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Girl meets Girl 02




 五月、ゴールデンウィーク明け。
 俺は何故か谷口と一緒に通学路である坂を登っていた。
 特に理由は無い、単に坂の下で出会ったというだけだ。
 長い坂道だ、馬鹿話しか出来ない相手でも居ないよりはマシだ。一人でしんどい坂道を登り続けるより話し相手が居る方が気が紛れるさ。
「なあキョン、お前ゴールデンウィークはどこかへ行ったのか?」
「小学生の妹と一緒にばあさんの家だ」
「しけてやんな……、ああ、しかし、そうか……」
 谷口は肩を竦めてから、視線を彷徨わせ始める。
 こいつとは席が近いし、登校時間が一緒になることも多いせいで割と良く話すんだが、何故かこいつは時々こんな風に挙動不審な動作を見せる。
 ハルヒの変人っぷりに比べれば全然マシな方だが、これはこれでちょっと気持ち悪いな。
「そういうお前はどうして居たんだよ?」
「バイトさ」
 半歩ほど距離を開けた俺に気づいたのかどうなのか、谷口は別段その距離を気にすることも無く俺の質問に答える。
「似たようなものじゃないか」
「高校生にもなって親戚のご機嫌伺いなんていう実りの無いことをしているよりはよっぽどマシだろう?、あのなキョン、高校生には高校生らしい……」
 と言って谷口はまた一人で話し始めた。
 お前さえ良ければバイトに誘ったんだぞとか、女の子の制服は結構可愛かったからお前でも絶対様になったとか、小金が貯まったからデート資金には不足は無いとか、仕舞には何故かデートの金は男が出すものだから女は心配する必要は無いなんてことまで言っていた。
 お前は何が言いたい。
 生産性が有ろうが無かろうが、うちはゴールデンウィークは親戚連中で集まる習慣があるんだよ。
 ああ、斜め後ろから聞こえる谷口の声が鬱陶しい。
 俺は校門に到達するまでの間に、谷口の想定するデートコースとやらを三つも聞かされる羽目になってしまった。
 その三つが三つとも俺にとっては全然面白く無さそうなものだったってことを、一応つけ加えさせてもらおう。


