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Girl meets Girl 03





「キョン、待望の転校生がやって来たのよ!」
 何がどう待望なんだ。
 俺は別にそんなもの待ち望んじゃいない。

 翌日、ハルヒの関係者らしい人(仮)に言われたわけでもなかったが、病気でも無いのに登校しないと言うわけにも行かず、俺は仕方なく重い身体を引きずって登校した。
 件の部長氏が二年生で、学校でうっかり顔を合わせる確率が低いというのがまだ救いかも知れない。
 そしてハルヒはと言えば、落ち込む俺を無視するかの如く超元気だった。
 待望のパソコンと、待望の転校生。
 そりゃ元気にもなるだろうよ。パソコンはともかく謎の転校生が必要って感覚は俺には全く理解できないんだが。
「男? 女?」
 ハルヒ的理論を右から左に聞き流しつつ、俺はふと思いついた質問をしてみる。
「男の子だったわ、結構美少年だったわよ!」
 ハルヒが異性の容姿に触れるとは驚きだ。
 しかし男か、SOS団なる謎の団体で初めての男子だな。
 女だらけなところに美少年か……、普通だったら修羅場が想像できそうな所だが、こと俺達に限ってはそんなことは無さそうである。
 ハルヒはこんな奴だし、長門が男(というか他人)に興味を持つところが想像できないし、朝比奈さんが下級生に惹かれるとも思いがたい。
 俺? 俺に着いては聞くな。


「へい、お待ち!」
「古泉一樹です。……よろしく」
 何かを間違えたかのようなハルヒの挨拶と、それに応じて答える転校生こと古泉一樹。

 ……昨日の美少年だった。

 絶句する俺。
 何故か俺と古泉一樹を交互に見ている朝比奈さん。
 何時も通り無言を貫く長門。
 一人盛り上がり中のハルヒと、何となくハルヒに着いていけないものの、昨日の俺とのファースト・コンタクトに関しては無視を決め込んでるとしか思えない古泉一樹。
 何者だ、こいつ。
 ハルヒの関係者って言っていたが、状況からしてどう見てもハルヒの方は初対面って感じだ。
 まさかハルヒの方が忘れている幼馴染とかいうことは無いだろうな、……ハルヒの性格を考えたら、ありえない話でも無さそうだが。
 あいつ、未だにクラスメイトの顔もろくに覚えて無さそうだしな。
「ところで、何をする団体なのですか?」
 全く持って行動を起こそうとしない団員達に何を思ったのか、古泉がハルヒにこの団体の目的を訊ねる。

「SOS団の目的、それは、宇宙人や未来人や超能力者を探して一緒に遊ぶ事よ!」

 ……さて、ハルヒの無茶苦茶な宣告に古泉が頷き、なし崩し的に部員が5人となり、俺たちは活動を開始する……、ことになったらしい。
 朝比奈さんが一人目を白黒させていたが、俺は全然驚いていなかった。
 何せハルヒの行動は何時も突拍子ないし、謎の転校生こと古泉一樹に関しては昨日の今日だ。


「ああキョン、古泉くんに学校を案内してあげなさい!」
 ハルヒのこの宣告により、俺は学校案内とやらを押し付けられた。
 面倒な事この上ないが、状況を考えれば寧ろ好都合だ。
「おい。昨日のあれは何なんだ」
 人の少ない廊下を歩きながら、俺は言った。
 ああくそ、大股で歩いているつもりなのに簡単に追いつかれるってのはむかつくな。俺は女子の中ではそれなりに背の高い方なんだが、それでもこの古泉一樹と視線を合わせるためには、顔を見上げなきゃならない。
「近いうちに会える、と言ったはずですが」
 近過ぎどころか初対面から24時間も経ってない。
「そういう問題じゃ……」
 反論しようとしたら、唇の前に指を一本立てられていた。
 大人が小さい子供にするような動作に俺は一瞬カチンと来たが、ここで挑発に乗ったら負けだと思い、反論したい気持ちをぐっと抑え込んだ。
「もう少しだけ、待ってください。それに、ここでは場所が悪いです」
「……」
「放課後とはいえ校舎内ですからね。誰に見られているか分かったものでは有りませんから」
 古泉はそう言って、肩を竦めた。
 こういう何気ない仕草でも妙に様になって見えるのは、こいつの顔立ちが整っているからなんだろう。
「……」
「何れ分かりますよ」
 古泉はそう言って、軽く片目を瞑って見せた。
 男がそんな仕草をするな。


