thanks&apology



SIDE:M

 二月もそろそろ終わりの頃、わたしは何時ものように学校に来ていました。
 本当は登校日じゃないから学校に来なくても良いんですけど、わたしは受験日の前の数日以外は、殆ど毎日学校に来ているんです。
 だって、出来るだけ皆と一緒に居たいから。
 SOS団の皆はまだ二年生だけど、わたしはもうすぐ卒業だから……。
 大体の日は午後とか、皆の授業が終わる頃に来るんですけど、今日は何となく朝から登校して来ちゃいました。職員室で鍵を借りて、文芸部室へ。
 誰も居ない文芸部室の中は何だか静過ぎて、物がたくさん有るはずなのに、雑然とした雰囲気という風にも思えなくて……、見慣れちゃったからでしょうか。
 わたしはお茶を入れてから、のんびりと室内を見渡します。
 涼宮さんが持ち込んだ色んなもの、長門さんが持ち込んだ本、古泉くんの持ち込んだゲーム……、そう言えば、今日もまた見たことの無いダンボール見たいな物が置かれていますね。これって何でしょうか? 涼宮さん、また何か始めるのかな。
「ふふ……」
 この二年近くのことを思い出しながら、わたしは本棚に手を伸ばします。長門さんが読んでいる本は難しそうなものが多いんですけど、中にはわたしでも読めそうなものも有るんですよね。高校生でも読めそうなベストセラーとか。……わたしが手に取ったのも、そんな本でした。
 勝手に読んだら怒っちゃうかなあ……。ううん、許してくれますよね。
 わたしは椅子に座って、本を読み始めました。ちょっと小難しいけれども、恋愛を主軸に展開する物語が、わたしの頭の中に入ってきます。
 思ったよりも読みやすい文体に心を引き込まれていると、時間が過ぎるのを忘れてしまいそうです。
 だからわたしは、部室の扉が開いた瞬間、そのことに気づかなかったんです。
「……どう?」
「はうっ……、な、長門さん……、こんにちは」
 びっくりしました……、長門さん、突然わたしの横に立っていたんですから。本当に突然ってことは無いんでしょうけど、わたしにとっては、突然のようなものでした。だって、気配が全然しなかったですし……。
「どう?」
「あ、こ、この本ですか……。う、うん、面白いですよ」
 えーっと、多分、本のことですよね……。うん、面白いです。面白い以上の感想が思いつかないのもどうかと思うんですけど、時間を忘れて引き込まれちゃうくらいには、魅力の有る本だと思います。
 ああ、そういうことを、ちゃんと口に出来たら良いんですけど……。難しいですね。
 長門さんの前では、なかなか上手く言葉が出てこないんです。
「……そう」
「あの……」
「何?」
「勝手に本読んじゃって、その、」
「良い」
「へ?」
「良い……、気にしてないから」
 長門さんはそう言うと、わたしの傍から離れ、定位置になっているパイプ椅子に座りました。それから、本を開いて読み出しました。……あ、そうだ、今ってお昼休みなんですよね。すっかり忘れていましたけど……。ううん、ちょっとお腹がすいたかもしれませんね。
 どうしようかなあ……。
「……食べる?」
「へ、あ……、あの、これ」
 本に栞を挟み、お昼のことをどうしようかと考えていたわたしに、何時の間に傍まで来ていた長門さんが、コンビニで買ったらしいパンを一つ差し出してくれました。
 どこにでも売っているような、メロンパン。
「食べる?」
「も、貰っていいんですか?」
「良い」
「あ、ありがとうございます……。じゃあ、いただきますね」
「……」
 メロンパンを受け取って頭を下げるわたしを見た長門さんは、無言のまま、定位置に戻っていってしまいました。う、ううん……、何だか不思議な感じです。貰っちゃって良かったんでしょうか……。長門さんのお昼ご飯がこのメロンパンだけってことは無いと思いますけど。
「あの……」
 読書を再会した長門さんの邪魔をするのは悪いかなと思いつつ、わたしは思い切って、長門さんに向かって話しかけました。
「何?」
「この、メロンパンのお礼……、今度しますね」
「そう……」
「な、何か奢るか、作ってきますから……」
「……」
「え、ええっと……」
「……あなたが気に病む必要は無い」
「え、あ、あの?」
「このメロンパンは、普段にあなたに対するお礼のようなもの。でも、あなたがわたしにお礼をというのなら、わたしにはそれを断る理由は存在しない。……そういうこと」
「あ、えーっ……、あ、はい、分かりました」
 長門さんの言い回しは相変わらずちょっと分かり辛いですけど、でも、言いたいことは分かります。普段のって……、ありがとう、長門さん。そんな風に思ってくれているなんて、わたし、すっごく嬉しいですよ。
 ……そういうことを、ちゃんと言葉に出来たら良いんですけど。