 魔が差した、と言っても過言でも無い出来事に俺が脚を踏み入れてしまったのはその日の体育の時間、正確には体育の前の着替えの時間だった。
 休み時間に入るなり、男子達は教室の外へ叩き出されている。
 かわいそうなことだが仕方がない。何せハルヒみたいな男の視線を一切気にせず着替えだすような奴が居るからな。
 俺は谷口が体操服を持っていき忘れたことに気付いたので、仕方が無いので入り口近くにいた女子に閉まりかけの扉をほんのちょっとだけ開いてもらって体操服の入った袋を投げてやった。
 命中を食らったらしい誰かの、聞き覚えのある間抜けな声が聞こえたが気にしないことにしておく。中身は体操服だ、怪我はしないだろう。
「髪の毛、ぐちゃぐちゃになっているぞ」
 後ろの席で二つ結びのままセーラー服を脱ぎ去り体操服に袖を通していたハルヒに、俺は忠告してやった。普通ツインテールのまま首を通す形の服を脱いだり着たりすれば髪の毛がどうなるかなんて想像しなくても分かるだろう。
 しかも今のハルヒの髪型は普通の左右対称のツインテールではなく、何故か正面向かって斜め右上と斜め左下というかなり不可解な髪型だ。
 どう気をつけたって崩れるのが当たり前だし、そもそもハルヒが着替えに気を使っている様子は全く無い。
 そういう俺もポニーテールを一旦解く。
 ハルヒが、どういうわけか俺の方に視線を固定したまま硬直している。
 どうした、俺の顔に何かついているか?
「結びなおせよな」
 仕方ないので、俺は硬直したままのハルヒの頭に手を伸ばした。
 俺の方が少し背が高いので、ハルヒの頭には結構簡単に手が届く。
「ちょっと、触らないでよ」
 こいつは髪の毛にセンサーでも埋め込んでいるんだろうか。
 俺が髪の毛に触れるかどうかってところで復活しやがるし。ハルヒはそのまま俺の手を振り払い、自分で髪を結びなおし始めた。
「なあ、曜日ごとに髪形を変えるのは宇宙人対策か?」
 俺は溜息を隠しつつ体操服に着替え自分の髪を結びなおしながら、以前からちょっと気になっていたことを訊ねた。
 ハルヒが、再び硬直する。
 ぱさりと、結びかけていた髪が肩に落ちた。
 笑わない視線がそのまま俺の方に固定される。……ちょっと怖いな。
「何時気付いたの」
 質問のはずなのに妙に独り言っぽい呟きだった。
「ちょっと前だ」
 一週間で一回りなんだ、三週間目の始めくらいには気付くさ。
「ふうん……。あたしね、曜日によって感じるイメージって違う気がするのよね」
 ハルヒが俺に向かって喋っている。
 内容がまともかどうかはさておいて、オカルト雑誌のキャッチコピー程度にはまだとっつきやすい。
「色で言うと月曜が黄色、火曜が赤で水曜が青で……」
 それは火が赤いとか水が青いってやつか。
 まあ、言いたいことはわからなくも無い。
「数字にしたら月曜が0で日曜が6ってことか」
「そう」
「俺は月曜は1って……」
「あんたの意見なんて聞いてない」
 言い終わる前に切り捨てられた。
 こいつ本当に他人と会話を成立させる気なんて有るのか?
「……そうかい」
 脱力する俺が顔を上げると、ハルヒがまた俺の方を見ていた。
 何だ、一体。
 ハルヒは俺が不安になるだけの時間を経過させてから
「あたし、あんたとどっかで会ったことがある? ずっと前に」
 疑問形だか独り言だか分からない口調でそう言った。
「……いいや」
 悪いが俺はこんな変な女に出会ったことは無い。
 中身抜きに外見だけを見てもハルヒは人目を惹く美少女なんだ、同性とはいえ普通に会っていたら先ず忘れない顔だろうよ。
 そのとき、チャイムが鳴ったので俺達の会話はそこで打ち切りとなった。
 気がつけば教室に取り残されていたのは俺達二人だけで、遅れていった俺達二人が揃って体育教師に怒られたのは言うまでも無いことだ。


 これがきっかけって奴だったんだろうか。
 翌日、ハルヒは長かった髪をばっさり切って登校してきた。
 腰まである髪がいきなり肩までのセミロングだ。ちょっと勿体無くないか。
 肩甲骨の下の方辺りまでの髪をポニーテールにしている俺は、自分の髪を弄くりながらふとそんなことを考える。
 それにしても、俺が指摘した次の日に切ってくるってのも短絡的だよな。
 俺がそのことを指摘すると、
「別に」
 ハルヒはそう言って黙りこくってしまった。
 まあ、予想通りの反応だったな。


