曖昧な優しさの



 SIDE:I

 彼はとても曖昧な人だ。
 普段は僕の事を突き放すような素振りを見せているくせに、時折、そうじゃない、まるで、その真逆なんじゃないかと思えるような一面を見せてくる。
 今だって、そう。
 僕の方から近づくと逃げるくせに、偶然二人きりになった部室で椅子に座ったままの僕の頭をただ抱きしめるなんていう行為をすることをするときには、何の躊躇いも見せない。
「……何だよ」
 抱きかかえられていた腕が離れて、何となく彼の事を見上げていたら、そんな風に言われた。
 別に僕は何もしていないんだけれど。
 ただ、何時ものように笑って見せただけなんだけれど。
「何でも有りませんよ」
「何でもって事はないだろう、何でもってことは」
「本当に何でもないんですよ」
「……」
 嘘吐け、とか、逃げるなよ、とか、顔に書いてあるのに、彼はそういう言葉をはっきりと口に出そうとはしない。
 それはきっと、言葉にしても仕方が無いということを知っているからなんだろう。
 彼と僕という存在の間では、そんな言葉は何の意味もなさない。
 僕等に出来る事と言えば、ただぬくもりを確かめるだけ、お互いがそこに居ることを確かめるだけだ。
 彼がそれ以上を望まないんじゃない、僕が、そこから先へ踏み込む事を許さない。……そういう風に、彼が思っているから。
 彼はどんな境界も常識も不条理も打ち破るだけの強さを持っているはずなのに、僕の内側、僕の世界の中には踏み入ってこようとはしない。
 時折長門有希や朝比奈みくるを拾い上げるようなその手が同じように僕に差し伸べられるなんてことは、きっと有り得ないのだろう。
 それは僕が彼と同性だから何ていう単純な理由だからではなく、愛情の過多が問題というわけでもないのだろう。
 僕は長門有希や朝比奈みくるとは違う始まりと意味を持って、この場所に居る。
 彼は、その意味をちゃんと分かっている。
 分かっていて、それでも、それでも……、その全てを、認めようとしない。
 彼はそういう人だ。
「……」
 彼は何も言わないまま、ただ僕の髪を軽く撫でる。
 時折地肌にも触れるようなその手付きが本当は誰に対する時よりも優しい物であるという事を、僕は知っている。でも、僕はそれを口にしない。彼の前で認めたりしない。
 彼が認めない以上、僕が認めるわけにはいかない。
 だって、世界はそういう風に出来ているから。
「なあ、古泉」
「何ですか?」
「お前さ、嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないですよ」
 でも、良いとは言えない。認められない。
 ひとたび何かを認めてしまったら、僕等きっとこの場所に居られなくなってしまうから。
「そっか。……それなら良いんだ」
 彼はそう言って、もう一度僕を抱きしめた。
 それは、それ以上も以下もない、ただ、触れることでここにいることを確かめるだけの行為。
 情けないことかも知れない、くだらないことかも知れない。
 でも、僕等はここから先へは進めないから、これで充分だと思うことしか出来ない。
 曖昧さの中に隠された溢れんばかりの優しさと、それと対照的な、ほんの僅かばかりに感じることが出来る確かなぬくもり。
 離れてしまえばそれは無いのと同じかも知れない、本当は、僕等の関係を含めたこの世界には何の保証も無いのかも知れない。
 けれど僕等は、今日もただ同じことを繰り返している。
 戻ることも無く、進むことも無く。
 永遠なんてどこにも無くとも、明日もまた同じことを繰り返せることを願いながら。







 
  後ろ向き過ぎプラトニックラブ。(061219)