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すれ違いざまの一言


「大好き」

 その一言を言われた瞬間、僕は誰が何を言ったのか全く理解できなかった。
 いや、理解できないなんてはずはない。
 たった今僕とすれ違ったのは長門有希という名前の少女に間違いなくて、何よりその声は間違いなく彼女の物だったのだから。
「あの……、待ってください、長門さん」
 音にして四文字で終わる一言を口にしたきりさっさとそのまま反対方向に歩いていこうとしている彼女を、振り返って呼び止める。近場に居る僕と彼女以外の人間がどうなっているかよく分らなかったが、静まり返っているように感じるのは僕が混乱しているからでは無く、きっと、みんな呆気にとられて声を発することが出来ないからだろう。
 そんな中、長門さんが、ゆっくりとその場で半回転して僕の方を見た。
 表情の変化という物に乏しい整った顔立ちからは、何時もとの違いが見つけられなかった。……けれど、何かが違う気がした。
 それが一体何を意味するのかは、良く分らなかったけれども。
「あっ……」
 どうしよう、呼び止めたけれど何を言えば良いのかさっぱり分らない。
 長門さんの発言に何の意図も無いなんてことは有り得ないだろうけれど、理由も経緯もさっぱり掴めない状態では、先ず何を訊ねたら良いかすら分からない。
「大好き。……それだけ」
 長門さんは、呆然として言葉を失う僕に対してさっきと同じ言葉を繰り返すと、再度音もなく身体を捻り、そのまま立ち去っていった。


 ……わけが分からない。
 長門さんの突然の告白に対する僕の感想は、そんな何の回答にもつながらない一点に集中していた。
 そもそもあれが愛の告白だという保証も無いわけだけれど……、どう考えても涼宮さん仕込みという可能性が一番高そうだけれど、それにしたって、ちょっとした冗談やサプライズにしては質が悪すぎる。
 おかげで次の授業時間である四時限目になってからという物、僕は前後左右から事情を訊きだそうとしてくるクラスメイト達から必死で言い逃れする羽目になっている。
 授業中ではあるものの、比較的おとなしめな教師が担当する時間だからなのか、みんな遠慮がない。少し離れた席で僕と長門さんの関係に関しての勝手な想像を話している女子達もいる。……一応特進クラスとはいえ、他に気になることが有ればこんなものだ。
 ああ、それにしても……、頭が痛い。
 普段ならちょっとした誤解を切り抜けるくらい造作もないことだけれども、あんな、人の多いところでの発言を無かったことにするのは幾らなんでも不可能だ。僕にそんな超能力は無い。
 休み時間の廊下という人の多い場所と、僕らの所属するSOS団の知名度を考えたら、さっきの出来事は、学年中、いや、学校中に伝わってたっておかしくないと思う。
 噂の伝播力というのはすさまじいものだし、恋愛がらみとなればなおさらだ。
 ……本当に頭が痛いな。


 四時間目の授業が終わり昼休みになった直後に、僕は廊下に飛び出していた。今だけはクラスメイトに愛想を振りまくのもお休みさせてもらおう。事情が分からないまま周囲にせっつかれている状況が続くと僕の精神力が持たない気がする。
 長門さんのクラスに行くか部室に行くか少し迷ったけれども、人が居る場所で話すようなことでも無いなと思い、僕は部室に向かった。
 長門さんなら昼休みは部室に来るだろうし、もしも彼女がこなくても一人になることが出来る。
 今は長門さん以外の人に会って話をしたくない。
 先ずは、彼女に話を聞かないと。


 案の定と言うべきなのだろうか、部室のドアに鍵はかかっておらず、その中には長門有希ことTFEIの少女が一人ぽつんと居るだけだった。
 ただし彼女は常日頃とは違い読書をしているわけでもなかったし、窓辺の席についているわけでもなかった。長机を挟んでいる椅子の一つ、普段僕が座っている椅子を入口の方へと向け、そこに座っていたのだ。
 透明と例えても許されそうなほど淡い色を映す瞳が、真っ直ぐに僕を見つめている。
「……来ると思っていた」
「ええ、来ますよ……。来ないわけがないでしょう」
 この状況下で原因の大元に間違いない相手を放っておけるほど僕の神経はおめでたく出来ていない。彼女の発言を好意的に解釈して、はい良いですよと結論付けるにしたって、返事をするというプロセスが必要だ。
「あの、先ほどの、三時限目と四時限目の間の休み時間の発言は……」

