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Girl meets Girl 04





 火曜日、俺は何時も通り登校した。
 休めるなら休みたい、けどそういうわけにも行かない。
 病気でも無いのに休むのを親が許してくれるとも思えないし、高校は中学と違って出席日数が足りないと進級も出来ない。
 面倒だと思ったが、この世に超能力者が居ようが宇宙人が居ようがそれが平凡な女子高生である俺の日常だ。
 何故か超能力者も宇宙人も俺と同じように高校に通っているみたいだが。

 学校に辿り着き靴箱の中を見たら、手紙が入っていた。
 その手紙の中に有る一枚きりの便箋には綺麗ではあるもやや丸っこい女性の字で『昼休みに部室に来てください 朝比奈みくる』と有った。
 朝比奈さんか……、朝比奈さんは、童顔で可愛い上級生だ。
 守ってあげたくなるような雰囲気とか、子供っぽい仕草とかは嫌いじゃないし、見ていて微笑ましいと思えるくらいだ。
 だが……、俺には一つ懸念事項がある。
 それを言葉にするのにも抵抗が有るのであんまり触れたくは無いのだが、その懸案事項のことを踏まえると、彼女と二人きりになるのは非常にまずい気がしてならないのだ。
 どうしたものかな……、俺は5分ほど女子トイレの個室の中で一人悩んでいたが、結局行くことにした。
 行くのも怖いが、行かないで何か有ったら……、と想像した場合の方が怖い。
 ああいう普段おとなしめに見えるお人は、怒ると怖いと相場が決まっているのだ。


 部室の扉を開けると、知らない女性が立っていた。
 朝比奈さんに似ている気がするが、その人は身長が俺と同じくらいあり、その他様々な部分が朝比奈さんと違っていた。
 有体に言えば、大人っぽいのである。
 その朝比奈さんに似ている人は大体二十歳前後くらいで、着ている服も制服ではなかった。
「お久しぶりです、キョンさん」
「え、あ……、どなたですか?」
「朝比奈みくる本人です。ただし、もっと未来からやってきました」
 ……。
 なあ、これは幾つ目の悪夢だ?
 姉か良く似た他人を使っての冗談だと思うよりもこういう現実もあるかもしれないという風に考えてしまう俺の頭もどうにかしていると思うが、もう、どうにでもなれという気分だった。
「今日は、伝えたい事が有ってやって来たんです」
「……」
「あの……、え、あ、もしかして……、このときはまだ……、あ、やだ、わたしったら、とんでもない間違いを……」
 俺の沈黙を一体どう受け取ったのか、朝比奈さんが勝手に慌てていた。
 この状況でいきなり慌てられても、正直俺の方が困ってしまう。
「……」
「……」
 三点リーダ×二人分。
 気まずさと気恥ずかしさと諦念と混乱交じりの沈黙だ。
 長門のデフォルト無口状態を常日頃からとっつきにくいなと思ってはいたが、現在の俺とこの朝比奈さんに良く似たお姉さんの状態はそれを遥かに上回っていた。
「おーい、出来たか?」
「やっと3割ってところだな」
 俺達二人の沈黙を崩したのはそのどちらでもなく、隣の部室を開ける音とそこから始まる会話だった。
 ありがとうコンピ研、俺は未だにコンピ研の前を通る時はBダッシュ状態だが。
「えっと、その……、あの、わたしは、朝比奈みくる本人です」
 下を向いたまま朝比奈さん(?)がそう言った。
「一応信用しておきます」
「え、でも、まだ……」
 やる気の無い俺の答えに、朝比奈さんが顔を上げる。
「用件をお願いします。出来るだけ手短に」
 俺は朝比奈さん(?)の訴えを無視した。
 何だか細々とした事情が有るみたいだが、この際そんなものは無視だ。
「そ、そうですね。時間はあんまりないんでした……。もし、これからあなたが困った事態に遭遇してしまったら、素直になってください」
 意味が分からない。
「誰に対してでもなく、まず、あなた自身に対して素直になってください」
 ……。
「そのとき、涼宮さんも隣に居るはずです」
 またハルヒか。
 皆本当にハルヒが大好きだな。
「あなたが素直になってくれれば、涼宮さんも素直になってくれるはずですから……」
 それは一体どんな状況なんですか。
 俺はあいつほど自分に素直に生きている人間を知らないんですが。
「すみません、詳しい事は言えなくて……、でも、覚えておいてください、お願いします」
 そう言って、朝比奈さん(?)は頭を下げた。
「……覚えておきますよ」
 何が何だか分からなかったが、俺は一応そう答えた。
 朝比奈さん(?)は態々頭を下げてきてくれたからな。


