待っているから 「……古泉は?」 「バイトだって言ってたわ」 ふと部室内を見渡してから不在の人物に気づき問いかけた俺に、ハルヒがやや不機嫌気味の声で回答した。古泉がバイトってことは、また例の灰色空間だろうか。 ハルヒの機嫌もあまり良くなさそうだが……、さて、どうなのだろう。 俺は古泉の一挙一動を把握しているわけでもなければ、古泉のようにハルヒの精神のスペシャリストでもないので、この辺りの事情が分るわけもない。 ただ、あんまり面倒なことにならなければいいなと考えるくらいだ。 ボードゲームを囲む相手が居ないのは退屈と言えば退屈だが、ちょうど読みかけの本が有ったところだから、それを読んでいれば良い。 そういう暇潰しも案外悪くない。 「何だかつまんないわ……、今日は解散」 朝比奈さんが入れてくれたお茶に時折口をつけつつ一人ぼんやりとあまり進まない読書をしていた俺の耳にやる気のないハルヒの声が届いたのは、それから二十分ほどしてからのことだった。 それっきり、ハルヒは有無を言わさず一人でさっさと帰ってしまった。 残された俺は同じく部室に取り残された長門や朝比奈さんと一緒に帰ることになる。これはこれで役得と言っていいのかも知れないが、何となく釈然としない。……その原因はよく分らないが。 朝比奈さんの着替えが終わるのを待ってから三人で昇降口を出た辺りで、俺は長門に、 「なあ、長門、古泉のバイトってのは、また例の閉鎖空間か?」 と、聞いてみたいのだが、 「違う」 長門は、実にあっさりと俺の懸念を否定してくれた。 「そっか」 それ以外なら一体何なのだろうと思ってみたりもしたが、古泉の所属している『機関』とやらはハルヒの起こす厄介な出来事への対処が第一目的らしいがそれ以外にも込み入った事情が有りそうなので、まあ、何かしら用事が有るのだろう。……と、そんな風に適当に結論付けて、俺は帰り道である坂道を下り始めた。 長門は何も喋らないし、今日は何となく俺と朝比奈さんの間にも話す話題がなかったので、三人での、会話のない下校時間だ。 これはこれでちょっと重い時間だな。これだったら、ハルヒが朝比奈さんをからかうのを、古泉と一緒に後ろから眺めている方が良い。 そんな風に思った時点で、俺はふとあることに気づいた。 そう、今日は古泉が不在なのだ。今日は本当にそれだけで、それ以上のことなんて何一つなくて……、でも、それはそれで、きっと、大事なことなのだ。 古泉は、一体どこで何をしているのだろう。 何か有った時に俺に知らせてくれたり時として巻き込んできたりする長門や朝比奈さんと違って、古泉には、俺を巻き込まずに、俺とは無関係のところで動いている時間ってのが結構ある。 主体が俺じゃないのだから当たり前と言えば当たり前かもしれないし、もしかしたら長門や朝比奈さんにもそんな時間が有るのかも知れないが……、今の時点で確かなことは、古泉は、俺の目の届かないところで、俺にも関係あるかもしれないことのために働いている。 それは多分、俺が考えるまでもなく、俺が知るよりも前からそういう風に出来ていることなのだ。古泉が世界を守らなきゃいけないのは、何も昨日今日から始まったことじゃない。 そして、俺がどの位置に立っているにせよ、俺もまたその世界の内側の一人だ。 俺は守られる側に居る。 「どうしたんですか、キョンくん?」 立ち止まってしまった俺を、少し前に居た朝比奈さんが不思議そうな眼で見ている。隣の長門は、何時もながらの無表情状態を続行中だ。 普段通りの、非常時ですらない、ただ過ぎてゆくだけの時間。 長門はともかくとして、朝比奈さんがこの時間の意味を気にかけている様子は無い。少しだけ理不尽な気もしたが、彼女の性格とお役目を考えたら、それは別に不思議なことでも何でも無いのだ。 SOS団は妙に結束の固い団体だが、それぞれの背景は一枚岩でも何でも無いんだからな。 「何でも無いです、気にしないでください」 そんなことは無いだろうと思いながらも、俺は本当のことを口には出せない。 古泉がどこで何をしていようと、俺が奴に対して言えることなどないし、助けることなど出来ない。 俺に出来ることは、ただ、待っていることだけだ。 古泉が、助けてほしいと、本当の意味で俺に手を伸ばして来たことは無いだろうし、きっとこれからも、そんなことは無いのだろう。 あの、俺の人生二度目の灰色空間体験で出会った人型の赤い光ですら、俺に助けを求めるような物の言い方はしなかった。あいつは、ただ、事実を語っただけだ。 古泉は、何時だってそんな奴なんだ。 「……」 再び歩き始めた俺を、隣に立つ長門の黒い瞳が見上げてくる。 何かを問いかけているような様子でもあるし、見守るような色合いにも見える。 「どうした?」 「あなたがここに居るのは、あなたが今思っている人物にとって意味のあること。……少なくとも、わたしはそう思っている」 殆ど最低限の言葉しか紡がないはずの唇が、俺の心を映したかのような言葉を口にする。 「……そっか。ありがとな、長門」 「良い、わたしはわたしの思った事を伝えただけ」 それが言えるだけでも凄い進歩だと思うんだがな。 まあ、長門の言う通り、俺がここに居るのは何らかの意味のあることであると……、そういう風に思うことしか、俺には出来ない。 世界を守りたいとか使命がどうとか考えている古泉の心の片隅くらいに、俺の名前もあれば良い。別に一番になりたいわけじゃない、男子高校生同士でそれはちょっと重すぎるだろう。でも、かすりもしないってのはさすがに寂し過ぎるし、これまでの付き合いってものを考えれば、さすがにそこまで軽い存在だってことも無いだろう。 だから、俺は、古泉を待っているんだ。 待つことしか出来なくとも、そこに何かしらの意味は有るんだろうと思いながら。 待ち人的認識のキョン。古泉が出ていませんが、たまにはこんな話も。 お題五つめです。(070504) |