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恋の前提条件 02



 なん……だって? 古泉に好きな奴がいる?
 そりゃあ予想外、想定外も良いところだった。自分が振られたという事実さえ突き抜けて頭が疑問符に支配されそうなくらいだ。振られるかも知れないとは思っていたが、こんな振られ方は全く考えていなかった。おかげで、どんな顔をしたら良いのか分からない。そもそも自分の表情をコントロール出来るような場面でも無いのだが、俺はいったいどれだけ間抜けな顔をさらしていんだろうか。古泉が本気で心配そうな表情を浮かべている。
「あの……」
「それは……マジな話か?」
「あ、はい。本当です」
 ぺこりと、古泉が軽く頭を下げる。
「……意外だな」
 今度は俺がこの台詞を口にする番だった。古泉が誰かを好きだって? そんなことが有り得るんだろうか。古泉は見た目は美少女で、惚れられることは有っても誰かに惚れることは――いや、美少女だって恋くらいするとは思うぜ? 俺の周りにはその例外みたいな奴が多いが、それはそれとして。
 何せこいつはただの美少女じゃない。よく分からない組織に属している上、その組織からの命令でこの学校に転校してきたような奴だぞ。エージェントとか工作員とか言った方が正しいだろうか。見た目通りの年齢だとは思うし、特殊な背景で有るその一点さえ除けば普通の高校生とそう大差ないと思うが――だからって、こいつが誰かに恋をしているだなんて想像さえしたことが無かった。それは別に俺の目が曇っていたからってのが理由じゃ無いだろう。こいつの立場を知っていれば誰だってそう思うさ。そう、それこそ、この時代で恋をしちゃ駄目だと言った、自らを異邦人と自称するあの人のように――
「そうですね。意外だと思います。……でも、本当なんです」
 緩ませた頬は薔薇色に染まっていたが、輝いているわけじゃ無かった。ただ、言い難い感情を短い言葉で伝えるために気持ちが高ぶっている。そんな風情に見えた。
 ああ、そうか。そうだよな。恋なんて、まともな恋なんてできるわけないって、こいつ自身もちゃんと分かっているんだ。そりゃあそうだろう。こいつの立場で、その立場を守りながら恋の成就を願うなんてのは楽な道のりじゃ無い。無茶を承知で相手をこっちの世界に引き込んでしまうか、何が有っても守り通すだけの覚悟を持つか、何が何でも相手が巻き込まないよう先手を打ち続けるか。それはまるで恋愛対象と言うより世間に正体を隠しているヒーローとその家族のようだが、立場が有る以上そういう風にならざるを得ないのだろう。
 この場合相手の気持ちは関係ない。古泉の恋愛対象、つまり、古泉の弱点だって知られた時点で相手が危険に巻き込まれる可能性が有るんだ。
「悪い……何か、言い難いことを言わせちまったな」
「いえ、良いんです。……すみません、あなたの期待に応えられなくて」
「……気にすんなって」
 心の底でキリキリと痛むものは有るし、古泉が好きなのはどこの誰だという疑問も有るし、出来ればそいつの面を拝んで一発殴らせ――というのは言いすぎか。そんな風に胸中で渦巻く物が有るのは確かだったが、表面上はどうにか表情を取り繕うことが出来た。
 それに――きっと、俺よりも古泉の方が辛い。
 誰かが好きだとしても、その「好き」という感情を伝えるどころか、表に表すことさえ出来ないというのは一体どんな状態なんだろうか。俺には想像もつかない。俺だって散々迷ったわけだが、俺には立場上の問題が有ったわけじゃ無かったし、迷いはしたものの結局は伝えるという選択肢を選んだ。こうやって綺麗さっぱり振られたわけだが。
 未練が無いと言えば嘘になる。正直泣けるなら泣きたい。だが古泉の前でそれをするわけにはいかない。女の前で泣けるかよ。
「あの、わたし……今日はもう帰りますね。涼宮さんにはアルバイトだとお伝えください」
 古泉がぺこりと頭を下げ、オセロを片づけ始めようと手を伸ばす。俺はその手を遮って、良い、片づけておくと伝えて退室を促した。顔を合わせていたくないのはお互い様だ。
「……バカだよなあ」
 好きだと言った女には見事に振られた上、おまけにその女には他に好きな奴が居る。そして彼女には、それを伝えられない理由が有って――自分のことばっかり考えて悩んでいた俺とは大違いだ。想いを自覚するその過程においても、告白を決めたその瞬間においても、俺は自分以外の誰かのことなんて考えて無かった。もしかしたら、古泉の気持ちさえ考えて無かったのかも知れない。あいつは恋が出来るような立場じゃないんだ。たとえフリーでニュートラルな状態だったとしても、古泉は俺の告白に対して首を縦に振ったりしなかっただろう。そう、そういう奴なんだ。
 ああ――俺は、何も分かって無かった。
 振られてしまった上、自分という人間の矮小様で見せつけられた気分だ。古泉にそんな意志は無かったのかも知れないが――優しい笑顔を浮かべる少女は、明日もきっと笑顔だ。今日のことなんて忘れてしまったかのように、笑ってオセロの駒を手に取っている。
 明日、俺は何時も通りの表情を浮かべることが出来るんだろうか。
 明日という近しい未来のことさえ考えていなかった自分が嫌になるけれども、出来れば、何時も通りの表情を浮かべていたい。
 ――恋をすることさえ選べない、一人の少女ために。



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