springsnow

うさぎの行く先


 カチャカチャ、トントン、シャリシャリ。
 幾つかの音が混じりながら作業が進行する部屋の中で時折小さな溜め息が漏れる。
「はあ、何で俺がこんな目に」
 そして、溜め息と共に言葉が出て来る時も有る。声と言葉がそうであるように彼自身も何だか疲れ気味だ。実際、疲れているのかな。慣れない作業に従事しているってことになるんだし。
「籤で決めようと言ったのはあなたじゃないですか」
「……言ったけどさ」
 笑って励ますつもりで話しかけてみたけれどもあんまり上手く言った気がしない。一応本人としても自分で言ったことの責任を取ろうって気持ちが有るのだろうか。彼は文句は言っていても自分に与えられた役割はきっちりこなす方だ。
 カチャリと、金属同士が触れ合う音が響く。
 その金属、つまりボールとホイッパーを持っているのは彼だ。恰好を見れば一目瞭然だと思うが彼は今お菓子を作っている。ご丁寧にエプロンまでしている。彼だけでは無く僕もそうだ。そしてこれは先ほど僕が言った通り彼が提案した籤で決まったことでも有る。
 十二月も半ばを過ぎたとある日の放課後、クリスマスパーティの準備の分担を強制的に決めようとした涼宮さんに対して、こういうときこそ籤がどう、と彼が言いだした結果籤を引くことになり……、どういうわけか、男子二人が料理担当という正しく狙っているとしか思えない結果になった。料理が二人に買い出しが三人。下手に男女が混じった組み合わせになるよりはこっちの方が平穏だったのかも知れないけれどもこれはちょっと出来過ぎじゃないかな。まさか涼宮さんがこの結果を望んだというわけじゃないだろけど。
 かくして本日涼宮さん達は町へ買い出し、僕等二人はパーティの料理の準備だ。
 作る物は色々有るけれども暖かい物は直前に作った方が良いだろうということで今はまずお菓子を作っている。クリスマスケーキ、アップルパイ、クッキー、マドレーヌ……、量が多いので作業は大変だがその分やりがいはある。僕としては寒い中買い出しに行くよりはこちらの方が良い。他の人達ならばともかく、涼宮さんや長門さんで有れば買い出しと言う名の力仕事も何無くこなしてくれることだろう。朝比奈さんが無理を強いられてなければいいな、とは思うけれど。
「お前、器用だよな」
 するするとリンゴの皮を剥いていく僕の手元を見ながら彼が呟く。
「一人暮らしですからね、一通りの家事は出来るんですよ」
 とはいえ、その家事能力が発揮される機会はあまり無い。
 何せ最後に自炊をしたのが何時か思い出せないくらい外食とコンビニ頼りの生活だ。冬休みに入って自炊をする余裕が出来ることを望みたいところだけれども今の涼宮さんの暴走特急ぷりを見ているとそれは儚い望みに終わるんじゃないかな、という気がしていまう。そうやって一緒に巻き込まれて行くのも嫌では無いので、これはこれで良いんだけれども。
 そうだ、今日作った料理を気に入ってもらえたら、今度は皆で料理でも作らないか進言してみようかな。上手くいけば良い暇潰しになるし、僕の料理の腕もこれ以上錆びつかなくて済む。
「ふうん」
 手を止めたまま、彼が僕の手元を見ている。どうしたんだろう、気になることでも有るのかな。別に僕はただリンゴを剥いているだけなのに。リンゴ、リンゴ……、ああ、そうか。
 僕は手に持っていたリンゴを剥き終わるとそれを切り分けぬまままな板の上に置き、まだ皮が剥かれてないリンゴを一つ手にとり八つに切り分け、皮を途中まで剥いてから彼に向かって差し出した。
「どうぞ」
「……お前なあ」
「一年前のことを考えていたんですよね?」
 一年前のクリスマス前の日、僕は彼が眠るベッドの傍でリンゴの皮を剥いていた。多分、それは、この世界に戻って来た彼が最初に目にした光景なのだ。そういう風に考えてみれば、彼がリンゴを剥く僕を見てあのときのことを思い出していたとしても不思議なことでは無い。
「まあ、な」
「あれからもう一年も経ったんですね」
「ああ」
 世界が壊れるかもしれないと思って眠れなかったあの日、目覚めた彼に文句の一つも言ってやればよかったのに、何故か僕にはそれが出来なかった。顔に出ていたかどうかは分からないけれど、僕は僕なりに彼が帰ってきたことに安堵を覚えていたのだ。それが涼宮さんを思ってのことだったのか、世界のためを思ってのことだったのか、それとも僕個人の感情に根ざしたものだったのか……。
「あのリンゴはハルヒの腹の中におさまったんだよな」
「ええ、そうでしたね」
 僕が剥き過ぎたリンゴは、ほっとしたからお腹がすいちゃったと主張した涼宮さんが全て平げてしまった。あのときの彼女の顔は、良く覚えている。
「一つくらい自分で食えば良かったな」
「え?」
「あれは俺のための物じゃなかったのか?」
「……さあ、どうでしょうね」
 さて、あのリンゴは誰のためのものだったのだろう。
 病室に寝泊まりしていた涼宮さんのための物だったのか、何時起きるとも知れない彼のためだったのか、見舞いに来る朝比奈さんや長門さんのためだたのか、それとも自分が空腹を満たすためだったのか。
「……」
「どうかしましたか?」
「何でも無い。それ、よこせ」
「はい、どうぞ」
 渋い顔をした彼の手にリンゴを手渡す。
 彼は大きく溜め息を吐いてから、リンゴを思い切り頬ばった。


 
 消失、クリスマス、ウサギリンゴ(071220)


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