裏側の裏側



 オセロの駒を手で弄りながら、ふと考える。
 黒と白、両極端な色合い。
 黒の裏は白で、白の裏は黒で、裏返して、それからもう一度裏返せば元の色だ。
「……返していただけませんか?」
「あ、ああ」
 オセロを片付けていた古泉に呼ばれて、俺は弄んでいた駒を奴の手の中に落とした。単なるゲームの駒を扱うにしては妙に丁寧な指先が、テキパキとオセロを仕舞っていく。
 磁石の入ったオセロの駒は、白黒が連なる丸い棒状になって仕舞われる。なんだか白いクリームの入ったカカオのクッキーみたい、なんてことを誰かに言われたことがあるような気がする。誰だったかは思い出せないが。
「あ、ちょっと、古泉くんこっち来て」
 ゲームが終わった時間を見計らったのか、それともたまたまそういうタイミングだったのか、団長と書かれた三角錐の置かれた机でパソコンに向かい有っていたハルヒが、古泉を呼びつける。古泉は当然のようにそれに従う。仕舞いかけのオセロは長机の上に置いたままで。
 ハルヒが何をしているかはよく分らないが、また何かイベントを立ち上げるための準備段階とかなのだろう。一々考えるハルヒもハルヒだが、付き合う古泉も古泉だよな。
 そういう日常を受け入れつつある俺にだって、こんな、馬鹿げたことを積み重ねていく生産性とは無縁の日々を疑問に思うことも有る。
 生産性って物に対してあまり前向き過ぎる高校生もどうかと思うが。
 確かに高校時代は人生の積み重ねの上で大事な期間だし、ここでの努力次第で入る大学何かが決まってくるわけだが……、それはそれだ。毎日そんな感じじゃ息が詰まる。
 対戦相手が居なくなり、かと言って特にするべきことを探そうとも思わなかった俺は、仕舞いかけのままのオセロに手を伸ばした。古泉が後で何か言って来るかも知れないが、そんなことは気にしない。
 俺の手の中に、白黒の駒が一つ収まる。
 黒の裏は白で、白の裏は黒で、裏返して、それからもう一度裏返せば元の色。
 それはごく当たり前のことで、今さら確認する必要なんてない事実だ。第一オセロの駒の構造が違ったらゲームが成立しない。
 ゲームが……、そうだな、ゲームが成立するためには、駒にはそれぞれ決まった役割が存在する。ゲームなら。
 けれど俺がいきる現実はゲームとは違うので、役割なんてものは固定されていないし、ついでに言うと、オセロの駒のように、裏側の裏側が表で有るなんて法則も通用しないのだ。
 オセロの駒を手の中に置いたまま、ハルヒに代わって団長机に座ってパソコンを触る羽目になった古泉の方を見てみる。古泉が俺のしていることに気づいているのかどうかは分からなかったが、今、古泉の関心が俺の方には無いってことだけはすぐに分かる。
 本人達には何の自覚もないだろうが、今、団長机の周辺の世界は、俺が居る場所とは少し離れた、切り取られた小さな世界だ。
 俺や朝比奈さんや長門の存在意義なんてものとは無関係に、涼宮ハルヒと古泉一樹の世界はたったそれだけで完結することが出来るものなのだということを、俺はよく知っている。
 白と黒の間、灰色の世界が脳裏をかすめる。
「んー、見つからない?」
「ネットでは無理そうですね。本屋に行った方が良いかも知れません」
 どうやらネットで調べごとをしていたらしい。インターネットは一見万能のようだが、そうでない部分も有るからな、目的の情報が見つからない場合だって有るさ。悪いインターネットに毒されるよりは、本屋に有る本の中の情報の方がまだまとも、という風に思えなくもないしな。
「そっかあ、仕方ないわね。……うん、ありがと、戻って良いわよ」
 ハルヒが古泉を解放し、二人だけで完結する世界が一時終了となる。
 そして、古泉が俺の向かいに戻って、何時も通りの平常営業中の状態が復活する。
「オセロ、片付け直しますね」
 古泉は若干苦笑気味だったが、俺を咎める気は無いらしく、そう言って何事もなかったかのようにオセロの片づけを再開した。文句くらい言えばいいのに。
「次は何をしますか?」
 オセロを棚に置いた古泉が、俺に訊ねる。
「何でも良い」
「何でも、ですか……。まあいいでしょう、では、」
 やる気のない俺の答えに再度苦いものを交えた表情を浮かべた古泉が、すぐに何時もの笑顔に戻る。そうして古泉が手に取ったのは結構前に一度やったきりの古いレア物のゲームだった。
「ルールなんて忘れかけているぞ」
「もう一度教えますよ」
 それから、古泉の解説付きでの対戦が始まる。
 以前から分かっていたことだが、こういうときの古泉は妙に楽しそうだ。
 ……裏側の裏側なんてものが今の古泉に有るかどうかは分からないし、有ったところでそれが表であるなんて保障もない。白や黒よりも灰色の世界を背負った姿が印象に残ってしまう孤独な少年の心の在り処なんて、俺は知らない。
 けれどこうして古泉とゲームをすることで、俺は古泉の心の一端に触れているのだと思う。
 それは本当に触れるだけで、それ以上得られるものが有るとも思えないような行為なわけだが、俺としては、こういう時間も悪くないと思うのだ。ゲームの話をする時の古泉は、本当に楽しそうだからな。
 そうだな……。盤上の向こう側、段々曇りがちになって来た半端すぎる表情の全部が全部演技だなんてことは、さすがに有り得ないさ。


 

 
 お題その6。(070523)