ねがいごとふたつ


 年が明けて数日後、俺達SOS団は全員で初詣に来ていた。
 振袖なのにずんずんと人波をかき分けて進んでいくハルヒ、そんなハルヒを見失わないように着いていく古泉、勝手に一人で屋台へと向かってしまう長門……、という三人を横目に見つつ、慣れない振袖に戸惑っている朝比奈さんに目を配っていたら、あっという間に三人を見失った。
「はぐれちゃいましたね」
「そうですね」
 どっちがどっちの台詞か、なんていうのはこの際どうでも良いような気がするな。
 とにかく俺と朝比奈さんは、二人で取り残された。
 ハルヒは古泉が何とかしてくれそうだし、長門はまあ放っておいても大丈夫だろうとは思うが……、これは、役得と言って良い状況なのだろうか?
「あの……、どうしましょう?」
 首を傾げる朝比奈さん。彼女もこの状況に戸惑っているようだ。
 薄紅色を基調とした振袖姿に纏め髪という彼女は普段に比べて少し大人っぽい印象だが、こういうふうな仕草をとると何時もの子供っぽさが垣間見える感じで、そのギャップがたまらなく可愛い。凄く可愛い。
「ここにいても仕方が無いと思うんで、とりあえずお参りに行きませんか?」
 やっぱりここは役得ってことにさせてもらおう。旧年中駆けずり回った俺へのご褒美がこの突発的な朝比奈さんとの二人きり状態なのだ。今はこの状況を素直に喜ぼうじゃないか。
 大体、勝手に歩き回っている連中に見つけてもらうのを期待して同じ場所に留まるという理屈は、見失った連中相手には通用しないだろう。ハルヒはともかく古泉や長門なら、本気になれば俺達二人くらいあっという間に見つけられるだろうしな。だから、逸れたくらいで心配することなんて何一つ無いはずだし、その程度のことを気にする必要も無いはずだ。
 ……多分。
「あ……うん、そう、ですね」
 朝比奈さんが、こくりと首を縦に振る。
 俺の思っていることを彼女がどこまで理解してくれているかは謎だが、彼女も同意見では有るのだろう。
 朝比奈さんは振袖の裾や袖に気を遣いつつゆっくりと歩き、俺はそれに合わせて歩幅を落としながらも彼女を庇うような位置取りを維持していく。
 人が多い正月の神社も、わき道をゆっくりを歩けばそんなに辛くは無い。
 別に急ぐ必要は無い、お参りをして、おみくじを引いて、お守りが買えればそれで良いのである。
「人、多いなあ……」
「人ごみは苦手ですか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……。でも、何だか変な感じ」
「何がですか?」
「みんなで、新しい年を祝うのは……、それは、分かるんですけど、そこに私が居るのが、何だか、不思議だなあって思うんです」
「朝比奈さん……」
「おかしいですよね、わたしは、もっともっと先の時間に生まれたはずなのに」
 これが普段の季節のイベントなら、朝比奈さんはこんな寂しいことを言ったりしない。
 けれど今はお正月、年越しを祝う時期だ。時間の経過を凝縮して感じられる時期と言い換えても良い。……だからこそ、ということなのだろう。
「あ、別に、嫌だって思っているわけじゃないんですよ。わたしは未来からのお客さんですけど、でも、『今』のわたしが居るのは、確かに、この時間平面状なんですから」
 そう言って朝比奈さんは、少し寂しげな微笑を浮かべた。
 不安を振り払って笑えるような強さは、彼女には無いのだろう。
「……お参り、行きましょうか」
「はい……」
 慰めの言葉すら言えないままの俺が差し出した手を、朝比奈さんがそっと握り返してくれた。伝わってくるぬくもりは、彼女がここに居る証だと思って良いのだろうか?
 世界を引っ掻き回したり引っくり返したりすることが出来る連中が幾つも存在するこの世界で、俺は、一体どれだけのものを信じていられるのだろう。
 一体何時までの間、彼女の手を引いて歩くことが出来るのだろう。
 ハルヒや古泉は妙な属性持ちでは有っても所詮俺と同じ時代の人間で、長門は人工生命体だが他の時間がどうのなんてこととは関係なくここに存在している。けれど朝比奈さんは、この時代の人間じゃない。彼女だけが、遠い未来に生まれた人だ。
 それだけじゃなく、俺は、朝比奈さんの未来の姿を知っている。
 そんな彼女が言った、出会い頭の言葉……。
「きゃあっ」
 考え事をしている間に足が速くなっていたのか、俺の歩幅にあわせ損ねた朝比奈さんが、盛大にずっこけた。
「うわ……、すみません」
 俺は何とか彼女を受け止めようと試みたが、軽めとはいえいきなり人間一人分の重量が降りかかってきたのである。盾になることは出来ても、自分が転ぶのを防ぐことまでは出来なかった。
「あ、ううん、わたしこそドンくさくてごめんなさい……、キョンくん、怪我は無いですか?」
「ええ、俺は大丈夫です。……朝比奈さんこそ大丈夫ですか?」
「うん、わたしは大丈夫……、あ、振袖、少し汚れちゃったかも、借り物なのに……」
「何とかなりますよ。どうせ貸してくれたのは古泉なんですし」
 古泉というか『機関』なんだが。ハルヒが女子三人分の振袖を用意したいけどお金が、なんて言い出した時に、古泉が何時ものように都合よく『僕の親戚』なるものを発動させたのである。お前にはどれだけ便利な親戚が居るんだと言ってやりたいね。ハルヒがそれを全く疑問に思わないというのもちょっとどうかと思うが。
「あ、うん、でも……」
「この程度じゃ貸しにも借りにもなりませんって」
 ハルヒのためだけに別荘一軒用意する連中が、レンタルの振袖一枚で文句を言ってくるとは思えない。
「そう、かな……」
「そうですって」
「そうだと良いんですけど……、でも、そうだとしても、汚しちゃったのは、悪いなあって思いますし……」
「だったら、後で謝れば良いんですよ。……謝る相手も居ない場所で気にしすぎる必要なんて有りませんよ」
「……そう、ですね」
「お参り、行きましょうよ」
「はい……」
 俺はもう一度朝比奈さんの手をとり、今度こそゆっくりと歩き出した。
 そうだ、謝る相手が居ない場所で気にしすぎる必要が無いように、今でない、何時か来るかもしれない時のことについて、今から心配しすぎる必要も無いんだ。
 今ここにある関係が絶対じゃないかもしれない、なんていうのは、別に、俺と朝比奈さんの間に限ったことじゃないんだ。
 悲劇のヒーローぶる必要も、斜に構えすぎる必要も無い。
 俺は朝比奈さんと、今この時を、一緒に生きている。
 今その瞬間を背いっぱい楽しむということに、どうしてためらう必要がある。
 俺がそんな遠慮をする必要なんて無いじゃないか。
「あの、キョンくん……。キョンくんは、何をお願いするの?」
 お賽銭を投げ入れる段階になって、朝比奈さんは俺に訊ねてきた。
「俺ですか、俺は……、まあ、禁則事項ってことでお願いします」
 言いたいけど言えない、言っちゃいけない。
 言葉を使わずに伝えるっていうのは難しいことだなと思いながらも、俺は、既に定番となっている朝比奈さんの台詞を拝借させてもらった。
 便利な言葉に逃げるのも、時にはありだろう。
「キョンくんったら……」
「そういう朝比奈さんこそ何をお願いするんですか?」
「……それも、禁則事項ですっ」
 朝比奈さんは、とびきりの笑顔でそう言った。
 やっぱり、本家本元には敵わないよなあ。





 
 キョンみく初詣(070101)