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仮病の理由


 いきなりだけれども、僕は『機関』という組織に所属している。
 高校生だけど組織の一員で、高校生とは世を忍ぶ仮の姿……、というよりも、どちらも僕の一面を表しているってことになるんだと思う。
 日本中で僕と同じ年齢の少年少女の9割くらいは、高校生だと思うし。

 さてそんな僕だけれど、今日は学校を仮病で休んだ。
 理由は簡単、午前中に『機関』からの呼び出しが有ったからだ。
 僕にとって最重要な出動事項とも言える閉鎖空間は発生していないけれども、それ以外にも『機関』には色々あるから、呼ばれること自体は別に珍しくも無い。
 大体の場合は放課後とか休日に出向く事になるんだけど、時にはこういうこともある。

 機関の用事は午前中に終わったら、午後は暇だった。
 何となく学校に行く気にもならずに自宅で一人過ごしていた僕は、不意の来客に呼び出された。
 チャイムが鳴ったのだ。
 誰だろう、こんな時間に。
 僕はインターホンを手に取った。
「あのう……」
『……』
 何となくこの時点で誰かわかった気がする。
「どなたですか?」
『長門有希』
 やっぱり、彼女だった。
 僕の知り合いを辿る限り、電話越しやインターホン越しの時にまで沈黙で存在を主張出来るのは彼女くらいだ。
 長門さんがどうして僕の家に来るのかはさっぱり分からなかったが、ここは招き入れるべきだろう。
 彼女の場合、放っておくと何時間でも扉の外で待っているような気がするし。
 それは彼女に悪い気がするし、何よりご近所さんの手前もあるからちょっと勘弁願いたい。
 まあ、そもそも、僕には彼女の来訪を事情も聞かずに着き返すような理由は無い。

「どうぞ」
「……」
 彼女は無言で靴を脱いで上がりこんできた。
「今日は何か御用ですか?」
 用事が無いのに彼女が僕の家に来るという状況が先ず考えられない。
「お見舞い」
「えっ……」
「先に行っているように言われた」
 ああ、なるほど。
 そういう事情なら分かる。
 言ったのは多分、彼か涼宮さんだ。この二人のどちらかが言ったなら、長門さんも素直に従うだろうから。
「あなたの現在の体温は36度3分、これは平熱の範囲と考えられる」
 長門さんは、唐突にそんなことを言った。
「仮病ですからね」
 彼女に隠す必要は無いので、僕もあっさりと仮病を認める。
 細かい事情はともかくとして、僕が『機関』の一員であることは彼女にとっても知るところだからだ。

「――」

 突然長門さんが僕の手を握り、高速で口を動かした。
 え、えっと……、一体なんだろう?
 と思ったら、体が熱い。
 比喩表現でも異性に触れられた事による動揺でも喜びでも何でもなく、物理的に体温が上昇している気がする。
 こ、これは一体……。
「あ、あの、長門さん? 僕に一体何をしたんですか?」
「あなたの身体の表面温度を操作した」
「そ、それは一体何のために……」
「見舞いに着た涼宮ハルヒがあなたの身体に触れる可能性を考慮しての措置。大丈夫、表面だけだから体調には影響しない」
「は、はあ……」
 言いたいことは分からないでも無いし、やっていることもまあ理解できる範囲だ。 
 でも、ちょっと唐突過ぎるような……、ああでも、長門さんは何時もこんな風かも知れない。僕が彼女のそういう場面に余り遭遇しないか、遭遇しても受け流せるような事態が多いというだけで。
 けど、今日は流石に驚いた。
 何せ一対一だし、別に何の異常事態でも無いし。
 まあでも、事情が分かればそんなに驚く事じゃ、

「服を脱いで」

 ……無いとは言い切れないような気がしないでも無い。
 というか、物凄いとんでもないことを言われたような気がする。
 長門さん、あなた今なんて言いました?
「え、あ、あの……」
「脱いで、病人が普段着だったら不自然。あなたは着替えるべき」
「わー、ちょっとやめてくださいっ、って、何人のベルトに手をかけているんですか!!」
「手伝う」
 長門さん、目がマジなんですが。
「いやだから、そのくらい一人で出来ますってば」
「手伝った方が早い」
「そういう問題じゃあなくてっ――」
 ……そういう問題以前に、普通の着替えなんて一人でやった方が早く出来るんじゃないかという当たり前の事実に僕が気付いたのは、長門さんとの攻防を潜り抜けた後の話のことだった。
 長門さんの『お手伝い』がどこまでに及んだのかは……、すみません、こればかりは僕自身の名誉のために秘匿させてください……。

 長門さんの意向により、僕はパジャマ姿でベッドに寝ることになった。
 勿論彼女に吹き込んだのは別の人という可能性も有るが、ここに至るまでにかなり疲れていた僕はこの際もうそんなことはどうでも良いかも知れないというくらいの心境になっていた。
 僕、何でこんなに疲れているんだろう……。
 ぼんやりと考えていた所で、再びチャイムが鳴った。
「……」
 長門さんが何も言わずに来客を招きいれた。
 誰が来たかなんて考えるまでも無い、SOS団の残り三名だ。