 それから昼休みが終わって長門さんが教室に戻ってしまい、わたしはまた一人になってしまいました。あ、本は借りて言ってくれたので、今日中に読み終わりそうにないんですけど、焦らずゆっくり読むことにさせて貰いました。ありがとう、長門さん。

「やっほー! あ、みくるちゃん、来てたのね!」

 そろそろ放課後の時間だなあ、と思っていたら、涼宮さんが最初にやって来ました。あ、後ろにキョンくんと古泉くんも居ますね。
「こんにちは、キョンくん、涼宮さん、古泉くん。……あ、今お茶入れますね」
 皆がやって来たなら、お茶の準備をしないといけませんね。わたしはやって来た三人に背を向けて、お茶を用意し始めます。
「んー、どこが良いかしら……、窓辺の方が光が入りそうよね」
「ですがそれだと日焼けしませんか?」
「それもそうねえ……。キョン、ちょっと隣から有希呼んで来て」
「ん、ああ、分かった」
 ……何の話をしているんでしょうか?
 疑問に思いつつもお茶を入れ終わって振り向いたわたしの目には、ダンボールをあけている涼宮さんと古泉くんの姿がありました。
 ダンボールの中に入っていたのは、古めかしいお人形が幾つか。
「……あの、これって何ですか?」
「雛人形よ雛人形。もうすぐ雛祭りだから飾るのよ」
「……雛祭り? あ、ああ、そうでしたね」
 必死に記憶を検索して、わたしは情報を引っ張り出します。わたし、あんまりこの時代の風習には詳しくないんですよね……。雛祭りは、何とか思い出せましたけど、そういう日が有るということ以外は良く分からないんです。
 ううん、何をする日なんでしょうか。雛人形を飾る……、ということで良いんでしょうか。
「とりあえずどーんと飾らないとね。女の子が三人もいるんだもの。こういうのはガツンと楽しまなきゃ損よ!」
「……これ、どうしたんですか?」
「親戚の家で飾らなくなったものをお借りしてきたんですよ」
「そうなんですかあ……」
 古泉くんのこの手の発言が嘘か本当かは分からないですけど、借り物、というのは多分本当なんだと思います。古いお人形さんたちは作りも綺麗ですし雰囲気もありますけど、ここにずっと置いておくには、ちょっと嵩張り過ぎそうですしね。
「おい、連れてきたぞ」
 そんな風に話しているうちに、キョンくんが隣に居たらしい長門さんを連れてきました。
「あ、ねえねえ有希、とりあえずちょっとの間だけ本棚の前に雛人形を飾ってもいい? 一週間くらいのことなんだけど」
「……」
「ねえ、良いでしょ?」
「……一週間なら」
「じゃ、有希がOKなら大丈夫ね。さ、キョン、古泉くん、ちゃっちゃと飾りましょう」
「了解しました」
「へいへい……」
 涼宮さんの号令の元、キョンくんと古泉くんが、本棚の前に雛人形を飾り始めます。何段もの壇になった場所に飾られていく、お人形さん達。
 涼宮さんとキョンくんと古泉くんが色々言い合いながら飾り付けていく間、わたしは長門さんと一緒に雛人形をぼんやりと眺めていました。
「えっと、雛人形って……」
「この国の風習の一つ。古くは災厄を肩代わりするために水に流すなどしていた人形のこと。現在では形を変え、3月3日に人形を飾るのが一般的となっている。また、女の子のお祭りという側面も有り、3日を過ぎても飾っていくとお嫁にいけないなどと言う風にも言われている」
「そうなんですかあ……」
 長門さんの説明を聞いて、やっと雛祭りがどんなものか少し分かった気がします。
 女の子のお祭りかあ……、お嫁さんに、かあ。
 わたしはちょっと考えてから、そろそろ雛人形の飾り付けを終えそうなキョンくんの方を見ました。キョンくんに、お嫁にいけなかったら……、何て言ったのは、もう、二年近く前のことになるんですよね。
 あれから、二年かあ。
 長いようで、短い時間でしたね。
「よし、これでOKね!」
 雛人形の前で、涼宮さんが大きく胸を張ります。両脇には笑顔の古泉くんと、少しぐったりしたキョンくん。何だか、対照的ですね。
「すぐに仕舞うのにこんだけ時間かけて飾るってのは、何だか非効率な気がするんだがなあ」
「つべこべ言わない! こういうのはやることに意義が有るんだから!」
 キョンくんの言うことももっともだと思うんですけど、わたしだったら、涼宮さんに軍配を上げちゃうかもしれません。お雛様、かわいいですしね。
「そういう奴こそ、仕舞い忘れて嫁に行き送れる羽目になるんじゃないのか」
「ばーか、あたしがそんなことになるわけ無いでしょ!」
 涼宮さんはさっと古泉くんの影に隠れて、顔だけ突き出した状態でキョンくんに向かって言い返しました。……ええっと、こういう展開って、薮蛇って言うんでしたっけ?
「はいはい……」
 呆れるキョンくんが不意に視線を動かしたとき、わたしと目が合いました。
 キョンくんの顔に、少し不思議そうな表情が浮かんでいます。……わたし、そんなにおかしな表情だったでしょうか?
 ううん、どうなんでしょう……、鏡が遠いんで、自分の表情は良く分からないんですよね。

