DROPS


 それはある日の放課後のことだった。その日俺達SOS団は特にこれといった用事もなく、各自通常モードとでも言うべき時間の過ごし方をしていた。つまり、団長たるハルヒはインターネットで面白いこと探し、長門は読書、朝比奈さんは手芸をしたりお茶の準備をしたりと忙しく動き回り、俺と古泉は長机を挟んでボードゲームだ。
 囲碁部や将棋部でもないのに毎日毎日同じ相手とボードゲームを囲んでいてはたして楽しいのかと問われそうなところだが、ひとたび騒動に巻き込まれた場合の騒がしさを考えれば、日常なんてのはこのくらい穏やかかつ変化が無いくらいでちょうど良いというような気さえしてくる。
 まあ、本当に何一つ変化が無いというわけでもなく、やっているゲームの種類も毎日違ったりするんだけどな。何をやっても古泉がものすごく弱いことには変わりが無いんだが。
 そんなわけで俺の目の前には古泉の顔が有るわけで、見たところ平常通りの感じだが、何故か今日は体調でも悪いのか、何度か咳を繰り返している。
「……古泉、お前風邪か?」
 一度ならばともかく何度もだ。これだけ繰り返されると、何か有るんじゃないかと思ってしまうのが人の性というものだろう。
 古泉の体調が心配だというのもあるが、移されたら困る。絶対に風邪などひかなさそうな我らが団長様や人間とは構造が違うらしい長門ならばともかく、俺はただの人間だからな。
「あ、いえ……、ちょっと喉の調子が悪いだけです」
 古泉は笑顔を保ちながらそう言うと、また一つ咳をした。
 喉の調子が悪い、即ち風邪のひき始めのようなものだと思うんだがな。こういうのは軽いうちに対処するべきなんだぞ。
「ちょっとってなあ、」
「古泉くん、喉の調子が悪いんですか?」
 ふと、俺の湯呑にお茶のお代わりを注いでいた朝比奈さんが話に割って入って来た。朝比奈さんはその麗しい顔立ちにほんの少しだけ不安の色を浮かべながら、古泉の方を心配そうに見ている。朝比奈さん、古泉相手にそんな顔をするなんてもったいないですよ。
「ええ、少しだけですけどね。風邪と言うほどでは無いですよ」
「ううん、でも、風邪を甘く見ちゃいけないんですよ……。あ、良いものが有るので持ってきますね。お薬とかじゃないんですけど」
 朝比奈さんはいそいそとお茶を注ぎ終えると、急須を長机に置き、自分の通学鞄が置いて有る場所に行って有る物を取り出してきた。いそいそと動き回る姿が実に可愛らしいが、一体何が有るというのだろう。と、思っていたら、朝比奈さんの手の中には、見慣れているわけではないがこの国の人間なら誰でも一度は見たことが有るような、一辺数センチ程度の、四角く赤い缶が握られていた。
 勿体ぶる必要もないな、ドロップの入った缶だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 朝比奈さんに手渡された缶から、古泉が一つのドロップを取り出す。四角くて黄色いやつだ。黄色はレモン味だったか? よく覚えてないな。子供の頃に何度か舐めたような気はするんだが、味の詳細までは記憶に残っていない。
 古泉はドロップを手にしてからほんの少しの間躊躇していたようだが、朝比奈さんの視線には勝てないと思ったのか、手にしたドロップを口の中に放り込んだ。甘い物が駄目というわけではないのだろうが、人前で飴を舐めるということに抵抗が有るのだろう。
 若干苦笑気味にも見える古泉が、ドロップの缶を朝比奈さんの手に戻す。気をつけてくださいね、と言った朝比奈さんに対して、古泉は無言で首を上下させた。
「良かったらキョンくんも」
「あ、どうも」
 朝比奈さんに勧められるまま、俺も缶を手にしてドロップを一つ手に取ることにした。缶の中は暗くて色がよく見えないので、取り出すまではどれが出てくるか分らない。そう言えば、昔は缶を傾けてどの色が出てくるか当ててみようとしたことも有ったなあ、なんてことを思い出す。俺自身の的中率は多分人並程度だったと思うが、さて、他はどうなのか。俺はこのSOS団の面子の過去を殆ど知らないわけだが、きっとハルヒだったら何時も当てるのが当たり前で、古泉だったら何時も外しまくっていたのだろう。何となくだが、そんな気がする。ハルヒが妙に強運に恵まれているのはきっと子供の頃からで、古泉が半端に運が悪いのも昔からだろう。……だからどうってわけでもないのだが、そうやって予想を外してばかりで落ち込んでいる古泉というのを想像してみると、案外、可愛かったんだろうな、なんて風に思えてしまうから不思議だ。まあ、子供の頃はよほどの悪ガキでもない限り、誰でもそれなりに可愛いもんだけどな。
 さて、俺が傾けた缶の中から出て来たのは、丸くて白いものだった。ハッカ味だな。これはさすがに分かる。
「そういえばこれ、どうしたんですか?」
 どうしたも何も売っていた物を買っただけだと思うのだが、その出所が少し気になった。そんなに珍しいものでは無いと思うが、どこのスーパーや駄菓子屋にも置いて有るってものでもないような気がする。菓子売り場のところを頻繁に見るわけでもないので、自分の予想に自信があるわけでもないが。
「ふふっ、スーパーで売っていたから買っちゃったんです。缶が可愛かったから」
 天使の微笑をキープしたまま、朝比奈さんが答えてくれる。
 なるほど、見た目のかわいさに惹かれるなんて実に朝比奈さんらしいな。無駄遣いのし過ぎは良くないが、朝比奈さんに買われるなら缶入りドロップも大歓迎だろう。
 しかし手にしたは良いが、どうするかな。
 俺は別に喉の調子を悪くしているわけでは無いので朝比奈さんから視線攻撃を受けているわけでは無いんだが、だからと言ってこのまま持っているというのも忍びない。それに、いかにハードキャンディとはいえずっと手に持ったままじゃそのうち溶けるだろう。
 かといって、この状況でドロップを舐めるってのもなあ。

以下、続く