Melt

「食べないと溶けてしまいますよ?」
 黙しているだけの俺をどう思ったのか、古泉はもう一度垂れたアイスを舐めあげて来た。それも、アイスの着いた俺の指ごとだ。
 ……さすがに思考がフリーズしたね。普段から顔が近いとか息がかかるとか思ったことは有るがまさか指を舐めて来るとは思わなかった。アイスが溶けているからというのはその正当な理由になるのか? いや、ならないだろ。普通は指摘してはい終わり、か、舐めたとしてもそこでおどけて笑って見せて有耶無耶にして終了だ。なのにこの男はそのどちらでも無いのだ。真面目そうにも見える表情のせいか何を考えているかさっぱり分らん。
「……」
「ああ、指まで舐められたのが気になっているんですか?」
 なんだその今気づきました、みたいな表情は!
 普通そういうことはする前に気づくというか考えるところだろう。考えるのを素っ飛ばして行動に移してから改めて考えるなんてパターンを展開するのはハルヒだけで充分だ。お前はもうちょっと考えてから行動しろ。ハルヒみたいな奴が増えると俺の苦労が増えるんだよ。
「おやおや、この程度のことで文句を言うんですか」
「こ、この程度ってなあ……」
「別に良いじゃないですか、何か減るわけじゃないですし」
 そんな定型句は要らん。減る減らないだけで許容範囲を決めることが出来たら世の中に起きている争いごとの八割は解決に向かうんじゃないだろうか。人間ってのは結構物理的な損得とは違う次元で動く生き物だし。現に今の俺がそうだ。この状況で生じる物質的な事象なんて高が知れている。一個百円のアイスのせいぜい数口分。金銭的価値も栄養価もカロリーも微々たるものに過ぎない。その程度のことでとやかく言うのはお菓子の取り分に関して並々ならぬ関心を持っている子供くらいだろう。俺はそんな子供とは違う。そもそもアイスをこれ以上積極的に食べたいと思っているわけじゃない。問題の本質はもっと別の所に有る。
「……普通、気持ち悪いって思うだろ」
 する側もされる側も。
 だって俺は男で古泉も男だぞ。男女のカップルか女の子同士でやったなら微笑ましいシチュエーションかも知れないが男子高校生同士じゃなあ。って、また舐めるなぁ!
 抗議の声を出してやろうと思ったのに心の中で叫ぶだけに留まったのはあろうことか古泉がアイスを舐めあげた後俺の頬を舐めて来たからだ。
「ひぃっ」
 この声だって実際は口の中だけで出たようなものだ。こんな状態でまともに喋れるわけがない。
 顔を離した古泉が笑っている。甘い、とか言わなくて良いから。アイスだから甘くて当然なんだよ。俺は辛かったり珍味が入っていたりするアイスには興味は無い。食いものは美味しく食べるために有るんだネタに使うものじゃないぞ。
「……んでっ、こんなことするんだよ」
 わけわかんねえ。
 嫌がらせにしては向こうが受けるダメージも大きそうだし好意が有るにしては唐突過ぎる。古泉の考えていることがよく分からないなんていうのは日常茶飯事で普段だったら放っておいても良いと思うのだが当事者の立場に立たされてしまうとそうもいかない。明確な回答をよこせ。いや、回りくどくても良いから俺に読み取れる範囲での回答をくれ。
「あなたが好きだから、というのはどうでしょう?」
 って、疑問形かよ! 自分の行動理念くらいちゃんと最初から持ってろ。好き嫌いなんてのは基本の基みたいなもんだろ。それとも何かお前はあれか、相手に対する好意の示し方を知らない、あるいは知っていても恥ずかしくてそれが出来ずに結果としていじめてしまう小学生男子か何かか。
「ひどいなあ、僕はそんな子供じゃないですよ。……まあ、今のは冗談です」



「ふぁっ……、お前、なんで……」
「ちょっと試してみたいことが有るんですよ」
 古泉はにこりと、それこそパァァっという効果音が聞こえてきそうなほど晴れやかな笑みを浮かべると一度俺から距離を離し小さな箱を取り出した。コンドームでもローションでも無さそうだが明らかにそれらと同じ雰囲気を纏った怪しい箱。果たして中から出て来たのは細い棒のようなものだった。全く同じ物を見たことが有るわけじゃない、知識も経験も足りない。しかし場の雰囲気と状況を考えればこれが一体何に使うものがくらい容易に想像がつく。これは、あれか、大人の玩具という奴か。真っ直ぐとは言い難い形状の、勃起した性器よりもやや細い棒の先にはコードとリモコンのような物がついている。俺の脳はほんの数秒でそれがバイブレーターの一種だと判定を下した。
「げっ……」
「大人しくしてくださいね」
 後ずさりしようとしても背面はベッド。俺は背面からダイブするかのようにベッドに腰を沈めあっという間に完全に追い詰められてしまった。腕が縛られている上斜め上から圧し掛かられている形になってしまったので逃げることもままならない。
「な、おま、一体何考えて」
 古泉の手が俺のベルトにかかる。顔は笑っているが目が笑ってない、こいつ、本気だ。
「一々広げるのも面倒なので、一度こういうものを使ってみようかなと思いまして」
 ……動機としては最悪の類だ。
 楽しませたいとか気持ち良くさせたいという次元ですらない、身勝手な行動。そしてその身勝手さに対して欠片ほどの後ろめたさもなさそうな辺り恐れ入る。思わず背中が震えたのは快楽でも期待でもなく恐怖のためだろうか。足が竦んで身体を横に動かすことすらままならない。古泉は身動きが取れない俺をあっさりと組み敷くとベルトを外し下着ごとズボンを膝のあたりまで引きずり下ろした。ズボンが足に絡まって更に動き辛くなる。
「や、やめっ」
 抗議の声をあげてみるものの効果など無かった。古泉は俺の身体を横向きにすると何時の間にか用意したローションを振りかけたバイブレーターを俺の中に突っ込んできた。準備も無しかよ! 男のモノよりは多少細めとはいえいきなり突っ込まれればそれなりに痛い。何より何の準備もなく入ってきたはずの玩具が想像していたよりもすんなりと自分の中に納まってしまったという事実が痛い、痛すぎる。どんだけ慣らされているんだよ。
「暴れないでくださいよ」
「無茶言うなっ」
 身体を動かすと古泉が根元を手に持って固定したままのバイブレーターが良い所に当たって――違う違う、そうじゃないだろ! 戻って来い、俺!!
「な、あっ……、やめ、ぬ、抜いてくれ」
「暴れちゃダメですよ。……仕方ないですね。もう一工夫しましょうか」
 何、と思う間もなくもう一度背面をベッドに押し付けられる形で押し倒される。哀れベッドに沈む俺の身体。思考が復活するよりも先に古泉が再び下着とズボンを元の位置まで戻して来た。そしてベルトの金具も再び止められる。……中のバイブレーターはそのままに。って、ちょ、ちょっと待て、待てってば!



 本文より一部抜粋しています。