代用品の恋


SIDE:I  

 わたしの役目は、涼宮ハルヒを暴走させないこと。
「一樹ちゃん、こっちにおいでよ」
 呼ばれる意味に気づいて居ないわけではなかった。でも、逆らうことは出来なかった。
 だって、それが私の役目だから。
「……やっぱりかわいいね」
「初めてだったんだね、痛くなかった?」
「ごめん……」
 優しい言葉が、私を縛る。
 彼は私を愛しているわけじゃない。私を求めているわけでもない。
 彼が求めているのは、ただの代用品。
 本当に欲しい愛しいお姫様の代わりの、何でも言うことを聞いてくれる、便利なお人形さん。
 それが、私。
 ……そんなこと、分かっている。
 分かっているから……。

「……古泉、なんだ、これ?」
 次の日の放課後、メイド服に着替える途中の私を見て、彼女がそんなことを言った。
「えっ……」
「肩とか、胸元とか、首のあたりとか……、あ、いや、……すまん」
 途中でそれが一体何を意味するのに気づいたのか、彼女が頭を下げた。
 謝るくらいなら最初から気づいて遠慮するくらいの気遣いを見せて欲しい、なんて思わなくも無いけれども、彼女にそれを要求するのは無理な話だろう。
 『機関』の調査が正しければ、彼女はまだ処女だし、そもそもまともな恋愛と呼べる経験すらしていないはずだ。
 だから、こういうことに疎くても仕方がない。
「……別に気にしてませんよ」
 答えつつも、あまり人に見せたい物でも無かったので、私はさっさと着替えを済ました。メイド服は決して着易いものではないけれど、もう何度も着替えているから、この作業にも随分と慣れてしまった。
「古泉、お前、それ、誰に……」
 背中にかかる、躊躇いがちな彼女の声。
 躊躇うくらいなら言わないという選択肢は無いのだろうか。
「答える義務は無いでしょう」
 振り返りながら、私はそう言った。
 出来るだけ何気ない振りを装ったはずの私の前で、彼女の表情が変わっていく。
 ……気づかれた?
 まさか。
 そんなわけは、そんなわけには、
「……バカ」
「え……」
唐突に、彼女に抱きしめられた。
「……そんな顔するなよな」
 彼女の方が身長があるせいか、ちょうど私の耳元近くに唇を寄せられる形になる。近くで聞く彼女の声は、震えていた。
「……」
そんな、顔?
私はいつも通り振る舞ったつもりだったのだけれど。
何かおかしかったのだろうか。
 何が彼女を動かしたのだろうか。
「バカ……」
 罵倒のはずの言葉には、愛情が詰まっているような気がした。
 ……どうして?
「あの、私は……」
「……お前が答えたくなく無いなら、答えなくて良い。けど、私は……嫌なんだよ」
 一体何が?
 こういうことをすること自体が?
 私の受け答え方が?
「嫌って……」
「……気づけよな、そのくらい」
「……」
「まあ、お前には無理な話かも知れないけどさ……」
「……」
 彼女の言っていることの意味が分からない。分かるのは、彼女が私のことを心配しているらしいということくらいだ。
「お前さ……、もう少し自分を大事にしろよな」
「無理ですよ」
 反論するつもりは無かったのに、私は反射的に言い返してしまっていた。
「古泉……」
 私を抱きしめていた彼女の手が緩み、その目が見開かれる。
 綺麗な人。
 少しつり上がり気味の目と、長い髪が印象的な、無垢な少女。
 無垢でいなければならない、神様の選んだ、ただ一人のお姫様。
 私には、近くて遠い人。
「無理ですよ、そんなの」
「……」
「私には、自分を大事になんてしていたら守れないものが、多すぎますから」
 世界とか、神様とか、仲間とか、……もちろん、彼女のことも。
 別に、自暴自棄になったつもりはないのだけれども。
「……バカ」
 彼女は、もう一度私を抱きしめてそう言った。さっきから何度も同じ言葉を言われている。
 嫌な感じはしないけれども、何だか不思議な感じはするかも知れない。
「……」
 そう、私は、結果として、目的のために身体を使ったことを肯定してしまったのだ。彼女は、そういうことが嫌なのだろう。
 けれど、そういうことが私の役目に含まれるものであるということも……、理解も納得もしたくなさそうだけれど、分かってしまったのだろう。
 本当は、彼女には知られたくなかった。
 軽蔑されたくなかった。
 同情されたくなかった。
 私は、ただ、私の役目を果たしただけなのだから。
「ねえ、まだ?」
不意に、扉の向こうから涼宮さんの声が聞こえた。
私は、着替えのために涼宮さん達男子を部室の外に追い出したままだということを思い出した。
彼女がぱっと私から離れ、目を逸らす。
「すみません、今終わりました」
私が答え、涼宮さん達が部室に入ってくる。
「今日は時間がかかっていたけど、どうしたの?」
「すみません、エプロンの紐がからまっていたので、少し手間取ってしまったんです」
「そっか」
 もちろん嘘だけれど、涼宮さんは私の答えで納得してくれたようだ。
「あ、お茶入れますね」
 私は男子達に笑いかけてから、お茶を入れに行く。お茶を入れるのも大分上手くなった気がする。朝比奈さんには敵わない気もするけど。
「どうぞ」
「……」
 男子達に配り終わり、最後に彼女の前にお茶を置く。彼女の愛想があまりよくないのはいつものことだけれど、今日はいつも以上だ。
 先ほどのやりとりのせいだろうか。こういう気まずさは時として涼宮さんの不機嫌の原因になりかねないから、あまり引きずって欲しくないのだけれども。
「キョン、お前愛想悪いぞ」
「……別に何時も通りだろう」
「そんな風には見えないけど」
「気のせいだ」
「キョン、」
「あ、あの……」
 涼宮さんが不機嫌になる前に、私は遠慮がちに口を挟む。
 もちろんそれも、反応を予想した上でのことだけれども。
「一樹ちゃん?」
「あの、私は気にしてませんから」
「一樹ちゃんがそう言うなら、まあ……」
 涼宮さんはそういうと、一応納得してくれたのか、彼女から視線をはずし、お茶を一口で飲みきった。良かった、どうやら喧嘩にはならずに済んだらしい。
「お代わり」
「はい、少々お待ちください」
 涼宮さんから湯飲みを受け取り、私は二杯目を準備する。
 途中でちらりと彼女を見たけれども、彼女は無言を貫いていた。
 ……気づいているわけではない、と思うのだけれども。
 気づいていたら……、まあ、そのときは、そのときに考えよう。
 所詮代用品、お人形さんに過ぎない私でも、考えることは、出来るから。
 自分で考えて動くことは、出来るから。
「ん、一樹ちゃんの入れてくれるお茶は美味いね」
「ありがとうございます」
 それに、私にとって一番大事なのは、彼女ではなくて涼宮さん。
 それを間違えなければ、大丈夫。
 大丈夫、私にも、出来ることは有るから。
 大丈夫、私は明日からも、役目を果たして行くだけだから。

 





 
 性別が違えば各自の立場も求めるものも異なる、という話。
 キョンがどこまで気づいているかは読者様の想像にお任せします。(061231)