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Aerial/01―04



 コロニーの観光施設として備えつけられた宇宙船は外観も内装も特に奇抜なところの無い、観光用に飾り付けられているわけでも無いごくごく普通に有り触れた少し旧型の船だった。先の尖った流線型の形状で直径は多分5メートルもない。10人も入ればいっぱいになってしまうような小さな船だ。
 内部から見える継ぎ目までそのままだがこれは予算の都合というやつだろう。継ぎ目がそのままなんて危険じゃないのかと思われるかもしれないが素人が弄った位で剥がれるほど宇宙船の外壁は柔じゃないし何よりきちんと塗装されていたりするよりもこっちの方が宇宙らしい雰囲気が出る、と思っているような連中も居るくらいだからな。雰囲気も何も宇宙育ちの俺にとっては建物が並ぶ世界よりこういう場所の方が馴染みが有るんだが。
 小型の宇宙船は自動操縦のアナウンスを内部に響き渡らせながらコロニーを離れ、ほどなくして船内は無重力になった。
「うわーっ、こうして見るとコロニーも綺麗なものねえ」
 重力の無くなった空間でハルヒが窓の向こうに写るコロニーを見下ろしている。コロニーで暮らしている時も無重力の世界に戻りたくて頻繁に外に出ていた俺にとっては当たり前の光景だが惑星育ちのハルヒにとっては事情が違うのだろう。惑星から宇宙へ行くのは手間がかかるみたいだしな。
「ね、キョン、何かやって見せてよ」
「……大したことは出来ないぞ」
「良いからとりあえず動いてみなさいよ。じっとしていちゃつまんないじゃない!」
 こうして静かに何物にも縛られてない空間に漂っているの悪くないと思うんだが。というかハルヒ、そういうお前は何故壁際に有る安全用に取り付けられた取っ手を掴んだままなんだ。
「あたし、無重力の空間で動くのって苦手なのよ」
 さっきの発言と思いっきり矛盾してるぞ。
「とにかくあんたは何かやって見せなさいよ! ほら、エアリアルは無重力状態でも地上と同じように自由自在に動けるんでしょ」
 それはさすがに誇張しすぎだ。普通の人間と違って無重力の場所で長期間生活しても身体的異常が出ないってのと、無重力下で身体を動かすの慣れているって程度でしかない。後、地上と同じようにって表現はおかしいな。俺にとっては地上の方が異質だしそもそも惑星になんて降りたこともない。
「ごちゃごちゃ言ってないで何か見せなさいよ!」
「……分かったよ」
 無意味な押し問答をしても何も生まれない。俺はまともな反論を諦めその場でくるりと身体を回転させた。流れない空気と重量。重力や慣性に関する説明や計算は面倒なものだし俺だってその全てを把握しているわけではないが動かし方だけは知っている。擦りこまれていると言っても過言じゃない。
 俺は何度か身体を回転させた後小型では有るものの三人で乗るにしては多少余裕が有る小型宇宙船の内部を移動してみた。経験と感覚に任せれば特に補助は要らない。
「へえ……思ってたほどじゃないけど、やっぱり凄いのね」
「別に普通だ。エアリアルじゃなくても宇宙に慣れてくれば不自由なく行動出来るようになる」
 地図の件と同じように個人差はあるだろうが慣れと訓練で何とかなる物のはずだ。そもそも何とかならないようだったら惑星やコロニー在住の人間は無重力空間では暮らせないということになってしまう。幼い頃の俺の周囲はエアリアルばかりだったが中には惑星やコロニーの出身者もいた。地球に望郷の念を抱く者がいるように宇宙に憧れを抱く者がいるのも珍しいことではない。
「……まあ、良いわ。あたしもちょっと動いてみよっと」
 何がどう良いのかさっぱり分らなかったがハルヒは取っ手を離し空間を漂い始めた。見るからに初心者の動きで危なっかしいが無重力状態に慣れていなければこんなものだろう。
「きゃっ」
「バカ、気を付けろ」
 阻む物の無い空間で何も考えず動けば簡単に障害物に衝突する。俺は勢いのまま壁に激突しかけたハルヒの腕を掴んで動きを抑えた。減速しきれずにハルヒは壁に頭をぶつけたが俺の体重分が緩和されたので大した衝撃では無かったはずだ。