 そんなに狭くは無いけれども広くも無い部屋で、SOS団5人が勢ぞろいする。
 涼宮さんが小さな紙箱を持ったまま椅子に座り、他の3人は立ちっぱなしだ。
「お見舞いに来たわよ、古泉くん、はいこれ、お見舞いのケーキよ!」
 何でお見舞いがケーキなんだろう。
「さ、早速皆で食べましょ! ああ、みくるちゃん、お茶いれてね」
 どうしてお見舞いのはずのものを皆で食べるんだろう。
 それにどうして朝比奈さんが僕の家でお茶を入れることになるんだろう。
 彼と朝比奈さんが思案顔だけれど、ツッコミを入れたりはしないらしい。
 賢明な判断だと思う。
「え、えっと……」
 とはいえ朝比奈さんは、勝手に人の家でお茶を入れたりすることが出来るような非常識な人ではない。
 そもそも、彼女は僕の家のどこに茶葉や食器類があるのかを知らないだろうし。
「お茶は台所の電子レンジの下にあります。食器類は見れば分かると思いますので、好きに使って下さい」
 別に台所に勝手に見られて困るようなものは無いので、僕も涼宮さんの意向に従っておくことにする。
「あ、はい」
 朝比奈さんが涼宮さんからケーキの入った箱を受け取り、台所の方へ向っていった。
「古泉くん、熱はどう?」
 涼宮さんが僕の額に向って手を伸ばしてくる。
 えーっと、そう言えば今僕の体温ってどうなっているんだろう?
 長門さんが勝手に調節したらしいけれど、僕自身にはよく分からない。
「うわ、熱い……、まだ結構有るわねえ。これじゃ明日も登校は無理かしら?」
「いえ、明日は……」
 答えようとしたら、くらりと来た。
 あ、あれ……。
「ちょ、ちょっと古泉くん。だ、大丈夫?」
 体制を崩しそうになった所を、涼宮さんに支えられた。
 彼女は体格はともかく腕力は結構あるようなので、僕の身体を支えていても全然重そうにしていない。
 年頃の乙女としてはどうなんだろうと思わなくも無いけど、日常生活を普通に送る上ではこの方が都合が良いんじゃないだろうか、なんていう割とどうでもいい事が頭を過ぎっていく。
「え、ええ、多分……」
 僕は涼宮さんの後ろの二人を見た。 
 彼が驚いたような表情で、長門さんが……、何だか微妙そうな表情だった。
 ……何か、もう、何も聞かなくても事情が分かったかも知れない。
「全然大丈夫じゃ無さそうよ、ああほら、しっかり寝て。そうだ、あたし何か身体に良さそうな物を作ってくるわ! 台所借りちゃって良いでしょ? ご飯の残りとかある?」
 涼宮さんが早口で捲くしたてた。
 えっと……、思いっきり頭に響くんですが。
「あ、はい……」
 ふらふらのまま、僕はとりあえず頷く。
「じゃあちゃっちゃと栄養のある物を作ってくるわね!」
 涼宮さんはそう言い残すと、あっという間に台所に向っていった。
 相変わらず、元気な人だ。
 今は、あの元気さを分けて欲しいかも知れない。割と切実に。
「あっ……」
「おっと、気をつけろよ」
 涼宮さんという支えが無くなった僕の身体を、彼が支えてくれた。
 まずい、本格的に辛い。
 吐き気も眠気も無いけれど、身体が重くて熱い。
「あー、古泉、大丈夫か?」
 僕の方を見る彼の様子は、普通に病人を心配するという感じではない。
 心配は心配でも、それは不意の出来事に遭遇したときのものだ。
「あんまり……」

「調整範囲を間違った」

「……お前、何をした?」
 長門さんの突然の呟きに、彼が怪訝そうな顔を向ける。
 あれ、これって……。
「涼宮ハルヒに古泉一樹が発熱状態であることを納得させるため、彼の身体の表面温度を操作した。……表面だけのつもりだった」
 ああ、やっぱり。
 そういう、ことだったのか。
「あ、あのなあ……」
「迂闊」
「あー、すまん古泉、ほら、長門も謝れ」
 彼が僕に向って頭を下げてから、長門さんの手を引っ張って自分に倣うよう指示した。
「……」
「すまんとかごめんとか言えってば、お前が悪いんだぞ」
「……ごめんなさい」
 長門さんが謝罪してきた。
 無表情で、頭は……、あ、彼が長門さんの後ろ頭を押した。
 何だかシュールな光景だなあ。見ていて悪い気はしないけど。
 ああでも、頭が回らない。熱のせいだ。
 ええっと……。
「なあ長門、古泉の熱は何時下がるんだ?」
「人工的なもの、数時間もすれば自然と回復するはず」
「そうか……、もう一度操作するってのは駄目なのか?」
「今の状況には不自然。それに、短い間に有機生命体の体温を何度も調節するのは余り推奨出来ない行為」
 ということらしい。
「そうか……。すまないな、古泉」
「あ、いえ……。別に、それほど困っているわけではないですから。けど、あなたが指示したんじゃなかったんですね」
「ああ、ハルヒが長門に先に行くように言っただけだ」
「そうだったんですか……」
 僕は長門さんの方を見る。
 長門さんは、無表情のまま僕の方を見ているだけだ。
 でも、少しだけど、僕のことを心配しているように見える……、ような、気がする。

 突然の来訪者と発熱には驚いたけれど、彼と長門さんに本気で心配してもらえるという状況は、そんなに悪いものじゃないと思う。
 仮病の理由はともかくとして、こういうおまけが着いて来るのなら、僕は大歓迎……、とまでは言わないけれど、たまになら良いかも知れない。

 ……でもやっぱり、突然の熱で頭が回らないこの状況は、ちょっと辛いかも。





 
 お題その2。
 何だか二人ともライトになっている気がします、色々と。(061015)


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