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日直当番になったなら


 ある日の休み時間、ちょっとした用事が有って生徒会室まで来ていた僕は、生徒会室を出たところでよく見知った顔を見つけた。
 学校に来ている日は殆ど毎日会っているけれど、こういう場所ではあまり会わない人。
 大量のプリントを抱えた長門さんが、職員室の扉の前に立っていた。
「こんにちは、長門さん」
「……」
 長門さんは、無言で僕の方を見上げた。
「……扉、開けますね」
 どうやら立ち往生しているらしいということに気づいて、僕はさっと職員室の扉を開いた。
 長門さんが中へ入り、担任らしい教師の机にプリントを置き、それから、別のプリントのを手に取った。結構量が有る。
 人少なげな彼女が出てきたのを見計らってから、僕は扉を閉める。
「半分持ちましょうか?」
 重いだろうとは思わないけれども、こういう風に言ってみるのが礼儀というものだろうか。長門さんも、女の子なのだし。
「……」
 彼女はやっぱり無言で僕の方を見上げるだけだ。
「半分持ちますよ」
「……そう」
 長門さんはほんの少しだけ首を縦に傾けた。了承が得られたので、僕は彼女が持っているプリントのうち半分より少し多いくらいを手に取った。
「こっち」
 長門さんが、すたすたと歩いて行く。行く先は、どうやら教室の方ではないらしい。プリントの内容は科学だし、特別教室行きというところか。
「長門さんは、今日は日直ですか?」
「そう」
「お疲れ様です」
「別に。……当番制で回ってくるからやっているというだけのこと」
 相変わらずの、取りつく島もない回答。言っていることは間違ってないけれども。
「そうですね。でも、当番でも何でも、労力を割いているということに変わりはないと思いますよ。それに、例えそれが当たり前だからと言って、そこに慰労や感謝の気持ちを注いではいけないなどという風に決まっているわけでもないでしょう」
「……」
 突然、ぴたりと歩みを止めた長門さんが、僕の方を見上げて来た。
 光さえも吸い込むような真っ直ぐな黒い瞳に浮かぶのは、疑問の色。そこには、それをどういう風に訊ねれば良いのか分らないという付加要素も組み込まれている。
「日直なんてたいしたことではない、とも思いますけどね」
「……そう」
 回答を濁した僕をどう思ったのか、長門さんが再び歩き始める。僕は、その斜め後ろをついて行く。
 日直、日替わり、当番制。
 そんな風に日々回っていく当たり前の出来事が、当たり前過ぎて、少し愛しい。
 そして、少し羨ましい。
 背負う物を誰かに預けることなど出来ない僕等は、今日も互いの事情を背負ったまま、それぞれの役割のために生きていくことしか出来ない。
 それが、僕等の日常。
「ここ」
 語るべき言葉を持たないまま人影の無い科学室に辿りついた僕等は、教卓の上にプリントを置いた。それから、二人で元来た道を引き返す。どうやら長門さんのクラスの次の授業が科学というわけでもないらしい。
 ゆっくりと、無言での時間が過ぎていく。
 長門さんは何も言わないし、僕にも言うべきことは何もない。何か適当なことを言っても良いのだろうけれども、そういう気分でも無かった。
「では、また」
 長門さんのクラスの教室の前に辿りついたため、彼女に別れを告げる。僕の所属する9組は廊下の先だ。
「……お疲れ様」
 返事など無いだろうと思っていたのに、彼女の声が聞こえた。
 僕を含めた彼女の周囲の世界が、彼女の代わりに沈黙する。
 驚愕と共にゆっくりと振り返ると、長門さんが、真っ直ぐに僕の方を見据えていた。
 近場に居た長門さんのクラスの生徒達も静止しているというこの状況……、彼女がこういった言葉を滅多に口にしないということを、彼等も知っているのだろう。
「あの……」
「あなたが、わたしにそう言ったから。……だから、お疲れ様」
 周囲の反応など意にも介さず、長門さんは言葉を続ける。
「……どういたしまして。日直、頑張ってくださいね」
 繰り返された言葉を耳にして、僕は漸く我を取り戻し、再び踵を返す。
 ……長門さんの最初の疑問は解決していないだろうし、労いの言葉をかける意味に気づいているというわけでもないと思う。
 でも、何も気づいていないわけじゃない。
 少しずつだけれど、長門さんも気付き始めている。……それで、良いのだと思う。焦る必要はない、ゆっくりと知っていけば良い。
 互いの背負う物を分かち合うことの意味や、分かち合うことさえ出来なくとも労いの言葉をかけるだけでも意味が有るということに。


 
 
 お題その8。
 日直になった長門さんを見てみたいです。(070424)



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