 ハルヒの感性は正直俺には良く分からない。
 どの部活もつまらないと言われた次のホームルームの時、俺はふと谷口に言われたことを思い返して話題を振ってみた。
「お前、告白してきた男と全部付き合った上で振ったって本当か?」
 谷口が言うにはハルヒは付き合う男を全部振っていたなんてことだが、実に勿体無い話だ。
 恋愛経験の無い俺が言うのもなんだが、寄って来る男を全部振るっていうのはちょっと想像が出来ない。そりゃ変なのや面白くない奴も居るかも知れないが、何十人も居たら一人くらい長く付き合っても良さそうなのが居るんじゃないのか?
「何であたしがそんなことを答えなきゃいけないのよ」
 僻みとでも思われたんだろうか、ハルヒの回答は極めて素っ気無かった。
「どうせ出所は谷口でしょう。あいつなんで高校に来てまであたしと同じクラスなのかしら、ひょっとしてストーカー?」
 中学から持ち上がりで同じ高校という辺りはともかく、高校で同じクラスになんてことまで自力で何とかできたらそりゃストーカーじゃなく権力か情報操作能力辺りの賜物だろう。
 悪いが谷口にそんな能力があるとも思えないし、そんなことを望むとも思えない。
「それは無いだろう」
「ふうん……、まあ良いわ、全部本当だから。あいつ馬鹿だけど下手な嘘は吐かないみたいだしね」
 何だ、意外と分かっているんじゃないか。
「一人くらいまともに付き合おうと思える相手はいなかったのか?」
「全然駄目、どいつもアホらしいくらいまともな奴だったわ」
 お互いの『まとも』の定義に大分ずれが有る気がしてならない。
 ハルヒ曰く、どいつもこいつも判を押したように似たようなデートコースを提案してくるような輩だったらしい。
 遊園地とか映画館とかスポーツ観戦とか……、まあ、中学生のデートコースとしては極めてまともだな。
 ハルヒが何を期待しているか知らないが、付き合って初めてのデートで心霊スポット巡りだとか人体の不思議展とかに彼女を連れて行ける奴が居たら、俺はそっちの方がどうかしていると思うね。
 というか俺だったら多分その場で平手打ちをして帰るな。
「本当、何でこの世にはくだらない男しか居ないのかしら」
 そう言うな、中学生の精一杯の努力なんだからさ。
 まあ、谷口の考えるお決まりのデートコースをつまらんと言い切れそうな俺が言うのも何だが。
「じゃあなんだ、宇宙人なら良かったのか?」
「宇宙人、もしくはそれに準じる何かよ!、とにかく普通の人間じゃなければ男だろうが女だろうがかまわないわ」
 おいおい。
 まあ、ハルヒにとっては相手の性別なんてどうでも良いんだろうが……。くれぐれも俺を巻き込まないでくれよ。俺は至って普通の女子高生なんで、ハルヒの毒牙の対象になることは無いだろうが。
 しかし、何でそんなに人間以外の存在に拘るんだろうか。
「そっちの方が面白そうだからに決まっているじゃない!」
 そりゃあ……、まあ、否定はしないさ。
 けどな、普通に考えたらそんなことは有り得ない。
 宇宙人や超能力者や未来人がその辺りをうろついているとも思えないし、俺達に正体を明かしてくれるとも思えない。
 もし居たとしても、そんな連中はひっそり生きているだろうさ。
 そういう連中は世間を騒がせないため正体を隠して生きるものだからな。……って、俺もSFに毒されているんだろうか。
「だからよ!」
 ハルヒが椅子を蹴倒して叫んだ。
 教室中の視線が一気に自分に集中するってのに全くお構いなしだ。側にいた俺の方がいたたまれない気持ちになる。
 えー、あー……、まあ、結論から言うと、ハルヒがそれ以上何かを言うことも無く、俺が注意する事も無く、その日のお喋りは終了した。
 担任の岡部がやって来たからだ。
 岡部が場を仕切りなおし、ホームルームが始まる。
 至って普通の日常。
 ハルヒにとっては、この『普通』ってのが気にいらないポイントなんだろうな。


