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9月1日


 9月1日。
 電波時計の表示と朝のニュースから新しい1日が来た事を確かめ、僕はほっと胸を撫で下ろす。
 涼宮ハルヒが繰り返していた8月17日から31日までの二週間。リセットを繰り返しながら強烈な既視感と違和感を残していった延べ15000回を超える繰り返しの日々は、これでようやく終わりを遂げたらしい。
 正解に辿り付いた理由を分析するのは今は辞めておこう。
 昨日一日の間夏休みの宿題に取り掛かっていた関係上僕も少なからず疲れているし、実感としては2週間しか存在しなかった時間が実は数百年分もの長さを持っていたという事実も、その疲労感の上に上乗せ状態と来ている。
 そして僕には、今日は考えるよりも先にしなければいけないことがある。
 学校を休む気は無かったが、これは多分学校に遅れてでもしなければいけないこと。
 僕は自宅の近くで黒塗りのタクシーにのりこみ、とある場所へ向かった。
 タクシーの後部座席には、頼んでおいた物が紙袋に入れて置いてあった。

 見慣れたマンションの入り口で、僕は彼女の部屋番号を押す。
『……』
「おはようございます、古泉です。渡したい物が有るのですが、よろしいですか?」
『……入って』
 用件を簡潔に伝えると、マンションの入り口の扉が開かれた。
 僕はエレベーターに乗り込み、彼女の部屋へと向かう。

 呼び鈴を押して反応を待っていると、中から扉が開かれた。
 情報統合思念体製ヒューマノイド型インターフェイスこと長門有希が、何時もと変わらない、けれどどこかほんの少しだけ疲れと安堵の両方が混じったような雰囲気を醸し出しながらそこに立っていた。
 彼女は、リセットを繰り返し15497回目までの記憶を持たない僕等がその事実を知ったことで疲労感を感じたのとは違い、成長や肉体的変化はともかくとして、15498回分全ての記憶を保持している。
 似たようなことを繰り返す二週間を延々と繰り返した期間は、直線距離にすると約600年弱という途方も無い時間になる。
 その間SOS団の5人はほぼ毎日顔を合わせていたので、SOS団で活動していた時間の合計だけでも軽く人間の一生分くらいには達していそうだ。
 こんな状態で疲れを感じてなかったら嘘と言うものだろう。
 情報統合思念体が何を考えているかは知らないが、精々長生きしても120年がいいところの人間の相手が前提のヒューマノイド型インターフェイスに、2週間という限定的な期間を600年分過ごすような事態を予め想定した精神構造を用意しているとはさすがに思い辛い。
「おはようございます、長門さん」
「……」
 挨拶する僕に対して、彼女はほぼ無反応。
「夏休みの間お疲れ様でした。これはその慰労のつもりの品です」
 僕は気にせず、持ってきた紙袋を彼女の方へと差し出す。
「……」
 無言のまま、彼女がその紙袋を受け取った。
「どうでしょう。お気に召されるかどうか心配では有るのですが」
「……本」
「そうです、新しい本です。全て発売前の新刊ですよ、海外の物もあります」
「……」
 沈黙を保ったまま、彼女の視線が紙袋の中身に注がれる。
 この中に有る本は、彼女が今まで見た事が無いはずのものだ。
 最終的に記憶に残った二週間の中で、彼女が本を読んでいるところを僕は見た事がない。
 海辺ですら本を読んでいる彼女が趣味である読書を放棄しているなんて珍しいなと思った物だけれど、同じ日々が繰り返されていると知った時点でその理由が分かった。
 仮に一冊に一週間をかけたとしても、二週間が15000回もあれば3万冊も読めることになる。
 3万冊の本を読めるだけの時間といえば読書好きにとっては聞こえが良いかも知れないが、その時間の間に出る新刊がほんの二週間分しかないとすれば、話は変わってくるだろう。
 そんなふざけた状況は通常人類の元には実際には起こりえないので想像するしかないのだが、僕だったら途中で読みたいものを読み尽くしてしまい、何時しか再読にも飽きて、そのうち読書を放棄すると思う。
 ……つまり、僕の記憶の中にある夏休み後半の二週間の彼女はそういう状態だったと考えられるわけだ。
 理由を察した僕は機関に手配を頼んで、9月1日時点で刷り上る……というよりこの場に揃えられる新刊のうち彼女が興味を持ちそうなものを揃えて貰うことにしたのだ。ちなみに許可に関しては、TFEIとの交流のためと言ったらあっさり下りた。
 さて、この件については、僕は以前(という言い方もおかしいがこの場合他に適切な単語が浮かばない)のシークエンスに置いても同じようなことをやろうとして、その度にリセットされていたのかもしれないという一つの想像がある。
 確かめる手段は無いのだが、リセットされるかも知れない事が分かっているのに9月1日より先の事を見据えて行動するというあたりが何となく自分らしい気がするし、気付いた回数だけでも8千回を超えているのだから、似たようなことをした回数も二桁程度は有るのではと……、やめよう、考えるだけで疲れてきた。
 彼を相手に気晴らしを兼ねて話すのは良いが、一人で考えているとさすがに気が滅入る。
「気にいらないのでしたら、持ち帰り……」
「貰う」
 僕が言い終わる前に即答された。
 こういう反応は珍しいが、今は状況が状況なので不思議だとは思わない。
 彼女が紙袋の中身を早く読みたいと思っているように見えたのは、きっと気のせいではないのだろう。
「では、僕は登校いたしますのでこれにて失礼させていただきます。また学校でお会いしましょう」
 僕は玄関口に立ったまま軽く会釈を済ませ、そのまま踵を返し立ち去った。

 その日、長門有希は登校して来なかった。
 僕は何も聞いていないが、彼女はきっと自室で新刊を貪っていたのだろうと思っている。






 
  『エンドレスエイト』後日談。
 有希が登校してこない理由を自分なりに考えてみました。
 古泉くんならこれくらいの気遣いはしてくれそうです。(060911)


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