 次の日部室に行ったら、古泉がパソコンの前に陣取っていた。
 何でもハルヒに言われてSOS団のサイトを作っているそうである、ご苦労な事だ。
 途中からハルヒもやってきて、気がついたら二人がわいわい言いながらサイトを作るのを俺と朝比奈さんがちょっと離れたところから眺めるなんて状態になっていた。
 その日の活動は、それで終了。
 その次の日は、何故か団員全員で人生ゲームを囲んでいた。
 こういうゲームをしている途中でアイデアを思いついた作家が居るとか居ないとか。
 持ってきたのは古泉だったが、ハルヒが古泉を炊きつけたのかその逆なのかは俺にも良く分からないしそんなことはこの際どうでも良い。
 途中から強引に参加させられた長門が連続で一位を取ったのは無欲の勝利って奴なんだろうか。最後はハルヒの逆転勝利だったが。
 とにかくその日の活動は、それで終了。


 謎の転校生こと古泉一樹がやってきてから4日目、古泉は部活を休んだ。
「アルバイトがあるんだって。それじゃ仕方が無いわよね」
 俺や朝比奈さんがバイトだなんて言っても絶対に納得しないであろう団長様は、何故か古泉のバイトに関してはあっさり受け入れていた。
「そうそう、今日はビラを作ってみたのよ!、これから配りに行きましょう!」
 さっさと思考を切り替えたらしいハルヒが、SOS団所信表明の名の元に怪しさ満開の言葉を綴った藁半紙を俺と朝比奈さんに突きつける。
 理解したくない、納得したくない。
 しかし、これを配りに行かないと何が落ちて来るか全く想像できない。
 何時ぞやのパソコン強奪事件みたいな事はお断りだ。
 仕方ない配りに行くかと紙袋を手にした俺の前に何故か立ち塞がったハルヒは、藁半紙が入っていたのとは違う紙袋を俺に向かって突きつけた。
「あんた、これに着替えなさい!」
「……何だこれは」
「見れば分かるわ!」
 ハルヒはそう言って、その紙袋の中から布切れのようなものを取りだし机の上に並べ始めた。
 えーっと、服……、だよな。布ってことは服だろう、着替えろって言っていたし。
 ストレッチ素材らしい布で出来た固まりが黒赤2種類というか2つ、網タイツ、蝶ネクタイに、白いカラーにカフスもそれぞれ2セットずつつ。
 そしてその全てが何であるかを一瞬でつなげてくれる、長く伸びた付け耳及びふわふわのシッポ、……やっぱり×2。
 これは、あれか、何か、……所謂一つのバニーガールって奴か。
「……お前、これで何するつもりだ?」
「あんたとあたしがバニーガールの格好でビラを配るのよ!」
 こともなげに言うハルヒ。
「え、ええ……」
「あ、みくるちゃんも着たかった?」
「いえ、わたしは良いです」
 ……なかなか白状ですね朝比奈さん。ここで着たいと言われてもそれはそれでどうかと思いますけど。
「んじゃ、良いわね。ほらほらキョン、とっとと着る!」
「うわ、馬鹿、服を引っ張るな、胸を揉むな!」
「良いからちゃっちゃと着替えるの!!」
 ……ああ、悪夢第二段。
 小動物のような俺と、それに飛び掛る女豹のようなハルヒ。
 サバンナの動物達の死闘劇もかくやという風に繰り広げられる簒奪者と儚い抵抗者の壮絶な戦い。
 いや、まあ、そんな風に解説している場合じゃないんだが……。解説したくなるくらい、現実逃避したいってことになるんだろうな。
 そんなこんなで、抵抗も虚しく、俺は、ハルヒの手によってバニーガールにさせられていた。
 ちなみに朝比奈さんは少しおろおろしているだけで助けてくれるわけでもなく、長門に関しては言うまでも無い。
「うん、やっぱりあんたもいい胸しているわね!」
 何故そこで『やっぱり』なんだ。
「体育の時間に見ていたからよ!」
 見るなこの痴女。
「つべこべ言わない、うりゃっ。おー、良い触り心地、みくるちゃんの手に余る感じも良いけどこのすっぽり手に収まる感じもいいわね!、ほらほら、みくるちゃんも一緒にどう!」
 ……今すぐ死にたい。