「キョン、あんたもちゃんとみくるちゃんを貰ってあげなさいよ!」

 古泉くんの後ろからもう一度ひょいと出てきた涼宮さんが、何となく言葉の見つからないわたしとキョンくんを見て、そんな風に言いました。
 えっと……、その、それは……、
「なっ……」
「す、涼宮さん……」
 キョンくんにもわたしにも、返す言葉がありません。
 だって、そんな、そんな……、ああ、古泉くんは笑っているだけだし、長門さんはお雛様を眺めているだけで、二人ともちっとも助けてくれなさそうで……、ああん、見捨てないでくださいよう!
「キョン、この期に及んで逃げるつもりじゃないでしょうね!」
「逃げるか、馬鹿! っていうかこれは俺と朝比奈さんの問題だ、お前が口を出すな!」
「あら、団員同士の行く末を考えるのは団長の義務だもの。そうでしょ、古泉くん?」
「おっしゃるとおりですね」
「くそ、古泉、お前まで、」
「まあ、朝比奈さんの意思次第というのも間違ってないとは思いますが……、朝比奈さんの意向は、既に決まっているでしょうしね」
 古泉くんはそう言って、わたしに向かって片目を瞑って見せました。
 え、ええっと……、そ、その話の振り方は、ずるいと思うんですけど……。うう、誰にどう答えたら良いか、さっぱり分からないですよう……。
「あの……」
「良いこと、みくるちゃん、あなたにはSOS団員として幸せになる義務が有るの。キョンがみくるちゃんを幸せに出来るだけの資質が有るかどうかは正直疑問だけど、みくるちゃんがキョンと居て幸せなら、それがみくるちゃんにとっての幸せ。……そういうことでしょう?」
 あの、涼宮さん、実はさり気なく酷いこと言っていませんか? 反論しようとは思いませんけど……。
 というか、肩、痛いんですけど……。
「あのなあ、ハルヒ……」
「あんたはつべこべ言わず、ちゃんと勉強して良い大学行ってみくるちゃんをきちんと養う!」
「勝手に俺の未来を決定するな!」
「あら、じゃああんたはそれが嫌なの?」
「ぐっ……、そ、そういうわけじゃあ……」
「じゃあ、きちんと努力することね!」
 涼宮さんは、わたしを片側に抱え込んだ状態で、キョンくんに向かってそう言い切りました。う、ううん……、キョンくんは、わたしのためを思ってくれているんですよね?
 ……そう、ですよね?
 何時まで、とか、何がどこまで、なんていうのは、わたしにもキョンくんにも分からないことですけど……。でも、わたし、嬉しいですよ。
 キョンくんが、わたしのことを考えていてくれて。
「あら有希、どうしたの?」
