springsnow

静寂を破る着メロ


 放課後の文芸部室。
 朝比奈みくると涼宮ハルヒは不在なため今日は彼と古泉一樹とわたしだけ、それに加えて彼はテスト前だからという理由で勉強中、古泉一樹とわたしはそれぞれ読書中という静寂に包まれた部屋に、不意に音楽が流れた。
 古泉一樹の鞄の中から聞こえてきたそれは、携帯の着信を知らせるものなのだろう。
「あ、はい……。分かりました」
 古泉一樹が携帯に出て、ほんの少しの言葉を交わす程度のやりとりを終え、通話を切った。
「呼び出しか?」
「いえ、単なる定時連絡のようなものです」
 彼の質問に古泉一樹が答える。
「そうか」
 彼はそれきり古泉一樹に掛かって来た電話に興味を失ったのか、勉強に戻った。
 否、戻ろうとする途中にわたしを見て軽く目を見開いた。
「……長門?」
「……」
「着メロが気になるんですね」
 漠然とした、名前を呼ばれるだけという問いかけにどう答えたものかと考えあぐねていたら、古泉一樹がわたしの状態を言い当ててくれた。
 相変わらずわたしは自分の思考内容を実際に言葉として表すことが苦手で、そんなわたしとは対象的に古泉一樹は他人の状態を把握し言葉にする能力に長けている。
 古泉一樹の持つ、わたしには無い才能。
 他の誰かになりたいとは思わないけれど、こういうとき、私は古泉一樹に軽い羨望を覚えると同時に、言いようの無い感情を抱いてしまう。
 その感情が一体何を意味するのかはわたしの知るところではないし、古泉一樹がそれを言い当ててくれることもない。それは、古泉一樹がわたしの抱く感情に気づいてないからなのか、それとも、気づいていても言葉にしようとしていないからなのかは、わたしには分からない。
「着メロ? ……長門と何か関係有るのか?」
 わたしの関心を捉えた音が示す意味を知らない彼が、古泉一樹に問いかける。
「雪解けの季節を表す曲なんですよ」
「……ああ、なるほど」
 古泉一樹の短い説明で彼は納得したようだ。
 雪……、それはわたしの名前と同じ響きを持つ言葉。
 わたしが、わたしに与えた名前。
 小さな粒が積もり、世界を白く染め、そして、やがて溶けてなくなってしまうもの。
「雪が春の日差しに溶かされ、水となり……、そうですよね、長門さん?」
「……そう」
 春、という言葉は一つの名前を連想させる。
 それは彼や古泉一樹も同じなのか、二人ともそれ以上言葉を続けようとしなかった。
 ……何故だろう。
 自分で自分に名前をつける権利を持たないもい者達にとっては、名前など単なる記号に過ぎないはずなのに。
 それとも、人間とはそんな記号に過ぎないはずの物にも何らかの意味を与えようとする生き物なのだろうか。
 名前、記号。……春、水。水の……、
「……あなたの名前」
言葉の意味を探しながら、わたしは古泉一樹の方を見た。
 雪解けの春、水の意味を持つ名前。 
「僕の名前がどうかしましたか?」
「……泉は、水。樹は、水で育つもの。……古き泉に聳え立つ、一つの樹」
 本来の歌の中では水は川を流れ大海に流れ着くのだが、古い泉にたどり着く支流が有っても良いだろう。
 そして、そこに育つ一つの樹が有るのかも知れない。
「ああ、そうですね……。長門さんは詩人ですね」
 詩人? わたしが?
 わたしはただ名前という記号から連想・分解をしたに過ぎないはず。
 それがどうして詩人という認識に繋がるのだろう。
「詩人ってなあ」
「おや、僕の長門さんへの評価がご不満ですか?」
「そうじゃないけどさ……、それって言葉通り解釈すると、長門がハルヒに振り回されているうちにお前みたいのになるかも知れない、っていう意味になるんじゃないのか?」
 不満があるのか、彼が古泉一樹に文句を言う。
 別にわたしは古泉一樹のようになるつもりはないしなりたいわけではないしなれるとも思っていない。
 辿り着くという言葉の解釈は『なる』や『変わる』というものだけでは無い。
 では何が正しいのかと問われても、わたしは明確な答えを持っていないのだが。
「おやおや……、僕は長門さんがそういうつもりだとは思ってないんですけどね」
「当たり前だ」
「おや、さっきと言っていることが矛盾してませんか?」
「お前が勝手に長門の言葉をねじ曲げただけだろうが」
 わたしには、そのようなことをされた記憶はないのだが。
 ……ここは黙っておくのが賢明だろうか。
「それはあなたの穿った見方としか言いようが有りませんね。まあ、この先何が有ったとしても、長門さんは長門さんですよ。……そうですよね、長門さん?」
「……そう」
 彼等が記号に過ぎないはずの名前に意味を求める意味は分からない。意味なんて本当は無いのかもしれないし、あるいはその逆に、求めることで何らかの意味が与えられるようになっているのかもしれない。
 けれど。その答えが、何であろうとも。
 わたしはわたし。古泉一樹は古泉一樹。
 やがて春の日差しにより雪が解け、水となり、樹木を育む糧となろうとも。




 
 お題その4。
 名前ネタっぽいお話です(061221)


Copyright (C) 2008 Yui Nanahara , All rights reserved.