 その後俺は自らもバニーに着替えたハルヒと共に校門でビラ配りをすることになったが、20分足らずで教師に止められ中止になった。
 まあ、当然だろう。
 その20分足らずの間に何人くらいの生徒に見られたのか何てことは、あんまり考えたくないんだが……。
「あ、あの、キョンさん……」
 一人真っ白な灰になりかけている俺の耳に、優しげな声が響く。
「あの……、もし、キョンさんがお嫁にいけなくなっても、わたしが……」
 ……。
 俺はその場で聴覚と触覚と思考をシャットアウトし、全力で着替え全速力で下校した。


 週明けの月曜日、二日ほど時間が過ぎたものの登校する気力が沸いてくるわけも無く一人大いに落ち込んでいる俺のところに迎えがやって来た。
 古泉一樹である。
 俺の母親相手に何を言っているか知らないが、こんな美少年が爽やかスマイルを掲げて迎えに来てしまっては、サボるわけにも行かないじゃないか。
 この状態でサボったら母親からの小言の山盛りが決定だからな。
 俺は仕方なく古泉と一緒に登校することにした。
「金曜日は災難だったようですね」
 古泉は何故か既に金曜日の事を知っているようだったが、俺はそのことを不思議には思わなかった。
 転校前日に謎の登場をした男である、そのくらいのことを知っていたっておかしくない。
 クラスメイトから電話で聞いたとかいう可能性も有るが……、俺はどちらかというとそっちの可能性の方を否定したかった。
 ……登校中の他の生徒からの視線が痛い。


 ホームルーム前の教室で慰めとも侮蔑とも好奇ともつかない形容不能の視線が俺に集中する中、一人だけ話し掛けてくる馬鹿が居た。
「なあキョン」
 五月蝿い。
「お前涼宮と……」
 五月蝿い。
「悪い事は言わないから、」
 五月蝿いったら五月蝿い!
「……あー、すまん」
 今は放っておいてくれ、お願いだから。

 その日、ハルヒはホームルームギリギリに来た挙句、休み時間中も俺に話し掛けてくることは無かった。
 俺の纏う雰囲気を察したのか、それとも他のことを考えていたのは、俺には分からない。
 まあ、ハルヒの性格からしてほぼ後者で決定だろうが。

 放課後、俺はハルヒが教室を出て行ったのを確認してから帰宅した。
 部活?、SOS団?
 ……知るかそんなもの。


「キョンちゃーん、お客さんだよっ」
 帰宅するなり即効で着替えてベッドの中に転がりこんでから何時間くらい経っただろう。
 妹が、俺のベッドを揺すっていた。
 妹にしては穏やかな起こし方だ。
 何時もはダイビングボディプレスだからな。
「……客?」
「そ、学校の友達だって」
「友達、なあ……」
 寝惚けの頭のまま階段を降りると、そこには見知った顔が居た。
 一日二回も同じ人間の家に来る異性の友人というのは、果たして親にどう思われている
のだろうか……。
 俺の思考が、関係無いところで回転し始めそうになる。

