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Aerial/01―02



 ハルヒが自己紹介の場面で出世をしたい云々などとと口にしてから早数日。
 入学直後の行事及び説明会的な物が終わり通常の授業が始まっていたがハルヒは毎日のように彼方此方を走り回っているようだった。授業をはじめとした出席が義務付けられている時間以外に教室で見かけたことが無いからな。勧誘でもしているんだろうか、と思ったが、どうやらその通りだったらしい。
「やんなっちゃうわ。誰もあたしに協力してくれないんだもの」
 そりゃあこの学校に来ている連中は出世何てものに興味がない奴ばかりだろうから仕方あるまい。たとえ興味が有ったとしてもハルヒみたいに声を大にして出世を目指すなどと言っている奴と徒党を組もうなどという変人はそうそう居ないだろう。実際、ハルヒはまだ一人の同士も見つけられていないようだ。
「あたしに着いてくれば幾らでも上に引っ張り上げてあげるのに。当然、あたしに着いて来られるくらい優秀じゃなくちゃダメだけど」
 同学年を対象にしながらこの発言。幾ら当人が成績優秀とはいえその言い方はどうなんだ。そう、どうやらハルヒは勉強は出来るようなのだ。妙な発言をしたせいなのかそれとも素行がよろしくないからなのか一部の教師に目を付けられてしまい授業中に頻繁にあてられたりしているのだがハルヒはその全てに正確に回答している。おまけに運動神経も良い。
 入学式の日に自分の成績が有ればどこにでも入学できると言っていたのは嘘では無いようだ。
「なあ、何でそんなに仲間が欲しいんだ?」
 上を目指すだけなら一人でもどうにかなる。特に軍隊に入ってからならともかくここは学校だ。成績と態度さえ優秀なら人間関係なんて後から構築していっても何の問題も無いだろう。
「一人じゃつまらないからよ」
 物凄く明快な理由だが一人じゃ嫌だというのならばもっと協調性を見せるべきではないだろうか。周囲が少しずつ友人を作り始める中、涼宮は完全に孤立していた。一応話しかけたり話しかけられたりということは有るみたいだが長続きしないのである。愚痴めいた会話とはいえ俺との会話だけがまともに成立しているというのも不思議な話だ。
「……仲間が欲しいのと出世したいの、どっちのが大事なんだ」
「どっちもよ。あたしは上に行かなきゃいけないの、でも、一人で行っても仕方がないの」
 つまらないのと仕方がないのと、一体そのどちらが本当の理由なのやら。
「だったら仲間を作った後に目指しても良いんじゃないか。お前が上を目指していればお前の周囲に居る奴も自然と同じことを考えるようになるさ」
 絶対にそうとは言えないがそういう理屈は成り立たないことも無いだろう。最初から出世を目指すよりはその方がよほど現実的だ。少なくとも、まだ子供と呼べる年齢同士が集うこの場所では。
「……そういうものかしら」
「そういうものだって」
 この時の俺は持論を推すということがどういう結果に繋がるかということを全くもって理解していなかった。理解したのは、次のハルヒの言葉を聞いた後だ。
「じゃあ、あんたがそれを実践しなさい」
「…………は?」
「あたしと一緒に居れば一緒の場所を目指すようになるんでしょ? 自分で言ったんだから実践しなさいよ」
「え、あ……、ちょ、ちょっと待て、俺は」
「あら、あんた自分の言ったことを覆すの?」
 覆しても別に実害は無い。しかし、こんな嫌味な訊ね方をされたらはいそうですと頷ける訳もない。そう、涼宮ハルヒの性格及び今後のことを考えたらここはちっぽけな自尊心など放り出して頷いてしまうべきところだったのだ、という事実に、この時の俺は気付いて居なかったのだ。
 その結果、俺は涼宮ハルヒのお友達第一号という、ありがたくも無い立場を押し付けられることになってしまった。


「こっちこっち、早く来なさいよ!」
「ま、待て……。お前足早い、早いってば」
 ハルヒにお友達認定されたその日の放課後、俺はハルヒに引きずられる形で校内を移動する羽目になっていた。どうやらハルヒはその日のうちにお友達二号を発見したらしく、その二号に一号である俺を紹介したい、などということを何だかえらく早口かつ身勝手な言い方で告げてきた。走りながらなので細部は聴き取れなかったが詳しいことは本人に会えば分かるのだろう。
 涼宮が向かった先、そこは旧校舎の一角だった。今は通常の授業には使われてないが放課後の部活動や個人活動に使われて居たりはするのでここにそのお友達二号なる哀れな運命を授かってしまった人物がいるのだろう。
