精一杯の証明を 「あんたはもっと努力をするべきだわ」 放課後の部室にて、ハルヒは唐突にそんなことを言い出した。 俺は長門からお茶を受け取りつつ、 「何をだよ」 と、一応の反応を示してやった。 ちなみに何故朝比奈さんではなく長門がお茶を入れているかと言えば、今日は学年が上の朝比奈さんは進路指導関係で遅れて来ることになっているからだ。 「みくるちゃんのことよ」 「は?」 「あんたねえ……、本当、あんたって何も分かってないのよね」 「何のことだかさっぱりだな。言いたいことが有るならちゃんと説明してくれ」 朝比奈さんに対して俺が一体何をしろと言うんだ。 努力といわれてもだな、俺には具体例がさっぱり思いつかないし、そもそもこのSOS団なんていう団体において真っ当な努力なんてものが何かしらの成果に繋がったりするとは到底思えないぞ それに俺は、これでも朝比奈さんのことをこのSOS団の誰より分かっているつもりなんだ。 「あのねえ……、あんた、みくるちゃんがどうして毎日毎日美味しいお茶を入れたり素敵なメイドさんになるため努力をしているか、分かっているの?」 「メイドはお前の要望じゃないか。お茶は……、まあ、SOS団のためだろう」 朝比奈さんの個人的趣味も少なからず入っているんじゃないかって気がするがな。 詳しいことは知らないが、この時代のお茶なんて未来人の彼女にとっては珍しい物なんだろう。そう言えば、皆でファミレスとかに行く時も和食とかが多いよな、朝比奈さんは。 「あんたねえ……」 ハルヒは心底呆れましたみたいな顔をして、大きく溜息を吐いた。 「なあハルヒ、お前は何が言いたいんだ?」 「あんた、ほんっとーにわかんないの?」 「分からん」 「ホントのホントに?」 「本当にだ」 悪いがそんな風に念を押されてもさっぱりとしか言いようが無いな。 朝比奈さんが日々努力していることは確かだと思うが、それが俺とどんな関係が有るというのだ。俺が努力して彼女のために出来ることなんて何もないと思うぞ。 いや、本当に何も無いと言い切れるものじゃないかもしれないが、俺が下手に努力する素振りなんて見せてみろ、かえって朝比奈さんに気を遣わせるだけの結果に終わりそうだ。 朝比奈さんは俺に何かを求めているわけじゃない。 彼女は、俺に何かを求めちゃいけないってことをちゃんと分かっている。 確かめたわけじゃないがそういうのは仕草や雰囲気で分かるし、俺もまた、分かっていますということを言外に示しているつもりだ。 ハルヒはそこまでのことを分かってないのだろうか。それとも、そういう関係は不毛だとでも言いたいのだろうか。 「あんた、ほんっとに馬鹿ね」 「悪かったな」 「……あたしね、あんたが馬鹿なのは別に良いと思っているのよ」 「そうか、だったら放っておいてくれ」 「でもね、あたしはSOS団の団長でも有るし、みくるちゃんの友人でも有るの」 友人なんて単語は始めて聞いた気がするな。まあ、概ね間違ってないと認めてやっても構わない程度の関係にはなれているんじゃないかって気はするが。 「だからあたしは、みくるちゃんのために、あんたにこんな話をしているの……、分かる?」 「……一応な」 どっちかっていうとハルヒの主観的な話じゃないのか。 朝比奈さんがこんな会話を望んでいるとは到底思えないしな。 「だったら、」 「なあ、ハルヒ」 「何よ」 「お前が俺と朝比奈さんの関係について言いたいことが有るってのは分かっている。何を言いたいかってのも全く分からないわけじゃない。……けどな、俺にはそれをはいそうですかと聞き入れられない事情が有るんだ」 「……何それ、わけ分かんないわ」 「お前には分からないかも知れないが、そういうことなんだよ」 「……」 溜息混じりの俺の発言を聞いたハルヒが、完全に黙ってしまう。 さて、俺の言いたいことを察してくれたのか、それとも次に言うことを考えているだけなのか……、前者でありたいと願いたい所だが、不服そうなこの表情を見る限り、後者の可能性の方が高そうだな。 「あの、涼宮さん」 ハルヒがどう出て来るかと思って居たら、後ろで黙って話を聞いていただけの古泉が割り込んできた。 「何、古泉くん?」 「彼もこう言ってることですし、ここは一度引き下がた方が良いのではないでしょうか?」 「何でよ、キョンが悪いのに……、みくるちゃんがかわいそうじゃないっ」 「……涼宮さんの目から見た朝比奈さんはそうかも知れませんが、朝比奈さん自身はそうではない、という可能性は有りませんか?」 「えっ……」 「幸せの形など、人それぞれですからね。朝比奈さんの性格からして、自分が気を遣うのは良くても、彼に気を遣って貰うのは悪いという風に考えている可能性も有りますよ」 古泉の言うことは余り間違ってないと思うが、それだけが正解ってわけでもないんだ。 