「やあ、こんにちは」

 が、それは爽やかボイスによって現実に引き戻された。
 古泉一樹が、朝と同じ笑顔で玄関に立っていたのだ。
「少しお時間いただけませんか?」
「少しって……」
「本当に少しですよ。……あなたの疑問を解決しに来たんです」
「……」
 解決、何をだ?
 ……いや、とぼけるのはよそう。
 この転校生は、転校前日にいきなり俺の前にやって来た怪しい人物だ。
 ハルヒの言う『謎の転校生』が何を意味するかは分からないが、俺にとってこいつは充分謎めいている。
 その謎の原因を教えてくれるってことか。
「ええ、そういうことです。……来ていただけますか?」
「ここじゃ駄目なのか?」
「場所を変える必要があるんですよ、ここではあなたのご家族もいらっしゃいますしね」
 ……ん? 
 これだと家族がいるから場所を変える、というのとはちょっとニュアンスが違わないか?
 俺は疑問を抱きつつも、古泉に従い家を出た。
 行かないと、何も分からないままだろうからな。
 恐怖や不安より好奇心が勝ってしまったってことなんだろうな、これは。

 玄関先に、黒塗りの高級車が止まっていた。
「乗ってください」
「……」
 怪しさ満開どころじゃないが、乗らないと駄目なんだろうってのは空気で分かる。まあ、とって食われるなんて事は無いだろうが……。
「どうぞ」
「あ、ああ……」
 古泉が後部座席のドアを開け、俺がそこへ滑り込む。
 しかし、こんな車で同級生が迎えに来てもなんとも思わないうちの親は……、放任主義はありがたいが、限度を考えた方が良いんじゃないかと、俺は俺よりも妹の将来を心配しながら考えてしまう。
 まあ、これも現実逃避のうちなのかもしれないが。
 車の中に入った俺は、そこでようやくそこに居る人物に気付いた。
 余りにも存在感が無さ過ぎて、直前まで全く気付かなかったのだ。
 見知った顔。
 俺の知り合いの中で、こんなに存在感が希薄な奴は他に居ない。

「……」

 無口無表情存在感無しの文芸部員、長門有希がそこにいた。


 それはちょっと意外な光景だった。
 いや、ちょっとどころじゃないかもしれない。
 何で長門が古泉と一緒に現れるんだ?
 古泉の事情説明に長門が必要なのか?、長門も説明を受ける立場なのか?
「先ずは論より証拠、実際についてから説明いたします」
 長門は何も言わないし、古泉はこの一言と、行き先しか言っていない。
 行き先は、俺たちの住む町からそう遠くない大都市だった。

 車が止まる。
 雑踏の中に降り立つ高校生が三人。長門が一人だけが制服で、俺と古泉は私服だ。
 高級車から出てくるにしては明らかに浮いている組み合わせだが、こんなでかい街でそんな些細な事を気にする奴なんてそうそう居ないだろう。
 古泉が前を行き、俺と長門がその後ろを歩く。
「手を繋いでもらえますか?」
 それぞれに差し出される両手。
 何故か一切の躊躇い無く古泉の手を取る長門。
「ああ……」
 怪しさ全開のはずなのに、俺は何故かもう片方の手を取ってしまう。
 変な感じがする。
 そう言えば、中学の頃から同級生の男どもと馬鹿話をするなんてことは結構日常茶飯事だったが、手を握ったり身体を触ったりなんてことはさすがに殆ど無かったな。
 大きな手。
 指は割合細めのようだが、しっかりとした力を感じる。
「目を閉じてください、ほんの数秒で結構ですので」
 古泉が促し、長門があっさり目を閉じる。仕方ないので俺もそれに倣う。
「もう結構です」
 そして、今度は目を開く。