 そのときの俺がハルヒのことをどう思っていたか、というのを短い単語で纏めようとするのは難しい。
 一応友人未満くらいにはなれた気もするんだが、ハルヒの方が普通の人間の友人なんて存在を求めているわけは無いので、そのカテゴライズは自動的に却下だ。
 俺からすれば、ハルヒはまだまだ良く分からない存在だった。
 無駄に有り余るエネルギーのぶつけ先を知らない、子供みたいな奴。
 非日常との邂逅を望むなんていう子供時代の延長戦をまだまだ持続中みたいな変わり者だったが、悪い奴だとは思わなかったさ。
 俺の妹とはタイプが全然違うが、妹みたいだなって思っていたのかもしれないな。
 まあ、ハルヒにそんなことを言ったら怒られそうだが。
「おい、キョン」
「なんだ、谷口か」
 休み時間に妙に深刻そうな声で話し掛けてくる奴が居たから誰かと思った。
 谷口、お前にそういう口調は似合わないから辞めておけ。お前みたいなキャラがそういう口調になるときは死亡フラグだと相場が決まっているんだ。
「ほっとけ。しかしお前、一体どうやって涼宮とまともに話せるようになったんだ?」
 あれがまともの範疇に入るんだろうか。
「あんだけ長く話せれば充分だろう。俺の知る限りの最長記録だ。お前一体何を言ったんだ?」
 中学三年間同じクラスだった奴が言うんだ、最長記録云々にはそれなりに信憑性はあるのだろう。
 しかし俺は別にたいしたことは言っていない、適当に話をしていただけだ。
「キョンは昔から変な友達が多いからねえ」
 ひょっこり後ろから顔を出した国木田。
 誤解を招くような事を言うな。
「……本当かよ?」
「うん、だってね……」
 谷口が目を丸くし、国木田が俺の過去に触れようとする。
「だー、俺の中学時代なんてどうでもいいだろ」
 俺は二人の間に割って入った。
 国木田はそんなに悪い奴じゃないんだが、ちょっと物事を誇張して話す癖がある。
 谷口程度にどう思われようと構わないと言えば構わないだが、谷口の性格から考えて谷口に話が行くとそのままクラス全体くらいに話が広まりかねない。
 俺としてはそういう事態はちょっと勘弁願いたい。
「喧嘩は駄目だよ」
 男二人の間に俺が割って入っている状況をどう解釈したのか、俺の反対側から朝倉涼子が現れた。軽やかなソプラノ、あまり咎めるような雰囲気は無い。
「喧嘩じゃねえ、涼宮の話だよ」
「涼宮さん?」
 谷口が答えて、朝倉がちょっと首を傾げる。
「そう、キョンがあいつと会話を成立させていたみたいだからさ」
「ああ、そう言えばそうよね」
 朝倉も気付いていたのか。
 いや、俺とハルヒが話ているのは主にホームルームなんだから、クラスメイトの誰が気付いたって別におかしくは無いんだが。
「涼宮さん、あたしが話し掛けても全然答えてくれないんだよね。上手く話すコツが会ったら教えて欲しいな」
 朝倉はそう言って、俺に笑顔を向けてきた。
「コツなんてねーって」
 悪いが俺にも全く心当たりが無い。
「ふーん。でも良かった、涼宮さんにも友達が出来て。女の子同士仲良くしてあげてね」
 友達、なあ。
 確かに一見会話は成立しているっぽいが、俺は相変わらずハルヒのしかめっ面ばかり見ている気がするんだが。
 ちなみに朝倉はこの間のロングホームルームで学級委員長になっている。元々委員長っぽいと思っていたが、委員長って肩書きが良く似合う女だな。
 ハルヒに関しては要らぬお節介だと思うんだが。
「その調子で涼宮さんをクラスに溶け込めるようにしてあげてね。あ、これから何か伝えることが有ったらあなたに頼むことにするね」
 いやまて、勝手に決めるな。
「お願い」
 下から見上げて両手まで合わすな。
 俺に同性愛の趣味は全く無いが、そういう顔をされるとさすがに断り辛い。
 朝倉は俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、そのまま女子の輪に戻っていった。
「なあ、キョン……、友人は選んだ方が良いと思うぞ」
 谷口が俺の肩を叩き、その後ろで国木田が微妙な表情をしている。
 お前等全員アホだろう。


