ちいさなてのひら




「……どうしたの?」
 人通りのない道を歩く道すがら朝比奈さんが道端にうずくまる小さな女の子を見つけたのはそろそろ日も傾きかけた時刻になってからだった。
「あ……」
 女の子はパッと顔をあげたが、そのままざっと後ずさった。年の頃は5、6歳。多分まだ小学生に上がる前だろう。目のあたりが少し赤い。ぱっと周りを見渡した感じだと周囲に人影は見当たらないからきっと迷子だろう。
「道に迷ったの?」
「え、あ……」
「あ、怖がらないで……。って言っても、怖いかな」
 長いスカートを折りたたむようにしながら朝比奈さんが女の子と視線を合わせる。じっと覗き込むようにしたからなのか女の子は目を見開いたがそれ以上逃げようとはしなかった。朝比奈さんの方に悪意や敵意が存在しないのを感じ取ったのだろう。
「ねえ、どうしたの?」
「みちに……」
「うん、みちに?」
「みちが……、おかあさんが……」
「おかあさん、一緒じゃないの?」
「いっしょだったの……。いっしょだったの……。だから、みちに……」
 子供の話が要領を得ないのは珍しいことでも何でも無いのだが母親とはぐれて混乱しているからなのかその女の子の話し方は相当理解し辛い物だった。要約するととある店の前で待っていると言われたのにふと歩き始めたら全然知らない場所に来ていたということだったが俺達がそれを聞きだすまでに悠に二十分はかかった。ちなみに俺は何もしていない。訊きだしたのは全部朝比奈さんだ。任せてすみません朝比奈さん。でも、こういうのは男の俺よりも朝比奈さんがやった方が効果的だろう。俺が話しかけたら多分逃げられていただろうな。
「キョンくん、場所分かります?」
「ううん、どこだろうな……」
 しかし事情を聴きだすのは朝比奈さんの役目だが目的地を探すのは共同作業だ。と言っても不確かな子供の言葉から詳しい場所を探すなんて無理がある。子供の足だからそう遠くに来ているとは思えないんだが。ちなみにこの辺りは俺達が日常的に過ごす場所では無いので俺と朝比奈さんの土地勘にも全く期待できない。
「ねえ、分かる?」
「……ここ」
 朝比奈さんが開いて見せたガイドマップの中で女の子が指さしたのは大きな交差点だった。この辺りだと二番目か三番目には大きなところかな。
「じゃあ、お姉ちゃん達と一緒にここまで行こうか?」
「うんっ」
 女の子が頷き、朝比奈さんがその手を取る。
 そうして、俺と朝比奈さんとその女の子は三人で歩き始めた。


 件の交差点まで子供に合わせて約十分。退屈に感じるかもしれない時間も朝比奈さんと女の子の会話を聞きながらだったら結構楽しいものだった。楽しいって言うか、新鮮って感じかな。うちには妹が居るし田舎に行けば従兄弟達も居るんだが普段はこんな小さい子と話をする機会もあんまり無いし朝比奈さんが子供と一緒ってのも何だか不思議な感じだ。子供の手を取ってあれこれと世話を焼いている朝比奈さんを見ているとこの人は保育士や幼稚園先生に向いているんじゃないかって思うね。
「あっちー」
「あっち?」
「うん、あっち、まがればすぐ。……ここまでで、へいき」
 交差点まで来たところで女の子が自分から朝比奈さんの手を解いた。
「大丈夫?」
「うん、だいじょうぶ。ありがとう、おねえちゃん、おにいちゃん」
 問いかける朝比奈さん、答える子供。そのまま、子供は走って交差点の向こうに消えてしまった。交差点から曲がる前に手を振って来たので思わず二人で手を振り返す。
「ちゃんと帰れるかなあ……」
「本人が大丈夫って言っているんだから大丈夫だと思いますよ」
「……うん」
 子供の言葉では有るがあれだけ元気なら大丈夫だろう。
「どうしたんですか?」
「ううん……、あの子も、何時か大きくなるんだろうなあって思って」
 そのまま子供をじっと見つめていた朝比奈さんに問いかけてみたところ、彼女はポツリと呟くような声で答えた。
「あっ……」
「あんなに小さくても、わたしより先に大人になっていくだなって……、ごめんなさい、わたし、変なこと言っていますよね」
「いや、良いですよ」
 朝比奈さんは未来から来た人だ。
 それがどのくらい先かなんて俺の知るところじゃないが少なくとも十年二十年なんていうものじゃないことは何となく分かる。最低でもネコ型ロボットが生まれた時代よりも先だろうな、何せ船が水に浮くことを知らなかったくらいだ。
 普段の朝比奈さんは未来人らしい所を感じさせないが時折こうして時間の向こう側から今を見つめるような表情を見せることが有る。あの子も、朝比奈さんにとっては過去の住人だ。
 握り返してきた掌の小ささも頼りなさも、何時か朝比奈さんにとっては過去の物となってしまう。俺の存在を含めたこの時代で流れていくもの全てがそうであるように。
「行きましょう、キョンくん」
 踵を返し、朝比奈さんは歩き始める。
 過去とされるこの時代を踏み締めるその足取りは確かなもので、どんなに思いを馳せても超えられない物が有ることを知って尚限られた時間を歩むことを決めた彼女らしいものだ。
 強いな。と思いながら、俺は彼女の隣に立つべく歩き始めた。
 



 
 (071031)