「さあキョン、今日はこれに着替えなさい!」
 部室に行ったら、ハルヒにメイド服を突きつけられた。
 ……今度は一体何をしろって言うんだ。
 まさかメイド服でビラ配りをしろって言うんじゃないだろうな?
 バニーの時はハルヒ一人が連行されるだけで済んだが、二度目となったら俺も何か言われるかも知れない。……それは嫌だ。
 内申点を上げるようなことに精を出すつもりは全く無いが、自分から下げるような事に加わりたくは無いぞ。
「萌えよ萌え!、萌えと言ったらメイドでしょう!」
 どんな理屈だ。
 それに、萌えキャラは俺じゃなくて朝比奈さんじゃなかったのか?
 別に朝比奈さんにメイド服を押し付けようと思っているわけじゃないが……。朝比奈さんにメイド服か。似合いそうな気はするが、何だかそれはそれで怖いもの見たさって気がしないでも無いな。
「だってみくるちゃんはそのままで充分可愛いんだもの!、それにね、こういうのはギャップ萌えが大事なの!、男言葉でがさつなあんたはメイドとは正反対だけど、そんな女の子がメイドとして奉仕してくれるなんて萌えるでしょう!」
 がさつで悪かったな。
 っていうかなんだその意味不明な理屈は。……いや、ハルヒの理屈なんて俺に分かるわけも無いし、そもそもハルヒの中でさえちゃんと筋道だてて成立しているとも限らない。
「つべこべ言わず着替えなさい!」
 ……バニーのときと同じ展開だよなあ、これ。

 かくして俺はメイドさんになってしまった。
 おまけに何故か用意してあった茶葉やら急須やらでお茶を入れる羽目になっている。
「渋いわ、もっと精進しなさい」
 一口で飲み干すな。というかなんでそんな熱いお茶を一口で飲み干せるんだよ。
「ああ、ありがとうございます」
 お前は何時でもその笑顔なんだな。
「うふ、キョンさんが入れてくれたお茶ならどんなお茶でも美味しいですよ」
 その優しそうな笑顔が逆に怖いような気がするのは俺の気のせいですか。
「……」
 こいつに関しては言うことが無いな。

 ちなみに朝比奈さんと長門はバニーの時と同じく何の役にも立たず、古泉は俺がお茶を入れている途中にやって来た挙句「似合っていますね」なんて言いやがった。
 似合っていればいい、という問題じゃないと思うんだが……。


 土曜日は市内探索だとハルヒは言った。
 市内どころか目の前に宇宙人と超能力者が居るのに市内探索か、馬鹿馬鹿しいにもほどが有るな。
 しかし馬鹿馬鹿しかろうと何だろうと行かないわけにはいかない。
 古泉曰くハルヒが不機嫌になると閉鎖空間が発生し(この間のはビラ配りを止められた挙句次の日に俺が部室に来なかったのが原因らしい)、その度合いによっては世界があの灰色空間に取って代わられるかも知れないとかいう話だったからな。
 古泉や長門の話を全面的に信用しているわけじゃなかったが、それが現実になってから後悔するような羽目には陥りたくはなかった。

 さて、時間は飛んで土曜日だ。市内探索のことで頭がいっぱいだったからなのか、その一週間のハルヒは割合おとなしかった。まあ、メイド服は毎日着るように言われたけどさ……。
 土曜日、集合場所の駅前に最後にやって来た俺に対して、遅刻は罰金と宣告した後、ハルヒは喫茶店で二手に別れる提案をした。
 こいつは俺の精神力や時間だけでなく経済力まで削っていくんだなと思いながら、俺はハルヒの長々とした前置きを聞き流していた。
「くじ引きね」
 爪楊枝が5本。印付きが二本で無しが三本だ。
 結果、俺は朝比奈さんとペアになった。