 席替え。
 クラスに目当ての男子生徒の居ない俺からしてもそれなりに楽しみなはずのこの小さなイベントは、後ろの席の奴が前と一緒だったという事実により何もかもが吹っ飛びかけてしまった。
 何でまたハルヒの前なんだよ。
 相変わらずの調子のハルヒが言うには、ミステリ研も超常現象研究会も全く持ってつまらない部活だったという事だった。
 超常現象研究会なんて不思議を求める奴なら一度は通りそうな道なんだろうが、どっちもただのマニアどもの集団で、本当に妙なことに出くわした事など無いという。
 そりゃそうだろう、普通の人間はそんなもんさ。
 非日常的な出来事に憧れつつも、ミステリやSF、ライトノベルなんかを読み耽って妄想や空想に浸ったり、仲間内で語ったりして充足感を得る、そんなものじゃないか?
「もう、つまんないつまんないー、あたしは実際に出会ってみたいのよ!」
 しかし、ハルヒにその理屈は通用しないらしい。
 誰かの作り物の世界じゃ満足できないっていうハルヒの気持ちは分からないでも無いが、だとしたら一体何が良いんだ。
 俺には未だにハルヒの求めるものが何だかさっぱり分からなかった。
 面白ければ良いとのことだが、その「面白い」の定義が一体何なのかが全然見えてこないのだ。
 こいつの中でも方向性は定まってないのかも知れないが、そんないい加減な状態で良いのか、本当に。
 まあ、俺が心配してやる義理も無いはずなんだが
「ないもんはしょうがないだろ」
 俺は意見してやった。
「結局の所、人間は……」
 以下、俺はくどくどと説得めいた事を口にしていた。
 後から思い出すと恥ずかしいとまでは言わないが変なことを言ったなあという気がするのであんまり詳細には触れたく無いが、どうもハルヒは俺の言ったことがお気に召さなかったらしい。
「うるさい」
 言い終わる前に切り捨てられてしまった。
 俺の方はと言えば、特に機嫌を悪くするわけでもなく、こいつらしいななんてことを思って居たさ。
 多分、ハルヒはなんでもいいんだろう。
 ハルヒの言うツマラナイ現実とやらから離れることさえ出来れば、それで充分なのさ。
 まあ、その気持ち事態は分からないでも無いが……、そういうもんは、そう簡単に落ちているもんじゃないだろう。
 ついでに言うと、真っ当な物理法則とやらがこの世を支配しているからこそ俺たちは平穏に暮らせるってもんだ。 
 違うか? 違わないだろう。


 何がきっかけだったかというのは余り考えたくない。
 女子高生同士が話すにしてはどこかネジが一本抜けているというよりも、抜けたネジの変わりに葱でも差し込んだんじゃないかってくらいのおかしな会話が、その発端だったんだろうか。
 とにかくそれは突然やって来た。

 唐突に、首の辺りに不穏な気配を感じた。
 いや、本当は気配なんて感じる間もなかったのかも知れない。
 気がついたら俺はハルヒにセーラー服の襟を引っつかまれ、そのままハルヒの手により身体ごと半回転させられ、ハルヒとこれ以上ないくらい至近距離で顔を合わせるという状態にあった。
 何なんだ、一体。
「気がついた!」
 ハルヒが俺の両肩をがしっと掴み、宣言した。
 そのときのハルヒは、すごくいい笑顔だった。
 例えるなら、子供が新しい玩具を見つけたかのような……、可愛いけれども一抹の不安を感じさせる、そんな笑顔だった。
 それが一抹程度ではないという事を俺はすぐに思い知る事になるんだが、このときの俺は、ハルヒもこんな表情をするんだなくらいにしか思えなかった。
「どうしてこんな簡単な事に気づかなかったのかしら!」
 唾を飛ばすな。至近距離で肩をつかまれてちゃ避けることも出来ない。
「何だ、一体」
「部活よ! 無いんだったら作ればいいのよ!」
 本気かよ。
「そうか、そりゃ良かったな。ところでそろそろ手を離してくれないか、いい加減肩が痛い」
 女子高生としては平均かそれ以下程度の太さしかないハルヒの腕のどこにそれだけの力が有るのか知らないが、掴まれた肩が痛い。
「何よ、あんたももうちょっと喜びなさいよ!」
 ハルヒが離した片手を振り上げ、もう一方の手で俺の肩を揺さぶりまくる。
「……お前の主張は後で聞いてやる、今は授業中だ」
 そう言うと、ハルヒは漸く俺の肩から手を離した。
 前を見たら、クラス全員+教師、要するに教室に居るハルヒと俺以外の全ての人間の視線が俺達の方へと集中していた。あー、教師が泣きそうだな。
 俺は突っ立ったままのハルヒの腕を引っ張って着席させてやると、哀れな女教師に手振りで授業の続きを促してやった。