 ちなみに旧校舎はこの学校がまだ多数の生徒を抱えていた頃の名残の一つだ。連合の中心地が移動するに従って人も流れ、時としてこんな人の少ない場所も出来あがる。コロニーがどこもかしこも人口過密だったのは既に昔の話だ。
 旧校舎の中に有った教室へと続くドアがアナログな方法で開かれる。即ち、ハルヒが勢いよく扉を蹴り開けたのだ。比喩では無い、本当に蹴ったのである。
「じゃーん、今日からここがあたしたちの本拠地よ!」
「……は?」
 先ずは件の人物との自己紹介めいた会話が始まるかと思ったのに、涼宮の口から出たのは完全に予想外の台詞だった。本拠地? 何のことだ。
「これから活動を始めるにあたって拠点が必要だって思ったのよ」
「拠点って……、許可は取ったのかよ?」
 幾ら空き教室と言っても使うためには許可が必要だ。ハルヒのような奴に教室を貸す教師がいるとは思えないし即日で借りることは不可能だろう。こいつの場合、目的を誤魔化すなんて手段を取るとも思えないしな。
「あら、許可なら大丈夫よ。ね、有希ちゃん」
 涼宮が俺の知らぬ名前を呼びかけ視線を動かしたことで、俺はようやくこの教室に居たもう一人の人物に気づいた。有希、と呼びかけられたその人物は俺達と同じ軍学校の制服に身を包んだ小柄な少女だった。ショートカットの髪に、割と整った顔立ち。人形のようだ、という形容詞が似合いそうな印象だった。窓際の椅子に座って本を読んでいる姿が妙に様になっている。
「長門有希」
 彼女は首から上だけを動かして名前を名乗ると、またすぐに本の方に戻ってしまった。あまりにも静かなその動作のせいか俺はそれが名前であるということを理解するのに数秒かかってしまった。
「な、なあ……」
「ここは有希ちゃんが読書用に借り受けている場所なのよ。あたしも使っても良い? って言ったらオッケーだってことだから使わせてもらうことにしたわ。それから、有希ちゃんもあたし達のメンバーだから。それと有希ちゃんもあたし達と同学年よ」
 捲くし立てるように言い切った涼宮ハルヒは、俺の手を離し今度は長門有希の肩を後ろから抱き締めた。涼宮も細身の方だと思うがこうしてみてみると長門はもっと細身だ。その割に、折れそうなほど華奢、という印象でもない。
 しかし涼宮、そんな勢いだけで決めていいのか。というか長門有希、えーっと、あんたはそれで良いのか? こんな煩い奴がいたら読書の邪魔なんじゃないか?
「良い」
 そ、そうか……。まあ、本人が良いと言うのなら良いのだろう。長門には悪いがハルヒが教師に掛け合いに行って揉めるよりは被害がこの場所だけでとどまるだけの方がまだマシ、という気もするしな。
「んじゃ、とりあえずこれで準備は整ったわね! 三人だけじゃ物足りないけど三人いれば文殊の知恵って言うし、当面はこれでも何とかなると思うわ。船頭多くして船山に登るとも言うけどリーダーはあたし! これは絶対! だからそんなことはさせないわ」
 一体何のリーダーだか知らないがこんな勢いづいたハルヒを差し置いて先陣を切ろうなどと言う奴はいないだろう。しかし船山に登るって何だ。船ってのは宇宙を漂うものだろう。
「は? 何言っているの? 船ってのは元来水に浮いているものよ」
「……そうなのか?」
「そうよ。ってあんた、水に浮く船を見たことないの?」
「無い」
 悪いが水に浮く船なんて見たことは無いね。
 ハルヒが俺をバカにして良いのか憐れんでいいのか分らないような微妙な表情で静止している。出来ればどちらも却下して話の流れを本来の場所に戻して欲しいのだが、どうもそうは問屋が卸してくれないらしい。
「ふうん……。そういやあんたタクシーも知らなかったし、もしかして惑星に降りたことないの?」
「無い。俺が降りたことが有るのはコロニーまでだ」
「へ? コロニーに『降りる』? あんた、一体どこから来たのよ?」
 ハルヒが大きく目を見開く。どうやら今度はハルヒの方が無知を露呈する番だったらしい。その割に勘は良いみたいだが。
 この銀河系の全人口を居住空間ごとの割合で割って出してみると大体惑星が3割弱、コロニーが7割前後、残りのごく少数がコロニー以外の宇宙空間となる。そんな事情も有ってか大抵の場合『降りる』というのはコロニーから惑星へ降下する場合を指すのだが、コロニー以外の場所からコロニーへ行く場合にも同じ表現を使う場合が有る。もっとも、こっちの使い方をするのはコロニー以外の宇宙空間の出身者だけみたいだ。ちなみにコロニー以外と言っても何も無い真空の世界などでは無く、普通に人が住めるだけの設備を兼ね備えた船、工場、研究所、あるいはそれらに併設される居住用スペースのような場所のことだ。コロニーとの違いを上げるとすれば元々居住することが本来の目的では無く基本的に低重力あるいは無重力な空間に居住用の区画を加えている場所だということだろう。戦艦や客船では無い船に人工的に重力を発生させる必要性はあまり無いし、宇宙空間に有る工場や研究所というのは元々無重力を求めて作られるものだ。重力が欲しかったら資源惑星の上にでも作るさ。