 朝比奈さんと二人きり。
 なんともコメントし辛い組み合わせだった。
 行く前から体力も精神力もつきかけの俺に対して、朝比奈さんの方は何だかとっても元気そうだし。
 見た目からして雰囲気も外見もギャップの有りすぎる女二人。
 一体周りからはどう見えいてるんだろうね?

 結論から言うと、別に妙なことにはならなかった。
 俺達二人は川原を適当に歩いた挙句、適当なベンチに腰を下ろした。
 女の子同士の他愛ないと言って差し支えない話が途切れた瞬間、朝比奈さんは言った。

「わたしはこの時代の人間ではないんです、もっと未来からやってきました」

 驚かなかったかと言われれば嘘になるが、閉鎖空間へのご招待だとか、朝比奈さんのそっくりさん登場に比べれば全然マシな部類である。
 認めたくないことだが、ああこの人は未来人なのか、じゃあ時間移動の方法を持っているんだな、じゃあこの間のそっくりさんはこの人の成長した姿か……、と、三段論法的に納得できるだけの思考の道筋がこのとき既に俺の頭の中に有ったのだ。
 俺は朝比奈さんの話を適当に聞き流しながら、意味が有りそうな単語だけを拾っていった。
『時間振動』
『三年以上前に遡る事が出来ない』
『監視係』
 これだけ分かれば充分だ。
 それ以外の単語と理屈は理解不能を通り越していたので、この際全面的に無視させてもらう。正直言うと『時間振動』も理解出来ているわけじゃないんだが、まあ、何となく一番とっつきやすい単語を記憶に残すことにしてみただけのことだ。
 要するに朝比奈さんは未来からやって来た人で、今の時間より三年より前に遡れなくなってしまった原因を突き止めるのがその仕事ってことになるらしい。
 しかし、その中心とやらはやっぱりハルヒで、ハルヒにとっての重要人物はやっぱり俺なんだな。
 殆ど何も聞き返さない俺を朝比奈さんがどう思ったか分からないが、彼女は最後に
「信じてくれなくても良いんです、でも、覚えておいてください」
 と言った。

 それから、俺達は適当に街をぶらついていた。
 朝比奈さんにほんのちょっぴり形容不能のマイナスよりの感情を抱いていた俺だが、どうやら朝比奈さんは俺と居られればそれで満足そうだったので、あんまり細かい事は気にしないことにした。
 朝比奈さんは悪い人じゃないし、多分、それがお互いのためだからな。
 そう言えば、高校に入ってから同じ学校の女の子同士二人で街で遊ぶなんて初めてのような気がする。
 中学からの仲の良い女友達は皆違うクラスだったし、入学当初は何だかんだ言って慌しいかったし、5月に入ってからハルヒに振り回されっぱなしだからな。
 しかし、最初の街でのおでかけの相手が童顔の上級生かつ自称未来人というのは……、まあ、あんまり気にしないことにしよう。


