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Aerial/01―03



 無重力下でのエアリアルの行動が見たい、というただその一つの目的のためだけにハルヒを筆頭とした俺達三人組は遊覧船に乗る羽目になった。別に何か凄いことが出来るというわけでも無いのだが。
 土曜日の朝に寮の前で集合した俺達は発着所の場所を調べて来たというハルヒの先導のもと発着所へと向かうことになった。士官学校である以上一応外出には許可がいるのだがうちの学校はその辺の規則は大分緩い。休日の俺達は軍属という立場が霞んでしまうくらいにごくごく普通の若者同士でしか無かった。道行く人達が私服の俺達を見ても士官学校の生徒だとは思うまい。
「ねえ、もしかしてあんたが地図を読むのが苦手なのもエアリアルだから?」
「エアリアルだからかどうかは知らないが宇宙で育ったせいではあるかもな」
 宇宙、つまりは三次元を基本とした空間。無重力が基本なその世界は前後左右に加えて上下が当たり前に有る世界で有り、言い方を変えれば全ての方角に対して序列が無い場所だとも言える。どっちに向かうにも同じだけの力が必要だからな。12になるまでそういう世界で育った俺には未だに無重力下の世界の方が馴染みが有る。コロニーに降りた頃は感覚の違いに随分と戸惑ったものだ。俺が育ったのはスペースファクトリーに隣接する形の居住施設だったが、そこは全体が大きな建物のようになっていた。エアリアルが住む場所としては標準的だろう。エアリアルは自分達の住み家を地上に似せようとはしないからだ。
 長い間そういう場所で過ごして来た俺は未だに平面上に建造物が幾つも存在するという状態に慣れ切っておらずコロニーの地図がまともに読めなかったりする。同じ平面上でも建物の中なら割と平気なんだが。
「あんた以外の人も同じなの?」
「そうでもない、というか個人差が有るみたいだ」
 コロニーや惑星を全く知らなかったエアリアルがコロニーや惑星に降りた場合、その居住環境の変化に戸惑うと共に建造物の違いに驚きかつ地図が読めない、という事象自体は割と一般的なようだが絶対にそうだと決まっているわけでも無い。少数では有るが降りた直後から普通に行動し普通に地図が読めるような人間もいるし、例えスタート地点が似たよなところだとしてもそこから慣れていくまでにかかる時間などには大分個人差が有る。当人がどれだけ努力しているかというのも有るのだろうがその点については資質の違いなどによる面の方が大きいんじゃないだろうか。別にエアリアルじゃなくても地図を読むのが下手な奴はいるし何の訓練もしていなくても道を覚えるのが得意な奴はいる、というのと似たようなことでしかない。半ば受け売りの知識では有ったが俺はその辺のことを適当に掻い摘んでハルヒに説明してやった。
「ふうん……」
「別に、エアリアルだからってそんな面白いもんじゃないぞ」
 多少構造的な部分に手を加えているが基本的には同じ人間だ。変にレアキャラ扱いされて期待をかけられても困る。
「あら、面白いかどうか決めるのはあたしよ。あんたじゃないわ」
 随分と勝手な言い草だな。俺は別にハルヒの期待に沿いたいとは思わない。
 とはいえ強引で夢見がちなハルヒの申し出を断らなかった理由はやはり俺自身無重力空間の方が好ましいと思って居るからというその一点に尽きるのだろう。じゃあ何故一人で行こうと思わなかったかって? そりゃあ、発着所までの道のりを一人で行き来出来るとは思わなかったからだ。道を覚えることに関しては全く持って自信がない。いい加減一人で来られるようになった方が良いとは思うのだが。
「ねえキョン、あたし他にも気になっていることが有るんだけど、エアリアルって学校とかはどうしているの? ちょっと調べてみたんだけど、学校ってスペースラボとかには立てられないのよね」
 銀河法により学校ってのはコロニーと惑星にしか作っちゃいけないことになっているからな。スペースラボやスペースファクトリーは企業色及び独自色が強すぎて学校建造地域として推奨出来ないからだそうだ。推奨も何もそこに子供が居るってのに妙な話だ。実情と法律が合ってないというよくある事例の一つってところか。
