キョンちゃんと一樹くん、7




 注文したかつ丼は、大体20分ほどでやって来た。早いもんだな。
 古泉がそのかつ丼を受けとって、リビングへと持ってくる。
 割り箸をその場で割って、かつ丼に箸を伸ばす。……うん、美味いね。よく味の染みたカツと御飯が空腹を満たしてくれる。人間の基本は食だって実感するね。腹が空いた状態じゃろくな考えも浮かばないもんな。
「……お前、食わないのか?」
 かきこむように食べる俺とは裏腹に、古泉の箸の進みは遅々とした物だった。もともとそんなに食べるのが早い方でも無かった気がするが、今日はちょっと遅すぎだ。食欲が有りません、というのを体現したかのような速度って言えば良いんだろうか。
「あまり食欲がなくて……」
「ふうん……。ま、無理に食えとは言わないけど、ある程度は食べておいた方が良いと思うぞ。お前だって朝からろくに食ってないだろ?」
「……気づいていたんですか?」
「アホ、普通は気づくだろ」
 朝からバタバタしていたからな。
 今回のこの厄介な一件で一番動き回っていたのは間違いなく古泉だ。ハルヒ的パワーによる性転換などというおかしな事態に見舞われた俺に妙な手が伸びないように守ってくれているのが古泉と長門だということくらい、俺にだって分かっている。
 だったらなぜ長門では無く古泉の方が功労者ということになるかと言えば、何かもうあれやこれやと羞恥心も何も通り越した言葉を色々と並べそうになった長門から俺を守ってくれたのが古泉だからであって……、いや、長門に悪気がないのは分かっている。分かっているんだが、それはそれこれはこれだ。
 こんなおかしな状態だ、男と話したくないことも有れば女と話したくないことも有る。当たり前のことだが、古泉はそのへんに関しては長門よりは数段まともだった。
 ……俺としては、寧ろ全人類との会話さえ拒否したくなりそうなところだが、ハルヒの巻き起こすおかしな事態には多少慣れてきたつもりだし、古泉や長門も頑張ってくれているため、俺は一応まともに、というのも変だが、まあ、それなりに前向きにこの一週間を過ごすことにしたんだ。
 ……一応、感謝しているんだからな。
 そう、何度も言葉に出すつもりはないが。
「お前、朝からずっと動き回っていたじゃないか。傍で見てれば、飯食う暇が無かったことくらい分かるっての」
「……」
「何だよ、その顔」
「あ、いえ……、あなたが、僕のことを見ていたんだな、って思って」
「……気にするようなことか? 今更だろ」
 四六時中とは言わんが、毎日のように顔を合わせているような相手に対して何を言うかねこの男は。意図的に無視している時も有るし何時でも会話が弾む関係ってわけでもないが、それでもそれなりに話をしているし、見てもいるつもりだ。
 ……こいつの目は節穴か?
「ええ、今更ですね。……今更、です」
 そう言って、古泉はちょっと頬を緩ませる。
 混じりっ気のない、どこか頼りない笑顔。……幸せそうだ、なんて思ったのは俺の目の錯覚だろうか。
 こいつは笑顔の種類が多過ぎて、その殆どが作りもののようで、でも、時々そうじゃなさそうに見えるときが有って……、今は、どれ何だろうな。
 俺を安心させるために嘘を吐いているってことはないと思うが、ちょっと過剰な反応じゃないかって気もする。こんなこと、一々確認するようなことでもないだろうに。
「安心したら、お腹が空いてきました」
 ふうっと一息吐いてから、古泉がかつ丼に箸を伸ばす。今度は速度も鈍っていない。何だ、やっぱり腹が減っていたんじゃないか。
「ちゃんと食っとけよ。今のお前に何か有ったら困るのは俺なんだからな」
 正直なところ、この状況下で古泉に倒れられたりしたら、俺はどうしたら良いか分らない。最終手段こと長門にはあまり頼りたくないんだよ。長門だって今の俺みたいな半端な奴が来たら迷惑だろうしな。古泉は……、その辺、どう思っているか知らないが、俺の方からすれば長門と居るより古泉と居る方が気楽なんだ。
 少なくとも、今は。
「……心得ております」
 箸を休めて、古泉が軽やかな声で言う。
「ご飯粒ついている」
 ひょいと、その粒を手で取って自分の口元に運ぶ。
 ぽかんとした様子の古泉が、俺の方を見ている。
 なんだなんだ、俺はそんなに変なことをしたか? そりゃあ、普通男同士でやることじゃないだろうが、かといって、そんな気にすることでは……、無い、と思いたい。
「……す、すみません。以後、気を付けます」
 俯くようにどんぶりに顔を寄せ、古泉が食事を再開する。
 おいおい、慌て過ぎだぞ、またご飯粒ついているし……。さすがに、今度は同じことをしてやる気はないけどさ。
 なあ、古泉。
 お前って普段からおかしな奴だけど、今日はちょっとおかしすぎると思うぞ。
 


 
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