 12時近くにハルヒに呼び出され再集合を果たした俺達5人は、午後はまた違う班分けで探索に出るということになった。
 午後もやるのかよ。


 かくして午後の組み合わせを決める籤引きを行ったわけだが、俺は午後は長門と一緒になった。
 長門か……、この面子の中で、ある意味最も一対一で付き合い辛い面子かも知れない。
 迷惑度って意味ではハルヒの方が遥かに上だけどさ。
 しかし、宇宙人、なあ……。
 長門が妙な能力を持っているらしいってことだけは認めてやっても構わないが、宇宙人だなんて未だに信じられん。
 俺は突っ立ったまま、自分の頭半分下くらいに位置する小柄な少女を見つめた。
 長門は何時も通りの無表情で、休日だというのに何故かセーラー服姿だ。
 私服は持って無いんだろうか? いやまさかそんな……、でも、長門が本当に宇宙人だと言うのなら、そういうことも有り得るのかも知れない。何となくだけど、そんな気がした。
 しかしこいつ、行きたいところとか無いんだろうか。……無いのかもな。
 ……立ったまま少し考えた挙句、俺は長門を図書館に連れて行くことにした。
 宇宙から地球にやって来ることが出来るような連中が本などというアナログな手段を好む理由なんて俺にはさっぱり分からないが、少なくとも俺の知る長門有希の基本情報は読書好きの文芸部員ということになっている。
 そして、大人しく図書館に着いてきたと思った長門は、ふらふらと引き寄せられるように厚物ばかりの並ぶ本棚の前へ向かった。
 幸か不幸か、その近くには俺達以外の人影は無かった。
「なあ、長門」
 俺は本を開きかけた長門に声をかけた。
「……」
「この間のことは、本当か?」
「……わたしの言ったことは本当。古泉一樹の発言には多少の主観は混じっているが、概ね間違っては居ない」
 長門が手に取った本からゆっくりと視線を持ち上げ、俺の居る方を向いた。
 髪の毛一本動かすこと無いまま、長門は俺の質問に答えた。
「えっと、だな……、お前は何時もあんなふうに戦っているのか?」
 何をどこから訊ねたらいいかさっぱり分からなかったので、俺はとりあえず自分の目で見たものから確かめてみることにした。
 信じられないようなことを見せられた後ではあるが、自分の視覚情報くらいは信じておくことにしよう。
「違う」
「えっ……」
「あれは情報収集のために必要な行為、それに加えて、あなたへの説明のためという意味合いも含まれていた。本来閉鎖空間と呼ばれる場所で神人と呼ばれる存在を倒すのは古泉一樹及び彼と同種の能力者だけの役割」
「……情報収集?」
 そう言えば、観察が仕事だとか言っていた気がするな。
 えーっと、じゃあその情報収集ってのもハルヒ絡みか。だよな、閉鎖空間発生の原因はハルヒに有るって古泉も言っていたし。
「そう。あの空間における対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの情報操作能力の実行力を調べていた」
 30%とか40%とかいうあれか。
 しかし、それだけの割合であんなことが出来るってことは……。
「お前は……、そうだな、あそこ以外の場所でもあんな事が出来るってことか?」
「あなたの指し示す事象があの場でわたしが発言させた攻勢情報の具現化のことを指すのであれば、可能」
 回りくどい言い回しだが、ようはイエスってことか。
 まあとりあえず、ここまでのことは頭に入れておこう。納得するかどうかは別として。
「じゃあ、俺への説明ってのは……」
「わたしの説明を納得してもらうためには、情報操作を実際に見せるのが有効という助言があった。また、閉鎖空間であればある程度大きな情報操作を行っても弊害は発生しないだろう、とも言われた」
「……古泉からか?」
「そう。加えて、以前から望んでいた閉鎖空間での調査を認められたため、情報統合思念体はわたしが彼に同行することを許可した」 
 ということは古泉は、もっと前から長門の正体を知っていたってことか。
 まあ、そこはもう今更驚く所じゃないような気もするんだが。
「……」
 長門が、俺の方を見上げている。
 話している間中瞬きしたかどうかさえ怪しかった瞳は、今も全然揺らいでいない。
 表情が全く読めないな。
「……分かった、教えてくれてありがとう」
「……そう」
 長門は短く答えると、俺から視線を外し、手に取った本を捲り始めた。

 正直な所を言うと、本当はもうちょっと訊いてみたいことが色々有った。
 長門のもっと詳しい背景事情とか、古泉の背景事情との関連性とか……、でも、正直な所を言うと、そのときの俺はそういう部分を知ろうとするのが怖かったんだと思う。

 ここまで巻き込まれておいてなんだが、俺は、俺の知る普段の長門や古泉の姿だけが真実だって思っていたかったんだろうな……。


 結局その日はハルヒ的には何の収穫も無く終わった。
 当たり前だ、そんな収穫なんて物が簡単に転がっていてたまるか。
 俺はまた微妙なことを聞かされたりもしたが……、それはそれだ。