「痛っ……、もう、もっと早く助けなさいよね」
 助けてやったのにその台詞かよ。呆れて溜め息を吐く俺の手を離しハルヒがまた移動し始める。今度は先ほどよりスローペースだ。子供みたいに呟いたり同意を求めたりしながら空間を動くハルヒ、懐かしい空間に身を任せる俺。ただじっとしているだけの長門。
「お前は無重力の場所で暮らした経験があるのか?」
「有る」
 なるほど、だからハルヒとは反応が全然違うのか。いや、例え長門がハルヒと同じように無重力に慣れていないとしてもハルヒと同じように騒ぐところなんて想像もつかないが。この数日で分かったことだが長門にとっては大人しくじっとしている或いは本を読んでいるという状態がデフォルトらしい。エアリアルであるという一点を除いてしまえばごく平凡としか言いようがない俺と違って長門は多分、アーシアンだという属性を除いても少々風変わりなキャラに位置づけられるだろう。成績も良いみたいだしな。
「そういえば、これって何時頃になったら戻れるのかしら」
 運行時間くらい調べておけよ。とはいえ俺も調べてなどいない。俺はハルヒが『邪魔だから』という理由で音声を切ってしまったディスプレイの横のパネルを操作して運行状況を示す画面を呼び出した。
 ピンっと、画面が高い音を立てる。
「……何だ、これ」
 今まで画面になど着目してなかったので気付かなかったが、運行状況を知らせる数値が通常では有り得ない数値を叩きだしている。モニタの異常だろうか。
「運行状況にエラーが生じている模様」
 長門の平坦な一言が鋭く耳に突き刺さる。
 ――何、だって。
「エラーって? モニタのエラーじゃないのか?」
「違う。モニタ上だけのエラーで有れば数字の表示に異常が生じる前に画面のどこかしらに異常が生じるはず。それが無いということは運行状況そのものにエラーが生じその結果がモニタに反映されているということになる」
「なっ……、嘘だろう」
「え、何々、どういうこと?」
 驚愕するしかない俺と平易な状態を崩さない長門の間にハルヒが割って入って来る。勢いを込め過ぎて通り過ぎて行きそうなハルヒの片腕を捕まえたのは長門だった。こんなときだってのに冷静だな。
「長門、エラーの種類は分かるか?」
「恐らく本来の軌道を外れての運行。一つ一つの要素は誤差の範囲内だとしても複合されればエラーが生じるということが有り得る」
 回答する長門の表情は揺らがない。怖くないんだろうか。宇宙空間で船が軌道を外れるというのは空気のある場所で迷子になるのとは全然意味が違う。
「ねえ、それってどういうこと? それって何か問題が有るの?」
 長門の無表情が無知ゆえとは思えなかったがハルヒの方が全く状況を理解していないことは確かなようだ。
「大有りだ。くそ、通信系がイカレテやがるのか……」
 自動運行の船というのは大抵母体となっているステーションやコンピュータと連絡を取りながら運行している。何時何時突発事項が起こるか分らない宇宙空間において起動だけを入力して完全に自動、というのは無理があるからだ。同時にその連絡経路は緊急時の遠隔操作や避難回線としての用途も有している。つまり、異常が有れば即連絡が入り中に居る人間に知らされ異常が回避される――それが無いってことは、連絡経路そのものが不通になっているということだ。
 連絡が途絶えていることを向こう側が察知すれば回収には来てくれるだろうが実際に回収されるまでどのくらいの時間がかかるかは予測もつかない。この船はコロニーの大分外側を回っていたはずだし既にその軌道を外れている。発見や回収までに相当時間がかかる可能性だって有り得るのだ。
「ねえ……もしかして、緊急事態なの?」
「そうかもな」
 十分も経たずに助けが来る可能性もあるがこのまま中の空気が尽きるまで外と連絡が取れない可能性だってある。この船は独力での探査や運行を想定していない。内部から視界の外の範囲の情報を手に入れるのは困難だ。広がる暗闇の中、コロニーは既に点のようになってしまっている。一体どのくらい離れているんだよ。
