ホワイトパラダイス




SIDE:I


 この手に抱いたものは真っ白なままなのだと思う。

 無防備なまま部室の隅で寝息を立てる彼女の額に軽く口づけても、起きる気配はない。
 そんな彼女がおかしくて少し声をたてて笑ってしまったというのに、やっぱり彼女が起きることはない。
 どうして眠っているのかとカ、どうして疲れているのかとか。
 起きたら何をどこから訊ねようかと思いながら、僕は一人席に着く。
 今日は僕等以外の団員は不在。残りの三名はそれぞれ用事が有って遅れるらしい。上級生で有るはずの彼女、朝比奈さんが先に来るという状況は珍しいと言えば少し珍しいが、たまにはそういう日もあるのだろう。
 落ち切らない夏の名残りを残す日差しの中で、彼女の肩や胸が揺れている。同時にメイド服のひらひらした部分も揺れて、それが何だかおかしい。当たり前のことなのに、当たり前じゃない。メイド姿も見慣れたものだけれども、これ自体本来こんな場所に有るはずのものじゃない。それを言ったら、着ている彼女はそれ以上に不釣り合いな存在だということになるのだけれども。
 彼女、朝比奈みくるは未来人だから。
 色々と背景を背負ってはいるものの結局のところ普通の人間の枠組みを出ない僕とは根本が違うのだろう。それは、ある意味で超能力者よりも宇宙人よりも性質の悪い存在。悪い、という表現方法は一方的過ぎるかも知れないけれども、時間は過去から未来へと進むものだという認識を持っているこの時代の人間たちからすれば、宇宙人よりも未来人の方が厄介かもしれない。そう思うのは、そんなに不自然なことではないと思う。
 だって、未来に過去を定められたくはない。
 僕は朝比奈みくるという人間がどういう経緯を経て生まれることになる人間か知らないけれども、もしかしたら僕や、僕の身近な人の人生が彼女の出生にかかわっている可能性だってある。その場合僕等に真実が知らされるという可能性は皆無に等しいと思うけれども、何らかの理由でその経緯が明かされた場合、僕等はそれに従うのだろうか、それとも逆らうのだろうか。
 僕は今のところその答えを持っていないし、今のところ彼女の背景に居る未来人たちに居なりな状態の彼としても、その辺りは同じことだろう。彼がいいなりになっているのだって、所詮は自分と利害が一致するからという理由に他ならない。
 では、対立するような構図になってしまったら?
 ……それは当初から胸の内に有る疑問の一つだけれども、僕はその疑問を彼に突き付けない。何故なら、個人としての僕も彼と大差ない状態にあるからだ。
「日に焼けてしまいますよ」
 カーテンをひこうにも、頭が窓に完全に寄りかかる形ではそれも出来ない。頭の位置を動かせば、さすがに彼女も目を覚ますだろう。彼女を日焼けから守るのとこの安らかな眠りを守るのと、どちらが大事だろう。
 迷っているその短い間に彼女が目を覚ましたらそれはそれで少し寂しいかも知れないと思いながらも、僕はただ彼女の横がを見つめる。
 光に照らされた彼女の肌は、白い。
 その白さが心の白さに近しいなどと言うつもりはないけれども、僕の知る彼女の印象を色であらわすのならば、やはり、白という色になるのだろう。
 戸惑いながらもまだ何にも染まらぬまま、不条理な言葉に揺さぶられながらも諦めることもないまま、彼女は自分を変えることなく日々を生きている。本当に何の変化もないわけではないと思うけれども、今の彼女は、場違いなくらいの白さを保ったままだ。
 僕は、何時かどこかで彼女が変わって行ってしまうことを知っている。彼や長門有希が出会ったことが有るという成長した朝比奈みくるその人に会ったことは無いけれども、未来の彼女の姿が真実の一つであるということを疑う余地はないだろう。
 何時、どこで彼女が変わるのか。
 それとも、今このときから積み重ねて行ったものが彼女を変えるのか。
 それは、僕には分からないこと。
「んぅ……。ふぁっ」
 小さな欠伸と共に、まだ白さを保ったままの彼女が目を覚ます。
 僕にこの色を守ることはできないし、彼女もまた、守られることを望んでなどいない。変化と成長を望んでいえるのは彼女自身だということを、僕はよく知っている。
「あ、わたし、眠っていたんですね……。あれ、今日は古泉くんだけですか?」
「涼宮さん達は遅れてくるそうですよ」
「そうなんだ。あ、お茶入れますね」
 ふわりとエプロンをひるがえしながら、彼女が立ち上がる。
「お願いします」
 その背中に声をかけて、僕は自分の定位置になっているパイプ椅子に腰をおろす。
 彼女がお茶を入れてくれて、二人だけでお茶を飲むという貴重な時間。
 他愛ない会話だけが行きかう間、彼女は本当に互いの立場というものを忘れているのだろう。羨ましいことだ。
 到底彼女のようになれない僕は、彼女を守ることも奪うことも傷つけることも出来ないまま、ただ彼女に与えられるだけの時間を享受している。多分、朝比奈みくるそのひとには、与えているという自覚すらないのだろうが。
「みんな、遅いなあ」
「そうですね」
「何か用事でしょうか……。何も無いと良いんだけど」
「朝比奈さんは、他の皆さんに早く来てほしいんですか?」
「えっ? ……ああ、ううん。どうなんだろう……」
 ふと口を吐いた少し意地悪な質問の前に、彼女は一度瞬きしてから考え込むような表情になってしまった。
「古泉くんと、こうして二人でいる時間は……、良いかなって思うんですけど。でも、これは、私の居る場所じゃないんです。ううん、みんなでいるときも、私にとって本来の居場所では無いんですけど……」
「言いたいことは大体分かりますよ」
 彼女がこの時代に居るのは自分の役割を果たすためであって、僕とこうして二人で穏やかな時間を過ごすためではないのだ。本当にこの未来人は、お役目とやらにとても忠実だ。多分、一種の暗示か何かなのだろう。
「……ごめんね、古泉くん」
「どうしてあなたが謝るんですか?」
「だって……」
「謝るようなことではないでしょう。事実は事実です」
 僕にも彼女にも、現実を覆すような能力は無い。
 僕等に出来るのは、忘れたふりをすることだけ。
「……はい」
「お茶のお代わりをいただけますか?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」
 話すほど辛くなるだけの言葉を封じ込めて、僕等はもう一度無意味な筈の時間へと舞い戻る。世界の中心であるところの団長殿がここに来るまで、もう少し。
 僕等は僕等なりに、世界の中心より少し外れたこの場所で、後少しだけ、何物にも染まらないままの穏やかなひとときを味わっていよう。




 
 中心より少し外れた場所=古みくの居場所
 そんな印象。(070914)