 世界が灰色に染まっていた。

「……アクセスを確認、接続状況は通常状態の30%から40%の間を変動中、インターフェースの自立行動レベルでの問題は発生していない」
 俺の隣に立つ長門が何か言っている。……見た感じ、この状態に驚いている様子は全く無い。
 この無口無表情女の驚く所なんて、俺の想像の範囲外だが。
 そういや、長門がこんな長い台詞を口にしているところを見たのは初めてな気がする。
「やっぱり100%とは行きませんか」
「次元の相違により接続が妨害される模様。詳しい原因は不明」
「調査が必要ですか?」
「……情報統合思念体は継続的な調査を希望している。自立進化の可能性の解明に繋がるかも知れない重要事項である可能性を否定できない」
「何だか否定語が多いですね。まあ良いです、上に伝えておきますよ。とはいえ、次が何時になるかは誰にも分からないわけですし、出来れば次が無い方がありがたいのですが」
 長門の謎の発言に、古泉が答える。
 二人が言っていることの意味が分からない。
 灰色の、さっきまでの喧騒が嘘のように誰も居ない世界。……形だけは良く似ているのに。
 こんな意味不明な場所で、この二人は何を話している?
「ああ、逃げないでください」
 繋いだままだった手を、軽く引かれる。
 優しい声、人懐こそうな笑顔。
 長門と話すときも俺と話すときも……、多分、誰と話すときも変わらない笑顔。
「大丈夫ですよ、怖いことは何も有りませんから」
 古泉が、空いている方の手で俺の頭を撫でた。
 父親を思わせるような仕草に、ほんの少しだけ安堵を覚えた。
「ここは……」
「閉鎖空間と呼ばれる場所です。詳しい説明は後回しにしますが、そうですね……、とりあえずは、涼宮さんが望むような非日常的事象があなたの前に現れたと思っていただければ宜しいかと」
 漸く口を開いた俺に、古泉が笑顔のまま答えた。

 そのとき、遠くで何かが崩れるような音がした。
 はっとなって音の聞こえた方を見ると、青白い謎の物体が建物を崩している所だった。
 あれは……、何だ?
 一応人型に見えないこともないが……。

「……さて、僕達はちょっとあれを倒してきますね」
「えっ……」
「僕はあれを倒す役目を背負っているんです。一応ここに居れば安全だと思いますから、待っていてください」
「……」
 俺はただ首を上下させた。
 はっきり言って状況には全くついていけてなかったが、何となく、古泉が嘘を吐いているとは思えなかった。
 怪しいのは確かだが、嘘を吐く理由も無いし、こいつがこんな所で俺を騙して得するような事が思いつかない。
「長門さんはどうですか? 30%でも何とかなりそうですか?」
「……攻勢情報の構築は充分可能な範囲。但し、効果に関しては予測不能」
「そうですか……、仕方有りませんね。もし対処出来なさそうだったらすぐ逃げてください。僕があなたの防御に回る余裕があるとも限らないですし」
「了解した」
 長門が答えて、それから、何かを呟き始めた。
 早すぎて全然聞き取れない声。
 ……速読ってのをそのまま音読するなんていう馬鹿な芸当が出来る奴が居たらこんな感じになるんじゃないだろうか。
 唐突に、長門の声が止まる。
 長門の手に、白い槍のようなものが握られている。反対側の白い丸い光は……盾か?
 セーラー服姿のまま光の塊のような槍と盾を構えた女子高生だなんて、シュールすぎる。
 俺の頭の中に、セーラー服の女子高生が機関銃を持って戦う映画のそのまんま過ぎるタイトルが思い浮かんだ。
 俺はその映画を見たことは無いんだが。

「さて、僕も行きましょうか」
 古泉がそう言うと、今度は古泉の身体が赤い光に包まれた。
 仕組みも何も分からない、人間が光を放つ赤い球体に変わるというデタラメな現象。
 コメント不能、理解不能。
 脳がこの状況を拒否しないのが不思議なくらいだ。
 俺がぽかんと口を開けている間に赤い球体とセーラー服な戦乙女が青い巨人の方に飛んでいった。
 俺は視線を手元に下げる。
 さっき古泉と手を握っていた方の手だ。
 温もりは既に無くなっているが、手を握った感覚はまだ少し残っていた。
 世界は灰色でも、五感はちゃんと普通に発揮されるものらしい。


