てのひらのきせき


 ひらひらと舞い落ちる小さな水の結晶。
 雪、と称されるその物体を長門有希は掌の中に収めていた。否、手の中に捉まえようとしても消えてしまうだけだ。それを知っていても、長門は有希に手を伸ばすのをやめない。そうすることに意味など無い、ただそうしたいだけ。理由は有っても意味の存在しない行為を続ける理由など長門本人ですら知らない。止める理由が無い、というだけのこと。
「長門さん」
 服も肌も大分濡れた頃、ようやく長門の行動を止めるための声がもたらされた。無機質にも見える白い建物の入口に立つ長身で細身の少年が長門のことを見ている。長門は少年の方へと振り返り感情を映さない表情もそのままに少年の方へと歩いて行く。長門の動きはしなやかで冬の冷たさを感じさせない。
「……ゆき」
 長門が呟く単語は長門の名前と同じもの。字面こそ違うものの長門の名前に込められた意味がそこにあるということに少年は気づいている。名付けたわけでも教えられたわけでもない、ただ、気付いたとしか言いようがない。
 窓辺に立って雪を見る長門の姿を少年はよく覚えていた。けれどそれももう一年以上前の話だ。気づいてから一年、少年の方から行動を起こしたことは無い。
「ええ、雪ですね」
「つもる?」
「どうでしょうね。天気予報では明日の朝までにはやむとのことでしたが」
「……そう」
 少年の曖昧な答えを耳にした長門は、その場で身体を半回転させて空を見上げる。空からは白い雪がひらひらと舞い落ちるように降っている。確かに積るほどでは無い、気温がそれほど低く無いからなのかすぐに水となってしまう。そしてその水も大地を潤すほどの量とは言い難い。このままなら二日と経たずに雪が降っていた形跡は消えてしまうだろう。
「戻りましょうか。……すみません、長く居るのは辛いんです」
「分かった」
 苦笑しがちな少年の言葉に対して首を軽く縦に動かすと、長門は少年の手を取り建物の中に向かって歩き始めた。
「うわっ、あ、あの……」
「あなたはちゃんと休んだ方が良い」
 慌てる少年に合わせて歩調を多少緩めたものの長門の気配に変化はない。長門は誰よりこの少年のことを気遣っている。ただ、加減というものが上手く出来ないだけだ。長門自身その自覚は有るしどうにかしようと思っていたりもするのだが今のところ上手く行っている様子は無い。けれど誰もがそんな長門を咎めず温かく見守っている。この少年もそうだ。
「分かっています」
 長門の言葉に少年が頷く。
「……本当に?」
「本当ですよ」
「どうして玄関にまで来たの?」
「放っておくと長門さんが何時までも外に居そうだと思ったからですよ」
「わたしは平気」
「そういう問題ではありません」
「あなたの体調の方が心配」
 何時の間にか廊下で立ち止まってしまった二人の会話は痴話喧嘩と称するにはどこか頼りなく、病人とその見舞いに来ている人間の会話としてはどこかずれている。
 平坦さは変わらないものの音量を少し上げた長門の言葉の前に、少年が小さく溜息を吐く。降参の合図。それを確認した長門が再び少年の手を取る。長門は少年を寝台に戻すまでが自分の仕事だと思っているし、少年もそれに逆らわない。
「きちんと休んで」
 病室の中に少年を押しこみ、長門がはっきりとした声で言いきる。
「……分かっています」
 二人は、何度も繰り返されたやり取りを今日も繰り返す。

以下、続く