プロローグ


 夏休みも終わりまだまだ暑さからは解放されないものの休みだけは終わってしまい暑い中登校しなければならないという忌々しいこの季節。去年は夏の暑さの比では無いほどの重圧から解放された直後ということもあって学校に通うことをそれほど苦と思うこともなく九月を迎えたが、今年はそうはいかなかった。今年の夏が『普通』と言えるかどうかという疑問は有るが去年と比較すれば平穏に近い日々で有ったことには間違いはない。少なくとも同じ時間が延々繰り返されるなんていうバカげた事態にはなってなかったからな。
 そんな夏休みの出来事についてはまた別の機会に譲るとして、ただいま俺は再開した授業や放課後の団活動などに直面していた。団活動そのものは夏休み中も有ったんだが学校が有ると無いとじゃ事情もやることも違ってくる。だがそれは学校が有るからこそハルヒがその枠に納まってくれるなどという生易しいもんじゃない。あいつはどんな限られた場所、限られた道具しかなくとも遊び倒す遊びの天才児みたいなやつである。ハルヒにとっては学校なんて玩具の一つでしか無いのだろう。
 その玩具の扱い方はハルヒ次第。俺を含めた周囲の面子は必要に応じて予想を立てたり新しい玩具の用意をしたりするということを行っていたが、何せ相手は涼宮ハルヒそのひとである。完全な先回りなど不可能に等しい。かくして、俺達はみんなでハルヒに振り回される羽目に――というのは既に俺達SOS団の日常のような物だ。俺はその日常にそこそこ満足しているし、宇宙人未来人超能力者といった肩書の着いた面々もその点については一定の理解を示している。お役目も有るだろうが本人の意思も有る、ということなのだろう。各人の背後に居る連中がどう思っているか知らないが俺は良い傾向だと思うね。
 さてそんな風に俺がこの状況を噛みしめているのは単にやることが無いからだ。ただ突っ立っていること早数分。何時まで立って居れば良いんだよ。
「んー、ピンと来ないわねえ」
「早くしてくれ」
「もう、余計な台詞を言っちゃダメよ。いくらあとから編集可能だからって口パクを誤魔化すのは大変なんだからね」
 編集、と騒ぐのは良いが監督様がカメラの前に立って手を振っていたらその背中しか映らないだろう。幾らカメラマンが長門とはいえカメラの向こう側の人間を透過して撮影するようなインチキが出来るとも思えない。
俺が指摘するよりも前に自分が今の位置に立っていると撮影の邪魔になるということに気づいたのか、ハルヒがさっと横に動き長門に場所を譲った。それからあれこれと長門に向かって指示を飛ばし始める。ハルヒの注意が逸れたのを横目で確認し、俺は短い溜め息を吐いた。レフ板を持った朝比奈さんが視線だけで「大丈夫ですか?」と訊ねて来るので俺はアイコンタクトでそれに答えた。大丈夫、と、多分伝わっているだろう。
 ハルヒが監督、俺がカメラの中に収まる役者その一、長門がカメラで朝比奈さんがレフ板係。これ以上説明する必要はないだろう。これは映画の撮影だ。以前の撮影の時とは各自のポジションが違うんだが……、当然、まだここに表れていない残り一名こと副団長殿にもちゃんと役割が割り振られている。ハルヒ以下割り振られた役を考えれば残った椅子は一つしか無い。同じ紙面の中に答えが書いてある懸賞のクイズ並の分かりやすさだ。
 ハルヒは相変わらず長門と相談しつつカメラを手に取ったり長門に返したりしている。そんなに気になるんだったら自分で撮影すれば良いのに。メガホンを片手に仁王立ちしていることに一体何の意味が有るんだろうか。
「古泉くん、こっち来て。キョンに演技指導してやってちょうだい!」
「あ、はい……。演技指導ですか。そうですね……」
 校門の陰からひょっこり現れた古泉が、考えるようなふりをして顎に手を当てている。誓っても良い、こいつは絶対真面目に考えていない。というか、真面目に考えるな。
 悪いが俺はお前に演技指導されるほど落ちぶれちゃいない。背景事情その他を考えれば古泉の方が俺より演技力に長けているのは間違いないと思うのだがそれにしたって指導されたくないだけの事情というものが有る。例えば古泉がカメラかレフ板担当で、俺の相手役が長門か朝比奈さん、という状況ならば許容出来なくも無かったんだが。
 そう、今回古泉は俺の相手役なのである。相手役と言っても色々有る。メインの登場人物が二人って構成の映画というと、恋に落ちる男と女、友情をはぐくむ男同士、絆を確かめ合う親子、遺産や家督で争う兄弟、あるいは叔父と甥……、
「……もう、キョンがこんなんじゃ良いラブコメにならないじゃない!」
 そんな山のようなパターンが有り当然その中には俺が許容しても良いと思えるだけの物が幾らでも有ったというのに、あろうことかハルヒは、俺が最も遠慮願いたい物を今回のテーマに掲げているのだった。
 何でこんなことになっているかって?
 説明したくもないが、説明しないわけにもいかないのだろう。
 ことの始まりは、三日ほど前に遡る。
 …………。
 ……。