 新しい部活、なあ。
 嫌な予感がしまくりなんだが、まさか俺もそれに加われって言うんじゃないだろうな。


 結論から言うと、俺の嫌な予感は当たった。
 俺はハルヒの新しいクラブ作りとやらに協力させられる羽目になったのだ。
 提出書類を揃えろと俺に言ったハルヒは、その日のうちに部室を見つけてきやがった。
 正確には文芸部の部室なんだが、たった一人の部員が使って良いと言ったらしい。 
 長門有希、それが彼女の名前だった。
 ハルヒと別方向の意味でちょっと変わった人物のようだったが、ハルヒのパワーに圧されっぱなしの俺がそんなことを気にかける余裕は全く無かった。
「先ずは部員ね、あと二人は必要なのよね。ああ安心して、最低一人は心当たりが有るから!」
 同好会発足のために必要な人数は5人。
 俺とハルヒと……、文芸部員のはずの長門も数に入っているのかよ。
 それにしても、心当たりって何だ。


 次の日、俺は仕方なく文芸部室に向かった。
 まだ新しいクラブとやらの名前も内容も全く決まってなかったが、行かないとハルヒが何を言い出すか分かったもんじゃないからな。
 ハルヒとは違う意味で会話の成立しそうに無い無口系文芸部員との会話とも呼べない言葉のやり取りに脱力した俺が力なくパイプ椅子に腰を下ろそうとした時、勢い良くドアが開いた。
 ここは建物自体が古いんだ、そんなに乱暴に扱うんじゃない。
「やっほー、連れてきたわよー!」
 ハルヒは、片手で俺の知らない誰かの腕を掴んでいた。
 明らかに拉致されたとしか思えないその人物は、小柄な少女だった。
 えっと、上履きの色からして二年生だな。二年生にしてはちょっと子供っぽい感じがするが。
 それにしても、また女の子か。
 パワー全開セミロング美少女(ハルヒ)、至って普通人のポニテっ娘(俺)、ショートカットで無口な神秘系文芸部員(長門有希)、そして今現れた童顔な上級生さん。
 別に男を連れて来て欲しいと思うわけじゃないが、これじゃ主人公不在の恋愛ゲームみたいだ。
「紹介するわ。朝比奈みくるちゃんよ!」
 ハルヒによる上級生さんの紹介はその一行で終わった。
 俺と長門を上級生さん、じゃなかった、その朝比奈みくるさんとやらにまともに紹介する気は無いんだな。
 ハルヒ曰く、その朝比奈さんとやらを連れて来たのは可愛くて小柄で童顔……、萌えキャラとしての要素を持っているからこそ連れて来たとのことだった。
 アホか。
「……」
 ハルヒに散々弄くられた朝比奈さんが、俺を見あげている。
 ぽわわんとした、癒し系の雰囲気を纏った彼女から発せられる空気に、何か違うものが混じっている気がするんだが……、気のせいか?
 何だろうな……、ハルヒにいきなり連れて来られたせいなんだろうか。それとも、俺の方がこの状況に着いていけてないせいだろうか。
 俺はちょっと疑問を抱いていたが、俺のその疑問はハルヒの考えたこの意味不明な団体の名前によって吹き飛ばされた。

 SOS団。
 世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団。
 ……眩暈がしてきそうだ。
 怒るよりも笑うよりも先に呆れた俺が思考を閉ざしたように、朝比奈さんも長門も何も言わなかったので、この団体の名前はハルヒの独断によって決定されてしまった。


 それから数日の間ハルヒは謎の転校生が欲しいだのコンピュータが欲しいだのと騒いでいたり学校中を駆けずり回ったりしていたようだが、数日後の月曜日、何故かハルヒは部室で大人しくしていた。
 ただ部活の時間が始まってからというもの、何故かしきりに時計を気にしていた。
 何だ、一体?
「キョン、4時半ちょうどになったら体操服に着替えはじめてね」
「は?」
 そりゃ今日は体育があったから体操服は持っているが、突然何の提案だ、これは。
 宇宙人を呼び出す儀式みたいに何か意味が有ることなんだろうか。
「いいから言う通りにしなさい!」
「まあ、着替えるだけなら構わないが……」
 理由が気になるところだったが、断ると何が飛んでくるか分からないから、俺は仕方なく言われたとおりに着替えることにした。
 体操服を用意し、セーラー服を脱ぐ。
 脱いだセーラー服を机の上に置いたところで、扉が開いた。
 ……は?