 キョンくんの反論を封じたことで満足したのか、涼宮さんの興味は長門さんの方に移ったようです。漸く涼宮さんから解放されたわたしは、キョンくんの傍に向かいました。何を話すとか、何をするとかじゃないんですけど……、その場所が、わたしにとって一番安心できるんです。
 キョンくんも、そうだったら良いんですけど。
「……お雛様」
「有希はお雛様持ってないの?」
「持ってない」
「そっかあ……。んじゃ、これから有希のお雛様を買いに行きましょ! 皆でお金を出し合えば、雛壇は無理でもお内裏様とお雛様くらい買えるでしょ!」
「今からかよ!」
「そーよ、今からよ。じゃあみんな、しゅっぱーつ!」
 涼宮さんの号令の元、わたし達は教室を飛び出すことになりました。
 涼宮さんと古泉くんがお雛様に着いてあれこれ言うのを、長門さんがただ黙って聞いています。
 わたしとキョンくんは、その後ろから。
「あの、朝比奈さん」
 歩く道すがら、キョンくんが私に向かって話しかけてきました。
「……あ、はい」
「ええっと、さっきは……、その、すみません。俺、なんか、ハルヒに乗せられちゃって……」
「謝らないでください」
「え?」
「謝らなくて良いんです。……違いますね、謝って欲しいようなことじゃないんです。だから、謝らないで……。わたし、嬉しかったから……。ね、キョンくん」
「朝比奈さん……」
 ぎゅっと手を強く握り締めたわたしに対して、キョンくんが少し不思議そうな顔をしています。わたしがこんな風に言うのが、意外だったんでしょうか。
 でもね、わたしだって言うんですよ。
 自分から何かを言うことは出来ないですけど……、でも、こういうときくらい、自分の気持ちに正直になれるんです。
「今日は、涼宮さんに感謝しないといけませんね」
「……そうですね」
 キョンくんも、同じ気持ちで……、居て、くれるんですよね。
 わたし達の間は、何一つ確かなものなんてなくて、何時までこの時間が続くのかなんて、全然分からなくて……、でも、今は確かに、同じ気持ちを抱いている。
 だから、それで充分なんです。
 だから……、涼宮さんには、ありがとうとごめんなさいの両方ですね。
 ごめんね、涼宮さん……、わたしは多分、あなたの願う花嫁にはなれません。何時かのあなたの気持ちを知っていても、わたしに、それに見合うだけのものが有るかどうかも、分からないんです。
 幸せになる義務をどこまで果たせるかも、分かりません。
 でも、わたしは今、幸せですから……、それで、許してもらえますか?
「ちょっと二人とも、遅れすぎよ!」
「悪いっ」
「は、はい」
 キョンくんと手を繋いだまま、二人で前を行く三人を追いかけます。
 ……わたしは、こういう時間が、とっても幸せなんです。





 
 お雛祭りの話です(070303)