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Girl meets Girl 07





 耳鳴りがした気はするが、物理的な衝撃は無かったんだと思う。
 幾らハルヒの叫び声がでかかったとはいえ、人間の声だもんな。
 脳が、というのは比喩みたいなものだ。
 俺は酒を飲んだ事は無いが、二日酔いの時はこんな風になるんじゃないかなんてことを
ぼんやり考えていたりもした。
 俺は、一体どうなったんだ。

 ぱちりと、俺は唐突に覚醒した。
 ここはどこだ。
 ゆっくりと身を起こして周囲を見渡すと、そこは見覚えの有る場所だった。
 部室だ。
 俺はどうやら部室の床に寝っ転がっていたらしい。
 部室の中を軽く見渡してみると、ハルヒも居た。
 何故か床でも団長席でもなく、俺の定位置になっている椅子に座って眠りこけている。
 俺はハルヒを起こそうかどうか迷ったが、やめておいた。
 無理に起こすと何が起こるか分からないからな。俺が目を覚ました以上、ハルヒも遠からず目を覚ますだろう。……何となくだが、そんな気がした。
 俺はハルヒを起こさないように気をつけつつ、セーラー服とスカートについた埃を軽く払った。
 出来れば髪も結びたかったんだが、髪を結べそうなゴム紐やリボンの持ち合わせも無かったので、仕方なくそのままにしておいた。
 そんなに汚れては居ないみたいだな。
 しかし、俺は何でこんな所にいるんだ。
 ハルヒが大声で叫んだ所までは覚えているんだが……、これは、ハルヒの仕業なんだろうか。いや、他に理由なんて考えられないけどさ。
「ああ、ご気分は如何ですか?」
 そのとき、窓の方から声が聞こえた。
 聞き覚えの有る気遣うような響きを持つ声に気がついて振り返ると、見覚えの有る姿がそこに有った。
 立っていたのではなく、有ったのだ。
 何時ぞやの閉鎖空間で見た、赤い球体。
 それが、窓の外の暗闇の中に有った。
「古泉っ」
「ああ、無事そうですね。涼宮さんがあなたを傷つけるなどとは思っていませんでしたが、無事でよかったです」
「古泉、これは……」
「余り時間が無いので手短に説明しますが、亜空間内の階層の再構成と、それに伴っての転移が起こったようです」
「再構成って……」
「この亜空間を作り出したのは朝倉涼子ですが、大元は涼宮さんの精神にあります。涼宮さん自身がこの亜空間に干渉出来たとしてもおかしくはないでしょう。……彼女自身は無自覚だとは思いますけどね」
 ……理屈は分からなくも無い、と思う。
 けど、それってどういうことだ?
「涼宮さんはあなたを自分の隣に引き寄せ、僕等を別の階層に飛ばした上で階層ごとの境界を強化しました。……僕がここに現れることが出来たのも、一時的なものです。先ほども言いましたが、時間はあまり無いんです」
「そんな……、でも、再構成って……、ここは、どこなんだ?」
「現実空間との距離という物を前提に考えると、現在あなたがたがいる場所が最下層、現実から一番遠い場所に当たります」
「……どうやったら戻れるんだ?」
「……分かりません」
 人間らしい形状を留めていないはずの赤い球体が、首を振る動作をした気がした。
 赤い球体の光が、少しずつ弱っていた。
「分からないって……」
「すみません、僕には分からないんです。現在の涼宮さんは大分混乱した状態にいるようですから、その状態から脱する事ができれば……、とは思うのですが」
「古泉……」
「すみません、何の力にもなれなくて」
「良い、気にしないで良い。けど……、この状態だと、お前達もこの空間から抜けられないってことか?」
「ええ、そうです。一応長門さんや朝比奈さんも傍にいますが」
 話している間にも、赤い光はどんどん弱まっていく。
 心なしか、古泉の声も段々小さくなっていっている気がした。
「そうか……」
 一体どんな状態なのかは気になるところだが、三人一緒ならまだ安心だ。
「僕としては、5人一緒に現実に戻れることを祈っていますよ」
「……俺もだよ」
 当たり前だ、こんな所で一生過ごす気も無ければくたばる気もない。
 ハルヒが何を言い出すか知らないが、引きずってでも現実に戻ってやるさ。
「あまり、無理なさらないでくださいね」
「別に無理なんてしてないさ」
「普段のあなたを見ていると、とてもそうは思えないのですが……、まあ、いいでしょう。あなたの幸運を祈っていますよ」
 そう言って、赤い光は消えていった。
「あ……」
伸ばした手が何もない空間をすり抜ける。
俺はそのまま、ぼんやりと赤い光が消えたその先を見つめていた。
地上も空も無い、なんの境界も見えないただの一面の闇。
部室の窓からじゃ絶対に見えない光景だ。
俺はどのくらいの間そうしていたんだろう。

