桜の花が散る頃に


 ふわりと、風に揺られて街路樹に咲いている桜の花びらが舞う。
「きゃあっ」
「おっと」
 強い風に長い髪を掻き乱されそうになった朝比奈さんを、俺は風から盾になるようにして庇った。
「うう、髪が……」
 俺としては咄嗟の割にはそこそこ上手くやったつもりだったんだが、俺一人分の面積では、ふわふわと広がる朝比奈さんの髪を全てカバーすることは出来なかったらしい。
 ぱっと見た感じ乱れているってほどじゃないんだが、ところどころ花びらがついているし、言われて見れば少し崩れているかも、くらいの印象は受けるかもしれない。
「大丈夫ですか?」
 俺は朝比奈さんの髪についた花びらを取り除きつつ、訊ねてみる。
 桜の花びらと美少女というのも絵になるが、ついたままというわけには行かないだろう。
「え、あ、はい……。でも、ちょっと、お手洗いかどこかで髪を直したいかも……。ここだと、風が強いから……」
「じゃあ、デパートの辺りまで戻りましょうか」
 ここからだと、この先の公園に向かうよりデパートや飲食店が立ち並ぶ中心部に戻った方が早い。それに、公園よりデパートの中のトイレの方が綺麗だしな。
「うん……、ごめんね、キョンくん」
「良いですよ、俺は気にしてませんから。……それに、俺としても朝比奈さんが綺麗な方が嬉しいですし」
 そりゃそうだ。大抵の男は隣に居る女の子が可愛い方が良いに決まっている。
 朝比奈さんはもちろんそのままでも充分可愛いが、女の子が自分の身だしなみに気を遣いたいというのなら、それに応えてやるのが男ってものだろう。
「きょ、キョンくん……」
 朝比奈さんが、ほんのりと頬を赤く染める。
 その姿がいじらしくて、大変にかわいらしい。
「行きましょう、朝比奈さん」
「はい……」
 俺が手を伸ばし、朝比奈さんがその手を取る。
 何気ない、というにしてはお互い緊張が抜けきらない感じなのがちょっと寂しいところだが、自分の方はともかく朝比奈さんを見る限り、こういう初々しいところも良いなあ、何て思ってしまったりもする。
 全くもって勝手な考えなのは承知しているんだが、俺が、そんなどこか頼りない朝比奈さんをしっかり導けるようになれば良いななどという願望をこっそり抱くくらい、許されたって良いじゃないか。

 デパートまで戻った俺は、トイレから少し離れたところで壁にもたれかかるようにしながら、朝比奈さんを待っていた。
 待ちながら、こんな風の強い日に外を歩くことを提案したのはちょっとまずかったかな、何て風に自分の失敗を振り返ってみたりもした。まあ、風が強くなったのは俺達が外を歩き始めてからのことなんだが。
「お待たせ」
 待つこと約五分、朝比奈さんが戻ってきた。
 さっきまで背中に流していた髪が、今は頭の左右で二つのお団子状に結わえられていえる。
 ツインテールはともかくお団子頭ってのは始めて見たかもしれないな。何だか何時も以上に幼さを強調している気もするが、これはこれで大変可愛らしくて良い。
「……似合いませんか?」
「いえいえ、とんでもない、すっごく似合っていますよ!」
「良かったあ……。似合っているって言ってくれて、嬉しいです」
 何時ぞやの、髪が長い頃のハルヒがしていたようなおかしな髪型の類ならともかく、普通に有り得る女の子の髪型で、朝比奈さんに似合わない髪形など有るわけも無い。
「じゃあ、もう一度外に行きましょう」
 さて、風も強いしこれからどうしようかと思っていたら、朝比奈さんがそう提案してきた。
「え? でも、風が……」
「駄目ですか?」
「いや、俺は良いですけど、」
「髪型のことなら、もう大丈夫ですよ。これなら、風に煽られても大丈夫ですから」
 朝比奈さんはそう言って、片手で片方のお団子を軽くつつく。当たり前のことだが、その仕草も可愛いらしい。本当に、動作が一々絵になる人なのである。
 そして彼女の言うとおり、この髪型なら風で乱れる心配も無いだろう。
「あ、そうですね」
「じゃあ、行きましょう。……桜、ちゃんと見ておきたいんです」
 今度は、朝比奈さんが俺の腕を引っ張る番だった。
 嬉しそうなはずのその顔に、ほんの少し翳りが見て取れるのは、多分、俺の気のせいじゃないんだろう。
「朝比奈さん……」
 俺はただ、思ったよりもしっかりした足取りで歩いていく朝比奈さんに引っ張られるようにしてその後を着いて行った。

 外では、相変わらず風が少し強くて、桜の花びらも盛大に待っていた。
 多分、後数日したら残りの桜も散ってしまうのだろう。
 朝比奈さんは……、朝比奈さんは今、俺より一つ年上の、高校三年生。
 来年は、来年の彼女は……、そもそも『来年』に朝比奈さんが居られる保証すらないんだ。
 本当は、今この時だって何の保証も無い。
 ただ、今は未だ、同じ高校生だからという事実に対して僅かばかりの安心感を持っていられる。ハルヒだって、朝比奈さんが突然の転校、何てのは許そうとしないだろうしな。
 けれど、卒業してしまえば、
「キョンくん?」
「あ、いえ、何でも無いですよ。……桜、綺麗だなって思って」
 ぼんやりとしていた俺に対して、朝比奈さんが疑問符を投げかけてきた。
 まずいまずい、俺まで感傷的になっているのを悟られちゃいけない。こういうときは、出来るだけ何気ない振りをして、彼女を支えてやらないといけないんだ。
 一緒にダウナー系路線に乗っかるのは、本当にどうしようもなくなった時だけで良い。
「そうですね……。でも、俺としては桜より朝比奈さんの方が綺麗だと思いますよ」
「そ、そんなこと……、無い、です……」
 少し茶化すような調子で言った俺に対して、朝比奈さんが気恥ずかしそうな様子で首を振った。それから俺と朝比奈さんは、時折桜を眺めつつも、他愛ない話を繰り返していたが、少し時間が経った辺りで、そろそろご飯でも食べようかという理由で来た道を引き返すことにした。
 果たして俺達は、来年も、同じように二人で歩いてゆくことが出来るんだろうか。
 俺と朝比奈さんの未来には何の確証も無い、約束も無い。いや、無いんじゃなくて、出来ないんだ。俺は大人になった朝比奈さんの姿を知っているが、あれが彼女の何年後の姿なのかは知らない。……その姿が、何時か来る別れを予感させることだけは確かだけれども。
 ただ、俺は……、出来るならば、来年も朝比奈さんと一緒に居られたら良いなという願いを込めて、傍らの、その小さな手をそっと握り締めた。





 
 某所で貰ったお題、その1(070122)