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捕手と四番打者について



「私は、四番バッターよりキャッチャーが誰かの方が大事だと思うけどな」

 ハルヒの期待がどうのこうのと言って来た古泉に対して、私はちょっと考えてからそう反論させてもらった。
 今日はハルヒが持ち込んだ地域の野球大会なるものの初戦の日だ。山奥にUMA探索に繰り出すよりは良いという古泉の主張は間違って無いと思うが、こんな野球大会の経過でハルヒが機嫌を損ねた挙句、閉鎖空間が急速に拡大中って……、子供か、あいつは。
 大体、野球大会だというのに、何で私はチアガールの格好なんてものをしなけりゃならないんだ。ハルヒは一人ノリノリ、朝比奈さんは私の方を見て微笑みつつ自分が見られたり弄くられたりするとどうして良いか分からないという微妙路線続行中、私はただただ溜息が増えるばかり……、この状況自体が馬鹿げているとしか言いようが無いね。第一、硬派な野球チーム相手に色仕掛けモドキや応援モドキ(この面子じゃモドキが精々だ)でどうにかできると思う方が間違っている。
 で、そんなこんなで古泉と会話している折、奴は言って来たので有る。四番のあなたが活躍しないから涼宮さんは不機嫌になったんですよ、と。
「……四番バッターが誰でも試合は成立するだろうが、キャッチャーがまともじゃなきゃそもそも試合にならないだろう?」
 野球のことはよく分からないが、この理屈は間違って無いと思う。
 素人だらけの中で誰が四番をやろうが大した違いは無いだろうが、キャッチャーが誰かは大問題だ。常識的に考えて、あのハルヒの剛速球相手にまともに女房役が勤められるのは、野球経験がありそうな古泉くらいだろう。……長門は、出来なくは無いだろうが、完全な直球以外は見送りそうな気もする。そして言うまでも無いことだが、経験値の足りない私を含めた他の面子は全員問題外だ。
「あなたの言うことは間違ってないと思いますが、この際僕のことは関係ありませんよ」
「関係なくは無いだろ」
「無いですよ。……少なくとも、今閉鎖空間が発生しているという現在の状況には何の関係も有りませんね」
 古泉は、何時もの笑顔を寸分も崩すことなく、寧ろ二割り増しくらいの爽やかさを振りまきつつ、そんなことを言った。世界が崩壊の危機に瀕しているっていうのに、全然緊張感が無いな。私も似たようなものかも知れないけどさ。
「……」
 けど、そういうものなんだろうか。
 古泉の言っていることは正しいような気もするし、間違っているような気もする。
 ただ、閉鎖空間が発生しているという状態は確かで……、放っておけば大事に至る、というのは私にだって理解できる。
 世界の危機に直面しているこの状況でその原因を事細かに追究しても仕方が無いなんて風に言い切る気は無いが、後回しにしてとりあえず解決のための策を練ろうというのなら、聴いてやら無いこともないさ。
 でも、古泉が言いたいのは、そういうことでは無いような気がする。
 何だろうな、この妙な感じは。
「……私はどうすれば良い?」
「我々が勝てるようにするか、涼宮さんに諦めて貰うかですね」
「前者は無理だろ」
「出来なくは無いですよ」
 と言って、古泉は長門の方を見た。長門ならどうにか出来るんだろうか? ……出来るのかもな、宇宙人だし。
「……でも、涼宮さんも常識人ですからね。あなたが論理立ててちゃんと説明すれば、意外と今の状況に納得してもらえるかもしれません」
「私が言うのかよ」
「あなたでなければ駄目なんですよ」
「……」
「お願いできませんか、説得?」
「……分かったよ」
 そういう風に言われたら、聞かないわけに行かないじゃないか。
 私は溜息を一つ吐くと、少し離れた場所でふくれっ面をしているハルヒの方に向かうことになった。
 説得って言ったってなあ……。


