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――思考がまどろみから浮き上がってくるのに伴うように、ゆっくりと目を開いていく。 暗がりを抜けて最初に視界に入ってきたのは真っ白な壁面。それは全く持って見覚えのない物ではあったが壁であって天井では無いなってことくらいはすぐに分かった。何故ならそこにドアが有ったからだ。ということは、ここが天井にドアが有るドッキリハウス的な建物でもない限り俺は立ったまま、最低でも首から上だけは寝ている時ではなく普通に立ったり座ったりしているときのような方向を向いて居たってことだ。 ……なんだそりゃ。 普通そんな状態で寝ないよな。というかそもそも俺は何で寝ていたんだ。確か学校帰りの坂道の途中、古泉と一緒に歩いていたら、奴が俺の肩に手を置いて――そこから先の記憶が全く無い。奇麗さっぱりそこで途切れてしまっている。まるでその場所で気を失ったかのようだ。いやまさかそんなことが有り得るはずないだろうと思うけれども、いきなり突発的な記憶喪失になったと思うよりはその方がまだ現実味が有る。俺の日常において現実味などという定義がどの程度有効性を持つのかという疑問も有ったが……、何せ前置き無しの時間移動や空間移動に巻き込まれた可能性だって有り得るのだ。大抵の場合は何らかの前振りが有るものだが何も無かった場合も有ったし、俺には感知できないことイコール無いも同然だったってことも有った。今度は一体何だ。 「……な、何だ、これ」 とりあえず状況を把握しようと思って身体を動かそうとしてみたが、俺の全身はピクリとも動かなかった。身体の状態がおかしくなっているかと思ったがそうじゃない、物理的に行動を制限されているんだ。俺の両手足と胴体に絡みつく、謎の物体。物、と定義して良いのかどうかさえ定かではないが、俺の身体は緑色でところどころトゲやらイボやらが生えた長い蔦のようなものによって絡め取られていた。ぱっと見のビジュアル面から考えるとほぼ植物の蔦と言って間違いないだろうが、俺はこんな俺の腕より太そうな部分から小指くらいの太さまでの物がランダムに伸びているような蔦植物なんぞ知らないし、そもそも植物は人間を絡め取ったりしない。しゅーしゅーと音を出しながら動いたりもしないな。これはあれか、食虫植物の巨大化バージョンか。 その謎の蔦モドキもとい大型の食虫植物のような物体のことについてだが、俺はこれが何であるか大体の想像がついていた。誰がどうやって用意してどういう理由でこんな用途に用いたのかは分からないが、これは多分宇宙的な生物って奴なのだろう。ヒト型以外の宇宙人、いや、地球外原産生物の外観を見たことが有るわけではないが、遭遇したことならある。俺が今までに出会った連中はウイルスレベルだったり電子の住人だったりして実際に『見る』ことが出来なかっただけだ。中にはこんな地球の植物と似たような外見の奴が居たとしてもおかしくはないだろうし、本来地球の生命体のはずの生き物が宇宙的な手段によって変質しているってことも有り得るだろう。 ……そんな宇宙的な存在に全身を絡め取られながらも冷静に分析してしまっている自分もどうかとは思う。ここは慌てふためいて助けを呼ぶべきところなんじゃないだろうか。状況はちっとも明るくない。誰が何のために俺をこんな風な状態にしているか知らないが、友好的な連中がやっているってことだけはなさそうだ。仲良くなりたいって前提の上でならもうちょっとまともな手段を用いるはずさ。相手の認識が間違っているだけで、これが『友好的』な接触で有るという可能性も有るには有るが、例えそうだとしても状況は全く改善しない。寧ろその方が性質が悪いという可能性だってある。単純な悪人より歪んだ善人の方が扱いづらいってのは古今東西普遍的に有り得る事象の一つだ。絶対にそうだって言い切るつもりはないが何せ相手は宇宙原産生物を持ち出すような奴だからな。まともに話が通じるとは思い難い。 俺は蠢くような蔦植物モドキを出来るだけ視界に入れないように心掛けつつ、ドアの向こうから誰かが現れるのを待った。一体誰だ……、頭の中で幾つかの想像が浮かぶが答えを絞り込むほどの要素は見当たらない。下手をするとドアは有ってもドア以外の所から現れる可能性だって有るしそれこそ見えない生物がいきなり精神状態にアクセスしてくるというパターンも有り得るだろう。以前宇宙生物に取りつかれて現実世界から消失していたとある不幸な男子生徒のことを思い出す。あんなのは嫌だ。現時点での俺があの時の男子生徒と似たような状態になっていないという保証は全く無いのだが。五感はこれが現実だと訴えるし呼吸や喉の渇きといった生命に関わる部分も正常な動作と反応を示しているようだが、それが何の保障になる。これは本当に現実か? 腹の底からずんずんと沸き上がって来るような嫌な想像。妄想めいたそれを否定する要素が何も無いという状況が俺を追い詰めていく。こんなふざけた、それでいて何の情報もないような状態でずっと正気を保って居られるほど俺はまともじゃない。絡め取られた手足が肉体的な疲労や苦痛を訴えていないのはせめてもの救いなのかもしれないが、今の俺にはそれさえも現実感を曖昧にさせる不安要素に思えてきてしまう。 ここから抜け出す手段が有りそうなら無駄なことを考えるよりも先に先ずはそれを試しただろう。しかし今の俺は完全に拘束された状態だ。