「ふうん……、じゃ、あんたはそういう場所で育ったってこと?」
「ああ」
 コロニーに降りて生活し始めたのでさえ12の時で、惑星なんて行ったことも無い。このコロニーだって、俺が以前住んでいたコロニーよりはずっと規模が大きい。最初は学校という場所にこんなにたくさんの人間が集まっているという事実だけでも随分驚いたものだ。
「あ、でも、長期の無重力って身体に良くないって言うわよね、それってどうしているの?」
「身体を多少弄ってあるんだよ」
 惑星あるいはコロニーと言った重力に縛られている場所の出身者が長期間無重力下に身を置く場合は定期的な投薬などによって身体の変調を抑えるらしいが、元々無重力で生きることを前提としている人間はそのために多少身体に手を加えている。投薬及びナノマシンの注入、簡単な外科手術だったかな。三歳になるよりも前に行ったことなので記憶には残ってないが俺は一応の証拠であるナノマシン投入口の痕とされている耳の後ろの赤い斑点をハルヒに見せた。
「これってわざと残しているの?」
「ああ。エアリアルである証拠ってことらしい」
 遺伝子的には通常人類と同じだが後天的に違う特性を獲得している関係上一部の投薬、外科手術の場合に注意が必要だということで身体にしるしを残しているのだ。IDカードに描かれていることだし意識が有れば本人が言うだろうが緊急となれば身一つだけという状況も有り得るからだ。
「エアリアル?」
「無重力対応型人間のことだよ」
「ふうん、初めて聞いたわ」
 俺は初めて聞いたって人間に初めて出会った。惑星育ちはエアリアルに接する機会が少ないのかも知れない。エアリアルの大半はコロニーにすら降りたがらないし惑星育ちの人間は惑星というか重力のある場所に固執しがちだっていうからな。俺だってそうなるだけの事情が無ければコロニーでの生活を始めることも無かっただろう。
「ね、ところでエアリアルって珍しいの?」
「……は? そんなこと知らん」
 一割を切る少数派であるという自覚は有るが正確な割合など把握していない。そもそも子供のころは自分が少数派だってことさえ知らなかった。子供ってのは自分が平均或いは標準で有ると思い込みがちな生き物だからな。
「エアリアルの割合は銀河全体の人口の2%程度と言われている」
 唐突に、本当に唐突に長門が発言した。余りにも突然のこと過ぎて俺は一瞬耳を疑ってしまったが、ゆっくりと何かに導かれるように首を傾けたところ、長門は本に視線を落としたままの状態で唇を軽く開いていた。
「ただしこの2%とされる内の9割以上が無重力あるいは低重力の空間に住んでいるためコロニーや惑星内でのエアリアルの割合はもっと低いとされている。地域によって割合は異なるがこのコロニー内におけるエアリアルの割合は0.1%前後」
 ……そりゃまた随分と少ないな。千人に一人くらいってことか。ん、そういやこの学校の生徒数自体千もいかないんじゃなかったか。と、いうことは、もしかして、
「本校の一年に在籍する者の内エアリアルはあなた一人」
 長門は座ったままの状態で上半身の向きをかえて俺を見据え、はっきりと言った。
 まさかまさか、少数派だという自覚は有ったがそこまで少ないものだとは思って居なかった。俺が育ったコロニーではエアリアルはもっといたぞ。そっちの方が特殊だったって可能性もあるけどさ。
「へええ、じゃあ、あんた結構レアキャラなのね!」
「はっ? な、何だよいきなり」
「良いじゃない良いじゃない。見た目平凡っぽいのにレア属性なんて美味しいじゃない」
 見た目平凡ってのが余計だ。
「ねえねえ、エアリアルって何が出来るの? 無重力対応型ってことは無重力で何か面白ことが出来るの? ねえねえ、見せてよ、キョン!」
 いや、その、見せてって言われてもな……。別にそんなすごいことが出来るわけじゃないぞ? それに、1Gに近い重力下ではエアリアルは普通の人間とほとんど変わらない。
「コロニー外周を巡回する遊覧用の定期船に乗れば良い」
 またも長門がいきなり喋った。長門の発言には予備動作的な物が丸っきり無いので心臓に悪いな。ハルヒの方は興奮しているせいかそんなことは全然気にかけて無いようだが。
「それよそれ! うん、それで良いわ。確か無重力体験が出来るのよね」
「そう」
「じゃあ、週末は三人で遊覧船に乗るわよ!」
 ハルヒは爛々と目を輝かせたまま、高らかに手を振り上げた。


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