 ざっと状況を掻い摘んで説明してやるとハルヒの顔がさっと青くなった。
「うそ……」
「嘘じゃない、とりあえず落ち着け」
「お、落ち着いてるわよ……こういうときは慌てる方が良くないってことくらい分かっているわ」
 キッと、擬音さえ聞こえてきそうな勢いでハルヒが俺を睨みつけて来る。非常識な割に居性が良くて成績だけが良い女だと思っていたがどうやら肝も座っているようだ。
「それで、これからどうするのよ?」
「どうするって……、どうも出来ないだろ」
「あんた、ただ救助を待つだけのつもりなの? 救助を待つ時ってのは自分からも発見して貰えるようにするもんでしょ」
「自動運行の観光船で何をしろって言うんだよ」
 安全のため内部の人間からの操作は不可能になっている船だ。中に居ても出来ることはない。
「でも、有希は何かしているわよ」
「えっ……、って、おい長門、何をしているんだ?」
 ハルヒに言われて振り返ってみると長門が表示を切り替えるための操作パネルをいじっているところだった。
「システムへの侵入」
 あっさり言ってくれるな、おい。
 幾らただの観光用の小さな船とはいえそう簡単にシステムに侵入なんて出来るわけがない。しかし、長門の理知的にも見える瞳は無謀なことに挑戦しているようには見えなかった。微かに動く視線が画面とパネルを追っている。事の詳細は分からなかったが長門が一つ一つセキュリティを外していることだけは感じ取れた。おいおい、マジかよ。
 数秒後、観光用の画面を表示していたモニタが黒く切り替わりパネルの脇に有った開閉厳禁という注意書きのかかれた小さな扉が開き、その中から簡易船舶用の運行操作パネルが現れた。
「侵入成功」
「げっ……」
「すごーい、有希って有能そうだと思っていたけどこんなことまで出来るのね」
 ハルヒは感心しているが、感心して済まされるような問題では無い。たかだか15かそこらの子供が商業上・保安上の用途及び安全性が確立されているシステムへの侵入を果たせるなんていうのはただ事では無いのだ。それも設備が整った場所からならともかく長門の手元に有ったのはただの外部出力用パネル一式のみだ。運行状況の結果を表示している以上運行システムとの間に何らかの接触が有ることは確かだがそれを遡ってシステムへの侵入を果たすなんてことが普通の人間に出来るわけがない。
「……で、これで何が出来るんだ?」
 長門に言いたいことは山ほど有る。だが、まずは状況に対処する方が先決だ。こんなところで言い争いをして空気を減らしても無意味だ。疑問をぶつけるのは後で良い。
「このパネルを使っての操船」
「出来るのか?」
「わたしには無理。わたしが出来るのはここまで」
 妙なところでアーシアンらしいことを言うな。まあ、エアリアルでもない限り幼少期に宇宙船の運行経験を持っている方が珍しいか。
「あたしにも無理だけど、キョンは出来るの?」
「一応、経験は有る」
 宇宙の民であるエアリアルは子供の頃に操船技術を一通り学ばされる。それは宇宙で生きるために必要とされる技術の一つだからだ。エアリアル以外の人間が船舶用免許を取れるのは15からだがエアリアルに限ってはかなりの幼少期から免許を取ることが出来る。
「じゃあ、あんたが動かしなさいよ! 動いた方が見つけてもらいやすいわよ」
 救助を待つ上ではじっとしている方が良いというのが通説だが宇宙においてはケースバイケースだ。静止している上信号も発してないとなるとただの岩石や破棄物の一つと間違われれて察知されないままというケースも有り得る。外部への通信機能に異常が生じている船舶というのは見つけづらい物なのだ。船を動かすことで無駄なエネルギーや空気を消費するという結果にもなりかねないが……。
「……分かった、動かしてみる」
 吉と出るか凶と出るかは分からないが、やるだけやってみるか。
 俺は興奮するハルヒと表情一つ動かさない長門の間に割って入り、操作パネルに指を乗せた。


