springsnow

スウィート・ドリーマー エピローグ



 ――その後のことを語りすぎると蛇足になってしまうと思うのだが、多少は触れておこうか。
 ハルヒの願った通り俺達は朝倉も含めて全員元の世界に帰還し、朝倉の身体も無事快方へと向かった。長門も、数日後には登校してきた。長門は何も言わなかったが、答えが無いのが答えということなのだろう。肯定的な感情でもって納得しているんだと良いのだが。
「こんにちは、朝倉涼子です。……みんな、またよろしくね」
 それからまた暫くしてテストも終わった頃、朝倉は北高へと転校してきた。それも当然のように五組だった。クラス分けについては誰かが手を回したのかも知れないがその辺については特に何も言うまい。驚愕してぽかんと口を開けた後に喜びの声を上げる生徒達の中、ハルヒがいきなり無茶な宣言をして――なんてことが有ったりもしたが、その件については完全に笑い話レベルなので詳細は割愛させていただこう。ま、朝倉の友達作りのプラスにはなったんじゃないか? ハルヒ先導の元ってのが若干不安だが、今のハルヒなら大丈夫だろう。何となくだけど、そんな気がするんだ。


「……風が気持ちいいねえ」
 朝倉の長い髪が、風に揺れている。秋の日の正午過ぎ、屋上に吹き込んでくる風は穏やかだ。
「ああ」
 朝倉が転校してきたその日の昼休み、俺は本日初めて朝倉と二人きりになることが出来た。
出来ればもっと早い時間に一対一で話したかったんだが、さすがに転校初日の短い休み時間は質問攻めでいっぱいいっぱいのようで、俺の入る隙間なんて無かったのだ。さすが女子、と言いたいが、男子も居たな。谷口辺りが何か言っていた気もする。詳しいことは聞いていないのだが、またどうせろくでも無いことだろう。
「ちゃんと転入出来て良かったな」
 成績については何の心配もしてなかったが、無事転入出来て良かったと思う。これでようやくほっと一息って感じだ。
「うん……」
 ふうっと短い息を吐いて、朝倉が俺の方に向き直る。その顔色も、今は健康そのものだ。うん、やっぱりこいつにはこの方が似合うな。
「ねえ、キョンくん……キョンくんは、あたしのことが好き?」
「好きだよ」
 上っ面を述べているだけなんじゃないかという気はするが、一応この質問には自然とイエスと答えられるようになった気がする。というか、二日に一回以上同じ質問をされていれば嫌でも慣れてくるさ。理由はともかく付き合うってことを選んだのは俺なんだし、ある程度はその責任を果たすべきだろう。ある程度、ってのがどこまでかなんてのは俺自身にもよく分からないんだが。
「あたしが、あなたのことを殺そうとした相手であっても?」
「…………は?」
 あまりにも予想外な台詞を口にされて、俺は完全に固まるしかなかった。殺そうと、って、なんでそんな……おい、まさか、まさかまさかまさか。
「うん、あたしね、全部思い出したの」
「……」
 マジかよ!
 思いだしたって、それは、つまり……、
「こっちに戻ってから三日後のことなんだけどね。長門さんがやってきて……うん、そこで全部思い出したよ。自分が何者であるかも、あたしが以前あなたを殺そうとしたことも、あたしが長門さんに消されちゃったことも。それから、自分が何でこの世界に居るのかも」
 さらりと言ってくれるが、それは超重要事項だぞ。それに、三日後ってことは、今から一週間以上も前ってことじゃないか! それじゃなにか、朝倉は一週間以上も俺を騙していたってことか? 騙す、って表現が相応しいかどうか知らないが真実を伏せていたことは確かだろう。言って欲しかった、なんて言える状況でもないが、びっくりだね。まさかそんなことになっているとは思わなかった。
「あ、安心して、今のあたしはあなたを殺そうなんて思ってないし、そもそもそんな力無いから。……情報操作能力とかは封印されたままだもん」
 その発言を信頼出来るのか? という疑問は有るには有ったが、まあ、信頼しないわけにはいかないのだろう。長門が関わっているのに今更俺を殺しに来るとも思えないし。しかし、記憶が……ってことは、俺達の関係にとって最も重要と思える箇所でさえ偽りの産物に過ぎないってことを知った、ってことなんだろうな。
 俺の返答はともかく、その発端となったはずの朝倉の台詞は本来は存在さえしなかったものだ。そして本人がそれを知ったなら、これ以上この関係を続ける必要はないだろう。