「なあ、ハルヒ」
「何よ」
「このままだと負けそうだな」
「……逆転するわよ!」
「本気で思っているのか?」
「あったり前でしょ!」
 ヤバイ、この目は本気だ。
 この女……、何で、この状況で勝てると思うんだろう。
「あのな、ハルヒ……、常識で考えてみろ。相手は去年の優勝者だぞ? こっちはお前以外誰一人として打てないし、お前以外でまともに野球経験が有るらしいのは、キャッチャーをやっている古泉くらいだ」
「……分かっているわよ、そんなこと」
「じゃあ」
「でも、負けるなんて悔しいじゃない。……あたしは負けたくないの」
「……」
 負けず嫌いなハルヒの頭を、私は無言で抱え込んだ。
 何と言うか……、何でこいつは、こんな奴なんだろうな。
「な、何よ……」
「別に、負けても良いじゃないか。……私は負けても構わない」
 頭を離し、少し屈みこんで視線を合わせてそう言ってやった。
 そもそも、私は勝ちたいなんてこれっぽっちも思ってないんだけどな。
 青空の下皆で野球……、青春の無駄遣いも良いところだが、それはそれで、今日一日限りって意味でなら、そんなに悪く無い休日の過ごし方だと思う。
 いや、それが原因で世界が崩壊の危機に瀕するのは困るけどさ。
「な、何よそれ……。あんた、ちょっとは、」
「負けても楽しければ良いじゃないか。……違うか?」
 違う、とこいつは言うんだろうか。
 こいつの目的は、勝ってSOS団の名声を広めることに有るんだよな。……馬鹿げた話だけどさ。
「……」
「私は結構楽しいんだけどな、この状況」
 閉鎖空間が発生してなければもっと良いんだがな。
「……」
「なあ、ハルヒ」

「……馬鹿」

 ハルヒは一言そういい残して私の手を振り払うと、さっさとマウンドに向かおうとして……行こうとしたところを、古泉に道を塞がれる形になって、その場に立ちつくすことになった。
 古泉が、少しだけ真剣な面持ちだったからだろうか。
「……何?」
「僭越ながら、僕も彼女と同意見ですよ。……我々が相手チームに勝てる要素が見当たりませんからね」
「古泉くんまで、」
「それとですね……、一つ考えたことが有るんです。果たして、ここで勝っていいものだろうかと」
「何? どういう意味?」
「涼宮さん、この一戦は、我々SOS団にとって記念すべき校外デビューの第一歩としてのもの。……それで間違い有りませんね?」
 古泉の台詞と動作は、一々芝居がかっている。
 それが中途半端にならずにかえって様になるのは、こいつの容姿と雰囲気の成せるわざなんだろうか。
「そうね、そうなるわ」
「ええ、ですから……、その第一歩を、こんな地域の野球大会での勝利という形で踏み出すのは、勿体無いと思うのですよ。当然、敗北の場合は敗北という結果が残ることになりますが、ここはあえて勝ちを譲る形で引き下がり、別の、もっと大々的な形での出発を志すというのはどうでしょうか?」
 よくもまあ、こんなぺらぺらといい加減な言葉が出てくるものである。
「それもそうね……」
 これで煙に巻かれそうになるハルヒもハルヒだと思うが……。いや、まあ、世界の存続を願うなら、これで良いんだろうけどさ。
「そういうわけですので、僕としてはあえて戦術的撤退をお勧めします。……如何でしょうか?」
「……そうねえ。……ねえキョン、あんたはどう思う?」
「私はそれで構わないよ」
 さっきもそう言ったしな。
「そう……、じゃあ、ここで勇退しましょう」
 ハルヒはさっと表情を切り替えると、はっきりとそう言って胸を張った。
 戦術的撤退に勇退って……、お前等どこの軍人だよ。
 けど、まあ、どうやらこれで、世界は救われることになったらしい。