 ――長門が伝えてくれる視覚情報を頼りに近くの船を目指した所、十数分後に俺達の乗っていた小型船は無事回収された。外観及びシステムからの船舶IDが確認できたらしく詳しい説明を求められることも無かった。通信が切れた時点で自動的に操作願いが出るようになっているからだろうな。
 子供ばかりの船でどうやってシステムに侵入出来たかというその一点については偽らせてもらったが(連絡が途絶えた時の衝撃で操作パネルの上のハッチが開いたことにした)、細かい記録が有るわけでもないし特に疑われることも無いだろう。
「災難な一日だったな」
 回収された船からコロニーに向かう船に乗り換えての帰還だったため既に時刻は夕刻だ。定期船に乗るだけだったら昼過ぎには終わっていたはずだったんだが。
「あら、あたしは面白かったわよ。有希の凄いところも見られたしキョンの操船も見られたんだもの」
「……俺の操船なんて別に大したこと無かっただろ。エアリアルなら誰だってあのくらい出来るしお前だって訓練すれば出来るようになるはずだ」
「ふうん……。まあ、良いわ。今日は面白かったし。あ、あたしはちょっと少し寄る所が有るからあんた達は先に帰っていて」
 ひらりと手を振ってハルヒが通りの向こうに消えていく。こんな時間から一体何の用事だ? と思ったが、その点については突っ込まないでおこう。ハルヒにすることに積極的に関わっていたら身が持たない。何せ巻き込まれただけでもこの結果だからな。今日は疲れた。宇宙船の操縦自体は今までだって何度もしてきたが命がかかった状況なんてこれが初めてだ。出来れば二度と似たような事態には遭遇したくないものだ。
「……」
 うつろな瞳の長門が寮へと向かって踵を返し俺もそれに続く。情けない話だが俺は誰かの案内が無いと寮まで帰れない。
「なあ、長門……、今日は世話になったな」
「……別に」
 一応の返答は有ったが無味乾燥なのは相変わらずだ。
 宇宙での緊急時に慌てもせず対処を考え行動するアーシアン、か。今まで見たことが無いタイプだな。長門のIDカードは間違いなくアーシアンの者であり、アーシアンの場合12歳まで『アーシアンとして』育たないと正規の白いIDカードを受け取ることは出来ないらしいから長門がアーシアンで有ること自体は間違いないと思うのだが。
「もしかして、今までにも似たような場面に遭遇したことが有るのか?」
「……」
 無回答。いや、答えたくないなら答えなくても良いが、反応ゼロってのは少し寂しい物が有るな。この様子だと他の質問にも答えてくれないのだろう。システムへの侵入と、俺もハルヒも肉眼で確認することが出来なかった船舶の発見。どちらも普通の人間に出来るようなことだとは思えない。
「あなたの操船はとても優秀」
 そろそろ寮が見えて来るという頃に、長門が唐突に口を開いた。
「……は? 別に普通だろ」
「そう思っているのはあなただけ」
 ハルヒの過信や興奮とは違う、切り込むための言葉。
「……素人に言われてもな」
 長門は、自分では船は運転できないと言った。
 しかしそれは真実なのだろうか。俺に華を持たせるため、或いは俺に操縦させるためにあんなことを言ったのでは、と――いや、さすがにこれは考え過ぎかな。命のかかった場面で自分でも出来ることを他人に委ねる理由が無い。
「……」
 長門の瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。
 どういう表情をして良いか分らなくなるような視線だったが俺は出来るだけ無理のない表情を作るように努めてみた。少なくとも俺は嘘は吐いていない。長門がどこかで嘘偽りを口にした可能性はあるがそこに言及する気も無い。緊急事態は無事解決した。それで良いじゃないか。その他のことは追々片付けて行けばいい。同じ学校に通う生徒同士なんだ、取り立てて急ぐ必要もあるまい。
 やがて長門が踵を返し、女子寮の方へと消えて行った。
 ここまで来れば俺も一人で帰れる。俺は長門の背中に、またな、と短く声をかけた後、男子寮に向かって歩き始めた。


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