 朝倉が曖昧な笑みを浮かべている意味はよく分からなかったが、本人もそのことに気づいているはずさ。そうでなきゃ、俺にこんな話をするわけがない。
「……そっか」
「うん、そういうこと」
 具体的な言葉を含まない単語でも話ってのは通じるもんだ。日本語万歳! と、叫んであれこれと無関係なことを考えて今の気持ちに追い出しをかけたいところなんだが、どうして上手くいかないんだろうね。別にいいじゃないか、所詮偽りの恋人だったんだ。終わったところで何の問題もない。そもそも、もともと未来に続くためのものじゃなかったはずだ。単なる子供っぽい反抗から始まった行動を何時まで続ける必要が有る?
「あたしね……忘れていた、って言うのも変だけど、うん、入院していた時のこともちゃんと覚えているよ。キョンくんと一緒に居て、あたしはすっごく楽しかった」
「朝倉……」
「全部思い出したせいかなあ。今思い出すと夢の中の出来事みたいにふわふわした感じなんだけど……でも、ちゃんと覚えているから」
 そこは、その、忘れるから気にしないで、とか言うもんじゃないのか。いやまあ、朝倉が覚えていたいというのなら、覚えていて構わないのだが。何せ終わったこと。個人の記憶に関することだ。その点についてまで俺がとやかく言うのは野暮ってものだろう。夢、という例え方も言い得て妙だよな。そもそもインターフェースは夢を見るのか?
「うーん、それは秘密」
 秘密って。まあ、話せないなら無理に聞こうとは思わないが。
「ねえ、キョンくん……。それで、その、改めて……聞いてほしいことが有るんだけど、良いかな?」
「なんだ?」
「あの……あたしね、あなたが好きなの」
 ……。
 …………。
 ………………今度こそ、俺は本気で言葉を失った。
 朝倉が……俺を、好き? 何でそうなる? だってこの朝倉は記憶を取り戻したんだぞ。全部思い出したんだぞ。それでなんで、俺のことが好き、なんていう結論が出るんだ。さっぱり意味が分からん。
「キョンくんと一緒に居た時のことを思い返していて気付いたの……その……あたし、やっぱりキョンくんが好きなんだなって」
 やっぱりってなんだやっぱりって。その言葉がかかる箇所はどこだ。速やかに説明してくれないか、出来れば四百字詰め原稿用紙一枚以内で。
「だから、改めて言わせて……あなたが、好きです」
 俺の頭は完全にショート寸前、いや、すでにショートしていたのだろう。朝倉が記憶を取り戻していたってだけでも驚きなのに、その朝倉が俺を好き? 最早意味不明も良いところだ。なんでそうなるのか全く理解出来ない。恋愛感情なんて個人個人の心の問題だしその発生源や進行理由に野暮なことを言うつもりはないが、自分に関係することとなってはそうとも言ってられない。
「……」
 そう、だから言いたいことは山とあったはずだったんだ。
 けれど俺は真摯な顔をしている朝倉に対して何も言えず、完全に固まってしまっていた。頭が高速に回転しすぎて逆に行動に繋げるためのギアから外れてしまったかのようだ。回転しているって言っても同じ場所をぐるぐる回っているだけなんだが。
「あ、あのね、返事は今じゃなくても良いの。……ううん、返事なんて無くても良いの。あたしは、その……言いたかっただけだから」
 ああ、なんだかどこかで見たような展開だ。
 返事は要らない、なんて、ずるいじゃないか。俺の方に話を振ったならちゃんと俺の回答を待ってくれよ。終わりにするつもりなら最初から言う必要なんて無いじゃないか。終わりに……終わりに、そうだ、ここで俺が首を振れば、全ては終ってしまう。
 朝倉はずっとここに居られるかもしれないが、朝倉にとっての一番は俺じゃなくなる。
 そうしたら、ついさっきまでのような関係ではいられなくなる。
「待てよ」
 去って行きかけた背中に声をかける。
 簡単な、とても簡単なことを思い出したら、答えはあっさりと固まった。
 どうしてそうなるのか? そんなの、俺にだって分からない。恋愛なんて個人の心の問題だ。他人に説明するスキルが有る奴ならいざ知らず、俺にそんなスキルは無いね。第一、そんなスキルを身につけるよりも先に身につけなきゃいけないものが多すぎる。
 驚いて振り返った朝倉に、俺はもっとも短くて簡潔で適切だと思われる返事を口にしてやった。


 ……end


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