 閉鎖空間の拡大が止まっても一度発生した神人共は消えてくれないらしく、古泉は一人閉鎖空間に対処すべく私達とは別行動を取ることになった。
 残った私達はと言えば、ハルヒ先導の元、ファミレスにてもっとSOS団に相応しい対外活動とは何かということを論じるということになってしまった。
 あーでもないこうでもないというハルヒの言葉に、本日紹介された朝比奈さんの友人で有るところの鶴屋さんが適当に賛同の言葉を述べていたり、妹が意味も分からずはいはい頷いていたり、国木田がしなくても良い助言めいた言葉を言っていたり、朝比奈さんがただおろおろしていたり、谷口が時々愚痴っぽいことを言ったり、私が溜息を吐いたり、そしてそんな中で長門だけが何もかもがどこ吹く風という様子だったりという……、まあ、何時もと面子は多少違うが、何時もとそれほど変わりばえのないSOS団の光景が繰り広げられていた。
 とはいえ、私はあんまり会話に参加して居ない。
 私は目の前に有るエビフライ定食を適当に口に運びながら、今ここに居ないSOS団のもう一人の面子のことを考えていた。
 古泉は……、私に任せたようなことを言っていたけれど、結局は途中で割り込んできて、自分でその場を纏めてしまった。だったら、最初から古泉が言えば良かったんじゃないのか。
 どうして古泉は「あなたでなければ駄目なんですよ」なんてことを言ったのだろう。奴が何の意味も無く私にそんなことを言うとも思えないが……、どうも、私にはその理由がよく分からない。
 それに、キャッチャーと四番バッターの件に着いても、保留のままだしな。
「ちょっとキョン、あんたあたしの話し聞いている?」
「あ、ああ……」
「全く、もうちょっと真面目に取り組みなさいよね。大体、負けても良いだなんて発言、SOS団の団員としてやる気が無さ過ぎる証拠よ!」
 こんなおかしな団体に、やる気を求められてもなあ。
「いいこと、だからここはあんたの奢り、良いわね!」
「……分かったよ」
 ファミレスとはいえ8人分の食事、ハルヒに長門に、それに鶴屋さんと言った大食いキャラが居る状況だが、今の私にはこのハルヒの発言を甘受出来るだけの余力が有った。
 何てことは無い、この後涼宮さんが何か言い出すかもしれないので、といって、古泉が私に向かってこっそり財布を預けて来たからである。
 高校生が福沢さん5枚入り以上の財布を持っているのはどうかと思ったが、まあ、状況が状況だから、ありがたく使わせてもらうさ。それにこの財布。カードも小銭も無い、ただ福沢さんだけが入っている何て代物だ。……古泉個人のものじゃないのは明らかだな。
「分かればいいのよ、分かれば。さ、みんな、キョンの奢りなんだからじゃんじゃん頼みなさい! みくるちゃん、あなたももっと食べる! そんな風に小食だから、栄養が偏るのよ!」
「は、はうう〜、や、やめてください〜」
「馬鹿、ハルヒ、人前でやるな!」
 こらこらこら、人前で人様の胸を揉むんじゃない。
 ああ、思いっきり谷口と国木田の視線が注がれているじゃないか。鶴屋さんと妹もだけど……っていうか、これが当たり前の反応だよな。長門だけは全く関心を寄せて無いけどさ。
「良いじゃない、減るもんじゃないんだし。あ、あんたも揉ませなさい!」
「わー、ちょっと待てー!」
 朝比奈さんを庇った私の背後に、ハルヒが回りこむ。
 って、待て、おい、やめろ……。
「お、おお……」
 こらまて谷口、何だその反応は。
「谷口、お前後で、」
「あ、あんた達、ちゃんと観戦料金払いなさいよね! ありがたくもキョンとみくるちゃんのチアガールなんて姿を拝むことが出来たんだからね!」
 ハルヒはそう言って、谷口と国木田の方をさっさっと指差した。
 っていうか人を勝手に見世物にするな! というかそんなこと言うんだったら胸を揉むな!
「あー、確かにねえ、結構良いものかもねえ」
 こらまて国木田! お前まで言うか!
「でしょでしょ?」
「うん、キョンって結構胸有るみたいだし」
「そうなのよねー、この子隠れ居乳っていうの? みくるちゃんみたいなタイプも良いけど、こういうスタイルも結構萌えポイントになると思わない?」
「ああ、そうかも」
 待て、お前等!
 てっいうか、いい加減にしろ!!