 経過を見ていなかったので何がどうなったのかさっぱりだったが、とりあえず長門と古泉はあの謎の青い巨人を倒す事に成功したらしい。
 二人が俺の前に帰ってきたからな。
「お待たせしました」
 人の形に戻った古泉が笑っている。その隣では槍と盾をどこかへやってしまった長門が無表情で立っていた。
 二人とも、今まで戦っていたなんて嘘みたいなほど何時も通りの様子だった。
「ああ、空を見てみてください。出来れば長門さんも」
 古泉がそう言ったので、俺は空を見上げた。
 空に、亀裂が走っていた。
「あの青い巨人の消滅にとも無い、この空間も消滅します」
 古泉の説明が終わるか終わらないかといううちに、亀裂が世界を覆い尽くし、やがて細かく増えた網の目が中心から割れていった。

 世界が、元の色を取り戻している。
 何もかもが元もままの世界、地方都市の交差点のど真ん中に、俺たち三人は立っていた。周囲を確認していたわけじゃないが、時間さえ経過してないんじゃないだろうか。
「帰りの車の中で説明いたしますよ」
 古泉がそう言って、突っ立ったままの俺に向かって手を差し出した。


「先ほどのあれを見ていただければ分かったと思いますが、この世の中には物理法則では解決できないような事象があるんですよ」
「……」
「まあ、先ほどの場所が物理的、言わば現実的に『存在』していると定義できるかどうかは微妙な所ですが。ああ、僕達はあの空間を閉鎖空間と呼んでいます。……信じられないかもしれませんが、閉鎖空間は涼宮さんが不機嫌になると発生するんです」
「……ハルヒが?」
 耳慣れた名前に、俺は現実に引き戻される。
「ええ、涼宮さんです。……冗談みたいだと思うでしょう? でも、事実なんです」
「……」
「信用していただけませんか?」
「……100歩、いや、1000歩譲ってハルヒ云々を信用するとして、あの巨人や、それに対抗できるお前や長門は何なんだ?」
 信用できるかどうか?
 話の内容からすれば信頼できる可能性は0どころかマイナスになりそうだ。
 しかし、古泉がこんな状況下で嘘を吐いているとも思いがたい。
 というより、これを嘘だと仮定すると話がこれ以上先に進まないだろうし、そうすると
俺は何も分からないままだ。
 俺としては、こんなわけの分からない状況を見せられたままで放っておかれたくは無かった。
 例え何一つ信用できない説明だとしても、こいつの言い分を聞いておきたい。
 あんな妙な場所に引っ張り込まれた上、状況説明無しなんてのはごめんだ。
「僕はあの空間に対処できる能力を持った能力者ですが、それを除けばただの人間です。ああ、長門さんは僕の仲間では有りませんよ」
 じゃあ、一体何なんだ。

「長門さんは、有体に言えば宇宙人です」

 ……。
「まあ、正確に言えば通常状態では人間とコミュニケーションを取ることが出来ない宇宙人、いえ、宇宙に有る生命体が作り出した、この太陽系第三惑星に住む人類とコンタクトを取るために作り出した人造……、いえ、宇宙生命体製の人間型端末です」
 ……。
「……もしかして、冗談だと思っていますか?」
「冗談だとしか思えん」
「でも、事実なんですよ。……そうですね、宇宙人云々はともかくとしても、長門さんが普通の人間ではないということはご理解いただけますか?」
「それは、まあ……」
 俺はどう答えていいか分からないまま、古泉とは反対の方に座っている小柄な女子高生の姿を見た。俺と古泉がハルヒがどうの宇宙人がどうのというやり取りを繰り広げている間、長門は始終無言だ。
 古泉の考えている事も良く分からないが、長門の考えている事はもっと良く分からない。
「なあ、長門」
「……」
「古泉の言ったことは正しいのか?」
「……若干彼の主観が入っているが、概ね間違っては居ない」
 うわ、長門とコミュニケーションが成立している。
 話の内容はともかく、俺は先ずその事実に驚いた。
「えっと、じゃあ、お前は……」
「わたしはこの銀河を統括する情報統合思念体によって作り出された対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。……それが、わたし」
「は、はあ……」
「わたしの仕事は涼宮ハルヒを観察して、入手した情報を情報統合思念体に報告する事」
 またハルヒかよ。