 名前も顔も知らない男子生徒が、その場で硬直していた。

 さて、そのときの俺の格好は?
 下はともかく上はブラジャーのみの下着姿だ。

 えっと……、
「おしっ」
 悲鳴さえあげられずに固まっている俺を無視し、ハルヒが今しがた入ってきたばかりの男子生徒の腕を引っつかんで俺の方に放り投げる。
 何だ何だ、一体。
 俺は突然のことに避けられるわけも無く、男子生徒一緒になって床に倒れこんだ。
「あ、あわわっ」
「……、い、いやぁーっ!」
 ……さすがの俺も悲鳴をあげた。
 あんまり語りたくないんだが、見ず知らずの男が覆い被さっているこの状況で平静を保っていられるほど俺の神経は丈夫じゃない。
 状況からしてどう見たってハルヒの差し金だろうが……、こいつ、何を考えてやがる。
「ご、ごめんなさあい」
 朝比奈さんの謝罪の言葉と、煌くような光。
 これは……、カメラのフラッシュ?
 俺は倒れこんだまま、どうやら自分のこの姿がカメラに収められたらしいということを知った。
 ……最悪だ。
「さあ、あんた、この写真をばら撒かれたくなかったら、最新のパソコン一式よこしなさい!」
 ハルヒがびしっと指を一本その男子生徒に突きつける。
 漸く状況を理解したのか、男子生徒が立ち上がる。
 何時の間にか俺の後ろに回りこんでいた朝比奈さんが、俺にカーディガンをかけてくれる。
「ごめんね、キョンさん。……涼宮さんには逆らえなくて」
 朝比奈さんの声を右から左に流しつつ、俺はどうにか状況を整理しようとする。
 ハルヒは何をしようとしている? パソコン一式とは何だ?
 それとこの男子生徒は誰だ。上履きの色からして朝比奈さんと同じ二年生みたいだが、俺はこんな奴知らないぞ。どこかで見たことくらいは有るかも知れないが……。
「キミがやらせたんじゃないか!、僕は呼び出しに応じてここに来ただけだぞ」
「ああら、誰がそんな言い訳を信用するかしら。そっちは男ばかり、こっちは女ばっかりだもんね。あたし達が連名で抗議したら、皆絶対あたし達を信用するわ!」
「なっ……」
「良いから、よこしなさい!、じゃないと残りの部員も一緒になってこの子を……」
 ……ここから先は俺の脳内から強制消去させてもらった。

 話を整理すると、何でも呼び出されたらしい男子生徒は文芸部の隣に居を構えているコンピューター研究部の部長で、ハルヒはそのコンピ研から強奪するため一芝居打ったとのことだった。何となく見覚えが無いことも無い気がしたのはお隣さんだからか。
 詳しいとこまでは聞かなかったが(聞きたくも無かった)、どうせ自分以外の誰か(俺達3人のうち誰かだろう)の名前を使って文芸部室にそのコンピ研の部長さんを呼び出したのだろう。
 ……俺は部長氏に同情するよ。

 俺自身も同情してもらいたかったが、この状況で俺に同情してくれるのはハルヒの共犯者でもある朝比奈さんただ一人である。
 こんな間抜けで恥ずかしい醜態を人様に教えようとは思わないが、まともに慰めてくれる相手が誰も居ないというのも寂しい。
 俺は学校帰りの坂の下までずっと上機嫌だったハルヒ、肩を支えてくれた朝比奈さん、今日も最初から最後まで存在感ゼロだった長門と別れ、一人寂しく帰宅した。


 帰宅した俺は、どうも気持ち悪いものを感じて仕方なかったのでざっとシャワーを浴び私服に着替え、部屋に居ても何もする気になれなかったので、ふらふらと家の外に出た。
 何となく歩いていると、近くの公園に辿り付いた。
 することも無かったので、俺はベンチに座った。暇つぶし出来そうなものなど持っていないから、ただぼうっと座っているだけだ。
 財布くらい持ってくればよかったな。