「あなたが好き」

 僕の質問を完全に無視する形で、長門さんが本日三度目となる愛の言葉を口にした。
「えっと……」
「好き……、だから、言った。……だめ?」
 いや、だめって、その、あの……。
 ええっと、ちょっと、これは、経緯とか、順番とか、心の準備とか、その他いろいろな物を置き去りにし過ぎじゃあ……。ああ、って、そんな捨てられた子犬のような目で見ない!
「……だめ、というわけでは有りませんよ」
 ぐるぐると回り始めた思考と目の前のつぶらな瞳を天秤にかけた挙句、僕は言った。
 駄目ではない、ということは、答えは……、ということになるのだろうか。なるのだろうな。他の人はどうか知らないけれども、長門さんはそういう風に解釈することだろうし、僕だって、そのくらいのことは見越している。
「良かった」
 呟くような小さな声から喜びの響きを感じたのは、きっと僕の気のせいでは無いのだろう。
 長門さんがそっと椅子から立ち上がり、僕の方へと歩いて来る。ここで予め両手を広げて受け止める、なんてことが出来たらよかったんだろうけれども、未だに頭の一部が混乱状態にある僕はとてもそんなことが出来るような状態にはなく、ただ胸の中に飛び込んできた彼女にしがみ付かれたまま、その小さな頭を見下ろすようなことしか出来なかった。
「長門さん……」
「良かった……、本当に良かった」
「……どうして、あんな方法で言おうと思ったんですか?」
「涼宮ハルヒに勧められた」
 ……やっぱり涼宮さんなのか!
 と言うか長門さん、あなた涼宮さんに相談してたんですか、その、ええっと、恋愛そうだ……、ダメだ、恋愛相談を人様に持ちかける長門さんの姿がさっぱり想像つかないや。
「涼宮ハルヒがわたしがあなたに恋愛感情を持っていることに気づいて話しかけてきた。……有希はどうしても地味だから、出来るだけインパクトの有る方法で告白した方が良い、と、、涼宮ハルヒは言っていた」
「は、はあ……」
 インパクトって……、まあ、確かに、衝撃は大きかったけど。
 だからって、公衆の面前で不意打ち告白だなんて……。
「……いや?」
「いえいえいえ、そういうわけでは……」
 ああ、ダメだ。真っ直ぐに濁りの無い瞳で見上げてくる長門さんの姿を見ていると、反論する気力がどこかへ飛んで行ってしまう。確かに、彼女は間違ったことをしているわけでは無いし……、結果論になってしまうけれど、これはこれで、良いのだと思う。
 現に僕は、彼女の告白を受け入れることを選んだわけだし。……いや、違う方法だったら断ってました、というわけでは無いけれど……。
「そう……、それなら、良かった」
 う……、長門さん、かわいいなあ。
 表情なんてほんの少ししか動いてないはずなのに、そのちょっとした頬の動きとか、濁りの無い瞳が訴えてくるものとか……。て、あなたそこで目を閉じるんですか!
 うわー、うわー、この状況って……、ああもう、良いじゃないか! 勇気をだせ、僕!
 相手はTFEIだけどかわいい女の子なんだし、別に後ろめたく思う相手がいるわけでもないし、クラスメイトには後で事情を説明すればそれで良い。おまけにこのまま全校で公認の仲になれたら機関も余計なことは言ってこないだろうから、寧ろ儲け物だ!
「長門さん……」
 ……彼女の肩を掴んで、そっと引き寄せる。
 大丈夫、怖い物なんて何もない。……ちょっとしたサプライズは、幸せのための第一歩だと思えば良い。
 準備期間一切無しというのは少し時間の進みが早すぎる気もしたけれども、時にはそういうことも必要なのだろう。何、世界なんてほんの5秒で変わるときもあるんだから。それに比べたらどうってことも無い。
 ……僕は瞳を閉じ、彼女の小さな唇に口づけを落とした。


 
 お題その九。
 少しずれた有希の愛の告白+混乱中のいっちゃん。(070607)


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