springsnow

Aerial/01―01



 士官学校、正式には軍属養成前期高等教育過程学校というらしいのだがその名称が長くて面倒だからなのかその通称は士官学校という全く持ってセンスの欠片もない古典的な単語を用いられて呼ばれている。長い長い宇宙暦の中で何時の間にやら銀河中に広まった教育制度を取りまとめる必要に迫られた政府がどこに宙域にも良い顔をするためにつけた名称のようなものにセンスを求めても仕方ないのかも知れないがこの古臭いだけの名前は何とかならないものだろうか。大体士官学校といってもここを出てすぐ軍人になるのが当たり前というわけでもない。大抵の人間はこの後軍大学まで行ってから軍に入隊する、そういう時代た。それにこれから三年間通うことになる学校なんだ、出来れば通っていて誇りに思えるような名前が良い。ちなみにこれが俺から通う士官学校は『113宙域ノースポイント校』という全く持ってやる気の感じられない名前がついていたりする。個別の地名が学校の頭に着くことは珍しくないか数字かよ。
 士官学校を選んだのもこの学校を選んだのも俺自身だが改めてこのやる気の無い名称のことを考えてみると若干の後悔を禁じえない。別にこんなことは考えなくても困らないことだと分かっているのだが町中に建てられた標識や手元の地図の地名の味気なさを見るとついつい学校のことまで考えが及んでしまう、という事情ゆえに考えてしまうのだ。どうもこのコロニーは急成長期に作られ個別の地名すら与えられぬままに実用化された場所の一つらしい。そうじゃなきゃこんなノースだのサウスだの数字だのの地名ばかりが並んでいるわけもない。後から来た住人達によって変えられた地名も有るようだが元々のままのところもあるせいか、地名が書きこまれた地図はかなりのカオス具合を示している。分かり辛い地図に向かい合うのはこれが初めてというわけでもないが、良くこんな所で生活していけるよな、という気になりそうだ。
「まあまあ、覚えるのに苦労する方が達成感が有って良いじゃない」
 町内探索に出た子供ならそれでもいいかも知れないが俺達は士官学校の生徒だぞ。士官学校の生徒が周辺地域に道で迷うなんて笑いの種にしかならない。おまけに、苦労する、などと口にしているが俺の斜め前を行く国木田の足取りには全くというほど迷いがない。こいつは結構あちこちのコロニーや惑星を転々として来ているらしいので新しい地図を頭にたたきこむのには慣れているのだろう。一緒に居れば良い道案内になるな。いや、俺も道を覚えるべきなんだろうが。どうも道を覚えるのは苦手だ。ニョキニョキと立っている建物の間を地に足を着けながらという感覚にも大分慣れたつもりだったんだが。
「ここを通ると大通りへの近道みたいだね」
 国木田がひょいと角を曲がる。特に逆らう理由も無かったので俺もその後についていった。今は国木田と離れ離れになるとそのまま迷子になる可能性が高い。国木田は容姿は結構整っているが体格的には平均カ平均をやや下回る上すいすい歩いていくような奴なのでちょっと目を離した合間に見失ってしまいかねない。流石に向こうも俺を置いてきぼりにしようとは思っていないだろうが慣れない土地では意図せずそうなる可能性だってある。たかが迷子されど迷子。迷子にはなりたくない。
「あれ、何だろう……」
 道を曲がって数歩行ったところで国木田が歩む速度を緩め立ち止まった。それに倣うように俺も足をとめ同じ方向を見てみる。と言ってもその対象は前方だったんだが。
 俺達の少し先の所で俺達と同年代くらいの女の子が大声で文句を言っているところだった。それだけなら別に良い。女の子が大声を出すのはいかがなものかと思うが喧嘩や口論なら別に珍しい物じゃないし関わりたいとも思わない。しかし、対象が人では無く物だというのは一体どういう了見なのだろう。彼女は道端に有る操作パネルのような物に向かって文句を飛ばしていたのである。
「ああ、もう、何で見つからないのよ!」
 女の子は手を大きく振りあげると、ドンッと拳をパネルに下した。おいおい、そんなに力を入れて叩いたら壊れるって。
 触らぬ神に祟りなしとは言うけれども公共物を破損しかねない迷惑女を放っておいていい物かどうか。などという風に迷っていたら、
「ねえ、なにしているの?」
 国木田が女の子に話しかけた。責めるような雰囲気は無くあくまで質問という形だが、振り返った女の子は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。
「何、あんた達、あたしに何か用?」
「僕等はただの通りすがりだよ。もしかしたら困っている人の力になれるかも、とは思っているけどね」
「……そう」
 どうやらこの迷惑女にも自分が『困っている人』で有るという程度の認識は有ったらしい。いや、それにしても、近くに来て顔を見て分かったが、こりゃえらい美少女だな。屋や吊り目気味の大きな眼に、整った鼻筋、口元。肩口までの髪はさらりとした黒髪だ。顔立ちや髪の色から察するにどうやら東洋系みたいだ。
「何が有ったか聞いても良いかな?」
「……タクシーを呼びだそうと思ったのに、目的地が出てこないのよ。このコロニーに絶対有るはずの施設が出てこないなんてふざけているわ!」
「どこへ行こうと思ったの?」
「士官学校の女子寮よ!」
「ああ、新入生なんだね」
 ということはこの少女は俺達と同学年ってことか。
「そうよ。もう、なんで行けないのかしら」
