初めて貴方に勝った日 SIDE:I 「くそ、降参だ降参」 「僕の勝ちですね」 目の前で彼がカードを投げ出し、僕がそう宣言する。 何時もながらの彼と僕の日常。ただ、何時もと違うことが有るとすれば、僕が勝利したという一点に有るだろう。 ルールを教えながらだとか、複数人でやったときを除けば、僕が彼に勝ったのは今日が初めてということになる。 随分と、長い道のりだった気がする。 彼はとても手強い相手だった。 もちろんこれからも、手強い相手で居続けてくれるだろうけれど。 彼が負けたまま引き下がるような人だとは思えないし。 「ったく、あそこであの手で来るとは……」 「僕だってちゃんと先のことを考えているんですよ」 「お前は何時も詰めが甘い」 「……酷い言い草ですね」 僕が勝ったからなのか、彼の機嫌があまりよくない。 詰めが甘いという言葉を正面から否定できないのが、少し辛いかも知れない。 確かに彼の言うとおり、僕は詰めが甘い方に分類されるのだろう。ゲームにしても、日常生活にしても、何か作戦を立てるにしても。 「本当のことだろ」 「まあ、それは……」 「ま、俺の方にも油断は有ったんだろうな。……けどまあ、負けは負けか」 言い訳めいた言葉を彼が口にしたのは、ほんのひとときだけ。この勝負の結果自体にはあまり拘りは無いのか、彼の引き際は意外とあっさりしたものだった。 僕としては、それはそれで寂しい。 「ええ、僕の勝ちです」 「何かむかつく言い方だな……。まあいい、ところでお前、俺に何かして欲しいこととか有るか?」 「……へ?」 いきなりな話の展開に、僕は思わず少し間抜けな声でそう問い返してしまった。 今、彼は一体なんて言った? 「二度は言わない」 「は、はあ……」 えっと、これは、つまり……、別に、何かを賭けていたわけではないけれども、これは彼なりの、気遣いというか、何というか……、僕が勝ったから、何か一ついうことを聞いてやろうとか、奢ってやろうとか……、多分、そういう話なのだろう。 ……どういう風の吹き回しなんだろうか。 「ただし、ハルヒとか『機関』絡みのことは無しだからな」 考えていたら、先に先手を打たれた。 涼宮さん絡みのこととか……、うん、確かにそれだったら、彼に言いたいこと、お願いしたいことは結構たくさん有るかも知れない。でも、それが駄目となると……、さて、何か有ったかな。 僕個人が、彼にして欲しいこと。 僕が、彼に。 「……」 彼は、何も言わないままただ僕の答えを待っていた。 今の無しとか、お前が特に無いなら良い、という切り上げ方をするかと思ったのに、そんな気配すらない。 彼はただ、僕の答えを待っている。 僕の答えを。 「特にありませんよ」 考えれば何か出てくるのかも知れなかったし、大した意味の無い小さなお願い事をしても良かったのかもしれないけれども、僕はあえて、そう答えた。 そう、僕個人が彼に願うことなんて無い。 願えることなんて、何一つ無い。 願う資格なんて、僕には無い。 「特にって……、何もってことは無いだろう」 「無いものは無いんですよ」 「あのなあ……」 呆れ顔の彼が、手を額に当てている。 何となく、彼の考えていることを察することは出来る。出来るけれど……、それを汲み取って彼の意思に答えるなどということは、僕には出来ない。 僕は、そういう位置に居て良い存在じゃない。 「ったく……」 てっきりそのまま何時ものように突き放すような言葉を言われるか、呆れられたまま納得しきれないながらも話を引っ込めてくれるかと思ったのに、彼はどういうわけか、パイプ椅子から立ち上がり、僕の傍まで歩いて来た。 一体どうしたというのだろう。 「古泉、ちょっとこっちを向け」 「あ、はい……」 あんまり機嫌が良いとは言えない彼の声に、僕は思わず従ってしまう。 彼が、僕を見下ろしている。逆光のせいなのか、彼の表情は良く見えない。 「えっ……」 さっと前髪をかきあげられたかと思ったら、額に、口付けを落とされた。 「……まあ、勝利の女神のキスってわけには行かないけどな」 一瞬の口付けの後にさっと放れていった彼は、完全にそっぽを向いてからそう言った。 その横顔がほんの少し高潮して見えたのは、気のせいだろうか。 「え、あ、あの……」 僕はわけがわからないまま、ただ両手を動かし、彼の唇が触れた部分にそっと触れてみた。 別に、何も無い。 ただ、感触が残っているだけ。 彼の、感触が。 そう、彼の感触が。 「もう一勝負するか」 「……」 平常心を取り戻したかのような何時もながらのほんの少し不機嫌気味な彼の声に、僕は無言で頷くのが精一杯だった。 そして、案の定と言うべきか、僕は次の勝負で惨敗した。 某所で貰ったお題、キョン古編、その1(070127) |