SING&SMILE


 俺自身はどうかって? 俺はこの春無事地元の大学へと進学する。国公立には落ちたが地元でもそこそこ評判の良い私立校に何とか合格することが出来たのはハルヒを始めとした優秀な家庭教師陣のおかげだろう。夏休みの少し前、俺の成績の悪さに業を煮やしたハルヒの号令で始まった主に俺に向けての受験対策用の勉強会はそれなりの成果を奏したってことだ。説明する必要さえない気もするのだが、当然のようにハルヒも長門も古泉も、全員希望の進路へと進むことが決まっている。ハルヒだけは海外の大学入学に向けての短期留学って形だが、あいつのことだから無事望み通りの道へ進んで行けることだろう。古泉と長門は関東の方の学校への進学が決まっている。ハルヒが言っていた大学名は海外など視野に入れていない俺にとっては未知のものだったが古泉や長門が合格した大学は関東に住んでない俺にも分かるくらい有名な大学だった。俺以外の団員達の成績面での心配など一切していなかったがそれでも古泉や長門が無事志望の大学に合格した時は自分のことのように嬉しかったね。一
 さて、卒業式のその日、式も終わり後は適当に残った荷物なり何なりを引き上げて帰宅すればそれでおしまいだというのに、ハルヒは何故か何時まで経っても部室には現れなかった。去年も今年も新入生の入部者が居なかったSOS団の活動は今日で終わりだ。学外ではどうか知らないが少なくとも今日が終われば俺達はもう北高生じゃないからな。
 それぞれ教室に置いていた荷物はもう殆ど撤収済みで校内に残している私物と言えば本日渡された卒業証書と今履いている上履きくらいの物なのだが、部室の方に関してはまだまだ物が残っている。何せこの三年間でハルヒが要らぬ物をあれこれと持ち込んだからな。
部室一個分を埋め尽くすほどの物品だ。教室の机やロッカーの中とは要領からして大分違う。一応今日までに大半の物を片付け終えたんだが部室内にはまだ物が残っている。とはいえ、大量の本もコスプレ衣装もボードゲームも既にここには無い。
「涼宮さん、遅いですね」
 がらんとした印象の部室の窓辺に立っている内背の高い方である古泉がぽつりと呟くように言った。隣の長門は相変わらずの直立不動状態だ。
「……迎えに行った方が良い」
 口元だけを動かして長門が言った。長門の視線は俺を見据えている。どうやら自分で迎えに行く気はないらしい。分かった分かった、迎えに行くよ。このまま三人でここに居ても仕方が無いからな。残った荷物なんてガラクタみたいなものばかりだが、持ち主であるハルヒを無視して処分するわけにもいかないからな。どうせハルヒは全部持ち帰ろうとするか俺達に押し付けうようとするんだろうが。
「迎えに行ってくる」
 いってらっしゃい、という古泉の言葉と長門の無言の主張を背中で受け止めつつ、俺は一人部室から教室へと向かうことにした。本日一、二年生の大半も卒業式への出席のみで帰宅なので校舎内は静かな物だ。部室棟の方にもあまり人は居なかったしな。校庭では幾つかの運動部が練習に励んでいるようだが普段の平日に比べて人の数は随分とまばらだった。
 慣れ親しんだ廊下を歩くのも今日が最後だ。卒業式の日取りなんて三学期が始まる前から分かっていたことだし受験勉強も含めて考えればこの一年間が学校から旅立つための準備期間だったとも言えるが、改めて考えてみると感慨深いものが有る。くたびれた上履き、走ると硬さを感じる廊下、窓辺から差し込む太陽の光、幾つもの藁半紙やコピー用紙が張られた教室の壁、その全てが愛おしく、その全てと今日でお別れだ。そんな風に考えていると、遅れて来たハルヒに対する怒りも感じない。
ハルヒにだってこの学校には思い入れが有るのだろう。SOS団が出来てからのことは一々説明する必要もないだろうが、それだけじゃない。ハルヒがこの学校に入ったのは、一人の人物を追いかけてのことだ。全生徒を調べても見つからず、僅かな望みをかけようにも同時に学校に在籍することさえ叶わない年齢差が有るであろう一人の人物を追いかけて――などと言うとまるでロマンチックな恋物語の始まりのようだがハルヒが探していたのは三年前の世界にタイムスリップしていた俺だってオチがついている。俺はその事実を明かしていないし、ハルヒは多分気付いていない。SOS団を作るよりも前に、以前どこかで俺の顔を見たことが有るような反応を示していたこともあるが、まさか俺が三年前に(今は既に六年前となっているが)会ったジョン・スミス本人だ思っていたりはしないだろう。せいぜいよく似たそっくりさん程度のはずだ。
 高校生になりSOS団という最高の居場所と仲間を見つけたハルヒが今更ジョン・スミスに拘っていたりはしないだろうが、未だに心の片隅程度にはその存在が刻まれているんじゃないだろうか。俺は自分がジョン・スミスで有ることをハルヒに明かすつもりは無いのだが、ハルヒのジョンへの憧れとやらを考えると若干の後ろめたさが無いわけでも無い。よくよく考えてみればこの三年間、俺はずっとハルヒを騙し続けていたわけだからな。俺だけじゃない、古泉と長門と朝比奈さんだってそうだ。俺達四人は、秘密と危険性を共有する仲間が居たからこそハルヒに『真実』を悟られることなく今日この日を迎えることが出来た。これで、一安心――と思えるところまで、やっと到達できたってことかも知れないな。
 幾つかの廊下と階段を通り、俺は無事教室の前へと辿り着いた。前置き無しで教室の扉を開けると、窓辺の机に座っているハルヒの姿が目に入った。その外見は涼宮ハルヒ本人で間違いなかったが、俺は一瞬目を疑った。ハルヒが、今まで見たこともないような表情をしていたからだ。俺の位置からでは横顔しか見えないが憂いを帯びたその顔は単なる不機嫌顔や不安を刻んだ表情とは違い、どこか艶めいた印象を浮かび上がらせていた。中身が子供っぽいせいもあってか実年齢より若干幼く見えるなと思っていたが、こんな大人びた表情も持ち合わせていたんだな。意外、としか言いようがないな。ハルヒに驚かされたのは一度や二度では無いがこんな形で驚愕を味わうとは思ってみたことも無かった。ハルヒも少しは大人になったということなんだろうか。
そんな憂い顔を湛えたハルヒは、何故か歌を唄っていた。卒業ソングのようだがサビしか知らなかったのがすぐに次の曲へと切り替わる。ハルヒは俺が現れたことに気づかないのか延々と幾つもの歌のサビだけを口にしている。飽きないものだな、と思うが、見ているだけという俺も俺だ。普段だったら、机に座るのはやめなさい、くらいは言っていたと思うんだが。
「……あらキョン、居たの」
 俺が話しかけるよりもハルヒが振り返る方が先だった。




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