全力を振り絞ってみてもこの蔦植物モドキから逃れることは無理そうだった。何せ一ミリも動かすことが出来なかったんだからな。俺が非力なんじゃない。押さえつける力が強すぎるだけだ。……呼吸することと首から上を動かすことと考えること意外の殆どが封じられているこの状況で何も考えずに居るなんて不可能だし、無関係なことを考えられるほどおめでたく出来ているわけでも無い。 考えるたびに悪い方向へ向かいそうになる思考を断ち切ったのは、ドアノブを回すかちゃりという音だった。俺は弾かれるようにドアの方を向いた。 音もなく開いたドアの向こうから微かな足音を立てて現れたのは、俺が想像さえしていない人物だった。 「……古泉?」 ひやりと、背中を冷たい物が通り抜けた気がした。 何でも良い、誰でも良いからとりあえず出て来い、事情説明をしろと思っていたが、これは完全に予想外だった。何で古泉が出て来るんだよ。この状況で出て来るのは分かりやすい敵キャラか不可解な接触を試みて来るこっちの常識が通じない宇宙生物のはずだろう。何で、古泉がこんな所から出て来るんだよ。それともこの古泉は古泉の姿をしているだけの偽物か何かか? 顔も髪型も俺の知っている古泉で間違いないようだったが、俺は古泉が白衣をまとったところなんて見たことも無かった。白衣姿の古泉はその恰好がえらく様になっていたが……、古泉は、俺が見たこともないような壮絶な笑みを浮かべていた。黄昏の色を宿す瞳は、処女の生血を浴びれば若返ることが出来ると信じているどこぞの伯爵夫人のようだ。 「ようやく目が覚めたようですね」 古泉が俺の元へと近づいてくる。その足取りはこの場に似つかわしくないのではと思えるほど軽快だった。 「お前……、本当に古泉か?」 「ええ、僕は古泉一樹ですよ」 古泉の顔が歪む。見慣れない表情だったので一瞬何かと思ってしまったが、数秒の後、どうやらそれは笑顔に分類されるもののようだということに思い当たった。前々から笑顔の種類だけは豊富な奴だなと思っていたが、まだ俺が見たことがないパターンが有ったとは。 「……」 「信じられませんか?」 「……お前がどこの誰かってことより、自分が置かれた状況の方が信じられん」 「ああ、それもそうでしょうね」 古泉が笑う。命乞いをする小娘を見下す伯爵夫人はきっとこんな笑みを浮かべるのだろう。天国に行くまでには絶対に忘れてしまいたい顔だ。いや、俺は天国に行きたいわけじゃないぞ。そうあっさりと死ぬわけにはいかない。そもそも目の前の奴が俺の死を願っているとも思い難い。目の前に居るのが本物の古泉だとしてもそうでないとしても、殺すつもりならもっと直接的な手段を取るだろう。殺すわけでもなく俺を失神させ拘束したその理由は一体何だ。 嫌な予感はそろそろ過去最高レベルに達しようかという地点まで上り詰めていたが、俺は未だに自分が置かれた状況に対する予想を絞り込めていなかった。答えを知りたいような知りたくないような……、決して長いとは言えない十数年間の中でこんなにも時間が止まって欲しいと思ったことは無いかも知れない。どっちかっていうと巻き戻し希望なんだがその辺はどうなっているんだろう。長門か朝比奈さんならやってくれるかも知れないがどうも古泉以外の誰かが古泉に引き続いて登場するという場面ではなさそうだ。というかこの状況で古泉の後ろからごく自然と長門や朝比奈さんが登場するというのはあまり想像したくないな。 「一万歩ぐらい譲ってお前が本物の古泉だと信じてやっても構わないが……、信じて欲しかったら先ずは俺を解放しろ」 「それは出来ませんね。解放したらあなたは逃げてしまうでしょう?」 「当たり前だ」 何時までもこんな場所に居られるか。ここがどこか知らないがこんな蔦植物モドキがいる時点でおかしすぎる。何でこんな物が有るんだよ。そもそも、どうして古泉がこんな物を用意出来るんだ? その時点でおかしいじゃないか。俺の知っている古泉一樹はただの限定的超能力者であって宇宙生物を従えるような能力の持ち主じゃないはずだ。 「これが宇宙的な要因によって異常成長した植物であることは否定いたしませんが、僕がこれを用意出来ないと考えるのは少々短絡的としか言いようが有りませんね。……前に言いましたよね。機関は長門有希以外のTFEIともコンタクトを取っていると」 「……っ」 嫌なことを思い出した。 そう、あれは確か、生徒会との一件の時のことだ。 あの時古泉は長門以外の宇宙人的な連中のことについて喋っていた。俺はそれが特別不思議なことだとは思わなかったし、そんな会話は既に日常の中にありふれている光景の一つだと思い、生徒会書記である喜緑さんに関する情報以外はほとんど聞き流してしまっていたが、よくよく考えてみれば、それはつまり、状況が動けば古泉及び機関の連中が長門以外のインターフェースとやらと情報交換をしたり協力をしたりする可能性も有り得るってことだ。 「お前……、裏切ったのか」 前述の伯爵夫人は悪魔に魂を売り渡したような奴だったわけだが、こいつが魂を売った先は悪魔じゃなく宇宙人だってことか。 「人聞きの悪い言い方ですね。『機関』の一派と情報統合思念体の一部、……あなたを涼宮ハルヒの周囲から排除することこそ正しいと考える方々に協力し、その見返りを貰ったというだけのことですよ」 何が、だけ、だよ。俺をハルヒの傍から退けることを正当化する時点で充分裏切っているようなものじゃないか。それに何だ、見返りって。 「あなた自身ですよ」 本文より一部抜粋しております |