springsnow

踏切の向こう側


 手を繋ぎ隣を歩く彼が、ほんの一瞬、次の一歩を踏み出すのを躊躇う。
 他の誰かだったら見過ごしてしまうような動作にわたしが気づくことが出来たのは、わたしが彼の行動パターンを学習しているからだろうか。それとも、わたしもその原因を知っているからだろうか。
「すみません、ちょっと行ってきますね」
 閉鎖空間。
 涼宮ハルヒの精神状態が不安定になると発生するとされるその空間が、今、発生したのだ。
 原因は不明だけれど、そんなことは今ここに居るわたし達には何の関係もない。関係有るのは、彼、古泉一樹が、その空間を消滅させる能力と役割を持った能力者だということ。
「場所は、すぐそこなので……、待っていてください」
 繋いでいた手を少し強く握られ、それから、そのぬくもりが離れていく。
 見上げるわたしの瞳に映る、意志の強い横顔。
 わたしは、僅かに顎を引く。
 それから彼は、目的地とは違う方向に足を踏み出す。踏み切りを超えた、その少し先へと。
 わたしはただ、それを視線で追うだけ。
 わたしには、待つことしか出来ないから。
 踏み切りの向こう、彼がこの世界から消える一瞬。ほんの少しだけの予備動作と、一瞬の後の帰還。
 きっと、わたし以外誰も気づかない。
 僅かなその間合い、視覚情報の習得に能力を傾けようとしたわたしの視線の行く先を、降りた踏切の間を通る電車が遮っていく。
「あ……」
 電車の色で覆い隠される、灰色の世界への入り口。
 ほんの一瞬、見るべき景色を失ったわたしの視界が、ゆっくり、ゆっくりと開かれていく。
 電車が通り過ぎたその向こう側で、彼が立っていた。
 何時ものように、笑顔を浮かべて。
 動き出しそうになる足を、わたしは制止する。電車は、反対側からももう一本やってくる。
 踏み切りの向こう側に足を踏み出すまでのその時間が、もどかしい。
 わたしも、向こう側へ行けばよかった。
 着いていけなくても、着いていくことは許可されなくても、彼が違う世界への入り口を開くその場所で、待っていれば良かった。
 ……でも、彼はそれを望まないだろう。
 だから、わたしはここで待ち続ける。
 彼が彼女の手によってどこかへ招かれると言うのならば、わたしはその帰りを待ち続けよう。
 例えそれがほんの数分でも、永劫とも思えるほど長い時間でも。
 やがて電車が通り過ぎ、彼が踏み切りの向こうからわたしの居る場所へと戻ってくる。
 しっかりとしたはずの足取りが、ほんの少し疲れを帯びて見えるのは気のせいではない。
「ただいま戻りました」
「……」
 言うべき言葉を持たないわたしは、ただ、彼の手を握り返す。
 彼が、踏み切りの向こう側の世界に、飲み込まれずに済んだこと。
 わたしたちが、今、ここに居ること。
「……長門さん?」
「予定変更を推奨する」
「えっ、」
「あなたは疲れている。だから、歩くことで体力を使うウインドーショッピングは推奨できない。映画を見るか喫茶店に入る予定を先にするべき。幸い、映画館はここから歩いて3分もかからない位置にある」
 器用にものを言う方法は分からないから、わたしはただ、端的な事実を述べた上で自分の意見を口にする。
 彼が理解を示してくれれば、それで良い。
 それ以上のことは……、追々考えよう。
「そうですね。では、お言葉に甘えて、映画を先にしましょうか」
「……甘え?」
「おや、違いましたか?」
「……」
 わたしは彼に休んで欲しいとは思ったけれども、甘えて欲しいと口にしたわけではない。
 ……けれど、
「あなたが甘えたいと言うのなら、それで構わない。わたしはわたしの出来る範囲で、それに応じることが出来る」
 甘えるということが具体的に何を指すのかは分からないけれども、彼がそうしたいと言うのならば、わたしはそれを受け入れよう。
 それが、わたしに出来ることだというのならば。
「ありがとうございます、長門さん」
 繋いだ手に、ほんの少しだけ力が篭る。
 痛むほどではないその感触が、心地よい。
 それからわたし達は、どちらともなく頷きあい、映画館へ向かった。
 映画館で見るのは、わたしが好きな小説を映画化したもの。
 一緒に映画を見て、一緒に感想を話し合おう。
 でも、ちゃんと見て無くても良い。
 休みたいなら休んで、眠いなら寝ていれば良い。
 無理はしないで、あなたの望むように。
 踏み切りの向こう側であなたが戦うと言うのならば、わたしは、踏み切りのこちら側に戻ってきたあなたを、存分に甘えさせてあげよう。






 
 お題その6。
 一応デート中。……少しは甘くなったでしょうか。(070324)


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