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正しい彼女の作り方(仮) エピローグ



 ――ようやく資料室の中から解放されたが、外ではまだ雨が降り続いていた。
 長門有希は待機状態が望ましいとか言っていたが、とりあえず帰らないことには何も始まらないらしい。長門と古泉はと言えば、他にやることが有るのでと言って二人揃ってどこかへ消えてしまった。細かい事情は追求しないでおこう。連中が俺達に口出ししているような状況だが、俺の方から逆のことをする気は無いんだ。デートでも秘密指令の遂行でも、勝手にやっていてくれ。
「すみません……、その、傘を忘れてきてしまって」
 雨の日の帰り道、こいつと相合傘をすることになるとは思わなかった。
 なんでこんな日に限って俺は傘を持っていて、こいつは傘を持っていないんだ。逆ならば振り切って濡れて帰ることも出来たんだが……送ってやる、と口にしたのは数分前の俺なので、文句を言える筋合いでも無いんだが、どうにも釈然としないものがある。
「何度も謝るな、謝るようなことじゃないだろ」
「あ……そ、そうですね……すみませ、あ、いえ、その……ありがとう、ございます」
 礼を口にするのは良いが、そのまま離れていこうとするな。女を濡れ鼠にして家に帰すわけにはいかないだろ。出来るだけ何気ない振りをして肩を抱き寄せたら、びくっと肩を震わせその場で固まってしまった。おいおい……ああ、いや、こっちから近付けばよかったのか。こいつも相当バカだが、俺もバカだ。なんだかこの世にはバカとアホしか居ないんじゃないかという気がしてきた。
 背中を軽く押して促してやると、喜緑江美里は少しずつ歩き始めた。あんまりちまちました歩幅に合わせるのは疲れるんだが、仕方ないか。
「あの……」
「まだ何か言いたいことが有るのか?」
「い、いえ、その……あ、あの、怒って……無いんですか?」
「怒られるようなことをした自覚が有るのか?」
「あ……」
「苛立ったのは事実だが、俺が気にしても仕方無いことだろ。お前が俺の記憶を消したのはそれが必要なことだったからじゃないのか」
 当時部外者だった俺に力を使ったところを見られたんだ、無かったことにするのが当然だろう。そもそも力を使うような状況になったこと自体が間違いという気もするが、歴史が巻き戻せないなら記憶の方を修正するしかない。そういうものじゃないのか。……薄気味悪いのは確かだが、理屈としては分かっているんだよ。宇宙人連中が一般人に正体を知られちゃ困るってのは古典的なSFからのお約束で、それはきっとこの世界でも有効だ。この世に広く知られている物理や科学の法則をひっくり返されて困るのは、寧ろ普通の人間達の方だろう。
「必要であることと受け入れられることというのは、別のことです」
 だから、どうしてそんな顔をするんだ。
 さっきも言ったじゃないか、俺は別にお前のことは嫌いじゃないって。こいつ、本当は俺に好かれたいんじゃ無くて嫌われたいんじゃないのか?
「……俺もこっち側の人間だ」
 足を踏み入れてからもう何か月も経っているし、こいつが俺の前に現れたのは俺がこっちの世界に来てからだ。……現れた時に俺の中にある書記に対する記憶まで書き変えなかったのは、俺に対して未練が有ったからだろう。もう一度、なんて思いながらも完全なリセットさえ出来なかったのは、ゼロからのリスタートなんて無理だと知っていたからじゃないのか。
「それは……」
「知っているのと見せられるのは別のことだって言うのなら、その通りだ。だが、今更その程度でお前の存在自体を否定しようって気にもならん」
 気味悪いと思ったことは有るし、今だってその全てを受け入れているわけじゃない。だが、全てがダメだと言うほど頭の固い人間になったつもりは無いんだ。それに、こいつのことをどう思おうと俺は既に逃げられない場所に来てしまっている。愉快なところとは言い難いが、ここでほどほどに生きていく術は身に着けているつもりだ。
「……ありがとうございます、会長」
 別に礼を言われるようなことを言った覚えは無いんだが。……まあ、うざったくなるほど謝られるよりは良いか。
「早く帰るぞ、ゆっくりしてたら濡れちまう」
「は、はいっ」
 女ってのは面倒な生き物な癖に、なんでこんな簡単な会話一つで笑顔を浮かべることが出来るんだ。簡単な、と言えるようなことじゃないのかも知れないが、身構えるつもりは無い。
 気味が悪いと思うことはある、面倒だと思うこともある。だが、本質的にはこいつもただの女というか、ただの人間とそう変わらないのだろう。プリインストールでは無かった恋愛事情が少々気になるところだが、その辺りの内容についてはこいつの能力が戻った後に問い詰めてやればいい。さて、俺は何を忘れているのやら。
 雨の中だというのに陽気に歩くその姿を横目で見つつ、俺は自分が忘れてしまったこととやらについて実にくだらない想像を張り巡らしていた。



 ...end


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