「始めまして、お嬢さん」

 気がついたら、見知らぬ男が俺に向かって缶ジュースを差し出していた。
 ナンパ……、だろうか。
 経験が無いので良く分からないが、ナンパにしては場所も状況も不自然すぎる。
 ここはご近所の子供とその保護者しか来ないような公園だ。
 こんな若い男……、多分、俺と同じか少し上くらいの年齢の男が一人で来るようなところじゃない。
 それにこの男……、かなりの美少年だった。
 背も高いし、表情も雰囲気も悪くない。
 こんな美少年が人気の無い公園でナンパなんて、絶対おかしい。
 この顔ならナンパなんて必要ないだろうし、するにしても場所と相手を間違えすぎている。
「大分お疲れのようですね。やはり涼宮さんのお相手は疲れますか」
 俺がジュースの缶を受け取らないまま不思議そうにそいつの顔を見上げていると、そいつは唐突に言った。
「えっ……」
 どうしてこいつが涼宮ハルヒの事を知っている。
 誰だ、こいつは。
 こいつは……、さっきの二年生とも違う、学校で絶対に見たことが無い顔だ。断言してもいい、こんな奴北高に居ない。校内にこんな美少年がいたら俺は忘れない。
「ああ、逃げないでください。……あなたにお話したい事が有るんです、危害は加えませんから」
 柔和な目、優しげと言って差し支えない微笑み。
 嫌な感じはしない、恐怖も感じさせない。
 人を安堵させることに長けた人間の笑い方。
 俺はふと、ハルヒとは正反対だな、なんて思ってしまった。
「……誰だ、お前」
「涼宮さんの関係者です」
 そりゃあ、名前が出てくるんだから見ず知らずの人間ってことは無いだろうよ。
「……兄貴か何かか?」
 雰囲気は真逆だが、どっちも美形って所は共通している。
 ハルヒに兄弟姉妹が居るとも考え辛いんだが、兄が妹が迷惑をかけた相手に対して謝罪に来るというシチュエーション自体はそんなにおかしくはない。……と、思う。
 幸いな事に俺にそんな経験はないが、家庭環境次第では親の代わりに兄姉が出張ってくることだってあるだろう。
「違いますよ。家族や親戚では有りません。……でもまあ、似たようなものかもしれませんね」
 似たようなものって何だ。
 血縁以外じゃ無いなら幼馴染とかか、いや、ハルヒに血縁や学校繋がり以外の腐れ縁が居るとも考え辛いんだが……、こいつ、何者だ。
「……」
「大分お疲れのようですが、明日もあの部室に行ってあげてもらえませんか」
「……」
 俺は無言のまま、謎の美少年を睨みつけた。
 昨日の今日で、こんな出来事が有った後なのに、行けって言うのか。
 ただでさえ、登校すれば自動的にハルヒの顔を見なきゃならないんだぞ。
 あいつは内容を秘匿する事でパソコンを得たらしいが、何時あいつがおかしなことを口にするとも限らないし、また妙なことを言い出さないとも限らない。
 それなのに、俺に行けって言うのかよ。
「……彼女も、寂しい人なんですよ。涼宮さんにとって、あなたは始めて出来た友人なんです」
 じゃあ、ハルヒのことを知っているらしいのに家族でも親戚でも無いお前は一体なんなんだ?
「僕の正体は何れ分かりますよ。また近いうちに会うことになるでしょうからね」
 謎の美少年は、そう言って穏やかな微笑を浮かべた。
 そしてそのまま立ち上がり、俺に缶ジュースを手渡す。
 不信感だらけだったが、俺はその缶ジュースを受け取ってしまった。
 多分、この中に毒とか変な薬は入ってないと思う。
「涼宮さんと仲良くしてあげてください。それが、あなたのためでも有るんです」
 そう言い残して、謎の美少年は去っていった。
 俺のため?
 一体何が……、と思ったが、俺はそれ以上考えるのをやめた。
 結局謎の美少年の正体は去る時まで謎のままだったが、何となく、嘘は言っていない気がした。
 俺は缶ジュースのプルタブをあけると、中身を一気に煽った。
 手の中に握られていたらしい缶ジュースは大分ぬるくなっていたが、それはただの甘ったるいだけのジュースだった。



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