 ……結局ファミレスでの一見は、最後に「ま、いいもの見せてもらったけど、そろそろお仕舞いにしないかい」という鶴屋さんの一言で、色々な物が有耶無耶なまま終了となった。
 ちなみに私が奢ったのは谷口以外の全員で、谷口のみ「あんたはただ見の上何の有益な発言も無かったから、自腹で払いなさい!」というハルヒの発言により、自腹となっている。
 谷口がぶつぶつと文句を言っていた気がするが、もちろんそれは聞き流させてもらった。
 では対する国木田の発言が有益だったのかと言えば……、ここもあんまり論じたくないところでは有る。まあ、結構当たり障りの無い方向に話とハルヒの興味の矛先を逸らしてくれたみたいだから、別に怒ろうとも思わないが。国木田は、人を煙に巻くのが結構上手い方なんだよな。古泉とはちょっとタイプが違うけどさ。


 解散後帰宅し妹を家に置いた私は、漸く着替えを済ませてから一人で家を出た。
 恥ずかしいので描写を控えさせてもらったのだが、試合棄権後さっさとファミレスに向かうハルヒの後を着いて行く羽目になったため、私もハルヒも朝比奈さんもチアガール姿のままだったのである。
 あいつに羞恥心というものは無いんだろうか。……無いのかもな。
 まあ、ハルヒのことはとりあえず今は関係ない。私には別の用事が有る。
 私は携帯で相手を呼び出し、待ち合わせに指定した場所まで向かった。
 家からそう遠くない距離にある、小さな公園。
 そこに、件の人物は待っていた。別にもったいぶる必要なんて無い。古泉を呼び出しただけのことなんだが。
「よう、そっちはどうだったんだ?」
「数は多かったですが、無事退治出来ましたよ」
 古泉が、少しだけ疲れの見え隠れする笑顔で答える。
 しかし、ついさっき呼び出したはずなのに、どうして私より先に来ているんだよ。
 ……こいつもよく分からないやつだよな。まあ、たまたま近くに居ただけかもしれないけどさ。
「そっか……。まあ、何とかなってよかったな」
「ええ、あなたのおかげですよ」
「……」
 それは違う、と思う。
 私は、古泉に言われた通りのことを、ハルヒに向かってやってみただけだ。
 頼まれたことを実行したことは確かだが、結果として私一人ではハルヒを説得することは出来なかった。
「どうしたんですか?」
「なあ……、本気で言っているのか?」
「ええ、本気ですよ」
「……」
 古泉の笑顔は、寸分たりとも揺らぐことが無い。
 張り付いたような笑顔仮面。でも、嘘を言っている雰囲気でも無い。
 何だろうな……、この、妙な違和感は。
 どうしてこいつは、こんな風に振舞えるんだろう。私に感謝する、なんてことが出来るんだろ。
「なあ、古泉……、ハルヒは、自分の意思で籤の結果を操作した、お前はそう言ったよな」
「ええ、そう言いましたね。事実その通りだとは思いますが」
「で、私は四番で、お前は捕手だったわけだ」
 私の守備位置と古泉の打順はとりあえず余り意味が無い……、というか、私の野球知識が着いて行かないのでよく分からない。
「そうですね」
「……四番打者は誰でも出来るが、あの中で捕手が出来るのはどう考えてもお前だけなんだ。なあ、これはどういう意味なんだ?」
 これは、昼間の話の続きだ。
 有耶無耶にされたままの疑問への回答。……ハルヒ自身がどう考えているかも気になるところだが、それよりも今は、古泉がそれをどう捉えているのかが気になる。
「さあ、練習の時の様子でも見て、彼女が僕を野球経験者だと判断したからじゃないですか。或いは単純に面子の中で一番運動神経がよさそうだから、ということでしょうね」
「だったら何で私が四番なんだ。お前が四番で良いじゃないか」
「……そういう問題ではないんですよ」
「わけが分からん」
「そうですね……。僕に対してのそれが無意識下での信頼と呼べるものだとすれば、あなたに対するそれは、無意識下での期待、そんなところでしょう」
「……信頼と期待の違いって何だよ」
「そのままの意味ですよ。言葉の定義に着いては、僕に聞くよりも辞書を引いた方が正確だと思いますが」
「……」
 わけが分からない。
 信頼と期待って言葉の意味が違うのは小学生だって分かるさ。だけどな、どうしてそれを態々別のところに配分する必要が有る。単なる女子高生の私よりも、野球経験の有る男子の方がまだ四番打者に向いている、普通はそう考えないか?