「……多分、公共のタクシーじゃ軍の施設には入れないんじゃないかな。軍の施設って言っても学校だから他に行く手段は有るんだろうけどこのタクシーはダメなんだろうね」
「何それ、理不尽だわ」
「そういうものだから仕方無いんだって。何だったら僕達が案内するよ。……あれ、キョン、どうしたの?」
 振り返った国木田と目が合った。少女もまた俺の方を見ている。どうやら国木田と少女の会話は噛み合っているようだが、俺には二人の会話のさっぱり意味が分からなかった。
「なあ、タクシーって何だ?」
 どうやら呼び出して目的に向かうものらしいということは文脈から分かったのだが、逆に言えば分かったのはたったそれだけだ。タクシーとは一体何だろう。
「……」
「……」
 国木田と少女が同時に沈黙した。何だ、俺は何か変なことを聞いてしまったのか?
「……あんた、マジで言っているの?」
「本気と書いてマジだ」
 ずいっと進み出て来た少女が疑り深い視線を向けて来たがこんなところで立ち往生している初対面の相手を前にして嘘を吐く必要は無い。
「キョン、タクシーっていうのはね、目的地を入力するとそこまで運んでくれる地上車のことだよ。お金はかかるけど便利なんだ。これはそのタクシーの呼び出し機」
 トントンと、国木田が軽くその呼び出し機とやらを叩いてみせる。
 そんな物があるんだな。地上車、地上車ね。このコロニーじゃ結構走っているみたいだが俺にはあまり馴染みがない。前に住んでいたコロニーは狭い癖に妙に牧歌的な風景が広がっているような場所で、地上車なんて殆ど無かった。当然、国木田の説明してくれた『タクシー』なる物は存在しなかった。行きたい場所が有れば徒歩か自転車、そういう場所だったのだ。
「……」
「ああ、キョンはちょっと特殊な育ちでね。割と一般的なことを知らなかったりするんだけどあんまり気にしないで。ところで僕は国木田、こっちはキョン。君は? どうやら僕達の同級生になるみたいだけど」
 まて、人の自己紹介を間抜けなあだ名で済ませるな! 確かに俺の本名は長ったらしい上に発音し辛いって言われるけどさ。
「あんた達も新入生なの?」
「うん、そうだよ」
「ふうん……。あたしは涼宮ハルヒ、今日の定期便でここに来たのよ。確か男子寮と女子寮は向かいにあるんだったわね、案内してちょうだい」
 全く持って人にものを頼むような態度だとは思えないんな。
 それにしても、涼宮ハルヒ、か、名前も東洋風だな。涼宮が姓でハルヒが名前だろうというのは説明されなくても何となく分かる。こういうのは慣れだ。俺の周りには東洋人が何人かいたからな。
「うん、良いよ」
 お人好しな雰囲気漂う国木田は、涼宮ハルヒなる人物の態度に対して波風を立てるようなこともなく、あっさりとその依頼を了承した。おいおい、良いのかよ。
「国木田、お前これから用事が有ったんじゃなかったのか?」
「有るよ。だから案内するのはキョンの役目だからっ」
「なっ、俺だって道なんて分からないぞ!」
「地図が有れば大丈夫だって、僕の後ろを歩くより地図を見て自分で覚えた方が良いよ。はい、じゃあまたね」
 国木田は手にした地図を俺に押し付けると、そのまま立ち去ってしまった。素早く角の向こうへと消えていく。追いかけるのは……駄目だ、こっちが迷子になる可能性の方が高そうだ。ここに居る時点で迷子候補であることは否定できないが。ここ、どこだよ。
「……あんた、道分かるの?」
「いや、全然」
 疑惑の目を向ける涼宮ハルヒに対して俺は首を振った。はっきり言って道案内に関しては自信が無い。俺自身ここに来てまだ一週間も経っていないし、何より俺はコロニー内部の地図を覚えるのが苦手なんだ。
「その地図、貸しなさい」
「え、あ……」
「地図が読めない人間よりあたしが見た方が良いでしょ。良いから貸しなさい!」」
「あ、ああ」
 勢いに押されるまま、俺は涼宮ハルヒに地図を渡した。同じ学校の同学年、これから少なからず顔を合わせることになる間柄らしいとはいえ初対面でこの態度はいかがなものか。とはいえ、ハルヒの言うことは間違ってはいない。道に迷っていたこいつの地理感覚や方向感覚についての疑問が無いわけでは無いがそれでも多分おれよりはマシな方だろう。
「何これ、プラスチックペーパー?」
「ああ」
「ふうん、この辺りは紙の地図じゃないのね」
 紙、とはまた前時代的な代物だな。紙の上に文章や情報を残す習慣が完全になくなったわけじゃないが今じゃその用途はかなり限られる。宙域によって多少事情が異なるらしいが、木材資源ってのは貴重な物だし何より再利用の手段が面倒くさい。その点プラスチックペーパーなら微弱な電流を通すだけで別の情報が映し出せる上数千回以上繰り返し使える。
「まあ良いわ。大体の場所は分かったし」
 ハルヒは地図をざっと眺めてから満面の笑みを浮かべると、寮に続くらしい道を大股で歩き始めた。ここではぐれたら迷子になる。俺は慌てて涼宮の後ろ姿を追い掛けた。
「何よ、あんたも来るの?」
「その地図は俺のだ。それに、地図が無いと俺が寮に戻れない」
 本当は町を回るつもりだったんだが迷子にはなりたくないし取り立ててこれといった用事が有ったわけでも無い。ご近所の散策はまた今度で良いだろう。
「なっさけないわねえ。まあ良いわ、このハルヒ様が案内してあげるからありがたく思いなさい!」
 さっきまで迷っていたのはどこのどいつだよ。
 まあ良い、無事にたどり着けるなら文句は無いさ。