「通信だってのは説明されなくても分かるんだけど通信でもスクーリングとかは有るわよね。そういうのはどうしていたの? あんた、12になるまでコロニーに来ることも殆ど無かったって言っていたじゃない」
「ああ、俺の居た辺りじゃ教師の方を招いていたんだ」
 通信教育でもそのうちの一定時間はスクーリング、つまり教師が居る状態で学ぶことが義務付けられている。原則として通信で所属している学校へ赴くこととなっているがエアリアルがそれを実践していることはまずない。大抵の場合教師を呼び寄せるか、そこに住んでいるエアリアルの内教員資格を持っている(その教員資格でさえ通信教育で取るのがエアリアル流だ)誰かが形だけの臨時教員となって教えるかのどちらかだ。勉学のためにコロニーに降りるあるいはコロニーに降ろすという発想自体が無い上抜け道的手段とはいえ教育法上問題が有るわけでも無いので誰かに咎められることも無くこの習慣は今日まで続いている。俺がスクーリングの本来の方法及び通常の『学校教育』というものがどんなものであるかを知ったのはコロニーに降りてからの事だが生粋の宇宙育ちの連中がその辺の事情を把握しているかどうかについては少々疑わしいところだな。人間ってのは自分が住んでいる場所での習慣が普遍的なものだって思いこみがちな生き物だ。12でコロニーに降りた俺はそれを思い知らされたし今でも時々育った場所の違いによる常識の差異に驚くことがある。俺はタクシーも水に浮く船も水辺に面するという港も知らなかったしハルヒはエアリアルの存在を知らなかった。
「へえ、エアリアルって本当に無重力の場所から離れたがらないのね」
「惑星育ちが宇宙に来たがらないのと似たようなものだろ」
「あら、あたしは別に気にならなかったわよ」
 これは連合の法律で決まっていることだが連合の士官学校はコロニー上にしか存在しない。つまり士官学校を選んだ時点でコロニーに行くことに決めたということになる。
「……お前が例外なんだろ」
 レアキャラ認定された後にじゃあ他の連中の割合はどうなんだと思ってデータベースにアクセスして調べてみたが惑星育ちの連中の割合は明らかに銀河全体における人口比率をかなり下回っていた。どうやらこれはこの学校だけでは無いらしく一般的な傾向らしい。言い方を変えると、連合において士官学校に通う人間及び軍人になろうとする人間の大半はコロニー出身者だってことだ。これは惑星においては連合よりも各国家への依存度が高いという事情が有るからだろう。そういう意味で考えるとハルヒだって充分レアだ。
「何、何か言った?」
「いや、何でも無い」
「……何か気になるけど、まあ良いわ。あ、発着所が見えてきたわ」
 ハルヒが指さしたのは小さな白い建物だった。宇宙に上がるための船の着く場所にしては随分と小さい建物だが観光用途しか考えてなければこんなものだろう。外からの船が着く場所は別に存在する。ぱっと見た感じ周囲に人は居ない。本当に営業しているのか疑わしく思えて来るような場所だな。
「こんにちはー、予約した涼宮でっす」
 ハルヒがずんずんと建物の中の入り口を開いた。一応、扉には『OPEN』とかかっていたので不法侵入では無い。
「いらっしゃいませ」
 威勢の良いハルヒの声を迎えたのは通りの良い若い女性の声だったが声の発生源と思われる人物はいなかった。代わりに、点滅するモニタが一つ。どうやら完全に機械任せのようだ。観光のための場所とはいえ来る人間が少なければこんなものである。人手は有限なのだ。ここに来る前に俺が暮らしていた場所ほどではないがここもまた人手不足気味の田舎コロニーの一つなのだろう。
「何か不用心ねえ」
「普通こんなもんだろ」
「ふうん……、まあ良いわ、ちゃっちゃと手続きして乗りましょっ!」
 ハルヒは若い女性の映るモニタの下の端末をさっさと操作すると俺と長門に向かってIDカードの提示を求めて来た。ハルヒの緑色のカード、長門の白いカード、それに俺の青いカード。