夏休みも明けてそろそろ通常授業も再開し生徒たちが夏休み気分とのお別れを強いられる頃、ハルヒは相変わらずマイペースというか、自分勝手な生き方を謳歌していた。授業中は概ね大人しかったがぶつぶつと呟いていた単語の羅列が授業と無関係なことだったことくらい前の席に居る俺には丸分かりだ。おかげで授業が全然耳に入って来なかったじゃないか。
「あんたの場合周囲がどうとか関係ないでしょ。大体、ちゃんと集中していればあたしの声より教師の声が耳に入って来る筈よ。もっとも、あいつらの教え方ってかなりへったくそだけど」
 言いたい放題なのも相変わらずだな。後半については言い過ぎな気もするが否定はしない。この学校の古文の教師には生徒に教える気が有るのかどうか非常に疑わしい。
「なあハルヒ、お前は授業中に一体何を考えていたんだ?」
 触らぬ神になんとやらではないが妙なことを考え始めたハルヒを突っつくというのはあまり推奨出来ない行為だ。放っておけば自然消滅したような物でさえ引っ張り出してしまう可能性が有る。……SOS団の発足時からしてそんな段階を踏んだような気もするが、そんな過ぎ去ったことを今更考えてみても仕方が無い。
 その辺の事情を分かった上で訊ねた理由が何かと問われれば、ただ単に俺自身少々退屈気味だったからとか、他に話題が無かったからだとかいう、他愛ない、何の他意も無い事情ゆえに他ならない。事情、という単語を使うのさえおこがましい気がするな。要するに、その時の俺は深いことなんてなーんにも考えてなかったのである。何せ単なる雑談の範疇だ。だが、俺にとっての雑談がハルヒにとってはそうでは無い可能性が有る――という事実を俺が再確認するのはこの数分後のことになる。
 ホームルーム後部室にも行かず帰宅もせず何故か同じ部活(とはちょっと違うが似たようなものだ)部員同士でだらだらと話すという高校生らしいようならしくないような微妙な時間はこの後すぐに破られることになるのだ。
「映画の配役よ」
 パシパシと数度の瞬きの後にハルヒが答えた。映画? ……映画と言うと去年の文化祭に合わせて撮った悪夢のような映像の数々が蘇る。カテゴリわけさえ躊躇われるようなくだらない映像の羅列、整合性の見当たらないストーリー。朝比奈みくるプロモーションビデオと言った方が相応しいような気さえする『朝比奈ミクルの冒険』。確か、春にその続編の予告編的な物も撮ったんだったな。
「それとは別、続編に入る前に全然関係ない短編を一本撮ろうと思っているの。春に取ったのももう随分前のことになっちゃったじゃない? だから、その前に映画撮影に慣れるためにも一本撮っておこうと思ったのよ」
 なるほど準備のためにってことか。どうしてそこで演技の練習やカメラワークの練習という発想にならないのかという疑問は有るが発案者がハルヒだということを考えればこれでも随分な進歩と呼べる。あんなバカバカしい期間が延長されることに対して素直に喜べるわけもないがここで映画と言いださなければまた別のことを考えていたんだろう。映画ならこれで三度目だ。二度あることは三度、ともいうが三度目の正直とも言う。いい加減対応する俺達の方も慣れてきている。展開を予測した上で異常事態が発生するのを回避していけば何とかなるさ。
「内容は決まっているのか?」
「正統派ラブコメよ」
「へえ」
 ラブコメか。これまたハルヒらしくない気がする。前の映画にも恋愛要素は有ったがそれがメインというわけでも無かったからな。では何がメインだったのかという質問に対しての解答は持ち合わせていないがその件について一々考える必要もないだろう。そもそも、ハルヒ本人ですら撮影時のテーマを奇麗さっぱり忘れている可能性が有る。何か思いつくたびに脱線していった映画に一貫したテーマなんぞ有るわけがない。完成した映画と呼べるかどうか怪しい代物に一応それらしいストーリー展開が有ったことの方が驚きだ。
「ラブコメってね、大道具や小道具に頼るよりも各人の演技で印象的なシーンを作り出すものじゃない。だから、演技やカメラワークの練習に良いと思ったのよ」
 映画監督としてまともな考えなのかどうかは知らんが素人考えにしては比較的まとも、だと思う。はっきりそうだと言い切れないのは相手がハルヒだからだろうか。
「ただ、配役が思いつかないのよね。ヒーロー役は古泉くんにするつもりなんだけど、ヒロイン役が決まらなくって。みくるちゃんじゃ新鮮味に欠けるし、有希はなんか違うし……」
 顔面偏差値の高い連中を捕まえて何て贅沢なことを言っているのやら。だったらお前がやれよ、と言ってやりたい気もしたがハルヒが主役なんぞやった日には何が降ってくるか分かった物じゃない。去年の撮影の時にハルヒ自身が主演だったとしたら、はたして俺達は(主に長門)数々の危機的事態を回避できたのかどうか。……ぞっとしないな。主演の朝比奈さんはひどく神経をすり減らしていたが今思えばあの配役は正解だったのかも良かったのかも知れない。ハルヒ本人が主演だったとしたらもっと致命的な事態になっていた可能性が有る。
「鶴屋さんは? 何なら阪中でも良いんじゃないか」
 どっちも話を振れば二つ返事で協力してくれそうだ。阪中には若干荷が重い気がするが大人しめな恋するお嬢さんとか似合いそうだよな。実際にお嬢様だし。
「SOS団団員以外の協力者を主演に据えたくないのよ」
 じゃあお手上げじゃないか。どっかで妥協しろよ。新鮮味を捨てるか、団員以外に頼むか。
「ううん……。ああ、そうだな。だったらキョンをヒロイン役にすれば良いんじゃない!」
「……………………は?」
 ……。
 …………。


本文より一部抜粋しております