『情報統合思念体』
『機関』
『三年前』
『閉鎖空間』
『情報フレア』
『神人』
 そして『涼宮ハルヒ』
 交互に繰り返される謎の単語の羅列と少しだけ分かりやすい物の内容のとっつき難さに関してはどっこいどっこいな説明。
 簡単に纏めると、ハルヒが銀河の向こう側にも届きそうなほどの妙ちきりんな現象を巻き起こしたのが三年前で、長門は宇宙からの調査員で、古泉は引き続きハルヒが無意識に引き起こしている厄介な現象に対抗する手段を持った能力者とのことだった。
 ……わけが分からん。
 一万歩くらい譲って上から六つ目まで全部信じてやっても構わないが、何故にその中心が涼宮ハルヒなんだ。
 ハルヒが重要だとか妙な能力持ちだとか言われても、俺にはさっぱりだ。
「何れ分かりますよ」
 何れって何時だよ。
 大体、妙な能力があるなら何故それを自分のために使わない。あいつは俺の知る限り、誰より未知との邂逅を求めている奴なんだぞ。
「涼宮さんは完全に無自覚です。また、彼女は未知との邂逅を求めてはいますが、同時にその実在を信じていないという常識を持ち合わせています。……あなただってそうではありませんか?」
 ……。
 そういう風に言われると、否定できない。
 確かに、俺だって超常現象や宇宙人が存在して欲しいと思ったことが有ったさ。けど、同時にそんなものは存在しないんだとも思って居たさ。
 ハルヒが俺と似たような思考回路を持っているとは思えないが、ハルヒが深層心理とやらの部分でそういう風に考えていたとしても、まあ、おかしくはない。
 ……かもしれない、程度に思ってやらないことも無い。
「僕や長門さんが実際に彼女の前に出て行かないのもそれが理由ですよ。彼女が本当に未知との邂逅を果たしてしまった時、どんな状況が引き起こされるか全く予想がつきませんからね。……僕と長門さんの背景事情は大分違いますが、今のところそのような状態を望んでいないというところは共通しています」
「……なあ」
「何でしょう?」
「お前等、なんでこんな話を俺にするんだ?」
「それはあなたが涼宮さんにとって重要な人物だからですよ」
「……俺が?」
「ええ、そうです。もっとも、あなた自身は涼宮さんや僕のような何らかの規格外な部分を持つ特殊な人間でも、長門さんのような宇宙人でも有りませんが」
 古泉は、そう言って優しげな微笑を浮かべた。
 俺は、このとき初めて、その人懐こそうな笑顔が、本当はとても残酷なものなのかも知
れないと思ってしまった。

 状況が理解しきれていない、あんまり理解したくない。
 黒塗りの高級車が俺の家の前で止まり、長門が降り、俺も降りる。
「また明日、学校で」
「ああ……」
 古泉が笑顔で挨拶をしてくれたので、俺も一応笑顔めいたものを作って答えた。
 笑えたかどうかは、自分でも良く分からなかった。
「あなたは、涼宮ハルヒにとっての鍵」
 呆然とする俺の背中に、平坦な長門の声が聞こえる。
「危機が迫るとしたら、まず、あなた」
 俺は長門の発言を聞き流していた。



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