門は、ごく淡々とした口調で、そう言った。 そして、その長門の言葉で、俺の頭の中でばらばらだったものが、漸く繋がり始めていた。 そう、古泉はきっと……、閉鎖空間でその音色を聞かされ続けたせいで、ピアノを自分から弾くことに対して無意識に恐怖心めいた物を植えつけられていたんだ。心理的な要因ってのは、そういうことだろう、 それでいて、音を探すようなことをしていたのは……、 「なあ、長門。あれは、ハルヒが作った曲そのままなのか?」 「違う、明らかに古泉一樹の手が加わったもの」 やっぱり、そういうことなのか。 古泉は、かつてハルヒが作った曲に恐怖心を覚えながらも、それをどうにか受け入れられないか、自分で乗り越えられないか……、その道筋を、自分なりに探していたんだ。 そして辿り着いた結果が、ああやって演奏した曲ってことなんだろう。 全く、回りくどい話だよな……。 ああ、そうだ……、俺は、ことの結末に着いてはあまり心配していない。古泉のことだ、何時もみたいに上手く誤魔化してくれることだろう。 頼んだぞ、古泉。 **** 「待って……、ください」 「……」 廊下での追いかけっこは、あたしが文芸部室に逃げ込んだことで終わりを告げた。 当たり前だけど、これって、捕まえてくださいって言っているのと同じ状況よね。……本当は古泉くんが入ってくる前に鍵を閉めるつもりだったんだけど、上手く行かなかったわけだし。 あたし達は、部室の入り口と奥という位置で、対峙することになった。 「あの……」 「ねえ……、どうして、あたしの後を追ってきたの?」 「それは……」 「どうせ、説明なんて出来ないんでしょ?」 意地悪な質問の仕方だと知りながらも、あたしには、そういう風に訊くことしか出来なかった。 古泉くんが、どうしてあたしの作った曲を知っているのか……、多分、彼は、あたしにそれを説明することは出来ないはずだから。 「……」 「あの曲はね、あたしが作ったのよ。中学一年の頃かな? 習った曲を弾くだけのレッスンに嫌になって、自分で曲を作って……、でも、イライラしていたせいか、ろくなものにならなかったのよね。当然自分でも全然納得がいかなかったから、家以外では弾かなかったし……、だから、あたしと、あたしの家族以外が知っているはずの無い曲なの」 「……」 「……どうして、古泉くんがそれを知っているの?」 「……」 「ねえ、説明出来る?」 あたしは部室の入り口で突っ立ったままになっている古泉くんのところに歩み寄ってから、そのネクタイをぐっと引っ張った。そう言えば、古泉くん相手にこういうことをしたことは無かったわよね。 古泉くんは、されるがままって感じで、そのままその場に崩れ落ちるように膝を着いた。 張り合いが無いわね……。まあ、そういう問題でもないんだけど。 「ねえ……」 あたしも屈みこんで、彼と視線を合わせる。 「すみません」 「何で、謝るのよ。……あたし、謝って欲しいわけじゃないのよ」 謝って何もかもがすむなんて理屈、あたしには通じないわよ。 せめて、もっとちゃんとした言い訳を用意して来なさいよ……、そうしたら、あたしだって、信じるふりが出来たかも知れないじゃない。 何時もみたいに。 「すみません……」 「だから、何で、」 「すみません、本当にすみません……。何も……、何の説明出来なくて……。許して欲しいとは言いません……。もし、あなたが僕が許せないと言うのなら、どんな処罰でも、」 「バカっ」 あたしは小さくそう言って、彼の頭を拳で軽く小突いた。 「えっ……」 「あたしはね……。謝って欲しいわけじゃないし、あなたが許せないわけでもないの」 「……」 「あたしは……、あなたと一緒に居て楽しいし、あなたにキーボードを教えるのも楽しかったし……、でも、これじゃ、教えていたあたしがバカみたいじゃない」 「……」 「こっちは一生懸命教えていたのに、それを一足飛びに超えていかれた上、『偶然』あたしが昔作った曲に似た曲を思いついていたなんて。