「……キョン」

声を耳にゆっくりと振り返ると、眠っていたはずのハルヒが立ち上がり、俺の方を見ていた。
「ハルヒ……」
「ねえ、キョン、何であたし部室にいるの?あたしはみくるちゃんと一緒に公園に居たはずなのに……。古泉くんは?有希は?、あの二人、空から……」
ぼんやりとしていた視線が、戸惑いの色に変わっていく。恐怖に似ている、と思うのは俺の目の錯覚じゃない。さっきも思ったが、ハルヒもこういう表情をすることが有るんだな。……そういう表情を見たかったわけじゃないんだが。
「あんた、古泉くんと一緒に……」
「夢だ」
「夢って、そんな……」
「俺は今日は古泉にも長門にも会ってない、真っ直ぐ家に帰ったよ」
もちろん嘘だが、こうでも言わなきゃまともに話を聞いてくれるとは思えない。
古泉は言っていた。
ハルヒは根の部分では常識人なのだと。
……本当にその通りだな。
何せ目の前に現れた非日常との邂逅を全力で否定した挙げ句引きこもりやがった。
これが無自覚というのだから性質が悪い。……だが、それを理由に俺がこいつを突き放しちゃいけない。
少なくとも、今は。
「でも……」
「信じてくれ、ハルヒ」
「キョンが、どうしてもって言うなら……、信用してあげても、良いけど」
「頼む」
「分かったわ……。ねえ、ここはどこ?、部室に似ているけど、違うわよね」
「……俺にも分からない」
 嘘を吐くのは、ここまでで良い。
 ここから先は、立ち向かわなきゃいけない。
 方法なんて知らない、ハルヒの心の構造なんて俺には未だ持って謎なままだ。

 けど、ヒントはちゃん貰っている。
 普段はちょっと頼りなくてちょっとだけ怖くて、でも時々頼りになる上級生の大人バージョンが、教えてくれたじゃないか。

「分からないって……」
「分からないけど、危険は無いと思う。ハルヒ、とりあえず適当な所に座れ、茶でも入れるからさ」
「えっ……」
「何だったらメイド服も着ようか?」
「馬鹿、そこまでしなくていいわよ」
 ハルヒが、ほんの少しだけ表情を崩した。
 そういう風な表情が出来るなら、大丈夫だと思う。


