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アポロジー・アンド・メモリー


「あたしとキョンはみくるちゃんを送っていくから、古泉君は有希をお願いね」
「了解しました」
 涼宮ハルヒの申し出に、古泉一樹が頷く。
 今日は8月27日。
 今日は涼宮ハルヒの作成した夏休みの間にしなければならないことのリストの中から盆踊りと金魚すくい、つまりは夏祭りへの参加を消化する一日だったのだが、帰りがけに朝比奈みくるが過労のため倒れかけたのだ。
 そのため、以上の会話のような事態になった。
 小さくなっていく三人の姿を、古泉一樹が手を振って見送る。
「では、僕達も帰りましょうか」
 彼は一言そう断ってから私の斜め前を歩いていく。
 夏祭りと呼ばれる行事に参加するのは今回で9118回目。帰り道のパターンは多岐に渡るが、そのうち彼と二人きりになった回数は述べ418回。そのうち95%以上は今回と似たような原因によるものだ。
「何だか不思議ですね。僕や涼宮さん達にとってはSOS団の5人で始めて行く花火大会なのに、あなたにとってはそうではない。……あなたが僕にこんな発言を聞かされるのも、もう何度も繰り返した事なのでしょうが」
 何時もの笑顔を少し崩しながら、彼は語る。
 彼の言う通り、8月17日から31日からの14日間は何度も繰り返され、その回数は既に5桁に達しようとしている。
 直線距離に直せばこの惑星の人類の平均寿命の数倍に及ぶ年月では有るが、人類及びこの星に存在する生命の成長や老化は記憶や経験と共に全てリセットされているので、一部を除いて弊害は発生しない。
 その一部とは涼宮ハルヒ周辺に居る僅かな人物達であり、彼等の記憶などは全てリセットされる物の、消しきれないその断片めいた物が各々の中に残っていたりするようだ。
 また、彼らの中に未来人と呼ばれる存在が居るため、記憶の断片と未来との連絡不可能状態という二つの要因によりこの繰り返される二週間という状態に気付くこともある。
 今私の隣に居る古泉一樹も、当然その状態に気付いている。
「奇妙な物です。出来るなら、早く終わらせたいのですが……」
 彼等がこの繰り返される二週間に気付く確率は決して低くは無いのだが、彼等は未だにこの状況から脱しきれていない。
 原因が推測できる事と解決方法まで辿り付き実行できる事は別なのだろう、というのがこの繰り返される二週間の中で私が学んだ事の一つだ。
「あなたも、そろそろ飽きている頃でしょうしね」
「わたしは観察者、対象を見守るのがわたしの役目」
 飽きているのでは、という言葉を言われたのは初めてではない。
 だから私はその後の短い会話の末に提示した自分の言葉を、そのまま彼に返した。
 彼には以前の記憶は無いが、彼相手ならこの言葉でも通じるだろう、という確信があった。
 軽く人間の一生を超える分の時間を一緒に過ごしているのだから、それくらいのことは分かるようになる。
「ええ、それは存じ上げております。ですが、役目だから飽きずにいられるなどという理屈はこの世のどこにも有りませんよ。任務に忠実という部分については、尊敬できるところだと思いますが。そうですね……、別の視点から申し上げれば、僕としては、あなたに申し訳ないなと思っています。すみません、長門さん」
 彼はすらすらと喋ると、最後にすっと頭を下げた。
 それは、今までに無いパターンの行動。
「あなたに謝られる理由は無い」
「有りますよ。僕達はこの事態に気付いているのに、何も出来ない。何度も何度も同じようなことを繰り返しては、あなたの退屈な時間を長引かせている。……違いますか?」
「……」
 退屈、という言葉を私は否定できない。
 その言葉が意味する事が何であるかわたしは知っているし、わたしの今の状態が客観的に見てどう呼べるかということについても想像がついている。
「それと、もう一つ気がかりな事が有ります。この状況では、あなたは他人と記憶を共有できない。あなたが誰かと有意義な経験をしても、その経験はその誰かの記憶には残らない。……よくよく考えてみれば、残酷な話ですよね」
「……」
「この繰り返された夏休みの間にあなたが経験してきた事は僕の知るところでは有りませんし、僕の知る権利が及ぶ所だとも思っていません。ただ……、あなたが、夏休み以前よりも若干消極的に見えるのは、もしかしたら、そのような残酷な経験をこれ以上繰り返したくないと思っているからなのかもしれないなと思いましたので」
「……」
「失礼、喋りすぎましたね」
「……気にしなくて良い」
 古泉一樹がよく喋るのはいつもの事であり、私が聞き役ばかりなのもいつもの事だ。
 それに、彼は別に失礼な事など何もしていない。
 彼はただ、わたしの中にあった小さな引っ掛かりをわたしの代わりに推測して言語化してくれただけに過ぎない。
 わたしたちは暫くの間その場で顔を見合わせているだけだったが、やがてどちらともなく歩き出した。
「本当に、申し訳ないと思っているんですよ。この繰り返される時間の原因が涼宮さんにあるとしたら、それを解決できないのは僕等の責任ですからね。……彼と朝比奈さんは、あなたに謝罪するという発想までたどり着けなさそうですが」
「……」
 古泉一樹が彼と呼ぶ人物は原因の究明と解決に必死で、朝比奈みくるは自分が元居た時間に戻れないということでかなり打ちのめされているためそれ以上のことを考えられる状態にない。
 繰り返される二週間に気付くということを何千回繰り返しても、このパターンは崩れない。
 諦念交じりの古泉一樹一人だけが、時折違うことを考えている。
 今回も、その一つ。
 謝られたのは、今回が初めてだけれども。
「正直、僕も少し悔しいんですよ。こうやってあなたに謝らなければならないというところまで辿りついたのに、その理由や気持ちを持ったままで居られる保証が全く無いどころか、そこまでの記憶を丸ごと失ってしまう可能性の方が遥かに高いという状況に居るわけですからね」
 忘れられてしまう可能性が高いことに気付いてしまったため、距離を取るわたし。
 忘れてしまう可能性が高いことに対して悔しいという、古泉一樹。
「……忘れない」
 時間の流れを正常に戻す方法を持たず、消されてしまう記憶を保存する術も持たないわたしに出来るのは、ただ、それだけ。
「え?」
「わたしは、忘れないから」
 そう、わたしは忘れない。
 観察者であるわたしはこの繰り返される夏休みの出来事の全てを覚えているし、これからも日々記憶を積み重ねていく。
 だから、今日の事も忘れない。
 この日古泉一樹に言われたことを、わたしは忘れない。
 例え、彼がこの日のことを忘れてしまうのだとしても。
「ありがとうございます、長門さん」
 立ち止まり、彼が頭を下げた。
 何時の間にか、わたし達はわたしの住むマンションのすぐ近くまで来ていた。
 彼はわたしをマンションの入り口の所まで見送ってから、また明日、と言って去って行った。
 今日は、8月27日。
 彼等がこの繰り返される夏休みの解決方法を発見、実行できない限り、世界は31日の24時にリセットされる。
 わたしはまた一人だけ、記憶を持ったまま8月17日へ舞い戻る。





 
 繰り返される夏休みの一幕。
 古泉君はキョンとは少し違う意味で長門のこと分かってそうな気がします。(060904)


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