……ね、そう思わない?」 あたしは『偶然』という言葉に力を込めて、そう言った。 多分、古泉くんなら……、きっと、その意味に気づいてくれると思ったから。 「それは……、あなたの、ご指導のおかげですよ」 「そうかしら?」 話しながら、あたし達は立ち上がる。 大丈夫、少しずつだけど、ちゃんと、あたし達は、あたし達の日常に帰れるから。 「ええ、そうですよ。あなたの日々の指導が有ったからこそ、僕はここまで上達できたんですよ。日々の訓練の成果が一気に出たからこそ、ああいう結果に繋がったのでしょう。ああ、そうですね、偶然似た曲が思いつくという結果に至ったのは、やはり、あなたが指導してくれたからこそなのでしょうね」 「うんうん、そうよね」 そうそう、段々何時もの調子に戻ってきたじゃない。 そう、それでいいのよ。 ……ねえ、そういうことでしょ? 「いやはや、本当、全ては涼宮さんのおかげです。……感謝していますよ」 「ふふふ、あたしの指導が有ったんだからあのくらい出来て当然よね!」 「これからもご指導願いますよ。……先生」 「もっちろん。それじゃ、放送室に戻るわよ! これからもびしびししごいてあげるから、覚悟してなさいよ!」 あたしはそう言って、古泉くんの手を取って、放送室へと向かって走り出した。 わざとらしいってのは分かっているけれど、それでも、先生って呼ばれるのは、結構、良い気分よね。 **** 「いやあ、まさかこんな偶然が起こるなんて僕にも想像できませんでしたよ」 「本当、こういうことって有るのねえ」 追いかけっこを見送ってから三十分ほどしてから帰ってきた二人は、完全に通常モードに回帰していた。しかし、偶然ってな……、そんな言葉で騙されるハルヒもハルヒだよな。 いや、騙されてくれるからこそ、俺達も助かっているわけだが……、そうだよな? 「けど、あたしが作った曲とはちょっと違うのよね。アレンジとか。そうね、もう一度ちゃんと弾いてみてくれる?」 「ええ、了解しました」 そして古泉が、先ほどと同じようにキーボードを演奏し始めた。 一回目との違いと言えば、気持ちゆっくり目で、途中でハルヒの指摘やら指示らしきものが飛んでいる辺りだな。ハルヒが一体何を考えて居るか知らないが、この勢いだと、ハルヒ作曲古泉編曲らしいこの奇妙な一曲も、俺達のレパートリーの一曲に加えられることになりそうだ。 やれやれ、面倒ごとがまた一つ増えたな。 まあ、割と良い曲だとは思うけどさ。 **** あたしは結局、古泉くんからは何も訊けなかった。ううん、訊かなかったって言うべきかな? ごめんね。……でも、あたしにはまだ、無理なんだと思う。 あなたにちゃんと立ち向かう勇気が、今のあたしには、未だ、無い。 あなたがあたしの過去を知っている意味に向かい合うには、足りないものが多すぎるの。 だから、もう少し……、もう少しだけ、待っていて欲しい。 騙している振りと騙されている振りを続けながら、楽しい時間を続けていく。 それが、今のあたし達のかたち。 今は、それでも良いでしょう? だから、まだ、秘密でも……、良いでしょう? あ、でも、少しだけ悔しいことが有るのよね。 あの曲、あたしが作ったときはかなり無茶苦茶だったのに……、あんなに、綺麗にアレンジしちゃうんだもの。ねえ、これって才能の差ってこと? それとも……、ううん、まあ良いわ。 細かいことは、全部お預けにしておいてあげる。 だから今は、一緒に楽しみましょう。 一緒に楽しく演奏しましょ! 某所より再録。『サウンドアラウンド』準拠な感じです(070131) |