 まあ、ハルヒは普通とは言い辛い人間かもしれないけどさ。
「前にも言ったでしょう。……専門分野が違う、そういうことなんです」
「……」
「あなたはあなたが出来ることをちゃんとしている。もちろんそれは僕も同じことです。……この答えでは不満ですか?」
「そういう問題じゃ……、無い」
 言いたいことは分かる、分かるさ。
 私だって、古泉の言いたいことを全部否定してかかるほど馬鹿じゃないつもりだし、こいつが間違ったことを言って無い事だって分かっている。
 でも、そういう問題じゃない。
 そういう理屈で納得したくない。
 私は……、お前が灰色の世界での赤い光になって世界を守っているのも、普段からハルヒのために気を回していることも、ちゃんと知っているんだ。
 だから……、だから、何でお前は、そんな理屈で納得しようとするんだよ。
 お前がやっていることに比べたら、私のやっていることなんて、その何分の一にも満たないんだぞ。
「……あの」
 言いたい言葉を全部ひっくるめてぶつけたかったけれど、どうせ反論されるだけなのは分かっていたので、私は溢れてきそうな言葉を心の中に押し戻しながら、ただ、古泉の胸元に自分の頭を押し付けた。
 馬鹿なことをしているっていう自覚は有る。
 こんなことをしたって向こうも困るだけだろうってのは、ちゃんと分かっている。
 でも……、そうしたいから、そうさせてもらった。
「余り考え過ぎない方が良いですよ……。僕としては、涼宮さんの機嫌も気になるところですが、あなたのことも大事だと思っていますからね」
 結局私はハルヒのついでじゃないか。
「違いますよ。……そういう側面が有ることは否定しませんが、個人的に、そうですね……、こう言ったらあなたは怒るかもしれませんが、友人として、あなたを心配しているんです。……それとも、僕にはその資格はありませんか?」
 口に出したつもりは無かったのに勝手に声になっていたのか、古泉が反論してきた。
「そういうわけじゃ……」
「そう思うのでしたら、そうだってことにしておいてください」
 古泉は、言い切らなかった。
 こいつは答えを私に委ねている。自分の言葉が信頼に足るものじゃないと思っている。
 どうして、なんて質問は私には出来ない。
 こいつはちゃんと分かっているんだ。自分の言っていることと求めていることが、見方を少し変えれば、好意を利用しているのと同じだってことを。
 そして、私もそれに気づいている。
 気づいていて、違うと声を上げて、でも、それ以上先に踏み込めない。
 そういう、関係。
「……」
 線を引いたつもりは無い、自分から線を引くつもりも無い。
 でも、踏み込ませない何かを思わせる笑顔に対して、私は言うべき言葉を持たない。
 私が触れられないものが、古泉の中に存在する。
 そして、そこに居るのは、
「何はともあれ、今日はお疲れ様です」
「……これ、返すからな」
 ぽんと後ろ頭を撫でて来た手を振り払い、私は借りていた財布を古泉に返した。
 ファミレスで福沢さんを二枚ほど使ったが、それ以外は手付かずなままだ。
「ああ、お役に立ったようでよかったです」
「それじゃ、またな……」
 私はさっと踵を返し、そのまま公園から立ち去った。
 古泉がどんな表情をしているかは簡単に想像がついたけれども、私は、その顔を見たくなかった。


 古泉が自分のことを捕手の役だと言うのなら、それはそれで構わないと思う。少なくとも、奴がそういう認識で有るということに、私が口を挟む余地は無い。……そういう風に割り切ることが出来ないわけじゃない。
 でも、私は……、私は、どうなんだろう。
 私が、ハルヒの期待する四番打者?
 ……そんな風に言われても、私にはよく分からない。
 違うと言い切るつもりは無いけれども……、今の私には、何の答えも出せない。

 私は涼宮ハルヒが私に何を求めているか、未だに全然分かってない。

 ただ、ハルヒが居ないと出会え無かった人が居て、その人は……、そう、でも、そんなことを考えてみたって、出会ったその時から、私以外の立ち位置は決まっているんだ。古泉一樹も、朝比奈みくるも長門有希も。
 私だけが宙に浮いたまま、四番打者になんかになれっこ無いまま、ただ、ここに居る。

 そう、私だけが……。





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