世界なんてどうでもいい、と思えたら


 それは、俺の良く知る俺の日常的光景の一部というやつなんだろう。
 ハルヒが馬鹿なことを言い出し、古泉が合いの手を入れつつ暴走しすぎないように適当に誘導し、朝比奈さんが何時ものようにおろおろと取り乱し、長門は聞いているのかどうかすら分からないような状態なのに呼びかけにはちゃんと反応し、時折俺が、主導権を握っているハルヒへのツッコミ、イマイチ本意の見えてこない古泉に対する愚痴っぽい発言、朝比奈さんへのフォローなどを請け負う。
 そうして、脱線が脱線を重ね、よく分からないながらも被害の少なそうな辺りで一応の着地点を見つけて、本日のSOS団のミーティングならぬ馬鹿話は終了。
 そういう、日常的な光景。

 そんな風に何の実りの無い、しかし有り余るパワーの無駄遣い先探しという意味では一応青春らしいと言えなくも無い一日が終わり、俺達は帰路に着く。
「なあ、古泉」
「何ですか?」
 俺は前を行く女子達に気づかれないよう、隣に居る古泉に小声で話しかけた。古泉が何時もの笑みを崩さないまま、俺に問い返してくる。 
 こういうのも、何時も通りの光景に含まれるんだろうか。
「……」
 ……何時もって、なんなんだろうな。
 馬鹿なことを言うハルヒに振り回される、疲れるけれども面白おかしい、それなり以上に楽しい日々。
 そういう、俺達の、ほんの少しだけ非日常的な色を帯びた日常。
「どうしたんですか?」
「……何でもない」
「はあ……」
 話しかけたくせにだんまりを決め込んだ俺に対して、さすがの古泉もほんの少しだけ思案顔になった。でも、それもすぐに元の笑みの中に消えていく。日常という名の仮面の下に、古泉の言葉も態度も覆い隠されていく。
「あ、古泉くん、ちょっといい?」
「はい、何でしょうか」
 前を行くハルヒがひょいと後ろを振り向いて古泉に呼びかけ、古泉がそれに応じるために歩調を少し早め、ハルヒの隣へ移動する。
 ほんの少し前に俺が話しかけたことなんて、既に遠い彼方のことみたいだ。
 それくらい、古泉の動作には淀みが無い。こいつにとって誰が一番大事なのかってことを、思い知らされる。
 いや……、誰が、じゃない。何が、か。
 古泉の心の中心には、何時も世界が在る。
 そしてその世界の中心は、今のところ涼宮ハルヒという少女の形をして奴の目の前に居るんだ。
 俺は未だに古泉の本心らしきものをはっきりと掴めていないわけだが、古泉にとって何が大切で有って、そのために何をしているのか、ということくらいは有る程度理解しているつもりだ。
 だから、古泉に行動に着いて本気で文句をつけるようなことをする気は無いわけだが……、それでも、時折、ほんの時折、どうしてお前はそうなんだ、何て風に思わないわけじゃない。
 例えば、今みたいな時に。 
 
 例えばこういうとき、世界なんてどうでもいいと思って俺が何かしらの行動を起こすこと自体はとても簡単なことだろうけれど、俺はそんな選択肢を選ぶ気は無かった。
 今まで何度か有った世界の危機的状態とやらから、俺はこの世界への回帰を望んだ。
 その中には、俺の知る、俺の古泉にもう一度会いたいという感情も確かに存在していたはずだ。
 俺は過去の俺の選択を否定できず、そして、今もまた、俺の知るそいつを手放したくないと思っている。
 だから俺は、今日もまた、この日常的風景を受け入れる振りをして、勝手に一人ぐちぐちと考えているだけなんだ。

 第一、一つ間違えれば全てを失いかねない危険な賭けを犯せるほど、俺は馬鹿でもイカレても居ない。……今のところは。

「ちょっとキョン、あんたも来なさい」
「ったく、今度は何だよ」
 ハルヒに呼ばれ、俺も会話に加わることになる。こういうパターンの場合は大体ろくなことにならないと知りつつも、俺は一応ハルヒの話を聞いてやることにした。
 その向こう側、ハルヒを挟んで反対側で、古泉がただ笑っている。
 俺の良く知る、苛立つけれども妙に安心感を覚える、何時も通りの笑みを浮かべている。
 変わらない日常の証明の一つが、そこに在る。

 ハルヒの言葉を適当にあしらいつつ、俺は何時か古泉が言っていたことを思い出す。
『現状維持が僕の本分です』
 それが奴の本音なのかどうかは分からないが、普段の古泉を見ている限り、その部分に着いては大体本当なのかも知れないな、というくらいには思っている。
 しかし、現状維持か。
 楽しいけれども時折息詰まりと諦念を感じる『今』は、一体どこまで続いていくものなんだろう。
 何時かどこかで曲がり角を迎えるはずの、長いようで短い、今という時間。
 古泉は、何時までこの世界を守る必要が有るんだろう。
 俺は、何時までこのままの状態を維持していくことが出来るんだろう。

 ハルヒの話の矛先が朝比奈さんの方に切り替わった折、俺は古泉の方を一度だけ見てから、俺の知る世界の天上、つまりは、空を見上げた。
 そこには、当たり前のように、昨日の続きの今日としか言いようが無いような、夕刻の、茜色に染まりきった空が広がっているだけだった。






 
 お題その3。日常的小話。
 キョンが溜め込む鬱屈した感情と、その発現を引き止めるもの(070209)