 ――文句は無い、と言ったが、まさか帰るまでに行きの二倍以上の時間がかかるとは思わなかった。土地勘が無く地図を上手く読めない俺が後ろを着いて行ってもそうだと分かるくらいにハルヒは遠回りをした上で寮まで辿り着いたのだ。本人は最短距離を目指していたようだが俺にはわざとだとしか思えない。おかげで足が痛い。しかしどういうわけかハルヒの方は汗一つ流している形跡がない。見た目にはほそっこいが体力的には随分優秀なんだな。士官学校に進学する以上見た目よりも体力的に優秀で有ってもそれほど不思議なことでは無いと思うがなんだか理不尽だ。これは俺がこの女のせいで疲労感を抱いているからかも知れないが。幾ら坂がきついとはいえ行きと同じ道を通ってきたらこんなに疲れたりはしなかったはずだ。
「キョン、あそこで奢って」
 寮の近くまで辿り着いたハルヒは寮のすぐ傍に有る売店を指さした。
「はあ、何で俺が?」
「あたしが道案内したんだから、その謝礼よ謝礼。それともあんた、女の子に助けてもらったのに何のお礼をもせずに帰るつもりだったの?」
「謝礼って、元々お前が道に迷っていたんじゃないか」
「何言っているのよ、あたしが案内したことには変わりは無いじゃない。あんた一人じゃ永久に迷っているところだったわよ」
 永久は大げさだ。地元警察のお世話になる可能性は高かったかも知れないが。
 まだ文句を言いたそうなハルヒ、理不尽だと感じている俺。奢る理由は有るような無いような。空腹を訴える胃袋と現在の所持金を秤にかけるべきところだろうか。奢る理由は曖昧だがここで却下と言ってこれ以上揉めるのも面倒だ。ここに来るまでの間もハルヒはうるさかったからな。
「分かった、奢る。何が良い?」
 女の子一人が食べる分くらい、と思ってハルヒの要求を飲み込んだ俺は、それから数分と経たないうちにその強大な胃袋の前に泣きを見る羽目になった。