朝比奈さんが俺に、いや、この時間の人間に個人として何かを求めるということを殆どしないのは、彼女が本来この時間の人間ではなく、未来からお仕事できているという立場に居るからだ。 「それは、そうだけど……。でも、やっぱり、みくるちゃんは……」 「彼も彼なりに考えてるようですから、そのうち何とかなると思いますよ」 今のところ良い方法は思いついてないんだがな。 でもまあ、何とかなるさ。 何せ未来は変えられるからな。 「まあ、それは……」 「だからここは彼を信頼して、任せるというつもりで見守るのがいいのではないでしょうか? ……そうですね、何か問題が有ったらそのときにでも、ということでどうですか?」 古泉、お前一言多いぞ。 「そうね、そういう方法もありよね。……キョン、もしみくるちゃんを泣かせたりしたら、そのときは容赦しないんだからね!」 普段からハルヒに容赦なんてものが有るとは思えないんだが……、まあ、それは良いか。 俺だって朝比奈さんを泣かせるつもりなんて無いし、朝比奈さんだってそんな事態になって欲しくないだろうよ。俺達の意思に反して現実がそういう方向に進む可能性は有るけれども、そのときはそのときだ。ハルヒの『容赦しない』発言は、俺だけじゃなく、団員の幸せを脅かす全てのものに向けられているはずだからな。 頼りにしているよ、団長さん。 まあ、そんな生産性とも発展性とも無縁のままの会話は結局古泉が有耶無耶にしてくれたというか結果として先延ばしになるという形で終了となって、それからハルヒが色々と騒いでいるだけの放課後が過ぎ、朝比奈さんがやってきて、俺達は下校することになった。 長門はお隣のコンピ研に用事が有るらしくそちらに出向いてしまい、あたし達は買出しよと言ってハルヒと古泉が反対方向に行ってしまったので、俺は朝比奈さんと二人っきりで坂を下ることになった。 心弾むという形容詞が着く状況なのは以前の通りだが、最近はこういう状態も珍しくなくなってきた。 嬉しい気持ちは変わらないが、最近だと、安堵感みたいな感情も混じっているかも知れないなあ、なんてくらいには思えるようになって来たんだよな。 「……あ、お茶の買出しに行かないと」 他愛ない雑談めいた会話の途中、朝比奈さんがふと思い出したようにそう言った。 「お茶、切らしそうなんですか?」 「ううん、そうじゃないんだけど、今週末はデパートのセールだから……」 セールを気にする未来人ってのも変な感じだよな。未来人だったらセールやバーゲンどころか今後の株価から世界経済の移り変わりまで丸分かりだろうに。 「ああ、そうなんですか。……俺も付き合いましょうか?」 「え……、あの……、良いの?」 「かまいませんよ」 ハルヒは俺は何の努力もしていないと言う。けど、本当に何もしてないわけじゃないさ。 荷物持ちか風避けくらいにしかなれないことは百も承知だが、俺だって、朝比奈さんの隣に居ることは出来る。 居たからどうなるってものじゃないかも知れないけどさ、俺が居ることで彼女が喜んでくれていることは確かみたいだから、それが間違っているって事だけは無いだろうさ。 「本当、ありがとうキョンくん」 朝比奈さんが可愛い顔をほころばせ、幸せそうな微笑を浮かべる。 そんな朝比奈さんを見ると、俺まで幸せな気持ちになれるから不思議だ。……いや、不思議じゃないか。今の俺達の関係を考えれば、これが当たり前ってことなのかもな。 別に何が有るってわけじゃないし、手を繋ぐようなことすら殆ど無いし、当然それ以上になったことも無いし、具体的な言葉を口にしたことだって無い。 でも、俺は分かっている。多分朝比奈さんも分かっている。 そんな彼女が日々まめまめしく動いているのは、SOS団のためであり、そして、俺のためでも有るんだろう。……分かっているさ、そのくらい。 普段の朝比奈さんの姿そのものが、何一つ現実に抗う術の持たない彼女の精一杯の証明だってことくらい、俺にだって分かっているんだ。 「土曜で良いですよね?」 「うん、大丈夫ですよ」 「晴れるといいですね」 「そうですね」 それから俺達は当日のことを話ながら、坂の下まで一緒に歩いた。 ハルヒにはああ言ったが、俺だって何もしていないわけじゃない。けど、俺が動く時は今じゃない。今ここで俺が真正面から答えても現実は何も変わらないだろうし、それは彼女が望むところでもないだろう。 朝比奈さんが俺に安らかな日常をくれるというのならば、俺に出来ることは、いざというときにその日常を守ることだ。 なあ、そういうことだろう? キョンくんはやっぱり自分勝手です。 でも、こういう身勝手さは『有り』なのではないでしょうか。(061129) |