 ポットには何故かお湯が入っていて、湯飲みも急須も普段の部室と同じように用意して有った。ハルヒの心が作り出した世界らしいからな、ハルヒの見ている通りに出来ているってことなんだろう。
 俺は何度か繰り返したのと同じように、ゆっくりとお茶を注いでいく。
 メイド服はどうかと思うが、お茶を淹れる事自体はそんなに嫌いじゃない、と思う。
 結んでいない長い髪がお茶を入れるときに少し邪魔だったが、それはこの際仕方が無い。
「どうぞ」
 二つの湯飲みに茶を注いで、その内一つをハルヒの前に差し出す。
「ありがと」
 ハルヒが礼を言うなんて珍しい。
「……味は相変わらずね」
 ハルヒが5秒足らずでお茶を飲み干す。
「悪かったな」
「まあ良いわ。……お代わり」
「まだ飲むのかよ」
「喉乾いているんだもん。ほら、団長命令なんだから早くやりなさいよ」
「……はいはい」
 すっかり何時もの調子を取り戻しつつあるハルヒにほっとしつつ、俺は二杯目のお茶を注いだ。
 不機嫌でもなければ妙なことを思いついているわけでも無いハルヒと二人きりというのは、何だか変な感じがする。そういや、学校の中では何度も会話したが、本当に二人きりになったことなんて殆ど無かった気がするな。
 女同士二人きり、か。
 別に何があるってわけじゃないが、これがハルヒ相手だとなるとちょっと微妙かもしれない。そもそも、何を話せばいいのかさっぱり分からない。
 どうしたものかと思う俺の前で、ハルヒが二杯目の茶を飲み干す。
 こいつの舌の構造は一体どうなっているんだろうね。見習いたいとは思わないが気になるところでは有る。
「……キョン、ちょっとこっち向いてくれる?」
 適当に茶を啜っていた(まだ一杯目だ)俺は、ハルヒの一言で顔を上げた。
 何だろう、何か言いたいことが有るんだろうか。
「どうした?」

「キョン、あんた、古泉くんのことが好きなのよね?」

 ……。
 ……直球で来やがった。
 ハルヒは笑ってない、真剣な表情というわけでもない。
 何か純粋に疑問に思ったことを口にする子供、そんな感じだった。
 俺は未来から来た朝比奈さんの言葉を思い出す。
 素直に、か。
 それも、ハルヒに対してじゃなくて俺自身にと来ている。
 ハルヒの言葉も直球なら、朝比奈さんのヒントも直球だ。

「……そうだよ」
 
 俺はハルヒから目を離さず、答えてやった。
 本人が目の前に居ないからこそ、というやつだろう。
 古泉一樹が居る状況だったら、俺は多分何も言えずに逃げている。まあ、ハルヒがそんな状況下でこんなことを言ってくるとも思えないが。……さすがに、そこまで馬鹿じゃないよな。
 まあ、とにかく……、認めてやるさ。その通りだってな。
 あいつはハルヒ第一の超能力者でちょっと変人で胡散臭くて実は結構腹黒そうだが……、それでも俺は、あいつが好きだ。
 だが、悪いが俺に愛の告白なんてものをする勇気は無い。
 結果が見えている勝負を挑もうとしない、半端者の負けず嫌いで何が悪い。……良いじゃないか、そういう道を選んだって。
「やっぱりね」
 ハルヒが微笑む。
 小馬鹿にしたような雰囲気は無い、茶化すつもりも無いらしい。
 子供っぽくて俺より背も低いハルヒが、今度は何故か少しだけ大人っぽく見えた。
「やっぱりって……」
「だってあんた、バレバレなんだもの」
「……」
「あれで隠しているつもり? 有希ちゃんもみくるちゃんも、クラスの連中も絶対気付いているわよ。……まあ、隠す気は無かったのかも知れないけど」
 ハルヒが溜息を吐く。
「……言わなかった理由は、何?」
 真剣な面持ち。
「……」
「もしかして、脈がないとか思っていたの?」
 脈以前の問題な気がする。
 ……が、この辺りの事情をハルヒに話すことは出来ない。
「全く……、勝負を仕掛ける前に逃げるなんて、愚か者のすることよ」
 悪かったな。
「……こんな事になる前に、ちゃんと言えば良かったのよ」
「……」
「こんな状態じゃ、帰って告白ってわけにも――」
 涼宮ハルヒは、根っこの所はどこまでも常識人らしい。
 話の風向きが何時もと違うのも、そのせいなんだろうか。
「帰れるさ」
「何を根拠に……、帰れるわけ無いじゃない、ここ、扉も開かないし、外は真っ暗闇なのよ。こんな変な場所からどうやって帰るの? まさかこれも夢だとか言い出すつもり?」
「そうじゃない。でも、俺達は帰れるんだよ」
「やけに自信たっぷりね。……あんたの王子様が助けに来てくれるとか?」
 王子様って表現は……、似合わないようなことも無いような気がするな。
 実際一度助けに来てもらっているし。……でも、今は王子様を待っている場合じゃない。
「違うよ。俺があいつ等を助けに行く。助けてやる」
 今、俺に出来ること。
 『専門分野が違う』っていう古泉の言葉は、俺にも通用するのかもな。
「えっ……」