 日曜も過ぎ週も明け、俺は何時もと同じように登校した。
 ハルヒは朝から何となく不機嫌気味で、朝方俺の方からほんのちょっと話し掛けてみたりはしたんだが、ハルヒの方が気の無い返事ばかりだったため全然会話にならなかった。
 まあ、こういう日もあるだろう。

 それにしても……、ハルヒの鬱屈した不機嫌オーラを背中から受けていると、俺の気まで滅入ってくる。
 放課後になり肩を落としながら部室に入った俺は、先に来ていた古泉を一旦追い出し、メイド服に着替えた。
 どういう理由が有るのか知らないが、いや、寧ろ理由なんてどこにも無いんだろうが、部室に居る時はメイド服を着るようにハルヒに言われているのだ。
 面倒な事この上ないが、逆らうと何が飛んでくるか分からないどころか世界が滅びる可能性があるというのだから従わないわけにはいかない、らしい。
 実に馬鹿げた話だが。
「あいつ、何をしているんだろうな」
 授業が終わってから30分は過ぎているんだが、ハルヒはまだやって来ない。
「ああ、土曜に巡ったコースを一人で回っているはずです。ご本人から聞いてなかったんですか?」
 独り言のような俺の言葉に、パソコンの画面に視線を投じていたはずの古泉が答えた。
 へえ、こいつは事情を知っているのか。俺は何も聞かされてないんだがな。
「土曜日はずっと一緒でしたからね、別れ際に言われたんですよ」
 そう言えばそうか。
 ハルヒと古泉は午前も午後も三人の方の組だったもんな。
 しかしお前、パソコンの前に陣取って何をしているんだ?
「涼宮さんのお手伝いです。土曜に行った場所に関する情報集めや、市内に目ぼしい場所が無いかという情報を集めているんですよ」
「ふうん……、なあ、これもお前の、その……仕事、みたいなものなのか?」
 同じ高校生相手にこの単語を使うのはどうかと思うが、他に言葉が思いつかない。
 任務とか使命とかいう言葉じゃ重過ぎるし、アルバイトという言葉は少し軽すぎる。
「ええ、その一環ですよ」
 古泉が答えた。何時も通りの笑顔で。
「……」
「どうかしましたか?」
「……何でも無い」
「そうですか、なら良いのですが。……ああそうだ、今度駅前のデパートに東京でも有名な洋菓子店が喫茶室付きの支店を出すそうですが、ご一緒にどうですか?」
「えっ……」
 急な話の転換だ。
 何故不思議探索からお茶のお誘いになるんだ。
 わけが分からないぞ。
「……SOS団の皆さんで、と思ったんですが……、お気に召しませんでしたか?」
 ほんの少しだけ間合いを置いてから、古泉はそう付け加えてきた。
「……俺が決める事じゃない」
 ハルヒがケーキやプリンに興味を抱く所など、俺には想像できない。
「あなたが言えば、涼宮さんも賛成してくださると思うんですけどね」
「どういう理屈だ?」
「そのままの意味ですよ。ああ、よろしければお茶を入れていただけませんか? 喉が渇いてしまったんです」
 ちっとも喉なんて渇いて無さそうな顔で古泉はそう言った。
「……後で三倍返しな」
「了解です」
 お茶の三倍が何に相当するかなんて俺も知らないが、愚痴めいた俺の言葉に対して古泉はちゃんと返事をしてきた。
 相変わらず、どこまで本気なのかがさっぱり分からない笑顔を浮かべたままだったが。


