朝比奈みくるの薫風


 とある日の昼休み、谷口がたまたま弁当無し、国木田が欠席だったため、俺は一人教室で弁当を食うのも何だなと思い屋上へ向かっていた。学食へ向かう谷口について行っても良かったし事実弁当組みのなかにもそういう風に友人の付き合いで学食まで行っているような奴も珍しくないのだが俺はそうしなかった。どうしてかと言えば谷口が特に誘って来なかったからというのも有るし、何となく学食で弁当を開くのが気恥ずかしかったからというのも有る。弁当を持って来ている同士ならともかく、学食でカレーやらラーメンやらを食っている連中の前で弁当を開くってのは何となく気恥しい感じがする。浮くってほどじゃないだろうが母親手製の弁当をクラスの連中以外の奴等にわざわざ見せたいとも思わない。まあ、そんな弁当云々という割合真っ当な理由以上に、昼休みにまでハルヒと鉢合わせそうな場所に行きたくないっていうのも有るんだけどな。
 とにかくそんな理由で俺は一人屋上へ向かったのである。
一人で弁当を食うってのもやや寂しい物が有るが、屋上で風に当たっていれば多少は気も紛れるだろうし、たまにならそんな日もありだろう。季節は初夏、外を吹く風がちょうど心地よく感じられる頃合いだ。風に吹かれてぼんやりと飯を食うのも悪いもんじゃないさ。……などと思って階段を上り屋上に行くための扉を開いてみたら、どういうわけかその向こうに良く見知った人物がいた。
 小柄で可憐な童顔上級生にして、未来人属性付きの部室専用のマイエンジェル……、朝比奈みくるさんその人である。
 朝比奈さんが、弁当が入っているらしい包みを足元に置いたまま、手摺より少し内側に立ってぼんやりと空を眺めていた。朝比奈さんは元々奇麗な顔立ちの人だが、こうしていると絵になるね。所在なさげに空を見あげる少女なんて、文学的情緒漂う感じじゃないか。思わずこのまま眺めていたいところだ。何ならこのまま切り取って保存しておきたいって思うくらいだ。
「……あ、キョンくん」
 なんて風に俺は思っていたのだが、朝比奈さんはふと視線を落としてからごく自然な動きで俺がいる方に向き直り、俺に声をかけて来た。俺に気づいたから振り返ったのではなく振り返ってみて初めて俺の存在に気づいたって感じだな。朝比奈さんがどことなくぼんやりしているのは珍しいことでも無いしこの人はそもそもそんなに勘の良い方でも無いようだが遠慮無くドアを開いたのにこの反応、というのは少し不自然な感じがした。それだけ別のことに意識を傾けていたってことだろうか。一体何を? さあ、そんなのは俺の知るところじゃない。気がかりじゃないと言えば嘘になるがそれをここで問うのは失礼に値するだろう。挨拶には挨拶で応じるのが最低限の礼儀ってものだ。
「こんにちは、朝比奈さん。珍しいですね、朝比奈さんがこんなところにいるなんて」
 珍しいも何も俺は普段朝比奈さんが一体どこで昼飯を食べているかなんてことを知らないわけだが、まさか毎日屋上で食べているなんてことは無いだろう。クラスで友人達に囲まれてお喋りをしながら小さなお弁当に箸をつけている方がよっぽど彼女らしい。
「キョンくんこそ……。教室で、えっと……、お友達と一緒じゃないの?」
「何時もは三人なんですけどね。一人が欠席で一人が本日弁当無しで学食行きなんで、教室にいるのもなんだなって思ってここに来たんですよ」
 別に嘘を吐く理由も無かったので正直に答えておく。そういや、俺が朝比奈さんの昼食風景を知らないように、朝比奈さんも俺の普段の昼休みの様子を知らないんだよな。これが古泉や長門なら、昼時の俺の周囲の会話を一字一句間違いなく再現出来るレベルで知っていたとしても全く驚かないが、朝比奈さんに限ってはそんなことはなさそうだ。
「そうなんだ……」
「朝比奈さんは?」
「……わたしも、似たようなものかな」
 少しだけ間をおいてから、朝比奈さんが答える。曖昧、としか言いようが無いその笑い方の意味するところはよく分らないが、はっきり答えたくないってことだけは雰囲気で読み取れた。その理由が気になるところだが、朝比奈さんが言いたくないことだというのならば無理に訊こうとは思わない。朝比奈さんも思春期の少女なのだ。言いたくないことが有ったり一人になりたい時が有ったりしても別におかしくないだろう。
「どうせなら一緒に食べますか?」
 さて、当たり前だがここまで来て引き返す理由もなければ、わざわざ距離を取る理由もない。だったら一緒に食べると申し出る。うん、これこそ正に自然な展開! 学年の違う弁当持参組み同士なため一緒に昼を食べる機会など全然ない朝比奈さんと二人きりの昼食。これほどありがたい時間は無いと思うね。
「あ、うん……、わたしは、かまわないです。……ありがとう、キョンくん」
 いやいやいや、礼を言うれるようなことじゃありません。むしろ礼を言うのは俺の方です。そしてこの幸福な事態を招いてくれた谷口と国木田には心の中で礼を言ってやっても良いかも知れないな。朝比奈さんと二人っきりで、なんて言うと何を言ってくるか分らないから実際に言う気はないが。この際朝比奈さんの方の事情には目を瞑ろう。気掛かりなのは確かだが、こんなハッピーなサプライズをもたらしてくれたことに文句を言う道理はないさ。
「いえいえ、一人よりは二人の方がいいでしょう」
「……うん」
 笑ってみせる俺に対して、朝比奈さんはちょっと憂い顔だ。おや、と思ったが、その辺の理由についてツッコミを入れるのもやめておいた。何か事情があるのかも知れないが望まれてもいなのに俺がそこに踏み込んで彼女の心を荒らす道理は無いね。そんな非生産的な行為に走るよりは一緒にお弁当を食べて元気になってもらった方が良い。果たして俺と一緒に居ることで彼女が元気になれるのかどうかという疑問も有るがその点についても目を瞑っておこう。ここは、そうなる、と前向きに思った方が良い。ほどほどのプラス思考は人生を楽しく生きるために必要なものなのさ。ほどほど、ってところを間違えないようにしないといけないけどな。






以下、続く