「何これ、あたしどっちの色も始めて見たわよ」
「……アーシアンか」
 長門のまっさらな白いIDカードには見覚えがあった。それは地球出身者を示すものだ。
「え、じゃあ有希も惑星育ちなの?」
「……そう」
 IDカードが示す以上長門有希がアーシアンであることに間違いは無いのだろうがこれは少々意外だった。俺も今まで数人のアーシアンに有ったことが有るがそいつらは嫌味な奴も良い奴もいたが総じて言えるのは全員育ちの良さそうな奴だったってことだ。永世中立宙域、地球。そこに居を構えることが出来るのは裕福な連中だけなのだ。しかし、長門にそういった雰囲気は無い。柄が悪いとかいうわけではないが少なくともお嬢様的な雰囲気では無いからな。
 それに士官学校の生徒ってのは9割までがコロニー出身者なんだ。予備知識の無い相手をコロニー出身者だと思う――のは、別に普通のことなんじゃないだろうか。昨日今日その知識を仕入れた上コロニー出身ではない俺が言うのも何だが。
 偶発的な集まりとはいえひとりとしてコロニー出身者が居ないというこの状況。まるで誰かが仕組んだみたいだな、と思うのは俺の考え過ぎだろうか。
「校内におけるアーシアンの在校生は全部で8人。この中には月面及び地球周辺のコロニー出身者も含まれる」
「へえ、アーシアンって地球出身者だけをさす言葉じゃないのね」
 常識中の常識の一つだと思うんだがそんなことも知らないのか。エアリアルを知らない上アーシアンの実情すら知らないなんて世間知らずにもほどが有る。水に浮かぶ船を知らなかった俺が言えることじゃないかも知れないがハルヒの育った惑星は随分と偏った知識を教える場所だったのかも知れない。連合は一応の意思統一ははかっているみたいだが細かい教育方針なんかには口出ししないってスタンスらしいからな。
「そう」
 世間知らずなハルヒに対して長門は特に驚くような素振りも見せない。この辺の反応も俺が知っているアーシアンとは違う。普通アーシアンはアーシアンでない人間がアーシアンの定義を知っているのが当たり前だと思っている。何せアーシアンというのは世界の中心が自分たちだと思っているような連中だ。他人が自分のことを知っているのは当然ってことなんだろう。というか、知っているのが普通なんだが。アーシアンが世界の中心かどうかは知らないが彼等が特権階級的立場に有ることは誰だって知っているしその実情についての知識も多少仕入れているものだ。出世をしたいと口にしながらも特権階級に対する知識が無いなんてのも変な話だよな。頭は悪くないみたいだがハルヒはやっぱり変な奴だ。
「ほら、そろそろ行くぞ。話すのは入ってからでも出来る」
「分かってるわよ、もう、勝手に仕切らないでよね」
 ハルヒは文句を言いながらも手にしていた長門のIDカードを本人に返すと先陣を切ってカードを機械に通した。それに続いて俺と長門もカードを通す。予約の時点で三人分のデータを送っているので全員がカードを通さないと受理されないのだ。
 三人分のIDカードを通し終わるとモニタの横の扉が開いた。どうやらエレベーターになっているらしい。コロニーにおいては外周に地表が有りその外側が宇宙なので宇宙を目指すというのは地下の方に向かうということになる。
「何だか変な感じよね。地上じゃ上に登っていくのに」
 エアリアルにとっての宇宙は全方向で、コロニー育ちにとっては地下のようなもので、惑星育ちにとっては遥か上方。型通りの知識としては知っているものの、感覚に依存するものを完全に理解するのは不可能だ。ハルヒが見ている宇宙と俺が見ている宇宙は少し違う。長門が見ている宇宙は、ハルヒの見ているものに似ているだろうか。
 エアリアルを知らずアーシアンの実情を知らず、そしてその相手をレアキャラ認定。
 そんな、自分の『普通』とは違う『普通』を抱えた少女の後を追い、俺は簡易式のスーツを身にまとい小さな小さな宇宙船に乗りこんだ。


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