 火曜日の放課後。
 今度はハルヒが居るが古泉がいなかった。
 バイトとのことだったが、俺にはそれが真っ当な意味でのバイトだなんて思えなかった。
 ちなみに朝比奈さんもまだ来ていない。今部室に居るのは、俺、ハルヒ、そして長門の三人だけだ。存在感の無い長門を人数に加えて良いかどうかは微妙なところだが。
「うーん、モニタだと見辛いわねえ」
 パソコンの前に陣取ったハルヒが、愚痴っぽくそう言った。そう言えばHP作成とやらの時もこいつは古泉の横から口出ししていただけの気がするな。こいつ、パソコン関係は苦手なんだろうか。
「ねえキョン、これちょっと隣に行ってプリントアウトしてきて」
 唐突に視線を上に上げたハルヒが、そう言った。
 隣、って……。
「コンピ研に決まっているじゃない。ほら、早く行ってきてよっ」
 俺の頭の中で、忌まわしい記憶がフラッシュバックする。
「……嫌だ」
「すぐそばなのよ、早く行ってきなさい」
「嫌だっ」
「近くなんだから早く行きなさいよっ」
「だったらお前が行けばいいだろ!」
「あたしは団長、雑用は団員がすることなのよ!」
 ハルヒが席を立ち上がり、大股で俺の方へと近づいてくる。
「知るかそんなことっ」
「な、あんたねえ――」
 ハルヒが、俺の肩を掴んだ。
 俺は思わず目を閉じてしまったためハルヒの方を見ていなかったが、以前肩をつかまれたときとは全く逆のベクトルの感情がその顔に浮かんでいるであろうことは容易に想像できた。

「おくれてすみま、あああ、喧嘩は駄目ですようっ!」

 聞こえた来たのは、ハルヒの怒鳴り声でも文句でも無く、張り詰めた空気に余り似つか
わしくない高い声だった。
 朝比奈さんがやって来たのだ。
「み、みくるちゃ……」
「ああんもう何しているんですか。駄目ですよ涼宮さん、そんなに強く握ったら痕がつい
ちゃいます!」
 朝比奈さんはそう言って、小さな手をハルヒの手に重ね、動揺したままのハルヒの手を俺の肩から引き剥がしていった。
「だって、キョンが、あたしの言うことを……」
「何を言ったんですか?」
「コンピ研に行くように言っただけよ」
「えっ……」
 朝比奈さんが息を飲む。
 二人の手が、空中で重なり合ったまま止まっている。
「た、ただの雑用よっ」
 ハルヒは顔を僅かに赤くしつつそう言い切ると、朝比奈さんの手をさっと振り払った。こいつは俺が嫌がった意味も、朝比奈さんが息を飲んだ理由も理解していないのだ。
 ……最悪だ、この女。
「わたしが行ってきます」
「良いわよ、別に……」
「わたしが行きますからっ、何をすればいいのか教えてくださいっ」
 一度は振り払われたハルヒの手を、朝比奈さんがしっかりと掴んだ。
「……コンピ研に行って、ここにあるデータを全部プリントアウトしてきて」
「はい、わかりましたっ」
 朝比奈さんは大きく上下に首を動かすと、そのままぱっと駆け足で入り口方へと向かった。
 そのまますぐ隣の部屋に駆け込むかと思ったが、彼女は何故かその場で振り返り、こう言った。

「二人とも、喧嘩は駄目ですよ」

 童顔なはずの上級生が、何故かそのときはとても頼もしく見えた。


 それから朝比奈さんは勢い良くコンピ研に飛び込んで行ったが、どうも彼女はコンピューターには疎かったらしく、一人で何度往復しても向こうのパソコンにデータを送る事が出来なかったので、結局コンピ研の方から部員に出張してきて貰う事になってしまった。
 勿論部長氏とは別の人である。
 その名前も知らない二年生男子は俺がメイド服であることに一瞬驚いたようだったが、朝比奈さんのお願いを快く引き受けてくれた。
 俺は世話になった二年生男子と朝比奈さんの二人に、感謝を込めてお茶を注いだ。
 メイドとして精進する気など全く無い俺のお茶の味がどうだったかは良く分からないが、朝比奈さんはいつもどおり喜んでくれていたし、その二年生男子も一応感謝の言葉をくれた。
 ちなみにハルヒはと言えば、頑張ってくれた二人には何も言わず、プリントアウトされた紙を引っ手繰るように奪うと「今日はこれで終わり!」と言ってとっとと帰ってしまった。
 全く……、どこまでも失礼な女である。



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