「なあ、ハルヒ、知っているか、恋する乙女は無敵なんだぞ?」

 ……全世界が停止したかと思われた。
 少なくとも、この部室らしき空間の空気は完全に凍り付いていた。
 勢いで言ってしまったもののそれ以上何も言えなくなった俺と、ただぽかんと口を開けているハルヒ。
 羞恥を通り越して、何だか空気が痛かった。
 ……こんな台詞、普段から羞恥心をかなぐり捨てて生きているとしか思えないハルヒの前だからこそ、言えたんだろうな。
「何それ……、あんた馬鹿?」
 漸く復活したハルヒが、怒りと哀れみ混じりのような視線で俺のことを見てきた。
 馬鹿は余計だが、常識に縛られて帰れないと思い込むよりは、たとえ馬鹿でも良いから帰れると思わせておいて欲しい。
 こんな所に女二人一生一緒になんてのはお断りだ。古泉もそうだし、俺には元の世界で会いたい連中がたくさん居るんだよ。お前には、分からないかも知れないけどさ。……いや、分かるようにしてやるよ。お前だって、楽しいことを見つけ始めていたじゃないか。
「一応本気だよ」
「何よ一応って……、全く、これだから恋なんて気の迷いだとしか思えないのよ。人を好きになったからってだけでどうにかなるなんて考え方、馬鹿げているわよ」
 ん、話の風向きが変わったか?
 なあ、ハルヒ、お前もしかして……。
「お前、誰か好きな奴が居るのか?」
「なっ、い、居るわけないでしょっ」
 恐ろしいほどパターン通りの反応が帰ってきた。
 意外だ。
 あの涼宮ハルヒが、こんな場面でこんな真っ当な反応を示すなんて……。
「その反応、居るって言っているとの同じだって」
「そ、そんなわけ……」
「言えよ」
「な、何であんたなんかに……」
「俺は言ったんだ、お前も言ってそれでお相子だろう?」
 俺は勝ち誇ったようにそう言ってやった。
 しかし、相手が全く想像できないな。……一体誰だ? 本当に全く想像がつかないぞ。
「……」
「ほら、言えよ。誰にも言わないからさ。あ、俺の方のも誰にも言うなよ、例えバレバレだとしてもさ」
「絶対に、言わない?」
「ああ、言わないよ。第一言っても信用されないだろうしな」
 あの涼宮ハルヒに好きな相手が居る。
 北高特大スクープも良い所だが、意外すぎて誰にも信じてもらえないだろう。言った奴の方が頭がおかしいと思われるのが関の山だ。
「すぐ忘れなさいよ」
 どうやら、本気で言う気になったらしい。
「……記憶を抹消する努力はさせてもらう」
 ハルヒが忘れて欲しいって言うなら、その努力くらいはしてやるさ。
 こんなことを聞けるってだけでも意味が有るからな。
 ハルヒが、さっと立ち上がり、つかつかと大股で歩いて俺のそばまでやって来た。
 何だ、一体。別にそこまでもったいぶらなくても良いだろうに。
「良い、耳かっぽじって良く聞きなさいよ」
 そんなことしなくても、この超至近距離なら絶対に聞き逃さない。
 ていうか、鼻息が耳にかかるんだが。

「あたしが好きなのは――!!」

 世界が、暗転した。



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