 遠慮というものを知らないんじゃないかと思える迷惑女こと涼宮ハルヒに出会ったのが入学五日前のこと。それから二度ほど街へ出たがハルヒと顔を合わせることは無かった。とはいえ同じ学校の新入生同士である以上入学すれば嫌でも相手の顔を見ることになる。二度と会いたくないというほどじゃないが会うのを躊躇う程度の迷惑女、涼宮ハルヒ。
「あら、もしかしてあんたも同じクラスなの?」
 全寮制である士官学校の生徒達が入学時のクラス分けを知るのは入学当日。俺とハルヒはクラス分けが書かれた掲示板の前で再会を果たした。各クラスごとに名前がまとまって書かれているので自分の名前を探している生徒達は自然と自分の名前が載っているクラス名簿の元に集う形になるのだ。
「ああ、そうみたいだな」
 俺の名前の斜め上に涼宮ハルヒの名前が有った。国木田の名前も近くに有る。
「ふうん。……まあ、良いわ」
 涼宮はそう言うとさっさと移動してしまった。クラスの方へと向かうのだろう。再会に対して物語的な物を期待していたわけじゃないが随分とあっさりしているな。まあ、出会ったこと自体偶発的なことだったしこんなものか。
 だからこれからどうなるかはクラスの中でのお互いの行動次第、と思っていたのに、涼宮と次に話す機会は割とすぐにやってきた。それは涼宮が自己紹介で余りにもバカな発言をしたのと、俺が涼宮の前の席だったからというのがその理由に該当する。
「……この中に、中央でトップに昇りつめたい奴がいたらあたしのところまでいらっしゃい! 絶対に連れて行ってあげるわ。あ、ただしあたしの副官とか部下とかに限るわよ。トップになるのはあたしなんだからっ」
 無難という単語の範囲に収まる物がほとんどである自己紹介の中でハルヒの自己紹介はキラリと輝く一等星のように際立っていた。一等星じゃなくブラックホールじゃないかという気もするが。立身出世を目指すため軍に入る奴というのは珍しくは無いがそれを大声で宣言する奴は珍しいし、何よりこの学校じゃそういう奴はかなりの少数派だ。
 ここは士官学校の一つだが数多の士官学校の中でもかなり特殊な位置に属する。成績自体はそう悪くもない(良くもない)のだが、辺境で有り士官学校の中でもかなり少数派に分類される学部を多数持つ学校で有るため集まる生徒達は基本的にエリートとは性質を異にする人間ばかりなのだ。士官学校の割に校風も自由だし、中央や王道を目指すことも求められない。だからこそ俺もここを選んだし他の奴だって似たような者だろう。ハルヒの場合がどうか知らないがここに入学出来るだけの成績が有れば入学が認められる別の士官学校は幾らでも有る。そして、入学時の偏差値はここより低くとも卒業者の従軍年数及び最終的な地位・出世速度の勝る学校など幾らでも存在するのだ。
「なあ、さっきのあれは本気か?」
 涼宮ハルヒが一体何を考えてあんなことを言ったのか。単なる妄言の一つとして聞き流しても良かっただろうし何より頭の片隅が警告音を鳴らしていたというのに俺は好奇心に負けて本人に訊ねてしまったのだ。
「本気に決まっているじゃない」
 そうか、冗談などでは無かったのか。
 涼宮ハルヒと出会ってからまだ一週間にもならず会った回数としては二度目あるいは三度目と言ったところだが、どうもこいつは冗談が通じるのかどうか怪しいようなところが見受けられる。真面目な型物という印象でもないがきっと感性がずれているのだ。真面目でまともな人間ならあんな自己紹介はしない。
「だったら何でここに来たんだ? もっと条件の良い場所は幾らでも有っただろ」
 たとえここの入試のボーダーに引っ掛かる程度の成績の持ち主だとしてもここより条件の良い場所に余裕で、とは言わないが、そこそこの確率で合格できるはずだ。そのくらい、この学校は昇進とかいう単語と縁が無いのだ。
「士官学校に行きたいって言ったら親父がここしか認めてくれなかったのよ」
 なるほど、至極まっとうな理由だ。詳しい条件は知らないが多分距離的なものだろう。子供が遠方の学校に行くことを嫌がる親は少なくない。
「やんなっちゃうわよね。あたしはどこにでも入れるくらいの成績が有ったのに。おまけに、幼馴染と同じクラスだし」
「幼馴染?」
「……何でも無いわ」
 語りたくないと言うのなら別に良いか。涼宮の幼馴染が同じクラスに居ようが居まいが俺には何の関係もないし、どうせクラスの中という狭い世界、その相手が誰かなんてそう遠くないうちに分かることだろう。
「とにかくあたしは中央を目指しているの。あんた、あたしと一緒に目指す気が有るの?」
「いや、特には無いが」
「じゃあ、話しかけないで」
 そんなこんなで、会話終了。
 中央を目指すハルヒと、あまり目的意識の無い俺。
 正反対にもほどが有る、これ以上親しくなり理由も原因もきっとない。
 その時の俺は、そんな風に思っていたのである。

 ――すぐに自分の見通しの甘さに気付くことになったけどな。


 NEXT


Copyright (C) 2008 Yui Nanahara , All rights reserved.